内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

マージナルマン

2021-07-08 21:29:29 | ビジネス境界線
今日は7月8日

私は自分が何なのか
社会的に表現する一番しっくりする言葉

手に入れた記念日だ


クルト・レヴィン先生

一年前にカウンセラー講座で知った

何といっても
グループダイナミクス
という分野

ここに私の世界が一気に反応した
それは組織開発という分野とも言えるし

こに分野こそが私のキャリアを
説明する言葉として
体が大きく反応した

この回りにいつも登場する名前
レヴィン先生

誰だかわからないが
この師匠の弟子もどんどん出てくる


私は自動的にレヴィンの事を
レヴィン先生と思っていた

単純に好き!
という感覚である


講座でグループダイナミクスの世界に
私は進みたいと夢を講師に伝えたら


とても難しい分野だ
一筋縄にはいかない
学ぶべき事がたくさんある


そういう答えが帰って来た
確かに難しいのはわかる

個人の心を相手にした心理学にとって
組織や社会が相手になったら

それは今まで
足し算やかけ算で捉えていたものが
二乗や確率の世界に突入するような
圧倒的な爆発イメージがあるからだ


しかし私はどこかでそれを
イメージの問題だと捉えていた


何故ならば

カウンセリング講座も
カウンセラー志望の多数の人とも
私は違うと感じていたからだ

心理学や心に興味がある人は
とても個人的だ

一人の人間を対象にした
個について興味がある人が多い


それは講師も一緒で
だからこそ心理にのめりこんでいる節も
感じる


そこに感じるのは
圧倒的な
組織の自我の不足だ


産業カウンセラーとしてどうするのか

こういう問いに対して
誰から金をもらうのか
誰を対象としているのか

こういう本質の部分を
想像できる人がほとんどいなかったので
ある


公認会計士だろうが

メディアであろうが

お金をもらう相手というのは
パワーバランスが発生する


それは一つの社会組織を構成する


産業カウンセラーは
組織のカウンセラーであり

会社から金をもらうことになっている
前提の仕事である

だからカウンセリングの相手は
組織なのである

しかし現実はそうもいかないであろう


組織の支配者が
産業カウンセラーをどう使うかを
想像すればたやすい

支配者自らが
自分自身や自分の体を組織に対して
がカウンセリングを受けようと
思うことは相当にまれなことなのである


だから
産業カウンセラーとしては
法律や建前の環境をアピールするような
別の感情由来の需要はあっても
本来の意味で重宝されることは
ほぼないのである



こんな簡単な組織感情について
理解できる人がほぼいないことが
私にとっては衝撃的だった

組織感情を理解できる
拡張自我を持っている人が

心に興味のある人のなかでは
珍しいのである



だから私は
グループダイナミクスの難しさを語る
講師の意見は
ここにあると思ったのだ



私は幸いに
その自我をとんでもなく強く持っている


その差をとても自分でも実感した

だからその障壁は
私にとっては障壁ではないと思った


むしろ私の領域であり
むしろ心理学の世界では
得意な人がいない
ブルーオーシャンの世界であると
確信した


別にその世界で一攫千金とか
自分の地位名誉という意味ではない


「未開拓な分野を開拓する」

という事が私にとっては
とても大事なことなのだ


そのきっかけをレヴィン先生は
活字の世界から私に伝えてきてくれる



今日私は勉強を一度した
マージナル・マン
という言葉に再度で会った


それは教科書が表していた言葉とは
概念が違いもっと広かった



文化を異にする複数の集団(または社会)に属し、その異質な二つ以上の文化と集団生活の影響を同時的に受けながら、そのいずれにも完全には所属しきることのできない者。各集団、各文化のいわば境界に位置している人間


これが私の今までの全ての人生を表している一番ぴったりくる言葉だった


初めて自分を一言で表現できる言葉を
見つけた


どこにも属す事ができないということを
この言葉で自分を表現した瞬間に

私はどこにも属す事ができない人間では
なくなった

自分の基準が社会の基準と合っていない
ただそれだけなのである


こんな概念を提唱する人間なんて
定義は決まっている

自分自身がマージナルマンなのだ


これからレヴィン先生の事を
知っていこうと思うが

レヴィン先生は間違いなく
マージナルマンなんだという
確信をもっている


だから理由もなく好きなのである



そしてマージナルマンから見える世界

それは

内と外

なのである

境界線に立っているから

その二つが見えてしまう

それは同時に
その二つの要素が
自分の中に存在している事を
認識しているからである


それは矛盾を生み
葛藤を生み出す


もともと分断されていないものが
他人や社会の基準によって
分断されて認識してしまっている
ということだ


オレはオレだ!


という言葉を返してもらえたことがある


確かに他人や自分以外の社会の基準は
生きる上でとても大切だ

でもどんな基準も
本来「私」に対しては
効力を持たない

私が私の基準で私を認識すること
それこそが「生きる」ということ

岡本太郎のような生き方は
まさにそれだと思う


マージナルマンにとって
グループダイナミクスのような
複雑な内と外を対象とした素材は
ある意味当然の世界の見えかたなのだ



私の新たな誕生日は
ケヴィン先生によって
7月8日になった