花見の旅の終わりとともに、昨年の秋から続いた旅から旅の暮らしもようやく一段落です。機材をメンテナンスに出し、車内に積み込んだままとなっていた荷物を下ろして、旅が終わったという実感が徐々押し寄せてきました。一息ついたところで、今季の花見を改めて回顧してみたいと思います。
一言でいうなら、兎にも角にも「長かった」ということに尽きるでしょう。三月中旬という都内の早咲きも異例なら、六月になっても道東、八甲田と二度にわたって花見ができたのも異例のことでした。これは偏に、季節外れとしかいいようのない三月前半の陽気と、その後の掌を返したような寒の戻りによるものです。実際のところ、大型連休までは寒さに震える場面が少なからずあり、六月になっても八甲田の山頂は一面の銀世界でした。期間の長さでいうなら過去二年の方が上とはいえ、それは沖縄からその次の高知まで一、二ヶ月の間が空いた上でのことです。三ヶ月にわたって続けざまに花見ができたという点では、今季が空前絶後の最長不倒記録ということになるかもしれません。
これは見方を変えると、旅が間延びしてしまったということでもあります。信州の旅はともかくとして、長かったのは大型連休からです。中通りを振り出しにして会津、置賜、仙台、弘前と北上するのは例年通りだったとしても、会津と米沢にそれぞれ三連泊したばかりか、一時帰京を挟みつつ弘前に延々二週間も足踏みするなどという展開は、過去三度の東北一周では到底考えられないものでした。しかもその後二度の一時帰京を挟んで北海道に延べ九日滞在し、さらには北東北で二週にわたり活動して戻ってきたわけです。起承転結を楽しむのも旅のうちだというのに、「結」の部分があまりに長すぎて、全体的に間延びした印象が残ったということなのでしょう。
このような結果に終わった理由は二つあると考えています。一つはもちろん、桜前線の歩みが遅かったということです。二つ目の理由は、日数をかけた割には天候がそれほどでもなかったということにあります。大型連休の後半に弘前へたどり着いて以来、一時帰京を挟んで四日間がほぼ使い物にならなかったのを始めとして、延べ九日間滞在した北海道でも、まるで使い物にならない日が全体の半分近くはありました。今年は四月五月が例年にないほど暇で、珍しく休暇が満額支給だったにもかかわらず、こんなときに限って天候に振られてしまうのが何とも皮肉ではあります。
とはいえ、天候が振るわなかったからこそ桜が長持ちしたわけで、こればかりは巡り合わせとしかいいようがありません。金と時間をとことん注ぎ込み、思う存分に旅ができたという点で、紛れもなく生涯最高の旅だったのは事実です。やれるだけのことを全てやり尽くしたという点では、思い残すことなど何一つないと断言できます。
この旅ならではの経験をもう一つ挙げるとするなら、それは花見というより、北国の春から夏にかけての移り変わりではないでしょうか。花冷えが花吹雪に変わり、やがて新緑が萌え、田圃の水鏡が緑の絨毯へ刻々と変わりゆく様子は、これまで気付かなかった北国の短い春を否応なく実感させるものでした。冬が長い分だけ春と夏は短くなるという、よく考えれば至極当然の事実も、腰を据えて滞在したからこそ得心できたことなのです。
このように、桜を追って列島を北上するという行動そのものは代わり映えしないとしても、歩みの早さと行く先々での出来事には年ごとの違いがあり、一度として同じ花見はないというのが実感です。馬鹿の一つ覚えといわれても、これだけはやめられません。来年の花見はいつどこで幕を開けるのでしょうか。楽しみです(ニヤリ)
ともかく、花見に関しては燃焼し尽くしました。三ヶ月北へ東へさすらい歩いたこともあり、気分はしばらく遠ざかっている西日本へと向いてきます。秋の行楽シーズンには西日本への長旅が多くなるでしょう。夏の暑さをやり過ごし、金と体力を蓄えて、来るべき活動再開に備えたいと思います。
一言でいうなら、兎にも角にも「長かった」ということに尽きるでしょう。三月中旬という都内の早咲きも異例なら、六月になっても道東、八甲田と二度にわたって花見ができたのも異例のことでした。これは偏に、季節外れとしかいいようのない三月前半の陽気と、その後の掌を返したような寒の戻りによるものです。実際のところ、大型連休までは寒さに震える場面が少なからずあり、六月になっても八甲田の山頂は一面の銀世界でした。期間の長さでいうなら過去二年の方が上とはいえ、それは沖縄からその次の高知まで一、二ヶ月の間が空いた上でのことです。三ヶ月にわたって続けざまに花見ができたという点では、今季が空前絶後の最長不倒記録ということになるかもしれません。
これは見方を変えると、旅が間延びしてしまったということでもあります。信州の旅はともかくとして、長かったのは大型連休からです。中通りを振り出しにして会津、置賜、仙台、弘前と北上するのは例年通りだったとしても、会津と米沢にそれぞれ三連泊したばかりか、一時帰京を挟みつつ弘前に延々二週間も足踏みするなどという展開は、過去三度の東北一周では到底考えられないものでした。しかもその後二度の一時帰京を挟んで北海道に延べ九日滞在し、さらには北東北で二週にわたり活動して戻ってきたわけです。起承転結を楽しむのも旅のうちだというのに、「結」の部分があまりに長すぎて、全体的に間延びした印象が残ったということなのでしょう。
このような結果に終わった理由は二つあると考えています。一つはもちろん、桜前線の歩みが遅かったということです。二つ目の理由は、日数をかけた割には天候がそれほどでもなかったということにあります。大型連休の後半に弘前へたどり着いて以来、一時帰京を挟んで四日間がほぼ使い物にならなかったのを始めとして、延べ九日間滞在した北海道でも、まるで使い物にならない日が全体の半分近くはありました。今年は四月五月が例年にないほど暇で、珍しく休暇が満額支給だったにもかかわらず、こんなときに限って天候に振られてしまうのが何とも皮肉ではあります。
とはいえ、天候が振るわなかったからこそ桜が長持ちしたわけで、こればかりは巡り合わせとしかいいようがありません。金と時間をとことん注ぎ込み、思う存分に旅ができたという点で、紛れもなく生涯最高の旅だったのは事実です。やれるだけのことを全てやり尽くしたという点では、思い残すことなど何一つないと断言できます。
この旅ならではの経験をもう一つ挙げるとするなら、それは花見というより、北国の春から夏にかけての移り変わりではないでしょうか。花冷えが花吹雪に変わり、やがて新緑が萌え、田圃の水鏡が緑の絨毯へ刻々と変わりゆく様子は、これまで気付かなかった北国の短い春を否応なく実感させるものでした。冬が長い分だけ春と夏は短くなるという、よく考えれば至極当然の事実も、腰を据えて滞在したからこそ得心できたことなのです。
このように、桜を追って列島を北上するという行動そのものは代わり映えしないとしても、歩みの早さと行く先々での出来事には年ごとの違いがあり、一度として同じ花見はないというのが実感です。馬鹿の一つ覚えといわれても、これだけはやめられません。来年の花見はいつどこで幕を開けるのでしょうか。楽しみです(ニヤリ)
ともかく、花見に関しては燃焼し尽くしました。三ヶ月北へ東へさすらい歩いたこともあり、気分はしばらく遠ざかっている西日本へと向いてきます。秋の行楽シーズンには西日本への長旅が多くなるでしょう。夏の暑さをやり過ごし、金と体力を蓄えて、来るべき活動再開に備えたいと思います。
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