徳島に戻って車を返し、帰りの列車に乗り込みました。しかしここへ至るまでにはとんだ波乱がありました。
讃岐相生を出たのが六時、中華そばをいただけるかは微妙としても、11号線をそのまま走れば余裕で間に合うはずでした。しかし、かなり走ったところで携帯電話が手元にないのに気付きました。その瞬間に思い出したのは、駅を出る前に携帯電話とキーボードを待合室に何気なく置いたことです。置き忘れはしないかと一応気にかけてはいたはずが、あろうことか直後にすっかり忘れていたのでした。
その時点では六時半を過ぎていたでしょうか。一つだけ確かだったのは、延々走って取りに戻れば、列車の時刻に間に合うかが何とも微妙になってしまうということです。とはいえ、取るに足らない品ならともかく、何分物が物だけに、置き去りにするわけにもいきません。しかも、そのようなときに限って流れが悪く、駅までの道のりが何とも長く感じられました。
駅に戻って取り戻しても、一安心というわけには行きません。その時点で18時45分になっていました。列車の時刻から逆算すると、30分で徳島に戻らなければならない状況です。11号線経由ではもう間に合わないのが明らかだったため、今回ばかりは高速道しかなかろうと悟り、11号線をさらに戻って、引田から高松道に乗りました。しかしこれが交通量は多いにもかかわらず対面通行、その上上り坂が延々続くという最悪の条件で、一般道と比べても流れがほぼ変わらないという始末です。
ますます厳しい状況に追い込まれ、間に合わなかった場合の修復策が頭の中を駆けめぐる中、幸い板野で下りるとその先の一般道の流れはよく、藍住からは徳島道を全力で飛ばし、ここで再び可能性が出てきました。しかし、もはや給油をしている時間まではありません。営業所に駆け込んで事情を話し、乗ってきた車でそのまま駅まで送ってもらい、ガス代の精算もその場で済ませて、どうにか発車の五分前に駆け込むという顛末でした。
往生際の悪い性格上、レンタカーでの活動でも返却時間の間際まで粘ってしまい、最後に慌てるという場面を数え切れないほど経験してきました。しかし近年は要領を得てきたこともあるのか、最低限の余裕を残して返せるようになっていました。今回も途中までは余裕綽々だっただけに、土壇場で暗転するとは思いませんでした。
しかし、考えようによっては幸運だったともいえます。あと少しでも走っていれば間に合わず、今夜は岡山に泊まり、明日の始発の新幹線で帰るなどという強行軍になるところでした。いやそれどころか、もう車では取りに戻れず、列車で取り戻しにいくなどという事態に陥っていた可能性もあります。
土壇場の思いがけない事態で暗転し、紙一重のところで収拾したという点では、
三年前の北海道を思い出させる幕切れでした。目覚ましい収穫こそなかったものの、高松での邂逅に土壇場での波乱が加わり、忘れられない活動になりそうです。
★徳島1932/うずしお28(3028D)/2038高松