MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2402 制服をめぐる不自由な議論

2023年04月27日 | 教育

 気が付けばGWを前にして、汗ばむ陽気の日も増えてきました。入学当時はなんとも借り物のようだった制服姿もようやく板についてきた新入生たちが、夕方の街を友達と楽しそうに歩いている姿などをしばしば見かけるようになりました。

 中高生と言えば、何かと自己主張したいお年頃。こうして次第に学校生活にも慣れ、夏休みが過ぎるころには制服の着こなしにも様々個性的なアレンジが加わっていくことでしょう。

 私自身は制服の決められていない学校に通っていたのであまり思い入れはないのですが、イマドキの中高生(特に女子高生など)にとって、制服は学校生活に欠かせないアイテムとのこと。制服のかわいらしさで学校を選ぶ生徒も(それなりに)多いと聞きます。

 街を行く彼女らの姿を見ると、短いスカートや化粧はもはや当たり前。髪を明るく染めたり大きなピアスをつけている大人びた姿も目立ちます。一昔前なら親が呼び出され、生徒指導の先生にガンガン絞られていたような格好も、今では周囲の大人たちにとって普通の光景。誰も気に留める様子はないようです。

 まあ、(程度の差こそあれ)誰もが通る道ですからそれはそれで結構なこと。ここまで来たら、この際(アメリカのハイスクールのように)制服などなくしてしまえば…とも思うのですが、現場には大人の事情や様々な意見があって、なかなか簡単にはいかないようです。

 そうした折、週刊『AERA』の4月10日号が『加速する「ジェンダーレス制服」導入の動き そもそも制服制度は必要なのか』と題する記事を掲載していたので、参考までにその一部を小欄に残しておきたいと思います。

 多様な性自認やジェンダーへの配慮から、制服の選択肢を増やす学校が増えている。これからの制服制度がどうあるべきか、改めて議論が必要なときではないかと記事はその冒頭で指摘しています。

 記事によれば、学校制服の歴史は長く、軍服をベースに士官学校や師範学校で洋装の制服が用いられるようになった明治時代に遡るとのこと。女性用の洋装の制服が生まれたのはさらに40年ほど後のことで、男性を支える『良妻賢母』として女性らしさを強調したデザインが用いられ、以降、性別役割を強調した男女別の制服が現在まで続いているということです。

 平成の時代に入っても(こうして)学校現場で男女の区別は色濃く残った背景には、「男女で分けた管理方法を変えると現場が混乱する」と考える教員が多かったことがあると記事は説明しています。

 しかし2010年代に入ると学校にも次第に「ジェンダー平等」や「多様性への配慮」が求められるようになった。学生服大手のトンボによると、同社の制服を採用する全国の中学校・高校のうち、女子制服にスラックスを導入している学校は2018年には370校だったが、21年には1千校を超え22年には1500校超に増えているとの話。最近では、制服のモデルチェンジを検討する学校の9割以上が、要望事項に「多様性に配慮した制服」を挙げるようになっているということです。

 しかし、一般に「ジェンダーレス制服」と呼ばれるこうした取り組みは、必ずしもセクシュアルマイノリティーだけを対象にしたものではないと記事は続けます。「ジェンダーレス」や「多様な性への配慮」をアピールしすぎると、当事者が恩着せがましく感じたり、着づらくなったりと逆効果になりかねない。現在では(そうした観点から)着用する全ての生徒に精神的な負担がかからないよう、さりげなく配慮されているということです。

 もちろん、ジェンダーレス制服の導入は、管理・規律の中で(次善の)選択肢を提供しているだけのこと。手放しで称賛することには違和感が残ると記事は話しています。自由に人間らしく生きるために、そもそも制服は必要なのか。教育現場、ひいては社会全体のあり方が本当にこれでいいのか、制服制度も含めて考える時だというのが記事の見解です。

 今の中高生に制服は本当に必要なのか。この問題への回答としてしばしば言及されるのが、経済格差による「スクールカースト」の発生を防ぐことだと記事は話しています。服やファッションなど、様々なものに興味・関心を持つのが思春期だが、しかし彼らには経済的な自立はできていない。こうした中、私服では家庭環境によって大きな『差』や『負担』が生まれることになるというものです。

 しかし一方で、現在の制服は決して安価ではなく、ファストファッションを活用すればよりリーズナブルに学生生活を送ることが可能だという意見もある。1879年に学習院が日本最初とされる学生服を導入してから140年以上がたった現在、多様な性自認やジェンダーへの配慮を前提に、極めて保守的だった学校現場もいよいよ変化を受け入れる時期が来ているということです。

 さて、ユニクロやワークマンなどに行けば、全国の(概ね)どこのロードサイドでも(2~3000円のお小遣いで)ファストファッションが手に入るこの時代。おそろいの制服を無理やりあつらえさせたり、上履きや運動着をそろえさせたりする必要がどこにあるのか。

 もしも、生徒の身なりがTPOに合っていなければ、その都度生徒に指摘すればよい。「ルールだから」と権力的に押し付けるのではなく、その場で「なぜ受け入れられないのか」をきちんと説明し、納得させる責任が学校(教員)にはあるような気がします。

 そもそも学校は、生徒の良いところを見つけ出し、そして成長させるところ。ジェンダーへの配慮も勿論その一環なのでしょうが、それ以前の議論が何か欠けているような気もするところです。

 学校の規律や節度は、制服がなければ本当に保てないものなのか。どうしても必要だというのであれば、目安となる「標準服」のようなものを示したうえで、個々の服装については個別に議論していけばよいのではないかと単純に思うのですが、果たしていかがでしょうか。



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