ということで、私は不倫に厳しい。
まさしく対峙する自分たちしか
見えていないということだと思う。
仕事で旅行を受け付けると、
よくある不倫旅行。
そう、よくあるのだ、これが。
職場の女子に自分の父親だったらどう?と聞いたことがある。
答えは、ものすごいショックだ、
ということに熱弁をふるってくれた。
娘がどう思うか、なんて考えられたらできっこありません。
今はもう少し、そこのところは、
濃いめグレーになってきているけれど
当時の私は、今よりももっと、もっと
不倫に対して敏感で、嫌悪していたと。
小説もそういうものは読めないし、
映画もドラマも、イヤだった。
不倫した人が不幸になるのはOKだったけどね。
された側の表しかたは
耐え忍び、あるいは、器の大きい人でそれを受け入れる
というどちらかになるのだけれど、
いずれにしても、受け入れる、ってことなんだ。
そこに至るのにどれほどの苦しみを
乗り越えるのか、
受け入れるのか
意外とそれはみんな考えないのだ。
口では、「よくあること」と言っても
心は沈む。
そんなこと、不倫してる人は考えないだろう。
ま、考えられたら、不倫なんてしないわね。
だって、楽しいんですものぉ。
泥のような気持ちを持つことになるんだから
それはそれは重い。
澱みの上の澄んだ気持ちを手に入れるのには
時間がかかるし、人によってはできないんじゃないか、と思う。
重さは変わらないし。
かき回されるとまた、澱んじゃうんし。
こうして、私は澱んで視界不良なことが続いているのだ。
そろそろ、透明度、というものを手に入れたいものだ。