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昨晩寝床の中で、どういうわけか、ふとニュージーランドのオークランドの博物館に陳列されていた日本海軍の零式戦闘機(ゼロ戦)のことを思い出していました。20年あまり前に、私は仕事でニュージーランドに行くことがよくありました。あるとき、現地で休日にまたがったので、ふと思いついて一日オークランドの博物館に行ってみました。
いろいろの展示物を見ながら最上階にいきますと、そこはいわば戦争博物館のような展示場でした。
そこに、何と日本海軍の零式戦闘機が外観がきちんと復元されて展示されているではないですか。
きっと太平洋戦争の際、いささかニュージーランド軍も関係した戦場で墜落したゼロ戦をその後きれいに外観を復元したのでしょう。
私はいささか興奮してそれを見ました。
展示の説明板には、
「ZERO FIGHTER 、太平洋戦争で日本軍が使用した戦闘機で当時のTHE MOST FORMIDABLE FIGHTER(最も恐るべき戦闘機)であった。」と書いてありました。
誤解してはいけないのは、FORMIDABLEというのは褒め言葉なのですね。
辞書でひくと、恐るべき,侮りがたい、とあります。
確かに太平洋戦争の初期は日本のゼロ戦は世界のどの国の戦闘機より戦闘能力が高かったのですね。
説明板にはいろいろ書いてありましたが、日本人の私に気になるような表現は全くありませんでした。むしろ、素晴らしい戦闘機だったのだという客観的な賞賛のようなものを感じました。
私は小学校(国民学校)4年で終戦になりましたが、その前まで自分は将来、海軍兵学校に行き、飛行機乗りになって戦場に赴くものだと思っていました。そして死ぬものだと思っていました。
両親ではなく私の小学校の担任の女の先生(恩師)が、私は海軍兵学校に行くものと決め込んでおり、私もそう思っていました。
その女の先生は、私の眉の端がピンと逆向きなっているのを気にかけ、兵学校では容姿も大切なのだからと言って、毎朝学校で私を鏡の前に立たせて、私の眉を濡れたタオルでごしごしとこすって
くれました。。(今思うと、ひいきですね。)
もちろん,逆向きの眉の毛はなおるはずもなく今でもそのままですが。つむじなんですよね。
(彼女からすれば、ひいきではなくて立派な海軍士官を一人余計に生み出そうとする善意の愛国心からだったのかもしれませんが。なんてむつかしい説明はやめにしましょう。こわい先生でしたがとても可愛がってくれました。 )
このゼロ戦に乗っていたのはどのような若者だったのだろう。もし私がもっと早く生まれていたらゼロ戦に乗っていたかもしれない。そして、もう生きていなかったかもしれない。
そんなことを考えながら長いことゼロ戦の前に立っていました。
THE MOST FORMIDABLEという表現にも満足していました。
私はわずか350万人の人がしっかり働きながら、きちんとした質素な国を作り上げているニュージーランド人が好きですが、旧敵国の戦闘機を丁寧に復旧して客観的な説明を加えて
展示しているニュージ-ランド人とその国がさらに好きになりました。
私は久しくニュージーランドに行っていません。ニュージーランドに行かれた方、行かれる方がおられたら、このゼロ戦が今も展示されているかどうか教えて下さい。時間があったら是非見に行って下さい。
異国の地にあって懐かしい日本人が見に来るのを、このゼロ戦は心待ちにしているかもしれません。
博物館は、オークランド大学の南、オークランド病院の東のAUCKLAND DOMAINの中にあります。
正式に言えばオークランド戦争記念博物館(WAR MEMORIAL MUSEUM)というのかもしれませんが,一階には仏像などが陳列してあり、戦争関係は最上階だけでした。(そのころの話ですが。)
(佐藤元則 V通信6)
画像:筆者撮影
いろいろの展示物を見ながら最上階にいきますと、そこはいわば戦争博物館のような展示場でした。
そこに、何と日本海軍の零式戦闘機が外観がきちんと復元されて展示されているではないですか。
きっと太平洋戦争の際、いささかニュージーランド軍も関係した戦場で墜落したゼロ戦をその後きれいに外観を復元したのでしょう。
私はいささか興奮してそれを見ました。
展示の説明板には、
「ZERO FIGHTER 、太平洋戦争で日本軍が使用した戦闘機で当時のTHE MOST FORMIDABLE FIGHTER(最も恐るべき戦闘機)であった。」と書いてありました。
誤解してはいけないのは、FORMIDABLEというのは褒め言葉なのですね。
辞書でひくと、恐るべき,侮りがたい、とあります。
確かに太平洋戦争の初期は日本のゼロ戦は世界のどの国の戦闘機より戦闘能力が高かったのですね。
説明板にはいろいろ書いてありましたが、日本人の私に気になるような表現は全くありませんでした。むしろ、素晴らしい戦闘機だったのだという客観的な賞賛のようなものを感じました。
私は小学校(国民学校)4年で終戦になりましたが、その前まで自分は将来、海軍兵学校に行き、飛行機乗りになって戦場に赴くものだと思っていました。そして死ぬものだと思っていました。
両親ではなく私の小学校の担任の女の先生(恩師)が、私は海軍兵学校に行くものと決め込んでおり、私もそう思っていました。
その女の先生は、私の眉の端がピンと逆向きなっているのを気にかけ、兵学校では容姿も大切なのだからと言って、毎朝学校で私を鏡の前に立たせて、私の眉を濡れたタオルでごしごしとこすって
くれました。。(今思うと、ひいきですね。)
もちろん,逆向きの眉の毛はなおるはずもなく今でもそのままですが。つむじなんですよね。
(彼女からすれば、ひいきではなくて立派な海軍士官を一人余計に生み出そうとする善意の愛国心からだったのかもしれませんが。なんてむつかしい説明はやめにしましょう。こわい先生でしたがとても可愛がってくれました。 )
このゼロ戦に乗っていたのはどのような若者だったのだろう。もし私がもっと早く生まれていたらゼロ戦に乗っていたかもしれない。そして、もう生きていなかったかもしれない。
そんなことを考えながら長いことゼロ戦の前に立っていました。
THE MOST FORMIDABLEという表現にも満足していました。
私はわずか350万人の人がしっかり働きながら、きちんとした質素な国を作り上げているニュージーランド人が好きですが、旧敵国の戦闘機を丁寧に復旧して客観的な説明を加えて
展示しているニュージ-ランド人とその国がさらに好きになりました。
私は久しくニュージーランドに行っていません。ニュージーランドに行かれた方、行かれる方がおられたら、このゼロ戦が今も展示されているかどうか教えて下さい。時間があったら是非見に行って下さい。
異国の地にあって懐かしい日本人が見に来るのを、このゼロ戦は心待ちにしているかもしれません。
博物館は、オークランド大学の南、オークランド病院の東のAUCKLAND DOMAINの中にあります。
正式に言えばオークランド戦争記念博物館(WAR MEMORIAL MUSEUM)というのかもしれませんが,一階には仏像などが陳列してあり、戦争関係は最上階だけでした。(そのころの話ですが。)
(佐藤元則 V通信6)
画像:筆者撮影
観光で博物館にいってきました。
ゼロ戦、まだ展示されていましたよ。
始めてみたとき何故あるのだろうと気になり、調べていたらこのブログを見つけました。
日本の資料館で感じる雰囲気と何かが違い、すごく考えさせられました。
パイロットの方、またゼロ戦そのものは、日本のために戦ってくれ、戦後目の前に現れた、平和な日本で育っている子供たちをみて、喜んでもらっていたらいいのですが。