母校である大阪市立城東中学校が創立50周年を迎え、先日式典が開かれた。記念誌では卒業生を代表してラグビー界のスーパースター・神戸製鋼ラグビー部の大畑大介選手が後輩へメッセージを贈った。大畑選手の時代は強豪の啓光学園中学と互角の勝負を繰り広げるなど、城東中学ラグビー部の2度目の黄金期だった。一方、3年先輩にあたる僕の頃は、大会で1つ勝つのがやっとというチーム。母校の歩みを振り返る記念誌を読んでいると19年前の夏の思い出が甦ってきた。
「お前らちゃんとラグビーやってるやんけ」
日頃は強面のラグビー部顧問、“やっさん”こと安田先生がサングラスの奥の目尻を下げながら言ったフレーズに、不良と呼ばれている先輩たちが涙を流した。僕は泣きじゃくる先輩の姿に驚きながら、やんちゃな奴らが集まりテキトーにボールで遊んでいた頃とは変わったことを感じた。
大阪市立城東中学ラグビー部。かつて大阪府の大会で優勝を争うほどの強豪チームだったが、僕が入学した頃はヤンキーの暇つぶしのためのクラブだった。練習に真剣さは全くなく、大会ではいつも1回戦で負けた。ドラマ「スクールウォーズ」の影響で、同期は50人近く入部したが、「先輩がめちゃくちゃ恐いから」などの理由で数ヶ月で40人が部活を辞めた。僕は入れ替わりに卒業した兄のおかげで、森本ジュニアと呼ばれ恐い先輩たちにもかわいがってもらい機嫌よく部活を続けた。練習をしんどいと思うことはなくチームの空気に流されて何となく放課後をグラウンドで過ごした。
そんなチームが変わりはじめたのは2年生の夏だった。ユニフォームを新調したことで3年生の先輩たちが急にやる気になった。それまでの白一色からグレーと黒の段柄のユニフォームに変わり、先輩たちは「強そうに見える」とか「これで弱かったら恥ずかしいで」と新しい試合ジャージの感想を言った。このユニフォームを着てたくさん試合がしたいという雰囲気ができてきた。レギュラー争いも過熱し、誰も練習を休まなくなった。先輩たちの試合に出たいという気持ちの方が強く、僕は補欠に入るのが精一杯でレギュラーはとれなかった。元気のありあまっているメンバーが本気になると日増しにプレーが上達していった。そして炎天下のもと約2ヵ月間、誰も愚痴ひとつこぼさずハードな練習をこなし大阪市の大会に臨んだ。
対戦相手は大阪市の選抜チームに入るメンバーが顔を揃える強豪。前年までなら勝つことはおろか、トライをとることも難しいような相手だ。ところが試合が始まるとほぼ互角の展開。バックスにボールがうまくつながる。サインプレーも練習通りに成功する。タックルもまずまずだ。惚れ惚れするような先輩たちの活躍。「勝つんちゃうか。勝てるよな」 試合を見守った僕ら2年生は先輩たちのプレーに手応えを感じた。前後半の攻防で100%の力を発揮し、試合終了、ノーサイドのホイッスル。1回戦負けが常だったあの弱いチームが接戦ながらも試合に勝つことができた。
「お前らラグビーやってるやんけ」
今思うと少しシャイだった顧問のやっさんが、乱暴な表現で威厳を保ちながらかけてくれたこの言葉。忘れられない。サングラスの奥にはやさしい目を持っていることに初めて気付いた。やっさんは、安田先生は教員を早期退職され、今、北海道でペンションのオーナーをされているそうだ。中学卒業から17年。あの頃のラグビー部のメンバーと酒を持って北海道に出かけてみたくなった。