Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

海北友松を観る

2017-05-23 14:14:00 | 美術・絵画





展覧会チラシ 海北友松 重文 雲龍図 部分  建仁寺



2017.05.20 

京都国立博物館の

海北友松(2017.04.11-05.21)展


・・・を観てきました。











快晴の最終日前日。

長者の列を覚悟して本まで用意して行きましたが・・・


待ち時間ゼロ。





重文 雲龍図  建仁寺


この絵を目の当たりにして感じたのは、
遠くで雷鳴が聞こえそうな大気の奥行きと
暗雲のうねるような動きでした。
そこからにゅっと出た龍の手の怖さ。


勢いのついた強い線と柔らかいぼかしが
力強い線だけで描かれた雲竜図よりリアルな迫力
を生んでいました。






浜松図屏風 右隻 宮内庁三の丸尚蔵館




これを観た時は、尾形光琳の国宝「紅白 梅図」が浮かびました。
水際の線をはっきり絶妙な構図で区切り、
その面白さ自体をモチーフの描写以上に狙ったた意匠に
共通点を感じたからです。


正確な制作年度はわかりませんが
(1658年生- 1716年没)の光琳より
(1533年生-1615年没)の海北友松は100年早く
こんな絵を描いていた・・・。


光琳の「紅白梅図」も何の脈絡もなく
突然天才が生み出したものでもないのだと感じました。





月下渓流図屏風 右隻  ネルソン・アトキンズ美術館(米)




月下渓流図屏風 左隻  ネルソン・アトキンズ美術館(米)





重文  松に叭々鳥図襖  禅居庵





海北友松は、信長に滅ぼされた
近江浅井家の家臣の子息ですが
寺に入っていたため命を長らえ、
狩野派に学んで絵師になったそうです。



そして狩野派の総帥狩野永徳や永徳に対峙した
長谷川等伯と並び称される画家になりました。



狩野派から離れ友松風といわれていく画風は、
やはり、当初は狩野派にも学びやがて対峙していった
長谷川等伯の「松林図屏風」のスピード感のある筆致や
静謐な空間に共通点を感じました。



ゆっくり観覧出来て良かったと思う半面、
もっと来館者がいないともったいない・・・



そんな風に思いながら展示室を出ました。










平和知新館オープンテラスより、明治古都館を
観ながら自販機のお茶で休憩。



日差しと影が初夏のような一日。
しばしのクールダウン。




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