内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

戦争と平和

2021-07-21 20:12:59 | ビジネス境界線
戦争の恐さは
命の重要度が低くなること

この「恐さ」とは
今生きている私という生命の命が
感じている感情である

生命にとって命というのは
共通して一番大事にされる価値観だ

なぜなら自分自身だからである

しかし生命でも
死に対して恐怖を持っていない生命は
いくらでもいる

小さな虫
蟻や蜂のような大群系生命
もっとミクロな有機体

あくまでもそうみえるだけだが
恐怖という感情とは無縁に死んでいく
そう見える


この違いはなんなのか
と言えば


主体である

主体とはすなわち自我のことである


この違いは
生命という生活体と
自我という変幻自在な化け物

この両者ががっちり一致団結すると
生と死という概念が生まれるのである

生理学生物学上の生活体と
生と死という心理的概念は
本来全くべつのものである

これがぽピターっと合わさった生き物が
分類で言えば哺乳類が該当するのだと
思う


くじらやいるかは魚じゃない

この意見に私は
激しく同意する

何故なら
「味」が違うから

鯨肉の刺身は間違いなく
魚の刺身ではなく
馬の刺身に近い

しかし多分クジライルカを
研究している人は
味の観点ではなく
いかに人間っぽいか
という観点でもそれを感じている
のではないか

人間っぽさとは
この生命=自我による世界観の動物
なのである

この両者が一致しているから
心や感情という世界が
生まれるのである

自我とは本来
ただ単なる境界をひく能力
違いを認識し
何かと何かを分別する能力

しかしこれと有機体の生命が
手を組むと
ここに優劣が生まれるのです


+と-
善と悪
損と得

全てのこの違いを言及作っているのは
「生命である有機体」
の基準から生まれている



また自我は単独では血からを持たない単なる協会を能力だからだ

自我の能力を使っている犯人は
「意識」である

意識が何かに目を向けると
自我の能力により分別が起こる

そして有機体の生命とそれが一致すると
自分の命を基準に
全ての世界に色がつく
要するに境界が引かれた
対象同士の関係性が生まれ
世界が出来上がるのだ


・意識
・自我
・生命

人間が人間である特徴とは
この3つが仲良く連携している現象

と私は考える


これにどれだけ
他の有機体が近いか
によって

人間っぽい生物と
そうでない生物がわかれ

これが猿やクジラとイルカだと思う



人間だけが戦争する
人間だけが自殺する
というような考え方をよく聞く

人間以外で同じような生物がいるのか
正直全く知らないが

これは正にこの
意識
自我
生命
この3要素同盟による世界観から
みた世界観であるといえよう


自我と生命が一致していない生物は
簡単に生命体が自滅(するようにみえる)
行動をとるであろう

だって重要度を決める自我が
生命とずれているのだから
当たり前である

しかしこれは人間では
精神病として現れる

これは「生命」という要素が
「自我」に対して単独で攻撃を
している結果だ


簡単に死ぬ動物は
精神病になるだろうか?

精神病は生命体の内部で起こる現象だが
外部からも用意にそれを観測できる

簡単に生命が死ぬのに
精神病にならない生命は
自我機能がないと思われる

生命と自我との闘いが
精神病だからである

もしかしたら意識はあるかもしれない
これは過程だが

意識と生命が一致している生命がいる
としたら
自我がなければ精神病はおこらない

したがって
ただただ大事と思っている命自身が
嫌だーと思っている有機体を
ただただ眺めている意識がある

ということになる

自我がないのだから
区別はできない

区別ができない世界だが
生命体の力は理解した上で
ただ眺めているだけの意識がいる世界
そうなる


生まれたての赤ちゃんは
この仮定にぴったりくる

自我による分別はできないが
ただ眺めている

人間を目で追う

これは人間という生命体と
意識が手を組んでいるから起こる現象


そして自我が育ち
世界の分別が無限に増え
心が出来感情が生まれる


そして
その最後に参加した自我が
人間の死を強烈に拒む作用を担当する

争いによる自分の生命維持に意識がいく

戦争を拒むのも
自分が悲惨に死ぬからだ

自我がない赤ちゃんは
悲惨に死ぬだろうか

意識はただその生活体が
色々な形を経て失われるという経過を
ただただながめているだけでは
ないであろうか


全ての意味は幻であるということは

自我がない状態にしか
理解できないことであろう


それを経験することは難しい

赤ちゃんに戻ることはほとんど不可能だ


しかし何かの偶然で
そういう状態

意識=生命

の2要素同盟を経験する人間も
なかにはいる

少なくとも私は
そういう人と一緒に暮らし
その体験がもたらした不思議な世界を
生きた人間を体で知っている

程度の差はあれ
私自身も不思議な経験をした


生命にとっては絶対悪である戦争も
基準が変われば必要なものである
そういう認識が起こっても
不思議ではない

私はもちろん嫌だが