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日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

新春の四国を行く 2018 - 十河信二記念館

2018-01-05 18:29:32 | 四国
四国鉄道文化館で思った以上に時間を消費し、いつの間にやら最終入館の時刻が迫ってきました。最後に残った十河信二記念館を見学し、六時の閉館とともに切り上げたところです。
97年の生涯を振り返った年譜、総裁時代の業績に関する展示もよかったのですが、圧巻だったのは「十河国鉄総裁の八年間」なる展示です。国鉄の外郭団体が、退任を記念して総裁本人に贈ったという手製の写真帳を複写したもので、数十枚に及ぶ写真の中に、起工式、貫通式、開業式、出発式など、在任当時に出席したありとあらゆる式典の映像が納められていました。それを見て思ったのは、我が国の鉄道史上最も華やかなりし時代が、そのまま在任期間に重なっていたのだということです。

総裁の指揮により完成した夢の超特急は、斜陽化が噂されていた我が国の鉄道を復権させたばかりか、各国に高速鉄道が誕生する契機となり、その業績は末永く語り注がれていくことになります。しかし、後世の人々がそれを正しく受け継ぎ発展させているかといえば、残念ながらそのようには思いません。
新幹線が画期たり得たのは、既存の鉄道の延長線上では考えられない、全く新しいものを一から作り上げたことにあります。ただしその背景には、限界に達した輸送力を抜本的に増強するという目的があり、既存の鉄道網を捨て去ることを意味するものではありませんでした。ところが、東海道新幹線の成功により「おらが村にも新幹線」の思想が蔓延すると、それが政治的に利用され、輸送力の限界とは何の関係もなく新幹線が造られていきました。その結果、後になればなるほど歪みが顕著になってきたわけです。
新幹線と引き替えに、北信越の交通体系が分断されてしまったのは、その象徴というべき出来事でした。富山からは新潟、名古屋、大阪のいずれにも直通できなくなり、数年後には金沢、福井も同じ道をたどろうとしています。新幹線の整備を名目にして、我が国の鉄道網が無惨に分断されていく現状を、総裁は草葉の陰でどう思っているのかが気になりました。

やや引っかかる部分はありながらも、我が国の鉄道史上に燦然と輝く業績を、余すことなく記録した秀逸な展示ではありました。趣味人の生涯の記録といえば、何といっても横浜の原鉄道模型博物館ですが、一鉄道人の記録としてはここが国内随一ではないでしょうか。総花的な四国鉄道文化館はともかく、この記念館に関していえば、他のどこにもない唯一無二の展示があり、なおかつここに存在すべき必然性がありました。
展示物のみならず、天然木と漆喰を贅沢に使った建物も、四国鉄道文化館と同じく秀逸でした。それでいながら入館は無料、四国鉄道文化館に入っても300円、JAF割引を使えば240円になり、さらに駐車も無料とは太っ腹です。ただ同然で半日楽しめる充実ぶりは、小樽の総合博物館に匹敵すると言い切りましょう。
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新春の四国を行く 2018 - 北館

2018-01-05 17:21:11 | 四国
只今北館の見学を終えました。南館と合わせれば、門司の九州鉄道記念館に比べても遜色ない規模にはなるでしょうか。思ったよりも大きいという印象を受けました。
とはいえ、大宮の鉄道博物館などと比べてしまえばささやかな施設です。限られた区画に、京都鉄道博物館のごとく総花的に詰め込もうとするため、全体的に特色が希薄となっている感は否めません。特に、四国には何の縁もない車両の模型が多数展示されているところは、蛇足のようにも思えます。そのような中、ハイケンスのセレナーデを始め、車内放送用のチャイムを自ら鳴らせる装置があって、個人的にはそれが一番印象に残りました。

この施設の真骨頂は、展示物よりむしろ建物ではないでしょうか。特に北館は見事でした。建物全体が、住宅にすれば三階分はありそうな吹き抜けの空間になっており、角材で組み立てられた三重の天井を、アーチ形に曲がった丸太が支えているのです。しかも心憎いことには、上向きの照明が設置されており、外が暗くなるにつれて、複雑に入り組んだ造形が浮かび上がってきます。
凝っているのは建物の骨格だけではありません。長手方向の壁面にはその天井まで続く大きな窓があり、サッシは同じく上質な天然木。その外側では丸太が組まれて庇を支えており、玄関のある妻側の壁面は漆喰で仕上げられています。玄関には、県産の木材を使って建てられたことを始めとして、この建物の概略が掲示されていますが、そうと知らなくとも一目で分かる名建築です。
もう一つの特徴は、靴を脱いでスリッパに履き替えるようになっていることです。おそらく板の間を長持ちさせるための工夫でしょう。この規模だからこそできる贅沢ともいえます。ただでさえ広い上に窓が大きいこともあって、館内は日本家屋のように冷えていますが、冬が寒いということは、我が国古来の夏を宗にした造りなのかもしれず、そうだとすればこれもある種の贅沢です。展示には陳腐な部分もあったものの、この建物には唯一無二の価値があると言い切りましょう。
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新春の四国を行く 2018 - 四国鉄道文化館

2018-01-05 16:01:37 | 四国
西条を経由したのは、経路を変えるためだけでなく、寄りたい場所があったからです。只今四国鉄道文化館を訪ねています。巡礼しようと思いながらもなかなか機会に恵まれず、昨年とうとう開館から10周年を迎えてしまいましたが、今回ようやく宿願を果たすことができました。
新幹線建設の立役者である、第四代国鉄総裁の出身地という縁から造られた施設で、四国鉄道文化館と併設の十河信二記念館を含めて「鉄道歴史パーク in SAIJO」と総称されているようです。四国鉄道文化館は、駅前の北館と裏側の南館に分かれており、只今南館を先に見学してきました。引き続き北館と十河信二記念館を見学するため、それらで日中の残り時間を使い切ることになりそうです。
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新春の四国を行く 2018 - 雨上がり

2018-01-05 14:11:52 | 四国
伊野まで33号線、そこから194号線を走って西条に着きました。仁淀川と分かれてしばらく走ると雨がみぞれに変わり、さらに走ると細かい雪に変わりました。しかし、路面に積雪するまでには至らず、おおむね順調に走り通すことができました。33号線に比べて線形がよい上に交通量が格段に少なく、ツーリングマップルRが推奨するのも納得です。
県境のトンネルを抜けると雪が消えて雨も上がり、西条市街へ向かうにつれて少しずつ明るくなってきました。明日は雨上がりの快晴になり、翌日の後半から再び天候が崩れると予想されています。明日が後半の山場になりそうです。
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新春の四国を行く 2018 - 高知宝永町郵便局

2018-01-05 11:33:53 | 四国
如月の近くの局で、もう一件残っていた支払いを済ませます。立ち寄るのは高知宝永町郵便局です。
昨日に続き、支払いにかこつけて風景印をいただきました。局名と絵柄を考えると、高知はりまや町郵便局がお誂え向きではあり、移動の手間にも大差はありませんでした。しかるにあえてこちらを選んだのには理由があります。
昨日訪ねた徳島の局では、徳島城に阿波踊りという一目で分かる絵柄でした。一昨年訪ねた今治の局でも、風景印には来島海峡大橋が描かれていました。どちらも旅の記念としては最適です。しかし、地元の人にしか分からない絵柄というのも、小さな局らしくてよさそうに思えたとでも申しましょうか。その風景印は、一文橋なる古風な橋を描いたものでした。
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新春の四国を行く 2018 - サウスブリーズホテル

2018-01-05 09:23:08 | 四国
徳島、松山の両都市と異なり、高知では定宿が確立しないと申しました。市内の宿が混んでおり、わずかな選択肢の中から選ばざるを得ないことが多いためです。しかし今夜はがら空きで、三千円台前半の宿がいくつも選べる状況でした。そのような中、前回世話になった「松栄第二別館」も三千円台だったため、今回もこちらでよかろうと思ったところ、予約サイトの受付期限を過ぎてしまったらしく、操作中に突如として選択肢から消えました。その結果、繁華街から歩けて大浴場付きという条件で代わりに選んだのが「サウスブリーズホテル」です。

たしか高知で初めて花見をしたときに通った、桜並木が続く川沿いにあり、向こう岸には全日空ホテルが屹立するという立地です。しかし、あちらと比べてしまえば元も子もないとはいえ、こちらの宿もなかなかです。石造りの広いロビーと、結婚式場、宴会場まで備えた施設は、自分が日頃世話になる宿を明らかに一枚上回っており、これで三千円台前半かと一瞬思いました。
もちろん、そのようなうまい話はありません。案内されたB館なる別棟への通路を進むと、一目見て年代物と分かるエレベーターがあり、それを昇ったところにある客室の廊下も狭くて低くて薄暗く、今度は一転、してやられたかと思いました。しかし、客室は一応改装されており、どうにか引き分けに持ち込むという結果です。
勝ちとまで言い切らないのは、有り体に言えばくたびれているからです。デスクには使用感が目立ち、枕元の時計は故障していて、電池式の小さな時計が代わりに時を刻んでいました。それは些細な問題としても、防音性がよろしくないのは明らかな難点です。近くの部屋の物音が聞こえてくるだけでなく、車のタイヤの水切り音がはっきり聞こえるところは、電車の走行音すらほぼ聞こえなかった奈良の宿とは対照的です。

隣の本館に併設された大浴場さえなければ、高知によくある安かろう悪かろうの宿の一つということになります。しかし、繁華街から少し離れた川沿いの立地は悪くありません。川の流れの方向へ大きな窓が開けており、桜の開花の時期にはさぞやよい眺めだろうと想像できます。そもそも、これで三千円台前半ならば何の不足もありません。徳島でも高知でも三千円台で宿泊でき、本日向かう予定の松山でも、同じ価格帯の宿が相当数出ています。宿泊事情に関する限り、今が一年中で最も余裕のある時期といってよさそうです。
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新春の四国を行く 2018 - 四日目

2018-01-05 09:09:28 | 四国
おはようございます。昨日の快晴からは想像しがたかったものの、結局予報通りの雨模様となりました。それも、雨足が見えるほどの本降りです。雪が降れば貴重な経験になったはずなのですが、雨ではさすがにどうしようもありません。少しでも早く上がってくれることに期待しつつ、松山へ向かって淡々と移動します。
天候に鑑み、眺望よりも距離を優先して内陸を経由します。ただし、最短経路の国道33号線は何度か走ったため、ツーリングマップルR推奨の194号線で西条に抜ける予定です。平地はともかく、山間部では雪になるかもしれません。心して走りたいと思います。
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新春の四国を行く 2018 - 冬の高知

2018-01-04 21:05:57 | 四国
55号線をひた走って高知に着きました。出発からは1000kmをわずか数百m超えたところで、実質キリ番といってもよい距離です。
先ほど風呂から上がって一息つきました。二日間ユニットバスに甘んじただけに、大浴場のありがたみが身に沁みました。身に沁みたのは寒いからでもあります。7度という気温は昨夜の徳島よりも高く、室戸岬を出るときとほぼ同じですが、あちらでも手先が相当冷えました。よくよく考えると、正月の旅では高知だけ素通りし続けてきたため、冬の高知は初めてです。南国土佐も冬場はさすがに寒いことを知りました。

九時過ぎに呑み始めるという時間配分はごく平均的ですが、高知という条件を考えたとき、遅くなってしまった感が否めません。うまくつないで最大三軒、場合によっては二軒が限度でしょう。近年は列車で訪ね、その日の晩と翌日の夕方を注ぎ込んでいたわけなのですが、今回はそのような芸当も当然できず、物足りなさが残ってしまう可能性が少なからずあります。
しかし、張り切りすぎて翌日に響くという経験を高知では何度もしてきました。汽車旅ならともかく、車での活動でそうなることは許されないだけに、自ずと歯止めが利くのはむしろよいことともいえます。高知だけは今年のうちに別途再訪したいと考えていますが、実現するかどうかは未知数な部分もあるため、ともかく今夜に注力します。
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新春の四国を行く 2018 - 室戸岬

2018-01-04 18:17:43 | 四国
どうにか明かりが残るうちに駆け込むことができました。只今室戸岬を訪ねています。
遅きに失した感はありながらも、辛うじて残照があるうちに駆け込めたという点では、暮れに訪ねた渡良瀬橋と同様の結果になりました。そしてあちらと同様に、眺めに多くを期待していたわけではありません。断崖絶壁が屹立する足摺岬と違って、地形が平坦なのは地図を見ただけでも分かり、おそらく宗谷岬のようなものだろうと思い込んでいたのです。しかし、過大な期待をしなかったせいでもあるのか、思ったよりもよい眺めという印象を受けました。
二桁国道とは思えないほど、交通量のほとんどない55号線が岬を周回しており、その外側に露出した岩場へ下りる階段があって、岩場の向こうの空にわずかな明かりが残っていました。影絵になった岩場と刷毛で引いたような雲の取り合わせが意外と絵になっています。しかも、国道の内側には急斜面の小高い山が屹立していて、その山頂ではかの名高い室戸岬の灯台が沖合を照らし、二筋の光があたかも羽根のように旋回していました。ここが四国の果てだと実感するにふさわしい光景です。

室戸岬でほぼ暗くなったということは、これから高知までの100km近くを暗い中で走ることになります。ここまで走ってくる間も、暗くなる前にという心情が勝り、ひたすら走り続けるしかありませんでした。ある程度予想されたことではありますが、冬場の昼から出発するという行程自体に無理があったともいえます。日の長い初夏を選ぶか、この時期ならば日が昇り次第即出発しない限り、明るいうちに走り通すことはできなかったのでしょう。
しかし、そのような行程を実現する機会はまず訪れないでしょう。限られた時間の中、室戸岬を訪ねるという宿願を果たせたことについては満足しています。ここまで走ってきた55号線も、ひたすら海沿いを行く快走路で、写真映りはともかくとして、走って楽しい道ではありました。それを含め、はるばる走ってきてよかったというのが偽らざる心境です。
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新春の四国を行く 2018 - 阿波福井駅

2018-01-04 15:55:59 | 四国
国道沿いの阿波福井駅を狙い通りの条件で撮り、予定していた駅舎を一通り訪ねました。室戸まではまだ100km近くあり、日の入りに間に合わないのはもちろんのこと、明るいうちに着くかどうかも覚束なくなってきましたが、あとはひたすら走ります。
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新春の四国を行く 2018 - 新野駅

2018-01-04 15:43:37 | 四国
一つ隣の新野駅を訪ねます。片面使用のホームの西に接する形で、妻側を玄関にした木造駅舎が鎮座しており、この時間は当然順光になるだろうと思っていたところが、その駅舎のそばにある三階建ての事務所兼住宅が、西日を見事に遮っていましたorz
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新春の四国を行く 2018 - 桑野駅

2018-01-04 15:23:26 | 四国
続いて訪ねるのは桑野駅です。阿波橘とほぼ同じ様式の木造駅舎で、民営化後に改装された点についても同じですが、車寄せの柱はおそらく建築当時のものでしょう。駅舎の前には丹精された樹木が並び、水こそ抜かれているものの、石灯籠を備えた小さな池まであります。無人駅ながらも待合室は掃き清められ、出札窓口には阿波橘にもあった和人形が鎮座します。旅館が残る駅前を含め、しばし滞在したくなるよい雰囲気です。
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新春の四国を行く 2018 - 阿波橘駅

2018-01-04 14:38:42 | 四国
阿南の二つ隣の阿波橘駅を訪ねます。室戸まで110km残っているにもかかわらず、皮肉なことに順光で記録できる木造駅舎がここからしばらく続きます。まあ、単に走ることだけを目的にしているわけでもありません。明るいうちに着けばよいと割り切りましょう。
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新春の四国を行く 2018 - 阿波中島駅

2018-01-04 13:47:48 | 四国
室戸まではまだ120kmほど残っており、まっすぐ走っても三時間近くはかかります。各駅に寄りながらではどう考えても間に合わず、数駅寄るのが限界でしょう。木造駅舎を順光で撮れるという条件で絞り込み、阿南の一つ手前の阿波中島駅を訪ねます。大正時代の駅舎だった地蔵橋駅に対し、こちらの駅舎は昭和11年の建築ですが、跨線橋のない島式ホームは同様です。
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新春の四国を行く 2018 - 地蔵橋駅

2018-01-04 12:47:49 | 四国
徳島市街を後に南下し、牟岐線の地蔵橋駅を訪ねます。事務室の区画が切り詰められてはいるものの、大正末年建築の木造駅舎が残り、ホーム側に張り出した庇を支える柱の意匠が凝っています。住宅地の中にある駅前には車の出入りもほとんどなく、静かな雰囲気が印象的です。

南に針路を向けたのは、室戸岬を訪ねるという宿願に挑戦するためでもあります。足摺岬ほどの僻地ではないものの、徳島、高知のいずれから向かっても遠く、徳島側から挑んだときは阿南、高知側から挑んでも安芸という、はるか手前の場所で日が暮れました。十分に日の長い時期ならともかく、正月に挑むのは無謀ともいえ、返り討ちに遭う可能性は十分あろうと覚悟しています。
それにもかかわらず強行するのは、全体の行程を考えると、高知へ行くなら今日の方がよいからです。どのみち高知へ向かうなら、何度も走った池田方面への道よりも、走ったことがはるかに少ない室戸方面の方がよかろうと考えました。明るいうちに走り通せるなどとは端から思っていません。日があるうちに室戸岬にたどり着き、暮れていく西の空を眺めつつ、高知へ向かうことができれば上出来といったところでしょうか。
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