(スタッフの起承転結 その9 のつづき)
先日、文京学院大学でのシンポジウムに参加して、専門学校生相手に、自分がアニメーターになった経緯を話した。今日はその時、思い出した話から。
私は福岡大学工学部機械工学科卒という学歴を持って、理科系というわけである。当時、すでにアニメーターになることにしていたので、受験勉強なんかほとんどしていなかったけれど、大学に行って欲しいという父親の顔色が気になって受験し、私立に合格してしまった。合格できた理由は、答案形式がマークシート方式だったからだ。
福大の機械科の受験科目は数学と物理と英語だった。私は、数学と物理はまあまあだったのだけれど、英語がまるでダメだった。単語をまったく憶えないからだ。暗記が苦手なのである。
そのかわり、文法は得意だった。単語を与えられて、それを並び替えて文章を作ったりするのは得意なのである。この私の性質が、今もまったく変わっていない。
目にした物を頭に憶えて描く「記憶画」がまったく出来ない。だから似顔絵などが描けない。ただし、目にした物の、なんとなくの印象を憶えることはある。特に動きは憶える。動きは、一度見れば、かなり明確に記憶して掴んで、描ける自信はあるのだ。だから、キャラデザインを与えられて、それを動かせ、という仕事に苦手意識はない。けれど、キャラクターを考えて描けといわれると、意識して、すごく時間がかかる。
あと、物語のエピソードをオリジナルで発想する力が弱い。かわりに、アイディアを構成して文脈を与えるのには自信がある。
というわけで私は、オリジナルで「起」を請け負う才能に乏しい。作家になれないのも当然と、自分を受け止めている。
宮崎さんは「雑学の大家」だと我々のあいだでは言っている。頭の中にいろんなことを記憶している。私はぼやけた印象でしか記憶してない。「猫の恩返し」は、柊さんと宮崎さんのオリジナリティの高いアイディアによって、その面白さが成立したのだと思っている。
たとえば、「猫王に爆破されて一気に崩れ落ちる塔」は私のアイディアだけれど、前後の構成を繋ぐために、どこかで見たようなビジュアルを与えているだけだ。あと、猫が皿回しなどの芸をするシーンも私が考えはしたが、グリム童話あたりに見つかる構想である。(マイケル・ジャクソンのビデオにも似たのがある)
それに比べると、「猫いかだ」「猫の事務所のドールハウス」「SP猫」など、柊さんのアイディアは、どこか突拍子もなくて面白い。あと「ムタゼリー」が宮崎さんのアイディアである。テーマ性云々よりも、これらの馬鹿馬鹿しいアイディアがあってこその「猫の恩返し」だったと、私も思う。
「猫の国に着いたら、ハルとムタは一度引き離した方がいいね」
例によって、茶飲み話を装って、宮崎さんが口を出しに来る。けれど、これはストーリーの構成、物語の文脈に対する意見で、私の得意な分野である。だから、
「そうですね。僕もそう考えてました」
と私も余裕で反応できた。でも、持って行かれるのはそのあとだった。宮崎さんは、
「ムタは、甘いものでもてなされたあげく、巨大な金魚鉢の中にゼリー漬けになっちゃう」
と言って、自らゼリー漬けになったムタのポーズを演じて見せたのである。
ハルとムタが引き離されると言っても、ムタが牢屋に捕らわれるとか、私はそんな地味なことしか考えていなかったから、参った。
一緒に聞いていた田中直哉さんが「それは面白い!」と喜んで、「ゼリー漬けになったムタ」のイメージをすぐに水彩で描いて壁に貼ってしまった。そんなムードに押されて、私もこのアイディアをシナリオに組み入れることにしたが、最後、猫兵の手裏剣で金魚鉢が割られムタが生き返るところが、ご都合主義のように思えてしっくり行かないと、ライターの吉田玲子さんにもやもやと相談したら、
「う~ん、もう食えん」
という、気の利いた台詞を一発で思いついてくれて、簡単にまとまってしまった。
冒頭のシーンのアイディア「ラクロス部の部室をバーンと出てくる」は苦労した挙げ句、結局育たなかったけれど、「ムタゼリー」は、簡単に育ってしまったよいアイディアの典型だった。
そして、私が請け負った役割も、「起」「転」「結」のアイディアに対し、「承」の構成、という図式であったかもしれない。
(つづく。次回、このテーマもそろそろまとめます)
先日、文京学院大学でのシンポジウムに参加して、専門学校生相手に、自分がアニメーターになった経緯を話した。今日はその時、思い出した話から。
私は福岡大学工学部機械工学科卒という学歴を持って、理科系というわけである。当時、すでにアニメーターになることにしていたので、受験勉強なんかほとんどしていなかったけれど、大学に行って欲しいという父親の顔色が気になって受験し、私立に合格してしまった。合格できた理由は、答案形式がマークシート方式だったからだ。
福大の機械科の受験科目は数学と物理と英語だった。私は、数学と物理はまあまあだったのだけれど、英語がまるでダメだった。単語をまったく憶えないからだ。暗記が苦手なのである。
そのかわり、文法は得意だった。単語を与えられて、それを並び替えて文章を作ったりするのは得意なのである。この私の性質が、今もまったく変わっていない。
目にした物を頭に憶えて描く「記憶画」がまったく出来ない。だから似顔絵などが描けない。ただし、目にした物の、なんとなくの印象を憶えることはある。特に動きは憶える。動きは、一度見れば、かなり明確に記憶して掴んで、描ける自信はあるのだ。だから、キャラデザインを与えられて、それを動かせ、という仕事に苦手意識はない。けれど、キャラクターを考えて描けといわれると、意識して、すごく時間がかかる。
あと、物語のエピソードをオリジナルで発想する力が弱い。かわりに、アイディアを構成して文脈を与えるのには自信がある。
というわけで私は、オリジナルで「起」を請け負う才能に乏しい。作家になれないのも当然と、自分を受け止めている。
宮崎さんは「雑学の大家」だと我々のあいだでは言っている。頭の中にいろんなことを記憶している。私はぼやけた印象でしか記憶してない。「猫の恩返し」は、柊さんと宮崎さんのオリジナリティの高いアイディアによって、その面白さが成立したのだと思っている。
たとえば、「猫王に爆破されて一気に崩れ落ちる塔」は私のアイディアだけれど、前後の構成を繋ぐために、どこかで見たようなビジュアルを与えているだけだ。あと、猫が皿回しなどの芸をするシーンも私が考えはしたが、グリム童話あたりに見つかる構想である。(マイケル・ジャクソンのビデオにも似たのがある)
それに比べると、「猫いかだ」「猫の事務所のドールハウス」「SP猫」など、柊さんのアイディアは、どこか突拍子もなくて面白い。あと「ムタゼリー」が宮崎さんのアイディアである。テーマ性云々よりも、これらの馬鹿馬鹿しいアイディアがあってこその「猫の恩返し」だったと、私も思う。
「猫の国に着いたら、ハルとムタは一度引き離した方がいいね」
例によって、茶飲み話を装って、宮崎さんが口を出しに来る。けれど、これはストーリーの構成、物語の文脈に対する意見で、私の得意な分野である。だから、
「そうですね。僕もそう考えてました」
と私も余裕で反応できた。でも、持って行かれるのはそのあとだった。宮崎さんは、
「ムタは、甘いものでもてなされたあげく、巨大な金魚鉢の中にゼリー漬けになっちゃう」
と言って、自らゼリー漬けになったムタのポーズを演じて見せたのである。
ハルとムタが引き離されると言っても、ムタが牢屋に捕らわれるとか、私はそんな地味なことしか考えていなかったから、参った。
一緒に聞いていた田中直哉さんが「それは面白い!」と喜んで、「ゼリー漬けになったムタ」のイメージをすぐに水彩で描いて壁に貼ってしまった。そんなムードに押されて、私もこのアイディアをシナリオに組み入れることにしたが、最後、猫兵の手裏剣で金魚鉢が割られムタが生き返るところが、ご都合主義のように思えてしっくり行かないと、ライターの吉田玲子さんにもやもやと相談したら、
「う~ん、もう食えん」
という、気の利いた台詞を一発で思いついてくれて、簡単にまとまってしまった。
冒頭のシーンのアイディア「ラクロス部の部室をバーンと出てくる」は苦労した挙げ句、結局育たなかったけれど、「ムタゼリー」は、簡単に育ってしまったよいアイディアの典型だった。
そして、私が請け負った役割も、「起」「転」「結」のアイディアに対し、「承」の構成、という図式であったかもしれない。
(つづく。次回、このテーマもそろそろまとめます)
忙しい最中、これだけ密度の濃い文章を書ける
森田さんのエネルギーに頭が下がります。
今回の記事もとても面白かったです。
「ぼくらの」期待してます。
ありがとうございます。
過去を振り返っているかのようですが、
内容は遠回しに、今の仕事に関係あるので書けます。