92歳だった。
6年前、先に逝ったお義母さん同様、
初めて逢った時から、
終始優しく接してくれた。
家族や周囲の人とのつながりを
とても、大切にする人だった。
根本的に、その印象が覆ることはなかった。
3週間前の朝、病院からの電話があってから
息子達は連絡を取り合い、心の準備をしていた。
一度、病室でお義父さんと2人だけで
少し長い間いる時間があった。
不思議なほど意識も言葉も、はっきりして
体力が心配になるほど、ずっと会話が出来た。
「アンタのおとうさんは、
新しいトコは、住みやすいといっているか?」
昨年1月に逝ったわたしの実父は生前、
転居をくりかえしていたから、
記憶の混乱かと一瞬うたがった。
・・・でも、そうではないようにも感じた。
「それは・・・いいところに行っているはずです。」
あやふやなまま云うと
「ほーか。そら、よかった。・・・そんなら、ええわ。」
と、思いのほか力強い声でこたえてくれた。
どちらだったのか、今でもはっきりしない。
死が、すごく身近にあることに時折気がつきます
。
人により、家族により、時期や死因により、
自分自身の状況や体調などによっても
当然の事ながら感慨が一様でないことに
慄然としたりもします。
そして、「わたしのケースは・・・」まで
つい、思ってしまう、今日この頃。。。ーー;
けど、・・・今はただ心からお礼とお別れを云おうと思います。
義母と義父、義母の妹夫婦である叔父叔母と同席していると
とても、リラックスしていられました。
ギスギスしそうなとき、
「お義父さんがしばらく近くから見ているよ。」と
自制します。
「新しいところは、住みやすいところか?」のお義父さまの問いの、Hermitさんの応えの優しさにうなだれています。
私もここのところ・・・病気と闘いながら(いえ、共存?)その方々の、の訃報で出かける事が多く、考え込んでいました。
何度、出会っても・・・
それぞれの死・・・深く、悲しいです、ね。
お義父様の、ご冥福を、
心よりお祈りさせてくださいね。
Hermitさんと、お義父様の会話、ほのぼのとあったかいですね。これからもずっと見守り続けてくれますね。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
朝、pinさんのコメントを確認する前に
大分書き換えてしまいました。
6年前、お義母さんが亡くなった時、
初めてしばらくとても近くに気配をしばらくの間
感じるような思いを経験しました。
お義父さんも、温かく見守り続けてくれている・・・
わたしも、そう思います。
生前は外嫁の無知も無礼も、
どれだけ許してくれていたことか。
家族運のなさをどれだけ補ってもらっていたことか。。。
私からもいっぱいお礼をいうつもりです。
ココから、心よりお悔やみ申し上げます。