原作漫画とアニメーションの関係 その２

　分かりやすい例をもうひとつ。今度は日本語教師Mさんからの指摘にまつわる話。

　私がドイツに行った時、Mさんは、日本から送ったすでに放送中のMONSTERのビデオを見ていた。私はMONSTERの絵コンテマンに過ぎないのだけれど、スタッフのひとりがはるばる日本から来たというだけで、とても喜んでくれたのだ。そして張り切って、ビデオを見た感想を聞かせてくれる。感想を話しながら自然とMさんは、アドバイザーの義務感からすれば当然のこととして、作品中で描かれているドイツの風俗や生活習慣について、意見をはじめた。

「ドイツではね、扉はすべてオートロックだから、部屋に入ってくる人は必ず手に鍵を持ってなきゃおかしいのよ」

　これは面白い指摘で、なるほどと思う。日本にない習慣。言われてみれば日本でも、ホテルに泊まると部屋はオートロックが多い。あの感じか、とイメージできる。MONSTERでは原作ともども、扉がオートロックである描写はないし、部屋に入ってくるキャラクターも鍵を持たない。さらにMさんの意見は続く。

「ドイツに丸ノブを回転させて開け閉めする扉はないの。あれは日本のスタイルよ。」

　これには驚いた。丸ノブはヨーロッパにもあると思っていたからである。言われてみれば確かに、回転式の丸ノブをドイツで見かけたことはなかった。丸い握りのノブはある。しかしそれは取っ手に過ぎず、回転させて鍵をかけたり外したりする仕組みはともなってないのだ。ドイツでそのような仕組みを持っているドアノブは、鉤状の形をしている。日本でも洋式の部屋やホテルではこのタイプだ。なるほど合点がいった。しかしである。

　MONSTERの中で、この回転式のドアノブが出てくるシーンというのは、実はシリーズ中もっとも肝になるシーンだ。ストーリーの鍵を握る双子の幼い兄妹が、扉を前に相方の帰りを待つシーンというのがそれで、丸い回転式のドアノブがアップで出てくる。しかもこのシーンはシリーズを通して、カットバックで何度も描写される印象的なシーンなのである。
　このドアノブを丸ノブから鉤状に変えるだけでも大いに躊躇される話だ。ましてや、オートロックなはずだと言って、入ってくる幼い子どもに鍵を持たせたりしたら、芝居の雰囲気が変わって、キャラクター性にも影響を及ぼしかねない。
　もしも、変えるなら、前回の汽車の別れのシーンと同様に、子どもに鍵を持っていても不思議ではない前後のエピソードとビジュアルの創出を含めた再構成が必要になる。けれど、原作の中のそのシーンは、映画的にも成功しているのである。よほどうまくやらないと負けてしまう。やはり、変えられない。　

　断っておくけれど、私は何も、原作のディテールの穴を指摘したいのではない。汽車の扉がどう開閉するかとか、ドアノブが丸いか角張っているかなど、今やどうでもいい。探せばひょっとして、回転式の丸ノブも見つかるかもしれないとさえ思うし、そうした細かい問題にとらわれず、劇的な効果を上げることに集中した作者の才能を尊敬しているぐらいだ。
　私が言いたいのは、アニメーターにしろ演出にしろ、物事を直接観察したり、資料を見たりして発見したことがらをもとに表現を構築するというのが、物作りのプロセスというものなのだけれど、そうしたプロセスはすでに漫画が描かれた時点で終わっているという前提で、我々の仕事が始まるということである。
「オートロックだから、部屋に入ってくる人は手に鍵を持っている」というアイディアは、「手に鍵を持たせておくとキャラクターにリアリティが出る」という魅力を放っている。しかし、このせっかくの魅力も、漫画原作をアニメ化する現場では生かせない。

　結果的に、アニメーターの腕前は、より細かいところに注がれる。芝居ではなく、動き。それも、観察に基づいた表現の動きではなく、漫画の絵を説明するための動きだ。しかしこれは、とても表現とは言えないレベルの仕事になる。
　それでも、好きでこの仕事をやっている私たちは、そのわずかな隙間に自分なりの表現を入れ込むのである。どこまでの創意工夫が許されて、どこからは許されないのか？　ここから、原作とアニメーションの微妙な関係が始まる。（つづく）