Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

読書ノート

2016-09-18 10:33:00 | 








今回の三冊は、小説らしい小説ではなく、
物語らしい物語ではなく、目新しい奇想天外な
ストーリー構成がないという点が共通する。

前回の二冊の反動かな。。。



■ マリアが語り遺したこと
コルム・トビーン著、新潮社 (2014/11/27)

  タイトルから予測できる通り、
  イエスの母マリアの視点からイエスを描いている。
  イエスはすでにゴルゴダの丘で磔刑され、
  マリアを訪れてくる使徒に引きだされる回想。。。

  使徒が苛立つほど、それはイエスを神格化しない、
  成長した「息子」に対するふつうの母親の視線。

  マリア自身、磔刑場では難を逃れるため
  イエスが降ろされる時、立ち会わずその場を
  逃げ去ったことを後悔する人間味をもつ。

  そして、「神の子」とそれを取り巻く使徒たちに、
  マリアの方でも疑心暗鬼、苛立ちもする。

  イエスが行った奇跡は、マリアにとっても
  伝聞としてそのまま残るけれど、
  リアルな人間マリアの視線を通すと、
  キリスト教もこのように始まったのではないかと、
  現実味を帯びて歴史的事実として生々しく感じた。

  キリスト教信者は、どう受け止めるのだろう。
  冒涜的と本をなげすてるのではないだろうか。

  聖書を読んだことがある、キリスト教に
  魅かれたことがある、・・・程度の私は、
  かえって納得がいったし、親しみを覚えた。

  例えば、ピエタをみて

  「マリアはなぜ捕えられないのか?」

  ・・・といった疑問を抱いていたので、
  この本のようだったのではないか、と。




■ もっとほんとうのこと タゴール寓話と短編
ラビンドラナート タゴール著 段々社 (2002/09)


  『もっとほんとうのこと』という短編では、
  作品中、おじいさんが孫に

  「でも、それは本当のことなの?」と尋ねられて

  だれが本当のことだって言った?
  ´もっと本当のこと′なんだよ・・・

  ・・・と答える。

  読者は、とても平易なしずかな言葉で、
  その小さな女の子のように語りかけられる。
  それゆえ、さらさらと読めるけれど、
  聞き逃せない言葉が、ときどき重い。

  個人的には、「創作」についての作品に打たれた。

  著者のタゴールは、アジア人初のノーベル文学賞作家。



■ サミュエル・ジョンソンが怒っている
リディア・デイヴィス著 作品社 (2015/8/31)

  いきなり
  「退屈な知り合い」友人、
  「<古女房>と<仏頂面>」夫婦、
  「ボイラー」老い・・・

  本一冊かけそうな人生の難問が、
  ばっさばっさと描かれる。
  日々の悶々とした堂々巡りがあほくさくなる。

  明るくも暗くもない、やさしくもないけど、
  シニカルすぎもしない。

  この人の書きっぷりは、何なんだろう。
  一冊に56篇。
  3行の作品でも侮るなかれ。


  図書館に返すのが惜しい。
  購入して愛蔵(憎)書にしようか。



      ■   ■   ■



 


前回の二冊。



海岸通りポストカードカフェ 」と「 ボラード病

偶然選んだにしては不思議な程、対照的な2冊だった。
両方とも海岸に近い、限られた空間・地域の中での設定。

その中で善意が集まる「海岸通りポストカードカフェ」と
暗く悪意に満ちた「ボラード病」。

それはそのまま、読後感のあと味の違いになる。

どちらが馴染むか?好きか?・・・微妙。

両方前後して読めて、精神的バランスをとるのには
ちょうどよかった・・・・。





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