森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

続・ファシリテーション

2006年08月23日 02時51分44秒 | 監督日記
 先日は、和食か洋食かという例で、話を分かりやすくしたけれど、本当はこんな簡単なものじゃない。もしも「我々は日本人だから和食」と言い出す人がいるとしたら? 日本人とは何かという、文化や民族の枠組みをとらえなければ議論できない。それは生半可なことじゃない。もしも我々の文化や生活習慣を否定されたら? 私たちの足元が直接揺さぶられかねないのである。
 意見の対立が深刻なものであるとき、その意見は、その人ののっぴきならない立場や歴史から出ている場合が多い。それを客観視し、解体されるのは辛いことでもあるのだ。
 あらゆる目的にとって限界がないとは言わないけれど、成員ひとりひとりの自律的な判断を殺さない組織運営を実践するノウハウを確立しているという点でファシリテーションは興味深い。
 ファシリテーションについては、本で読んだり、話に聞くよりやってみるべきだ、と聞く。人と人が集い、直接語らう場にこそアイディアが生まれるというのが信条だからだ。いつか私も試してみたいと思うけれど、例によって忙しさにかまけて、そこまで踏み込んでいない。「集団による制作」を仕事にしている立場上、互いの意見の食い違いを乗り越えることの大変さが身にしみているのだけれど。今は時々、田坂君に教わるのみで、物を分かったような気になって、慰められているといったところだ。

 意見の対立が起こった時、それぞれの意見そのものを見るだけでなく、その意見が置かれている枠組みに目を向けるべきという話が新鮮だった。意見の対立は、むしろ新たな枠組みを構築するチャンスであると考えられているところが面白い。

              対             
          意見→   ←意見
              立

              ↓
          新たな枠組みの構築
           新たな意見の創出

 
 逆に考えると、何かしらの枠組みを与えることによって、一見対立しているように思える意見が、それぞれの立場を獲得することで整理されるという展開もある。


           枠組みの付与
              ↓

              整
          意見←   →意見
              理
 
        
 
 先日、原作者と監督、ならびに原作漫画とアニメーションの微妙な関係について相談にのってもらった時に、彼はこのノウハウを用いて、私を納得させてくれた。(この話、さらに続く)
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