文部科学省が全国の小学6年と中学3年を対象に2007年度からほぼ毎年行っている「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」。7月31日に2023年度の結果が公表され、特に中学3年の英語の「話す」問題の正答率が(わずかに)12.4%だったことがメディアで話題となっています。
正答率は4年前の前回調査(正答率30.8%)をさらに18.4ポイント下回り、テストを受けた生徒の6割が出題された5問全問を不正解だったとのこと。「聞く」と「読む」の正答率が5~6割だったことを考えれば、日本の英語教育において「話す」能力がおざなりになれている実態が改めて明らかにされた格好です。
英語の授業を巡っては、2020年度に小学5、6年で正式教科され、中学では2021年度から授業は基本英語で行うこととされています。今回受験した中学3年生はそうしたカリキュラムの変更を受ける前とは言え、読み書きを中心とした英語の授業に対する生徒の受動的な態度が、こうした結果に表れているのでしょうか。
非英語圏の英語レベルを測る「EFエデュケーション・ファースト」(スイス)の調査によると、111カ国・地域の約210万人を対象とした2022年調査で日本は80位だったとのこと。自分自身の英会話の実力を慮っても「さもありなん」といった感じです。
こうした状況に対し、8月3日の「Yahoo!Japan news」にジャーナリストの前屋毅(まえや・つよし)氏が、『全国学テで「6割が0点」から考えるべきは、〝英語嫌い〟の子どもを増やさないことである』と題する論考を寄せていたので、参考までにその一部を本稿に残しておきたいと思います。
文科省が7月31日に公表した全国学力テストの結果。英語の「話す力」を測定する試験で、出題された5問のうち1問も正解できなかった生徒が6割を超え、正答が1問しかなかった生徒(20.9%)を加えると全体の8割に達したとのこと。一方、5問すべてに正答できた生徒はわずかに0.4%に過ぎなかったという惨憺たる現実を、日本の英語教育に携わる人々はどのように受け止めるべきなのか。
2021年に中学校で全面実施となった学習指導要領では、英語でのコミュニケーション能力を育むことを大きな目標に掲げている。「コミュニケーション」というからには、「話す力」は欠かせない要素だが、これまでの学校での英語教育では重視されてこなかったのも事実だと氏はこの論考に記しています。
従来の英語教育で育ってきた教員の多くにとってもそれは得意な分野ではない。それでも学習指導要領が新しくなって、学校現場では試行錯誤の取り組みが続けられていると氏は言います。
一方、今回の結果について、文科省は出題の難易度が高かったと認める一方で、「出題内容は学習指導要領に沿ったもの、話す力の育成に課題があることも事実」と講評しているとのこと。これは「学校現場の教え方に問題がある」と言っているようなもので、学校現場では、ますます話す力の育成に力を入れることになるだろうというのが氏の見解です。
もちろん、それが本当にコミュニケーションのための「話す力」ならいいのだが、日本的な傾向として「テスト対策としての話す力」になりかねない。テスト対策のための授業は、「ほんとうの英語」につながらなくなる可能性も大きいということです。
学校における英語教育は、学習指導要領が新しくなって生徒にとっても「やらされること」が増えるばかり。そこに「もっと話す力をやれ」というのでは、益々「やらされてる感」が強まるばかりだと氏は言います。それは、子どもたちにとって「楽しいこと」ではないはずで、教員もあくせくするだけなのでなおさら楽しい授業にはならないのではないかというのが氏の懸念するところです。
ただテストで点数をとるための強制的な学習では、英語嫌いの子供を増やすだけ。それは、これまでの「テストのための英語学習」でも証明されていることであり、「コミュニケーションのための会話力」といいながら、英語嫌いを増やしてしまっては本末転倒でしかないということです。
「0点が6割」の状況から始めるべきことは、テストで点数をとらせる方法を教えることではない。(この機会に)学校現場における英語教育の在り方そのものを考え直すことから始めるべきではないかと、氏はこの論考の最後に話しています。
これまでのような教え方で、本当にコミュニケーションの役に立つ英語を身につけることができるのか。テストでプレッシャーをかけるやり方で、本当に英語が身につくようになるのか。今、最もやるべきことは、これ以上英語嫌いの子どもを増やさないことのように思われて仕方がないとする前屋氏の指摘を、私も(結局、学校英語に親しみを持てなかった者の一人として)大変興味深く読んだところです。
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