涙と笑いのHIV奮闘記III

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
日に日に進行する物忘れとも戦っています。

難波ウォークで遅めのランチ、夜は蟹クリームスパゲティー

2018-05-06 21:00:00 | 食事

肥後橋駅から大阪メトロに乗って難波駅まで。
何か食べようと思って難波ウォークに行ったのだけれど、
流石に日曜日、この時間になってもどの店も列ができています。

その中で唯一洋食屋とんはるさんが空いていたのでそこでランチにすることに。

カットステーキ定食。

文楽の大きなポスター、
今までは券売機の隣の柱に貼られていたのに、
今はエスカレーターの隣の壁に貼られています。

 

部屋に戻ると疲れてウトウト。
目が覚めたら午後5時。

腹が減ったら夕食を取ろう、減らなかったら夕食は抜き。

そう決めていたのですが、流石に午後8時になると腹が減ったので、
冷凍庫にあった蟹の足1本を解凍して、
瓶詰のトマトソースと一緒に煮て、スパゲティーです。


中之島香雪美術館で開館記念展Ⅱ「美しき金に心をよせて」

2018-05-06 14:30:00 | 美術館・博物館

フェスティバルタワー・ウエストに2か月前に会館した中之島香雪美術館。

神戸の御影に本館があります。

タワー入り口に美術館の幟。

美術館は4階です。

開館の時にもらっていた開館のちらし。
A1版のおおきなカラーのちらしです。

    

 

    

 今回の展示のちらしはこれです。

「金」というかがやきの素材は、時を経ても変質せず、美術を形成するあらゆる材料の中でもとりわけ機長視されました。その荘厳さ、豪華さ、神秘性という特質は、永く人々の心を魅了しつづけてきました。村山龍平もそれに連なる一人です。記録から伝わる村山の人となりは、「華美」という言葉の対極をいくもの。村山コレクションの「美しき金」にいろどられた作品も、それを体現するかのように、どちらかというと慎ましく清らかにかがやきを発するものばかりです。中でも京都・宇治の光景に題材を採った《柳橋水車図屏風》は、本展の柱となる作品です。村山が心をよせた日本美術の「美しき金」の世界を、祈りや憧憬、装飾への愛着を軸にたどってみます。

(ちらしより)

この「柳橋水車図屏風」は、フェスティバルホールの緞帳にも使われていますね。
去年エディタ・グルベローヴァが主役ルチアを演じたオペラ公演に行ったときに、等伯の屏風絵だな~と思って見ていました。

 

例によって図録は買わず、絵葉書を購入です。

稚児大師像

野々村仁清 忍草絵茶碗

 

レバント戦闘図・世界地図屏風

長谷川等伯 柳橋水車図屏風

 

先月訪れた東京国立博物館での「名作誕生」展のちらし。

訪問時はA4版一枚の物でしたが、ここの美術館にはA3版の表裏のちらしがありました。

 

さて、この後奈良へ帰ろうと思います。
美術館の前から大阪メトロ四つ橋線の駅へ直通のエレベーターがありましたので、それに乗り込みました。

駅は肥後橋駅。
通路の途中に大きな今回の美術展の看板。

ここから難波までは乗り換えなしです。
それにしても腹減りました。


堂島川沿いにフェスティバルタワーまで

2018-05-06 12:45:00 | 観光地

美術館を出て、正面に大阪中之島公会堂。

美術館の北側、堂島川沿いにバラが植えられているので、ちょっと寄ってみます。
(もっと上流に行くとバラ園があります)

さて、寄り道を終えて、堂島川沿いに歩いてゆきます。
暫く行くと淀屋橋が見えてきます。

御堂筋を渡って、淀屋橋を渡って、堂島川の北側へ。
そこに日本銀行。

また中之島緑道沿いにバラ。

左の薄茶色の建物が住友ビルディング。とにかくこの辺りは住友系のビルが沢山。
右側のビルは大同生命本社ビル。
大同生命の設立者の一人が、NHKの朝の連ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルになった広岡朝子さんですね。

もうそこがフェスティバルタワーフェスティバルタワー。


大阪市立東洋陶磁美術館で「特別展 フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年」

2018-05-06 12:30:00 | 美術館・博物館

大阪市立東洋陶磁美術館に到着です。

今開催されているのは特別展「フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年。

ヨーロッパで磁器への憧れが大いに高まった18世紀、フランスでは1740年にパリ東端のヴァンセンヌに軟質磁器工房が生まれました。強大な権力を誇る国王ルイ15世の庇護を受けて、パリとヴェルサイユの間に位置するセーヴルへと移転した製作所は、王立の磁器製作所となり1769年には硬質磁器の開発に成功します。セーヴルは、フランソワ・ブーシェなどの宮廷に愛された画家や彫刻家を招き、また最新の博物学を反映した、知的で洗練されたデザインを生み出してゆきます。ルイ15世の寵妃ポンパドゥール侯爵夫人や、ルイ16世とその王妃マリー・アントワネットに多くの作品を納めたほか、外交上の贈り物としても用いられ、ロシア皇帝エカテリーナ2世をはじめとした王侯貴族を魅了しました。フランス革命の混乱を経てナポレオンが台頭すると、セーヴルは新古典主義の作品を製作します。19世紀半ばからの万国博覧会の時代には、流行の様式を代表する室内装飾家を起用して、テーブル・ウェアという範疇にとどまらない作品へ展開しました。日本との交流では、20世紀初頭に外国人作家として初めて、沼田一雅が型の製作に携わったのは特筆すべきことでしょう。こうした芸術家とのコラボレーションは、ピエール・スーラージュや草間彌生などと、伝統的なテーブル・ウェアの製作と併せて現代も精力的に行われています。
本展では、フランス宮廷により育まれ、時代とともに変化し続けてきた300年に及ぶ製作所の活動を物語る、セーヴル陶磁都市の所蔵作品約130件をご紹介します。

(ちらしより)

 

基本的には撮影可能な展覧会(一部を除く)なので、あちこちで写真を撮影しています。
でもマナーとしてシャッター音が出ないようにしてほしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

展示室は3階と2階。
階段の所に、制作の様子の写真が飾られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常設展も開催されています。
国宝の「飛青磁 花生」

「油滴天目 茶碗」

陶磁器といえば東洋のものという頭が在りますが、
フランスの陶磁器もなかなか素晴らしい物でした。


適塾、銅座跡、種痘館記念資料室、栴檀木橋、そして大阪市中央公会堂

2018-05-06 11:45:00 | 観光地

暫く行くと「緒方洪庵旧宅及び塾」

緒方洪庵が開いた適塾が大阪大学医学部の源流なんですよね。

大阪大学医学部の直接の起源は明治元年に発足した「仮病院」。
これは大阪府知事の後藤象二郎や小松帯刀の発案で設立されたもので、診療と医学教育を行いました。
この仮病院の発足に当たって適塾関係者が多数採用されたというのが、大阪大学医学部と適塾を結ぶ糸のようです。
大阪府仮病院の医学教育は上本町の大福寺を仮校舎として始められたようです。

明治2年7月に仮病院は法円坂の鈴木町代官屋敷跡に移転して8月には「大坂府医学校病院」となりました。
刺客に襲われた大村益次郎が運び込まれて、ボードウィンの懸命の処置にもかかわらず絶命したのがこの病院である。
ここは現在、国立病院機構大阪医療センターの敷地となっていて、「大村益次郎卿殉難報国之碑」が南東角に建っています。

入院中に朝の散歩でその石碑を何枚も撮影しました。が、いくら探してもその画像が出てきません。

東西に緑地。

これは東の緑地。

そこに咲くマルハシャリンバイ。

西側の緑地。
誰かの銅像が見えると思って近寄ってみると、緒方洪庵像でした。

せっかく来たのだからと、入ってみました。

ロッカーがすごくレトロな感じ。昔の銭湯の靴淹れのようです。

頂いたパンフレット。

適塾のスタンプ。

展示物は撮影に阪大の許可が要るらしいですが、庭や建物は撮影は可能だと後で知りました。

一通り見て外に出ると、道路に「歴史の散歩道」とあったので、この辺りをブラブラしてみます。

西側に変なものが立っているな、と思うと「空の粒子/パッセージ2015」という、青木野江さんの作品です。

「銅座の跡」があるということでそこに行ってみます。
当時の建物は残っておらず、今は愛珠幼稚園になっているようです。現存する最古の幼稚園だとか。

 少し行くと「除痘館跡」という文字と緒方洪庵の肖像画が浮き彫りにされた銅のパネルがあって、

このようなものが設置されています。

残念ながら、日祝は休館のようです。

こんな看板も在りました。
手塚治虫の「陽だまりの樹」という漫画の一場面です。
そうそう、手塚治虫も阪大医学部の卒業生ですね。

除痘館記念資料室のパンフレット。

さて、大阪市立東洋陶磁美術館を目指します。
「北浜2」交差点。
向こう左側に二つのフェスティバルタワー。
西側のフェスティバルタワーにこの後訪れる予定の「香雪美術館」。
右側には大阪市市庁舎。

土佐堀川にかかる「栴檀木橋」を渡ります。

橋の上から。
東洋陶磁美術館の手前にウエディングドレスを身に纏った女性と、多くの人。
結婚式の記念撮影でしょうか。

東をみると、土佐堀川と難波橋、向こうに生駒山。

橋の上から西側。
淀屋橋、フェスティバルタワーが見えています。

橋の北側に栴檀の樹。

橋を渡り切りました。

するとそこには大阪市中央公会堂。

公会堂のちらし。そしてスタンプ。