本と趣味の日記

自分の読んだ本と趣味(ガーデニング等)の日記

論語 学而-1

2007年08月31日 01時10分56秒 | 日記
今日は書く事がないので、論語のお気に入りを紹介します。
なぜ、論語?かというと、来年から娘が通う事になった
幼稚園がいわゆる「お勉強系」幼稚園で、名札とかクラス名
が漢字で書かれていて、論語を教える事もあるらしいと聞い
たので、図書館で借りて読んでみました。
論語とは、今から2500年前の中国の孔子の言行を、孔子の死後
その弟子たちがまとめたものです。そのため、ほとんどが、
「子曰く(孔子は言った)」から始まっています。孔子自身が
書いたものではなく、その弟子達が書いたものという点では、
時代や場所も違うキリストの言行を記録した「XXXの福音書」と
同じ所が興味深いところですね。
「福音書」と言えば、この前「ユダの福音書を追え」という本も
読みました。キリスト教の常識を覆すこの福音書については
「ダビンチ・コード」でもすこし触れているので、知っている
方もいらっしゃると思います。こちらについてはまた別の機会に
感想とか書こうと思います。
それでは、論語のお気に入り、その一、
「子曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。
 朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)
 みず、亦君子ならずや。」
これは、論語の一番最初の言葉で、「朋あり、遠方より来たる、
亦楽しからずや。」で有名ですね。論語を読む前は、単純に
「遠くの友達は大切にしよう」程度の意味だと思っていましたが
「学んでそれを復習したり、友達と道について語り合う事は、
楽しい事だ。人に知られいなくても(認められていなくても)
気にしない事が君子だ」が全文の意味で、私の勝手な解釈としては
最後の「人に認められなくても気にしない事が君子だ」という事
を孔子は強調したいのだと思っています。なぜなら、「人に認め
られなくても気にしない」というのが、これ以外にも2,3箇所で
出てきていますし、孔子は任官するために中国内を旅しています
から、なかなか任官できない時に自分を慰める意味でこの言葉を
言ったと考えたほうが自然だと思っています。
(まったく根拠のない勝手な解釈ですが。。。)
で、この文章のどこが好きかというと、「人知らずして慍みず、
亦君子ならずや。」です。「人に認められたい」というのは、人間
の高度な欲求のひとつですから、自分の努力や頑張りが人に認めら
れなかったら不平/不満を言いたくなるが人間です。でも、逆に
その欲求をコントロールできるのも人間だけです。
「人に認められなくても不平・不満を言わずに、前向きに努力しま
しょう」と孔子が言っていると解釈して、心に刻んでいます。

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