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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2786 転職サイトが人気な理由

2025年03月31日 | 社会・経済

 転職エージェントの株式会社エミリス(大阪府東大阪市)が、昨年11月、第二新卒で転職した経験がある158人を対象に「第二新卒の転職に関する意識調査」を実施しています。(インターネットによる任意回答、有効回答数女性94人/男性64人)

 これによると、第二新卒として転職に踏み切ったきっかけの1位は、「仕事内容が合わない(27.2%)」というもの。「思っていたような仕事ではなかった」「希望していない部署に配属された」などと言われると、「新人なんだからしょうがないじゃない」…と思わないでもありませんが、若者たちの「見切り」は案外早いということなのでしょう。

 また、「第二新卒での転職はしたほうがいいと思うか」という質問に対しては、「したほうがいい」と答えた人が86.7%にのぼり、実際に第二新卒のタイミングで転職した人の多くが「転職は成功だった」と考えていることがわかります。

 その理由として最も多く挙げられているのが、「第二新卒は需要が高い(15.2%)」というもの。人手不足感の高まりにより「売り手市場」化が進む中、「次はもっといいところ」という思惑が転職の原動力なっているということでしょう。

 因みに、「第二新卒で転職した方がいい」とする理由の2位は、「合わない職場に居続ける必要はない(13.9%)」というもの。やはり昨今の求人状況からか、若い世代の割り切りの速さが見て取れます。転職サイト花盛りの昨今、転職に躊躇のない新入社員たちを引き留める術に、頭を悩ませている人事担当者も多いことでしょう。

 新卒で入社した人の3年以内の離職率は34.9%(2021年3月大学卒業者、厚生労働省調べ)で、前年より2.6ポイントも上昇している由。なぜ、せっかく入った会社を辞めてしまう新社会人が増えているのか。

 2月20日の情報サイト「AERA dot.」に『転職ネイティブ世代は「こんなはずじゃなかった」ですぐ離職 「リベンジ転職」の落とし穴とは』と題する記事が掲載されていたので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。

 記事によれば、2024年の1年間で入社直後の4月に大手転職サイト「doda(デューダ)」に登録した新社会人の数は、調査を開始した2011年比で約28倍に達しているとのこと。実はここ数年、「1年以内」「1~3年以内」の転職を希望する新社会人の割合は4割を占めるというということです。

 中でも、入社直後に違和感を抱き、「こんなはずじゃなかった」と、転職の相談を受けることが多い由。その理由のひとつとしてdoda編集部は、令和元年から3年にかけてのコロナ禍の影響を挙げていると記事はしています。

 コロナによってインターンシップが中止され、対面での説明会や面接ができない企業が続出した。就職活動の第一歩ともいえる業界研究が十分にできないまま就職した結果、多くの「ミスマッチ」が生じてしまったというのがその要因とのこと。コロナ禍では、企業の新卒採用活動の「中止」や「縮小」も相次いだ。希望していた業界への就職を断念する大学生も多かったということです。

 そうした状況から、採用が再開されるのを待って、当初、希望していた業界への『リベンジ転職』をする人も多いとのこと。さらに、コロナ禍の反動で人手不足が深刻化し、人材の獲得競争が激しくなったと記事はしています。

 早々と内定を出す企業が増える中、「自分は何をやりたいのか」ということを十分に吟味・分析しない段階で内定をもらい就職した結果、「この会社ではなかった」というギャップを感じるケースが増えた。そしてこの状況は、今も続いているということです。

 他方、転職サイトに登録する新社会人が増えた背景には、「転職市場での自分の価値を知りたい」と感じている新社会人が増えたこともあると記事は指摘しています。

 転職サイトに登録すると、企業から「法人営業、予定年収400万~600万円」といった求人情報が発信される。それを見れば、自分が他の企業からどう評価されているかの目安がわかるし、エージェントのキャリアアドバイザーに相談すれば、現在の環境や、将来の可能性も観的に分析してもらえるということです。

 さて、2022年7月から23年6月の1年間に転職した人を対象に行った調査(単一回答)によると、20代で最も多い転職の理由は、「人間関係が悪い/うまくいかない」(12.6%)で、30~50代と比較して、2~3倍ほど高い割合だったと記事はしています。

 職場の中で20代ばかりが人間関係が悪いわけはないので、おそらくそれは当人の思い過ごし。周囲はそれまでの新入社員と同じように接しているつもりでも、上司から少し厳しく言われたり、先輩からそれほどはフレンドリーでない態度を示されただけで、「あぁ、自分は嫌われている…」と感じるナイーブな若者が増えているということでしょうか。

 また、(転職理由の)複数回答では、「給与が低い・昇給が見込めない」が35.2%、「人間関係が悪い/うまくいかない」が25.9%。3番目に多いのは「社員を育てる環境がない」の23.5%で、前年の14位から大きく順位を上げたと記事は併せて指摘しています。

 こうした状況は、「職場にフィットしない」というネガティブな理由ばかりでなく、次第に「職場で成長したい」というポジティブな転職が増えていることを示しており、転職の質が変化している様子も回答からは感じられるということです。

 さて、それはそれとして…まあ、夜10時以降の(若者向けの)ゴールデンタイムにテレビをつければ、人気ドラマの合間に挟まるCMはビールか転職エージェントのものばかり。カッコいい俳優や人気のアイドルに、耳元で1時間の間に何回も「あなたには可能性がある」「満足してる?」「転職しない?」とささやかれれば、試してみようと思う人も多いはず。

 周囲の同期みんなやってるみたいだし、秘密は守ってくれるらしい。それに、登録するのに全然お金がかからないとなれば、お試し登録しない理由はないというもの。私だってそういう世代だったら、話のネタにと登録してみて、もしも条件のいい話が来たら面接くらいは受けていることでしょう。

 「需要は市場に作られる」というのもまた真理。WEB技術などを巧みに活用し、一生懸命畑を耕してきた(エージェントなどの)サービス供給サイドから働きかけも、今の状況を作他大きな要因(のひとつ)なのではないかと、どこかで感じている自分がいます。


#2785 生きた証を後世に残す

2025年03月29日 | 社会・経済

 2月9日の日本経済新聞が、亡くなられた人に相続人がおらず(結果)国庫に入れられた個人遺産が、2023年に初めて1000億円を超えていたことがわかったと伝えています。

 具体的に言うと、2023年度に相続人不在として国庫に入った財産は、トータルで1015億円。2022年度の769億円から32%、(記録が残る2013年度は約336億円だったことから)この10年間では3倍に増えている由。推計では、今後はさらに配偶者や子どものいない単身高齢者の増加が見込まれることから、(該当しそうな人は)各自で何らかの準備を進める必要があるだろうということです。

 こうした状況もあって、相続時に登記されなかった「所有者不明の土地」が全国で問題化し、土地については23年4月から(国が不要な土地を引き取り国有地とする)「相続土地国庫帰属制度」が始まったと記事はしています。

 資産は、一旦国庫に帰属すると使途が選べないのは当然のこと。このようなケースが増えることを念頭に、専門家は「望む使い道があれば早めに遺言をつくるべきだ」と指摘しているということです。

 相続人が存在せず遺言もない場合、国や自治体のほか利害関係者が「相続財産管理人」の選任を家庭裁判所に申し立て、整理を任せることになると記事はしています。未払いの公共料金や税金などの債務を清算した残りが国庫に入るが、(財務省によれば)国庫帰属分の遺産の使途は明確に決まっておらず、状況に応じ何らかの歳出に充てられるとのことです。

 さて、「相続人なき遺産」が近年増えている大きな要因が、単身高齢者の増加にあることは言うまでもありません。厚生労働省の2023年の国民生活基礎調査によると、65歳以上の3952万7000人のうち「単独世帯」は既に21.6%(855万3000人)に及んでいるとのこと。一方、国立社会保障・人口問題研究所の推計(2024年)推計では、一人暮らしの65歳以上の高齢者は50年には1084万人にまで増加すると見込まれており、単身高齢者のうち未婚者の占める割合は、男性で6割、女性が3割になる見通しだということです。

 「独身で子供がおらず兄弟もいない」「DINKSとして稼いできたが、旦那が死んで一人残された」「実家でニートとして暮らしてきたが、親も死んで家屋敷が残された」…様々なパターンがあるとは思いますが、いずれにしても(そんな人が)そのまま亡くなられても後の整理が大変だし、まんま国庫に持っていかれるのは何よりもったいない。せめて(一部でも)お世話になった故郷(の自治体や基金など)にでも寄付してもらえれば、地域の(例えば子供たちの)ために使うことなどもできるでしょう。

 そのための方法として、遺言を残して自治体やNPOなどに寄付する「遺贈寄付」があるわけですが、あまり耳慣れない言葉だけに制度的には何かとハードルが高いのも事実です。

 そんな時、寄付を受け付ける(若しくは財政難に苦しむ)自治体や団体サイドが共同で専門の窓口を作り、亡くなった後のお手伝いをするシステムを運営するとか、「○○基金」「○○記念文庫」といった対応を取ることを約束して、自治体が遺言書の作成を代行するシステムを作るとか…いくつかの工夫があれば個人の遺志が活かされるケースが増えるかもしれません。

 自分が死んでも世界が終わるわけではありません。次の世代のため、なにがしかの貢献をしたいと考える人は多いはず。自分が生きた「証」を後世に上手に遺す方法を、社会全体で考えていきたいものだと記事を読んで私も改めて感じたところです。


#2784 「裸の王様」にどう向き合うか

2025年03月28日 | 国際・政治

 トランプ米大統領は3月26日、米国への輸入車に例外なく25%の追加関税を課すと発表しました。もちろん日本からの輸入車もこの追加関税の対象となり、日本の対米輸出額の約3割を占める自動車産業へのマイナスの影響は避けられないところ。輸出の減少に伴って国内生産が減ると、最大で13兆円に及ぶ経済的な打撃を受ける可能性があると大手新聞各紙が報じています。

 いよいよ本格化するトランプ関税と、そこに端を発する貿易戦争。トランプ政権の高関税政策が傷つけるのは、もちろん輸出国の経済ばかりではありません。輸入品の値上がりによって、割高な商品を買わされるのは米国民も同じこと。ようやく落ち着いてきた米国のインフレが、再燃するのも時間の問題かもしれません。

 一方、こうした状況に対し、日本の石破茂首相は「(追加関税を)日本に適用しないよう強く要請している」と繰り返すばかり。「日本を例外扱いにしてほしい」という気持ちは分かりますが、自由貿易の建前から言えば、他国と連携し米国の政策(の誤り)を正していくのが本筋ではないかと思わないでもありません。

 世界経済における米国発の混乱が続く中、3月25日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」が、『トランプ関税の全廃に立ち上がれ』と題する一文を掲載しているので参考までに指摘の一部を残しておきたいと思います。

 このままトランプ関税が発動されれば、世界経済はスタグフレーション(景気後退とインフレの併存)に巻き込まれる。この危機を座視することなく、トランプ関税の全廃に世界中が立ち上がる時がやってきたと、コラムはその冒頭に記しています。

 大統領就任から2カ月、トランプ政権に関して鮮明になったのは、その「経済音痴」ぶりだと筆者は言います。自らを「タリフマン(関税男)」と呼んではばかることなく、「関税ほど美しい言葉はない」と繰り返すトランプ氏。貿易黒字は利益で貿易赤字は損失と思い込み、高関税で貿易赤字は減ると信じるその姿は(貯蓄投資バランスを軸とする)経済学の常識に欠けるというのが筆者の見解です。

 第1に、(関係諸国は)高関税で2国間の貿易収支の均衡はできないことを(彼や彼の支持者に)理解させる必要があると筆者はしています。そして第2に、(放っておけば)関税戦争はエスカレートするということも。鉄鋼やアルミから、自動車、相互関税へと拡大すれば、危機は深まり消費も投資も手控えられる。そうなれば、市場の波乱による逆資産効果も無視できなくなるだろうということです。

 第3に、軍拡競争しだいで債務膨張も懸念されるということが挙げられる。リーマン・ショック以来の信用危機を前に、日米の金融政策は身動きできる状況にないと筆者は言います。さらに第4に、その影響をまともに受けるのは、トランプ政権を支えた米国の社会的弱者であるということ。トランプ関税によって米国経済は傷つき、危機が経済格差をさらに広げる可能性があるということです。

 それでは、この(トランプ発の)危機をどう防ぐべきか。期待できるのは「51番目の州になれ」と迫られたカナダのカーニー新首相だと筆者はここで指摘しています。カーニー氏は、カナダ銀行と英イングランド銀行という2つの中央銀行の総裁を務めた本格的な経済学者で、「友情ある説得」が望める。マクロン仏大統領らトランプ氏に物申せる欧州連合(EU)首脳との共闘も頼もしい。国際通貨基金(IMF)や世界貿易機関(WTO)との連携もできるだろうと筆者は指摘しています。

 そして、そこで重要になるのは日本の役割だと筆者は続けます。閣僚が「日本だけは例外扱いに」と頼み込むだけでは(あまりに)さびしい。対米投資だけで「免罪符」にならなければ、政府も議会も経済界も労働組合も消費者も、そして経済学会もトランプ関税の撤廃で声をそろえる必要があると筆者は言います。併せて、アジア太平洋から欧州、グローバルサウス(新興・途上国)にまで声をかけ、自由貿易の輪を広げる動きを主導してはどうかということです。

 肝心なのは、世界各国とともにトランプ包囲網を作ること。「常識」や「理論」によってトランプ政権の高関税政策の孤立化を図り、少しずつでも米国民の理解を促していく必要があるということでしょうか。

 アンデルセンの童話「裸の王様」では、「王様は裸だ」と言った少年が世界を変えたと筆者はこのコラムの最後に話しています。日米同盟は重要だが、「裸の王様」に追従するだけでは国際信認を失う。見て見ぬふりではすまされない。日本も世界に視野を広げ、「自分さえよければいい」という姿勢から卒業しなければならないとコラムを結ぶ筆者の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2783 「転勤」の季節がやってきた

2025年03月27日 | 社会・経済

 4月と言えば入学、就職の季節。不安と期待に胸を膨らませながら、新しい環境に飛び込む若者たちも多いことでしょう。そうした中、大手企業のサラリーマンにとって避けて通れないのが「転勤」の存在です。

 少し前の調査になりますが、独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が2017年に発表した資料によると、「ほとんど(の社員)に転勤の可能性がある」と回答した企業は調査対象全体の約3分の1(34%)、社員数1000人以上の企業に限れば51%に達する由。ある日突然上司に呼ばれて「○○への転勤が決まったから」などと(軽く)伝えられ、「えー、聞いてないよ!」と驚き、「かみさんにどう伝えよう…」と心を痛めた経験を持つ人も多いかもしれません。

 かくいう私も、単身赴任の経験者。妻にも仕事があるわけで、わがままばかりも言っていられない。まあ、何年かの間だとあきらめて、ひとりで暮らしを始めた時の侘しさは分からないではありません。(とは言うものの、久しぶりの一人暮らしは想像以上に「お気楽」で、存分に楽しんでいたのが実態なのですが…)

 そう言えばメーカー勤務の技術者だった私の父親も転勤族で、田舎の小学校への「転校」は子供心にも結構「堪えた」記憶があります。思えば、「会社」の都合で生活の基盤自体を大きく変えなければいけないというのも理不尽な話。付いて行かされる家族にとってはたまったものではありません。女性の社会進出が進む中、「家族を伴っての転勤」などというのは相当恵まれた人でなければ「できない相談」となっていることは想像に難くありません。

 そうした折、3月27日の毎日新聞に、『異動きっかけに退職検討 強まる「転勤NG」のワケ』と題する記事が掲載されていたので、参考までに概要を残しておきたいと思います。

 「人事異動にまつわる出来事のうち、退職を考えるきっかけになるのは何ですか?」 …昨年110月に行ったリクルートワークス研究所のアンケート調査によると、(この問いに対し)「望まない勤務地への異動」が、「望まない上司のもとへの異動」「役職の降格」などを抑えて最多になったと記事は報じています。

 調査は、全国の約1万人を対象に「望まない職種への異動」「望まない勤務地への異動」「望まない部署への異動」「望まない上司のもとへの異動」「役職の降格」の5項目について、「退職を考える」「どちらかといえば考える」「どちらかといえば考えない」「考えない」の四つの選択肢から選んでもらったもの。これによると、「望まない勤務地への異動」(転勤)をきっかけに「退職を考える」と答えた人は30・4%に上ったということです。

 因みに、他の項目では、「望まない職種への異動」が21・3%、「望まない上司のもとへの異動」が21・0%、「望まない部署への異動」が18・9%、「役職の降格」が15・9%と続き、「望まない転勤」が頭一つ抜けていたとされています。

 さらに、「望まない転勤」に関しては「どちらかといえば退職を考える」という回答も32・2%あって、合計すると6割強の人が「望まない転勤」をきっかけに退職意向を強めることが分かったと記事はしています。調査を行ったリクルートワークス研究所はこの結果を、職場で起こる摩擦の中でも、転勤がそれだけ許容できないものになっている状況を映し出したものと見ているということです。

 昭和の世代の目で見れば、「そもそも転勤があることは分かってたよね」とか、「誰かが行かなくちゃいけないのだから」とか「自分の成長のためだから」とか、ついつい思ってしまいがち。しかし、記事は「(時代は既に)そういう状況にはない」と強調しています。

 記事によれば、こうした変化の背景にあるのは、社会構造の変化とのこと。リクルートワークス研究所では、共働きの世帯が増え、性別と関係なく家事や育児・介護を負担している中、現在の居住地から離れられなくなるのは当たり前だということです。

 実際、新年度の人事異動が発表される時期になると、SNS(ネット交流サービス)には、引っ越しを伴う転勤を言い渡された共働きの子育て世帯の悲痛な声が並ぶとのこと。配偶者の転勤を理由に退職する女性は一定数おり、企業側にとっても対応が迫られる重要な問題となっている。転勤制度に詳しい法政大学の武石恵美子教授は、「結婚・出産による女性の離職が減ってきている一方、配偶者の転勤が女性の就労継続の阻害要因になっており、女性のキャリア形成にとって大きな課題だ」と話しているということです。

 さて、人材開発を業務とするパーソル総合研究所が昨年の2~3月にかけて、20~50代の正社員1800人と就活生175人を対象に行った調査では、「転勤がある会社への応募・入社を避ける」と答えた人の割合は、社会人では49.7%、就活生では半数を超える50.8%と、2人に1人は転勤のある会社を避けることが明らかになったとのこと。もはや「意に沿わない転勤」のある企業は(最初から)見向きもされない時代がやってきているということでしょう。

 自分の経験で言えば、転勤に伴う生活の変化、具体的に言えば新しい環境や風土に順応し、新しい人間関係を築いていくことは、自分自身の人生に(かなり)プラスの影響を与えてくれたと思わないでもありません。しかし、それはあくまで結果論。都会暮らしの若者が、知らない土地での生活に腰が引ける気持ちも理解できないわけではありません。

 それでも、企業の業務を回すには、転勤が必要な場合もあるでしょう。まあ、見方を変えれば、従業員に転勤を求めるには(それなりの)インセンティブが必要になるということ。どうしても(特に「地方」への)転勤を命じなくてはならない場合には、給料や住居、その他待遇など、十分な配慮を行わなければ(これからの企業は)生き残っていけないのだろうなと、改めて感じた次第です。


#2782 高齢者の高齢化にどう向き合うか

2025年03月26日 | 社会・経済

 昭和の高度成長期を知る最後の世代も、そろそろ高齢者の仲間入り。気が付けばその下の校内暴力やギャル文化などを生んだ第2次ベビーブーマ世代も、着々と初老への道を歩みつつあるようです。

 今年は「昭和100年」という事で様々なイベントが計画されているようですが、昭和の世代が「明治100年」を祝ったのは昭和43年のこと。時の天皇陛下をお招きし武道館で行われた記念行事で佐藤栄作内閣総理大臣が式辞を述べる姿を、私も茶の間の白黒テレビで見ていた記憶があります。

 当時の「お年寄り」と言えば、「明治生まれの人」という認識が一般的でした。昭和43年時点の「明治生まれ」で最も若い人は57歳。「明治は遠くなりにけり」という言葉がよく聞かれたのもこの時代のこと。60歳を過ぎれば立派な老人であった当時の感覚からすれば、先の大戦前に大人だった明治生まれは、既に「過去の人」という感覚だったのかもしれません。

 さて、そうした(おじいちゃん・おばあちゃんが希少な存在だった)56年前と比べ、現在はどこを向いてもお年寄りばかり。70代はまだまだひよっこで、「あら、お若いわねぇ」などと言われる始末。90代にならなければ、一人前の高齢者面ができない状況ともなっています。

 因みに、60歳の平均余命は男性で22.84年、女性で28.37年とのこと。多くの人が90歳まで生きるこの時代、ますます増える超高齢者に社会はどのような環境を用意していけばよいのか。2月18日の経済情報サイト「現代ビジネス」に作家でジャーナリストの河合雅司氏が、『「高齢化した高齢者」が急増するという「不可避で厳しい未来」』と題する一文を寄せているので、指摘の一部を残しておきたいと思います。

 この日本では、2018年に1104万人だった80歳以上の人口が、2040年には1576万人となる。それは国民の7人に1人が該当するということで、しかも、(社人研の推計(2019年)では)独居高齢者が激増し、2040年には75歳以上のひとり暮らしだけ取り上げても512万2000人に及ぶと、河合氏はこの論考に記しています。

 80代ともなれば身体能力や判断力が衰える一方で、買い物や通院のために外出せざるを得ない場面も増えてくる。そのサポートを家族がせざるを得なければ、働き手世代は仕事に専念することが難しくなり、日本経済が鈍化するだけでなく、社会全体が機能しなくなるというのが氏の懸念するところ。さらに独居高齢者が増えるとなれば、その負担は公的サービスのコスト増にも繋がるということです。

 そこで高齢者には、(家族や制度に頼らず)なるべく自立した生活を送ってもらうことが求められる。高齢者の自立を促すためには、街の中でも最も「賑わい」が残っている立地条件のよい場所に、高齢者向けの住宅や施設を構えることが必要だろうと氏は言います。

 これが難しいのであれば、発想を逆転させ、既存の病院や福祉施設を核として、その周辺に高齢者用の住宅を整備し「賑わい」を作ることも考えられる。大切なのは、高齢者が自ら歩くことですべての用事を完結できるようにすることで、高齢者が市街地に集まり住むようになれば、介護スタッフも確保しやすくなり、少ない人数で多くの人にサービスを提供することも可能になるということです。

 さて、そう考えていくと、地方にもたくさんある既存の施設の中に「ぴったりな物件」があると氏は話しています。それは、郊外型の「大型ショッピングモール」とのこと。生鮮食品から衣類、雑貨、医療機関やスポーツ施設まで整っており、そこに足りないのは「住民」だけ。現在は大型駐車場を完備しているが、高齢社会ではマイカーを運転するのが難しくなる人が増えるし、商圏エリアの人口も激減していく。とすれば、大型ショッピングモールそのものを住宅と一体化してしまうことが、顧客の確保にもつながるはずだということです。

 居住スペースはショッピングモールの上層階か、隣接地に作り、地域住民が集まり暮らせるようにするのはどうだろうか。建物はすでに完全バリアフリーになっているわけだし、雨の日も住民は傘を差さずに街に出ることができる。ショッピングモール側にしても、住民は顧客としてだけでなくパート社員ともなってくれるので人材も確保しやすいと氏はしています。

 周辺に隣接する他業種の店舗なども巻き込みながら、「街づくり」の視点を取り込んでいくこと。全国資本の大型ショッピングモールや大型商店街だけでなく、国道沿線の商業施設集積地など、立地や環境に恵まれている物件をベースに、官民連携で再開発を進めてはどうかという提案です。

 さて、そう言えば今から20数年ほど前、仕事でイギリスのダービー市を訪問した際、市役所の人が「是非見ていってくれ」というので見学した街は、まさにそうした発想を取り入れた再開発を行っていました。

 ドーナツ化した旧市街の中心部から車の乗り入れを排除し、完全バリアフリー化して様々な商店や診療所、その他のサービス施設を誘致。周辺はお年寄り向けの住宅や施設などにして、皆が毎日散歩がてら歩いて通ってくる「お年寄りの王国」のような場所となっていたのが印象的でした。

 「ゆりかごから墓場まで」といった手厚い社会福祉政策の下で、経済不振に悩み「英国病」とまで言われたイギリスですが、(当時の日本より)一足早い高齢化に対応し、いろいろな取り組みを試み実現させていたということなのでしょう。

 いずれにしても、高齢者の高齢化が待ったなしのこの日本で一体何ができるのか。高齢者のお財布に眠る資産と大企業の資本力をうまく活用して、各自治体には是非「経済が回る」モデルを示してもらいものだと改めて感じるところです。


#2781 いつまでも引退できない日本人

2025年03月25日 | 社会・経済

 昨年7月4日の日本経済新聞(「Workstyle 2030」)によれば、明治安田生命保険では現在65歳の従業員の定年年齢を、2027年度には70歳に引き上げる方針だということです。

 まあ、働くのが億劫になったら自ら退職を選べばいいだけのことでしょうが、少なくともこのまま(自分から辞めなければ)70歳まで働かされると考えれば、(人生を会社に搾取されているようで)その未来を気分良く受け止める人ばかりではないでしょう。

 もっとも、日本老年学会が昨年6月に公表した「高齢者および高齢社会に関する検討ワーキンググループ報告書」によれば、一昔前の65歳時点の体力・活力は現在では75歳の状況に匹敵する由。日本のシニアは(少なくとも体力的には)70過ぎても元気なようですから、後は気力の問題というところでしょうか。

 制度は制度として、ポイントは当事者であるシニアが働くモチベーションを維持できるかどうか。自分自身は自信がありませんが、実際のところ、2023年の日本経済新聞社の調査では、70歳を過ぎても働きたいと回答した人は全体の約4割。OECDの調査によれば、実際に働いている人(男性70-74歳)の割合も43.3%で、20年前の29.8%から大きく上昇しているということです。

 確かに周囲の先輩たちを見ても、その多くが(毎日ではないものの)いまだ「現役」として仕事をしており、それなりに忙しく暮らしている様子。「家でブラブラしているくらいなら…」「女房に邪魔者扱いされるのも嫌だし…」と言いながらも、皆さん結構楽しそうに仕事の話をしてくれます。

 なんだかんだ言いながらも、仕事をしている自分が決して嫌いではない日本人。その実態について、リクルートワークス研究所アナリストの坂本貴志氏が1月10日の経済情報サイト「現代ビジネス」に『日本の労働参加率が「主要国で最高水準」の実態』と題する論考を寄せているので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。

 これまでであれば働いていなかったような人たちの労働参加が、急速に拡大している近年の日本。女性や高齢者の急速な労働参加は、既に日本の経済全体にも広範な影響を与えていると坂本氏はこの論考に綴っています。

 ここ数年の日本の労働市場を振り返ったとき、大きな出来事として挙げられるのは、第一に女性の労働参加の急伸である。2000年に56.7%であった日本の15-64歳の女性就業率は、足元で72.4%まで上昇。国際的にも女性の社会進出が進んでいるが、その動きは日本が最も急だと氏は言います。

 (女性の)就業率について特徴的なのは変化幅だけではなく、割合も同様。2022年の時点で日本の女性就業率は既に米国や英国などを上回り、主要国ではドイツ(73.1%)に次ぐ水準に達しているということです。

就業率が高いのは女性だけではない。15-64歳の男性就業率に関しては、OECD加盟国の中では既に日本が最も高い(2022年:84.2%)と氏は指摘しています。イタリア(同:69.2%)やフランス(同:70.8%)など、働いていない男性が多数存在する国も多い中、日本の男性就業率は突出した水準になっているということです。

 もちろん、女性の管理職比率をいかに高めていくかなどさまざまな問題もあるが、少なくとも就業率のデータをみる限り、日本は男女にかかわらずとてもよく働く国だということがわかると氏はしています。

 因みに、この傾向は高齢者でも同様で、この20年の間に60代後半の女性の就業率は23.7%から41.3%まで急上昇。60代後半男性の就業率も同じく大きく上昇しているということです。坂本氏によれば、高齢者の高い就業率は日本特有の現象とのこと。日本と米国、フランス、ドイツなどの年齢階級別の就業率を見てみても、日本の高年齢者の就業率は突出して高いと氏はデータを解説しています。

 60代後半男性で言えば、日本が61.0%と既に過半の人々が現役で働いている一方で、米国(37.6%)、フランス(11.8%)、ドイツ(22.9%)など、他国はいずれも日本より就業率が低い。70代前半で働いている人の割合も、日本では41.8%に達しているが、米国では21.7%、ドイツが11.5%、フランスにいたっては4.1%しか働いていないということです。

 さて、こうした状況が「いいこと」なのか「悪いこと」なのかは一概にはいえませんが、男女を問わず多くの人が「働きたくないのに嫌々働いている」状態にあるのなら、(働かずに済むように)状況の打開に向けた何らかの対応をとる必要があるのでしょう。

 またその一方で、人手不足によって彼ら彼女らに(お願いして)働いてもらう必要が雇用者サイドにあるのであれば、そうした人々に気持ちよく働いてもらえるよう、さらに環境(や条件)を整えていく必要があるのだろうなと氏の論考を読んで改めて感じたところです。


#2780 イマドキの上司の理想像

2025年03月24日 | 社会・経済

 2月17日の「文春オンライン」が、『大谷翔平でも、大泉洋でもない…新入社員たちが「理想の上司」に選ぶ“意外な有名タレント”の正体』と題する記事を掲げています。

 明治安田生命が毎年実施している、「新入社員が選ぶ『理想の上司』総合ランキング」。男性上司、女性上司のそれぞれで「理想の上司」を(選んだ理由とともに)回答するものなのですが、なんとこれまで8年間以上、男女ともに(それぞれ)同じ人物がトップをキープし続けているということです。

 男性上司の1位は、お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」の内村光良氏。1964年7月生まれの60歳で、この年齢で新入社員から理想の上司に選ばれているのは極めて例外的だと記事はしています。一方、女性上司の1位は水卜麻美氏。現役の日本テレビアナウンサーで、実際に日本テレビで管理職を務めているということです。

 ランキング順位以上に注目すべきは(その人を)「選んだ理由」で、内村さん、水卜さん、どちらも理由のトップは「親しみやすい」というもの。選んだ理由を見てみると、今の若者が上司に求めているものがわると記事は言います。理想の上司を考えるときに「親しみやすさ」がトップになるのは、昭和生まれ世代には意外なものかも。今の若者に求められる上司像を考える際に、これは大きなヒントになるということです。

 そこで過去の調査を見てみると、2016年(内村氏、水卜氏の連覇が始まる前の年)の、理想の男性上司はテニスプレーヤーの松岡修造氏で、女性は女優の天海祐希さんであった由。その理由は、松岡氏は「熱血」で、天海氏は「頼もしい」というものだったということです。

 確かに、松岡氏と天海氏は、タイプこそ違えど(イメージとしては)先頭を切って組織を引っ張ってくれたり、時には厳しい言葉も含め、叱咤激励してくれたりするような印象があると記事は指摘しています。実は、松岡氏は2015年が2位で、2016年が1位。天海氏は2010年から2016年まで7年連続1位の常連で、当時は先頭で引っ張るタイプの上司が求められていたのかもしれないということです。

 ちなみに、天海氏は2024年の調査でも2位にランクインしているものの、松岡氏は現在では既にランク外になっている由。つまり、松岡氏の「熱血」は、今の時代には受け入れられていないということになります。方や、天海氏が選ばれている理由の「頼もしい」は、内村氏を選んだ理由でも2位に入っていることから、「親しみやすさ」と「頼もしさ」が、今の若者世代が求める上司像なのだというのが記事の指摘するところです。

 一方、1月15日の「ハフポスト日本版」(『多様な「リーダーシップ」の形。理想の上司はどのタイプ?』は、リクルートマネジメントソリューションズが行った、従業員規模が50人以上の会社に勤める25歳~59歳の正社員7405人を対象にした「働く人のリーダーシップ調査(2024)」の結果をまとめています。

 この調査は、組織におけるリーダーシップを8つのタイプに分類し、その特徴や部下への影響を量的調査で整理したもの。調査では、以下の3点についてAか、Bかで質問を行っています。

1.組織内における集団との関わり方は、「A.周囲と協力し合う」「B.自分が引っ張る」

2.課題に対して取り組む姿勢は、「A.改善・維持」「B.変革・拡張」

3.迷った際の判断のよりどころは、「A.周囲の気持ち・心情」「B.ロジック・理性」

 結果、「理想の上司」についての回答では、「調整×維持×心情」という性質を持つ「調和型リーダー」が29.8%と最多。次いで「調整×維持×理性」という性質を持つ「安定型リーダー」26.7%を占める結果となったと記事はしています。また、年代が上がるにつれ、心情よりも理性を優先した判断を求める人が多いことも判ったということです。

 続いて、直属の上司のリーダーシップタイプについて。この質問でも「調和型リーダー」が31.4%と最多。「調和型リーダー(調整×維持×心情)」と「安定型リーダー(調整×維持×理性)」に次いで3番目となったのが「開拓型リーダー(統率×変革×理性)」だとされています。

 さて、組織には、場面に応じて多様なリーダーシップが求められるというものの、今の時代に(少なくとも部下に)求められているのは、(イザという時の強いリーダーシップなどではなく)「親しみやすく」「部下の意見をよく聞いてくれて」「周囲に気づかいのできる」上司ということなのでしょう。

 「お笑い」の要素が強いコントから番組MCまで、長年、芸能界で幅広い活躍を見せる内村氏は、確かにいつも穏やかで、新人の話もゆっくり聞いてくれそうな雰囲気です。NHKなどで不定期にやっているコント番組などを見ても、氏が率いるチームは皆とても楽しそうに仕事をしていて、「理想の上司」の面目躍如といったところなのかもしれません。

 しかし、上司には(時に)厳しい判断を下さなくてはならない時があるのもまた然り。強い統率力や変革への決断力など、様々なスキルが必要となることでしょう。フジテレビに関する一連の不祥事や、ホンダと日産の経営統合騒ぎなどを見るにつけ、(組織が大きくなればなるほど)リーダーシップを取っていくというのはなかなか難しいものだなと、これらの記事を読んで改めて感じたところです。


#2779 巷で「推し活」が流行るワケ

2025年03月23日 | 社会・経済

 「推し活グッズ」の企画・販売等を手掛ける企業OshicocoとCDGが今年1月、国内の15歳から69歳の男女23,069名を対象に「推し活実態アンケート調査」を実施しています。この調査によれば、推し活をしている割合(「推し活率」)は16.7%で、前年の14.1%から2.6ポイント増加。推し活人口は前年の1136万人から1383万人へと増え、約247万人が新たに推し活を始めた計算だということです。

 また、「推し活をした」と答えた人に対し「推し活にかけた金額」を聞いたところ、年間の支出額は平均で25万5035円に及んだとのこと。性別・年齢別で見ると、最も支出額が多かったのは35~39歳男性(44万5565円)で、次いで40~44歳の男性(37万2350円)だった由。女性のトップは30~34歳(33万6695円)で、男女を問わず30~40代のミドルエイジが推し活消費の中心を担っていることがわかります。

 同調査報告書によれば、日本の推し活市場は既に3兆5000億円に上っているという話です。これまでであれば、仕事が忙しくなる一方で、子育てやマイホーム資金などで「(公私ともに)趣味どころではない」といった世代が、現在の「推し活市場」を動かしていると言っても過言ではないでしょう。

 因みに、「推し活でお金をかけたもの」という質問に対し最も支出が多かったのは、①「公式グッズ」(30.7%)、②「チケット」(29.7%)、③「遠征」(23.0%)が上位を占めたとのこと。さらに、「CD」(17.5%)や「応援グッズ・収納グッズ」(11.4%)、「配信投げ銭」(4.4%)、「配信視聴サブスク」(7.0%)なども一般化しているということです。

 正直を言えば、プレミアグッズを高値で入手したり泊りがけで遠征したりと、家族でも何でもない人の「応援」に何十万円というお金を費やすイマドキの感覚は私には(ほぼまったく)わかりませんが、実家暮らしの独身者が増える中、「推し」を通じた人との繋がりや「自分事」への支出は生きる証のようなもの。また、SNSなどの浸透によって、推しとの関係が、それだけ身近になったということなのかもしれません。

 それにしても、現代人はなぜこれほどまでに「推し活」に夢中になるのか。3月12日の「東洋経済ONLINE」において、書評家で作家の印南敦史氏が社会学者・山田昌弘氏の近著『希望格差社会、それから(東洋経済新報社)』における山田氏の指摘を紹介しているので、参考までにその(書評の)一部を残しておきたいと思います。(『将来に希望を持てないが、「生活満足度」が高い人々が急増する理由』2025.3.12東洋経済ONLINE)

 さて、以下が、印南氏が紹介する(「推し活」時代の到来に関する)山田氏の見解です。印南氏によれば、戦後の日本人の希望は、将来的に「豊かな家庭を築く」ことにあった。そして、そのプロセスとして、①「仕事における希望」と②「家族形成の希望」ががあり、そこから人生の達成感や充実感を得ることで、人々は前へと向かっていったと山田氏は話しているとのことです。

 しかし、リアルな世界で「豊かな家族生活」への希望が失われるとなると、一気に話は変わってくるとのこと。現代社会では、豊かな家族形成という「大きな物語」の中に生きる希望を見い出せなくなった。このため、部分的に「擬似仕事」「擬似家族(恋愛)」という物語を用いる必要性が生じたというのが山田氏の推論だということです。

 そして、現実にしている仕事で努力が報われないと感じ、さらに将来就きたいと思う仕事(専業主婦も含む)にも就けないと思う人たちの行き場が、バーチャルな世界に向かった。近年、「推し」という言葉が浸透し、さまざまな「好き」という形がこの単語によって包摂されるようになったのもその一環だと山田氏は説明しているということです。

 具体的には、アイドルやアニメのキャラクターを好きになることなどを指す「推し」という言葉。「好き」を表現する活動は総じて「推し活」と表現されるようになり、「おっかけ」が「推し」に変化することで、「一方的に」誰か、何かを好きになることがすっかり市民権を得たということです。

 そうした中、リアルな世界ではお互いが好きになって結婚するということが減少し、婚活アプリなどにより恋愛感情抜きで結婚するケースが急増している。さらに、経済的な理由で結婚できない独身者も増え、行き場がなくなった「好き」という感情の受け皿として「推し」が広まったのではないかというのが(この著書で)山田氏の指摘するところです。言い換えればこれは、「親密性を市場から調達する」ということで、山田氏は若い女性がホストクラブなどにはまるケースが増えているのもその一例だと説明しているということです。

 リアルな世界で「希望」を持つことが次第に困難となりつつある現在。確かにそれが事実であるとしても、だからといって「現実を変革しよう」「現実社会に対して反旗を翻そう」という(ナイーヴな)方向に進めばそれで問題は解決するというものでもないだろうと、印南氏はこの書評の最後に綴っています。

 バーチャルの世界で満足している人が多いからこそ、「生活に満足している人」も確実に増えているはず。結果、日本は、現実の経済格差、家族格差が広まる中、「バーチャル世界」で格差を埋めるというシステムの先進国になっているのではないかと、山田氏も指摘しているとのことです。

 さてさて、「上善如水」とはよく言ったもの。人の心は「希望」や「繋がり」を求め、隙間隙間を見つけながら自然に流れていくものなのかもしれません。自分のためでなく人のため。(優しい日本人の心の中には)自分の好きな人の活躍を願いひたすら声援を送る喜びというものもあるでしょう。

 芸能界やプロスポーツなど、その存在自体が社会の安全弁のようなものだということなのかもしれません。現状が「ベストな状況」であるか否かは別として、私たちは、「バーチャルな世界で希望を見つけよう」とする人が増えていることも肯定する必要があるのだろうとこの書評を結ぶ印南氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2778 日本人はいつの間にか「働きすぎ」ではなくなっていた

2025年03月21日 | 社会・経済

 労働時間の短縮や労働環境の改善、仕事のやり方の見直しに至るまで、今では当たり前のように使われている「働き方改革」という言葉。実は、一般に知られるようになったのはそんなに昔のことではありません。

 今から遡ること9年前、第3次安倍晋三内閣の下で2016年9月に「働き方改革実現会議」が設置されたのがその始まり。2017年3月に、「長時間労働の是正」「柔軟な働き方がしやすい環境整備」など9分野で方向性を示した「働き方改革実行計画」がまとめられ、2018年6月に「働き方改革法案」が成立。2019年4月から「働き方改革関連法(働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律)」が順次施行されるなど、制度的な形が整ってからまだ5年ほどしかたっていません。

 厚生労働省が公表している「働き方改革~一億総活躍社会の実現に向けて」によれば、「働き方改革」とは「働く人々がそれぞれの事情に応じた多様な働き方を選択できる社会」を実現するための改革とのこと。安倍政権が目指した「一億総活躍社会」の実現に向け、官・民・労が協調して進めるべき社会制度の変革を目指す動きとされています。

 こうした動きの背景にあったのが、少子化高齢化に伴う生産年齢人口、つまり労働人口の減少であったことは論を待ちません。このままでは労働力不足により日本経済が立ち行かなくなる…そうした危機感が国を動かす原動力となったのでしょう。

 また、当時問題視されていた長時間労働や残業問題なども、この動きを後押ししていたと言えるでしょう。長時間就労やサービス残業が当たり前とされ「過労死」という言葉が社会問題化。平均就労時間が月1800時間を大きく超えていた昭和の働き方に別れを告げ、ワークライフバランスの実現を目指す動きが始まったという側面もあるようです。

 さらに、問題視されていたのが、日本経済が課題として抱える「労働生産性の低さ」への対応です。バブル崩壊後停滞を続けた日本経済の労働生産性は、気が付けば主要先進 7 カ国の中で最下位にまで低迷。この課題を解決するためにも、従来とは異なる労働環境の整備が必要と考えられたわけです。

 そして、この「働き方改革」なる言葉が国民の間に定着してもうすぐ10年。数々の災害や経済不安、コロナ禍などを経て、日本の労働者の就労環境も大きく変わりつつあるようです。1月7日の経済情報サイト「現代ビジネス」に、リクルートワークス研究所アナリストの坂本貴志氏が『日本人はいつの間にか「働き過ぎ」ではなくなっていた…年間労働時間「200時間減少」のワケ』と題する一文を寄せているので、指摘の一部を小欄に残しておきたいと思います。

 長い間、国際的にみても労働時間が顕著に長い国であった日本。しかし、近年、日本人の労働時間は長期的に減少を続けていると坂本氏はこの論考の冒頭に記しています。

 国際的にみても日本の労働時間の減少は際立っている。2000年当時は年間1839時間と平均的日本人は米国人と並んで長時間労働をしていたが、足元の2022年には1626時間と欧州先進国の水準に近づいてきていると氏は言います。2000年から2022年までの労働時間の減少率も11.6%と、6ヵ国間で最大の減少率。それもここ数年は、減少の勢いがさらに加速しているということです。

 近年では働き方改革関連法の施行(2019年)もあって、長時間労働の是正や有給休暇や育児休業の取得促進など労働条件改善の動きも広がっている。総務省の「労働力調査」などを見ても、男女を問わずあらゆる年齢層で労働時間が減少しているということです。

 坂本氏によれば、そのうち労働時間の減少が特に顕著なのが男性若年層の労働時間とのこと。20代男性の週労働時間は2000年時点の46.4時間から2023年には38.1時間まで減少、30代でも50.9時間から43.6時間まで減少するなど、変化を実感できる企業人は多いだろうと氏は話しています。

 一方、労働時間の減少が賃金水準にも影響を与えるのはまた事実。たとえば、ある会社の新入社員の年収水準が現在と20年前で変わっていなかったとしても、週労働時間が50時間から40時間に減っていれば、その人の時給水準は25%上昇したのと同じ意味を持つと氏は説明しています。労働生産性の改善に関連するこうした状況は、日本全国の企業で起こっていると考えられる。また、様々なアンケート調査などを見ても、こうした状況は(いわゆる)サービス残業の減少にも繋がっていることがわかるということです。

 こうした点を踏まえれば、日本の勤労者の時間当たりの賃金は、毎月勤労統計調査などから算出される水準以上に上昇しているのが実態だろうと、氏はこの論考で推論しています。

 それでは、現代日本人はなぜ長時間働かなくなったのか。確かに近年の労働時間の減少は、2019年に施行された働き方改革関連法など法規制の影響を受けてのことだろう。しかし、それと同時に、労働時間は社会的な規制や企業からの要請を踏まえながらも、労働者個々人が選択するもの。そう考えれば、人々の労働時間が減少したことは、やはり個々の労働者の意思が反映された結果ではないというのが氏の見解です。

 氏によれば、人は自身の賃金水準を所与としながら、余暇と労働に1日24時間をどう配分するかを決めるもので、それが個人の労働時間選択の基本的な決定メカニズムであるとのこと。つまり、より高い収入を得たいのであれば労働時間を延ばす必要があるが、そうなれば当然余暇の時間を削るということになり、そう考えれば、現代人は過去よりも余暇に重点的に時間を配分するほうが自身の幸せに適うと考え、その結果として平均労働時間の減少が生じているのだろうと、氏はその理由を説明しています。

 さて、人々の働く意識について、現代ではZ世代特有の価値観という点に焦点を充てることが多いが、時系列でみていくと、若い世代の意識は市場の需給から一定の影響を受けているようにみえると氏はこの論考の最後に話しています。

 一方、現代のように人手不足が深刻化している状況においては、所属している企業の労働条件が気に入らなければ、労働者は他の企業に活躍の場を移すことが(容易に)できる。市場の需給が労働者の意識に影響を与え、結果として行動も変容させているという側面もあるというのが氏の考えです。

 若い世代の間で、「コスパ」や「タイパ」がトレンドとなる現在、自らが提供するものの単位当たりの価値を重視する彼らにとって、(そこそこ満足できる生活さえ可能なら)労働は人生をかけてやるようなものではないということなのでしょうか。

 氏によれば、(そこにあるのがアニマルスピリッツの喪失なのか、将来への諦念なのかは別にしても)世の中が豊かになるにつれて、そこまでガツガツ働かなくてもそれなりには暮らせるようになっているという長期的な想定もあるだろうとのこと。(いずれにしても)そういった意味で言えば、近年政府が進めた政策の中で、「働き方改革」は最も成果を上げたもののひとつなのかもしれないと、私も改めて感じた次第です。


#2777 「エモクラシー」に覆われる世界

2025年03月20日 | 国際・政治

 冷静であるよりも、(やたらと)「怒る」政治家が世界中で人気を得ているように見える昨今。感情をあらわにして訴えかけることが、なぜこれほどまでに現代人の心に響くようになったのでしょうか。

 「アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治」(講談社現代新書)の著者で同志社大教授の吉田徹氏は、朝日新聞の紙面(2024.9.30)で「現代の政治は『感情の時代』に入っている」と指摘しています。今世紀に入り顕著となった、ヨーロッパでの極右政党の躍進や世界的なポピュリズムの台頭。多くの先進国でラディカルな政治の蔓延が一般化し、怒りを持った政治家が出てくるようになったのは、そこに「需要が存在する」からだと吉田氏はインタビューに答えています。

 先進国でグローバル化が加速した1980年代頃から、製造業の衰退とともに中間層の没落が始まった。新たに雇用が創出されても、サービス業を中心とした質と賃金の低いものへと置き換えられていく中、「自分だけが損をしている」という相対的な剝奪感を感じる人たちが、政治的な党派を問わず増えていったと吉田氏は話しています。

 氏によれば、そうした不満層をターゲットにしたポピュリズムは、「明日は今日より良くなるはず」という、戦後を支えた進歩の観念が決定的に失われたことで訴求力を持つようになった由。背景には、グローバル化以前の中間層が豊かだった時代を経験している人々の間に広がる、(その時代を原風景とした)「あの頃を取り戻してほしい」という後ろ向きの変革を求める心情があるということです。

 激動の「現在」に強い不安や不満を感じるがゆえ、手探りの「未来」に希望を持てず、「あの頃は良かった…」と懐かしい過去に楽園を見出しているということでしょうか。確かに言われてみれば、今の世界の政治の動きの中では、「○○を取り戻す」というキーワードが随分と幅を利かせているようにも見えてきます。

 そうした折、1月8日の日本経済新聞が、同紙コメンテーターの小竹洋之氏による『エモクラシーに悩む世界(感情に支配されない政治を)』と題する論考記事を掲載しているので、参考までに指摘の一部を小欄に残しておきたいと思います。

 目まぐるしい時代の変遷を経て権威主義の国々がその影響力を増す中、米国、欧州、日本を中心とする民主主義陣営の動揺もまた、看過できぬ問題になっていると小林氏はこの論考の冒頭に記しています。

 70以上の国・地域が重要な選挙を実施した2024年。民主主義陣営の多くで現職の首脳や与党に厳しい審判が下り、政権の交代や少数与党への転落を強いられた。先進12カ国の与党の得票率が軒並み低下したのは過去約120年間で初めてで、長期のインフレや移民の増加などにいら立った国民が、現状にノーを突きつけたからにほかならないということです。

 ポピュリズム(大衆迎合主義)が加速する自由陣営。米国は異端のトランプ氏が再選。フランスではマクロン大統領率いる中道の与党連合が左派連合に及ばず、極右の台頭で政権運営に窮している。日本でも石破茂首相が少数与党の壁に苦しむ一方、聞こえのよい公約を掲げる政党が力を増していると氏は言います。

 辞意を表明したカナダのトルドー首相しかり、2月の総選挙で敗れたドイツのショルツ首相しかり。そんな先進国で勢いづくのは、過激な排斥主義や無責任なバラマキだというのが氏の指摘するところです。

 健全な「デモクラシー(民主主義)」ではなく、エモーション(感情)がリーズン(理性)に勝る「エモクラシー」が世界を覆っているというのが氏の認識です。事実よりムードが先行し、既存の指導者を安易に罰する民意とこれを扇動するポピュリストが共鳴して、狭量で乱暴な政治の扉を開く。空前の選挙イヤーが浮き彫りにしたのは、より構造的なエモクラシーの弊害かもしれないということです。

 小林氏はここで、『「好きか嫌いか」「快か不快か」を基準に反応する情動社会と、民意の受け売りで即決するファスト政治の流れが鮮明化し、この日本でも(米欧ほどではないが)、輿論(よろん=公的意見)を尊重するデモクラシーより、世論(せろん=大衆感情)に迎合するポピュリズムが勝りつつある』…とする、佐藤卓己・上智大学教授の言葉を紹介しています。

 民意はますます移ろいやすくなり、指導者に対する期待はすぐに失望へと変わる。政権が頻繁に交代する「ピンポンゲーム」を演じる国・地域も少なくない中、賞味期限が短く、権力基盤の維持に腐心する政治の常態化は、中長期的な改革への意欲を鈍らせ、近視眼的な拡張財政や保護貿易などへの傾斜を助長しかねないということです。

 民主主義陣営の劣化に歯止めをかけるにはどうしたら良いか。格差の解消や治安の回復、エリート支配の是正といった抜本的な対応はもちろん、様々な工夫でエモクラシーの抑制に努めたいと小林氏は話しています。

 (小林氏によれば)そこで(前述の)佐藤氏が説くのが、善悪や優劣の判断を急がず、曖昧さに耐える「ネガティブリテラシー(耐性思考)」を鍛えること…とのこと。即断しない、うのみにしない、偏らない、中だけ見ないという、「ソ・ウ・カ・ナ」の姿勢でメディアに接するなど、古典的な懐疑主義で民主主義を立て直すしかないと話しているということです。

 中腰でいるのは誰だってつらいもの。それでも誰もが一人の主権者として、それぞれ主体的に自分の頭で(じっくり)考え、ポリティカルに行動するということでしょうか。ネットを騒がす煽情的な言葉の数々やまことしやかな陰謀論の真偽を、まずは「ちょっと待てよ」と疑い、読み直すだけの理性や知性が求められているということでしょう。

 民主主義は次善の政体であり、未完の政体でもある。指導者だけでなく有権者もメディアも、時代の要請に合わせた更新の知恵を縛り、改良を繰り返すしかないと小林氏はこの記事の最後に指摘しています。21世紀に入って、気が付けば既に四半世紀。(これこそが)ポピュリズムが世界を徘徊する25年の重い宿題だと話す氏の言葉を、私も重く受け止めたところです。


#2776 DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)

2025年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 生涯で自分がやりたいことにお金を使い切るよう提案する自己啓発書「ゼロで死ね(DIE WITH ZERO)」(ビル・パーキンス著、児島修訳、ダイヤモンド社)が、2020年の日本語版刊行以来40万部を超え、反響を呼んでいるということです。

 その主張は、(簡単に言えば)「人はどうせ死ぬんだから、金をすべて使い切ってからあの世へ行け」というもの。妻や子に遺したって仕方がない。頑張った人は頑張ったなりに、それでも使い切れない人は寄付などをして、自分の思う通り使ってしまおうということのようです。

 翻って日本人の個人金融資産を見れば、長期間金利ゼロのデフレ時代が続いていたにもかかわらず、2024年3月末現在の残高は国家予算を大きく超える「2199兆円」とケタ違い。過去最高の金額に、日本人の多くが多額の金融資産をため込んでいることが見てとれます。そして最期には、ひとり平均で3500万円以上を残してしまう由。これこそが、日本人は死ぬ瞬間が一番の金持ちだと言われる所以です。

 イソップ童話の「アリとキリギリス」のように、老後の不安からお金を貯めることばかり考えてアリのように働き続けてきた日本人。「ゼロで死ね」が反響を呼んでいる背景には、(今になって思う)そうした生き方への反省が渦巻いているのでしょう。

 そうは言っても、今の日本の現実から言って「ゼロで死ぬ」のは真っ当な選択なのか? 2023年7月7日の経済情報サイト「DIAMOND ONLINE」に作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が『「ゼロで死ね」は正しいのか?』と題する一文を寄せているので、参考までにその指摘を紹介しておきたいと思います。

 例え貨幣の限界効用が逓減するとしても、最も確実に幸福になる方法は「お金持ちになる」こと。そのためには、堅実な貯蓄と効果的な投資(資産運用)が必須で、その効果は運用期間が長ければ長いほど大きくなると、橘氏はこの論考の冒頭に綴っています。

 これがファイナンス理論の標準的な説明だが、それに異を唱えたのがヘッジファンド・マネージャーのビル・パーキンスの「DIE WITH ZERO(貯蓄)ゼロで死ね」という著作。過激なタイトルで日本でも大きな反響を呼んだが、パーキンスの本を読んでみると、それほど過激な主張をしているわけではないと氏は話しています。

 氏によれば、この著作の主張は、おおよそ次の3つにまとめられるとのこと。

① 若いときは(わずかな)貯蓄よりも体験を優先すべき

② 子どもには遺産を分け与えるのではなく、必要としているときに生前贈与すべき

③ 老後のための十分な備えをしたうえで、それ以上の資産は自分や家族の楽しみに使うか、寄付などで使い切ってしまおう

 脳の基本設定(OS)によって資産がもたらす幸福度は、最初は急激に上がっていき、やがて平坦になる(限界効用が逓減する)ことがわかっている。資産1億円までは実際の資産の額よりも心理的な効用(幸福度)の方が大きいが、それ以上ではどうだろうか。ここでパーキンスは、「この部分のお金は人生にとってなんの意味もないのだから、ゼロにするのが合理的だ」と述べたということです。

 実際、パーキンスの主張には合理性があるのか(ないのか)。例えば、「若いときは貯蓄より体験を優先すべき」との主張については、さまざまな調査の結果、モノを買うよりも体験に使った方が長期的には幸福度が高まることがわかっていると橘氏は話しています。

 ブランドものを手に入れた喜びは、1週間もたてば消えてしまう。(だからまた欲しくなるのだが)はじめてのデートやはじめての海外旅行・留学の楽しい思い出はいくつになっても思い出す。20代前半にバックパック旅行で得られた体験は、40~50代はもちろん30代でもできないもの。パーキンスはここから、「お金は貯蓄より体験(思い出づくり)に使え」と述べていると橘氏はしています。

 10代後半や20代前半なら「若者らしい」として許され、場合によっては高く評価される行動は多い。しかし、中高年になっても同じことを続けていると、「落ちこぼれ(ドロップアウト)」とか「負け組」などと呼ばれ、社会的に排除されてしまう場合もあるということです。

 思春期や青春時代のはじめての体験は強く記憶に刻み込まれ、何歳になっても思い出す。「レミニセンス・バンプ=回想の突起」と呼ばれる、そんな人生でも大事な時期に、わずかな貯蓄のために楽しみを我慢するなんてバカらしいというパーキンスの主張はもっともだと橘氏も話しています。

 だが、それと同時に、パーキンスは「老後の(安心の)ための備えをしなければならない」とも述べていて、ここで体験と蓄財のトレードオフが生じているのもまた事実。結局のところ、収入が少ないときは、わずかな金額の貯蓄をするより体験(思い出)に投資した方がコスパが高いのだから、そっちを優先する。そして、本格的な資産形成は、収入が増えて生活が安定してからすればいいというのが橘氏の指摘するところです。

 こうして見てみると、パーキンスが意外に常識的なことをいっていることがわかると氏は言います。氏によれば、日本人の貯蓄動向の調査でも、20代では大半が貯蓄ゼロかほとんど貯蓄がないが、30代になると貯蓄をする者としない者へと分かれていき、その格差は40代、50代と年齢が上がるにつれて広がっていくとのこと。そもそも20代で必死になってお金を貯めようとするのは少数派で、ほとんどの若者は稼いだお金を楽しみ(あるいは生活)のために使っているということです。

 とはいえ、私の経験でも、海外にヒッチハイクに出かけたり、ミュージシャンになる夢を追い続けたりできるのはあくまで少数派。お金持ちの生まれならともかく、庶民の子供としては、「親に迷惑をかけられない」とか「早く自立したい」などと言い訳を考え、自分の甲羅のサイズに合った穴を掘るだけで精一杯なことが多いでしょう。

 誰にでも、「あれもしておけばよかった」「やるだけやってみれば違った人生もあったかも」というものの一つや二つはあるはずですが、中には「やらなくて正解」なこともきっとあったことでしょう。

 そこはそれ、そうは言っても何事もバランスというものが必要となるということ。借金してまで思い出づくりをするべきかどうかは、意見が分かれるところだろうと話す橘氏の指摘を私も興味深く読んだところです。


#2775 人事担当者、苦難の時代

2025年03月18日 | 社会・経済

 コロナ禍からの経済活動の正常化に伴う人手不足感を背景に、大学生の就職活動は学生優位の「売り手市場」が続いています。リクルートワークス研究所の発表によれば、2025年3月卒業予定の大卒求人倍率(大学院卒含む)は1.75倍と、2024年卒の1.71倍より0.04ポイント上昇している由。昨年8月1日時点の就職内定率も91.2%にのぼり、2017年卒以降で最高水準になったと報じられています。

 そうした中、「東洋経済ONLINE」が公表(2024/09/02)した、2025年春卒業予定者(大学生・大学院生)による『就活生1.5万人が選ぶ人気企業300社ランキング』によれば、トップは伊藤忠商事で5年連続で1位を獲得したとのこと。20時以降の残業原則禁止や「朝型フレックスタイム制度」の導入など、総合商社とは思えないホワイト化が(男女を問わず他社を圧倒する)人気の秘密だということです。

 実は、2位は日本生命保険、3位は大和証券グループと昨年と同様の結果だったとのこと。金融系はやっぱり強いなぁと感心しますが、保険金不正請求問題を受けてか、損保に関してはあまり振るわない結果だったようです。

 記事によれば、その他、若者に人気だったのがコロナ後のインバウンドもあって回復傾向にある航空系企業で、全日本空輸(ANA)45位、日本航空(JAL)57位とジャンプアップが見られるとのこと。また、芸能や音楽などエンタメ系企業も人気で、83位にランクインしたユニバーサル ミュージックは前年同期の215位から急浮上しているということです。

 まあ、就職後の3年間で新入社員の3分の1が退職していくという今のご時世のこと、流行に敏感な若者が(まずは)「カッコいい」企業に憧れるのはわからないではありません。しかしその一方で、これだけ「売り手市場」が広がっていくと、地味な製造業や中小企業が新卒大学生を必要な人数だけ採用するのは、益々難しい状況になっていくことでしょう。

 採用担当者の頭を悩ます昨今の採用事情に関し、キャリアコンサルタントの山田圭佑氏が2月6日の金融情報サイト「ファイナンシャルフィールド」に、『2024年の出生数は「70万人割」で過去最低!? 今後の「人事採用」はどうなっていくのか』と題する一文を寄せているので、(こんな時期でもあり)指摘を小欄に残しておきたいと思います。

 2024年3月に東京商工会議所が発表した「2024年新卒者の採用・選考活動動向に関する調査」によると、2024年新卒者の採用計画人数に対する充足率が「100%以上」と回答した企業は全体の14.5%にとどまった。逆に充足率50%未満と、予定の半分も新卒学生を確保できなかった企業は41.5%に上っていると山田氏はこの論考に綴っています。

 併せて、この調査からうかがえるのは、①採用・選考活動の長期化が起きていること、②新卒採用数を増やす企業が3割近くあること、③内定・内々定者の半数以上が最終的に採用辞退をしていること…などで、企業における「新卒採用」が今まで以上に困難になることを示唆しているということです。

 実際、日本の出生数の推移を見る限り、現在の新規学卒者の減少幅は、将来に起きるだろう減少幅よりはまだましな状況だと氏はここで指摘しています。例を挙げれば、2024年の日本の出生数は約68.5万人となる見込みに対し、昨年の新成人(18歳の人)の数は約106万人。これは、今後18年間で新成人の数が37.5万人、35%も減少することを示している。このような状況下では、企業は(採用云々というよりも)人事全体の体制を見直していく必要に迫られるということです。

 具体的にはどうなるのか。例えば、①中途採用・シニア採用などへのシフトが起きる、②時期を定めない通年採用が一般化する、③時短勤務、リモート勤務、副業可能など、フレキシブルな働き方が一般化する、④「社員を雇わない」形での業務割合が大きくなる…などを氏は挙げています。

 大企業では、新卒者確保のために初任給を大幅に引き上げるなどの対策をとっていくだろうが、多くの中小企業は追随できないため、(人件費の高騰・人手不足による)中小企業の淘汰・統合が活発に起きる可能性も高い。つまり、今後、各企業は自社の存続をかけ、大きな環境の変化に立ち向かっていかなければならないということです。

 いずれにしても、ごく近い将来、企業が「新卒採用」で職員数を確保することがかなり困難になるのは避けられない未来だと山田氏は見ています。少子化が進行する社会では、企業は「新卒採用」だけでなく人事全体、ひいては事業内容全体を見直していく必要に迫られる。今後、日本企業における人の雇い方、働き方にどのような変化が起きるのかについて、十分注意していく必要があると話す山田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2774 コミュニケーションの王道

2025年03月17日 | うんちく・小ネタ

 「人間の最大の罪は不機嫌である」…『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』などで知られるドイツの詩人、ヨハン・フォン・ゲーテは、そうした言葉を残したとか残さなかったとか。

 そういえば、私が入社したての新入社員の頃、直属の上司となった50歳がらみの係長は、だいたいいつも咥え煙草で、不機嫌そうに新聞を読んでいました。この人はよくもまあ、何でこうも機嫌悪そうなんだろう…とよく思っていましたが、当時は上司とはだいたい「そういうもの」。若い部下たちの前で威厳を保つため、(わざと)そうした態度をとっていたのではないかと思わないでもありません。

 そして、それから既に40年。オフィスを見渡すと大抵の上司は皆にこやかで、部下につらく当たることもありません。人手不足で採用難の折、若手職員に退職など切り出されたら査定に影響するからか、常にWelcomeの姿勢を保つよう努力しているようです。

 しかし、そこは人間のやること。いつも機嫌よくしてばかりいられるわけではありません。また、中には「表情に乏しく何を考えているかわからない」「日によって機嫌がコロコロ変わる」といったZ世代の部下たちもいて、若者の御機嫌取りに気をやむ中間管理職も多いと聞きます。

 いつの職場にもいる面倒な人たち。お困りの貴方に向け、2月7日のビジネス情報サイト「DIAMOND ONLINE」に、キャリアコンサルタントの安田正彦氏が『職場の「面倒くさい人」どう接したらいい?人事のプロが教える解決策』と題する一文を寄せていたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 サラリーマンも、役職や年齢が上がるほど、部下に威圧感を与えてしまったり、話しかけにくい空気を醸し出してしまいがち。そうした中、相手にポジティブに接する方法のひとつに、「チャーミングでいる」という方法があると安田氏はこの論考に綴っています。

 チャーミングとは、(文字通り)「人の心を惹きつける」「魅惑的である」ことを言う。かっこいいとか美しいとかいうよりも、虚勢を張らず自然体。いつもニコニコしていて、ちょっとした失敗もつい笑って許してしまいたくなる…そういう人に対しては、自然と親しみを覚えてしまうと氏は話しています。

 その逆で、チャーミングでない、例えばいつも無愛想で愚痴や不満ばかり口にする人、怒りっぽい人や威張り散らしている人には誰も話しかけたくはない。結果、(そういう人が)自分のことを理解してもらえるはずはなく、当然相手のことも理解できない。ましてや、お互いに受け入れ合うなど不可能で、良好な人間関係を築くことなど、夢のまた夢だということです。

 (氏の知る限り)残念ながら、役職が上の人ほど、年齢が上の人ほど、威圧感や話しかけにくい空気を醸し出しがちだと、氏はここで語っています。(それを「威厳」と捉え)むしろそうあるべきと思い込んでいる人もいるが、私は逆効果だと思うと氏は話しています。気さくに話しかけやすい、なんでも相談に乗ってもらえる、そう思われる上司のほうが部下の信頼を得やすいし、さまざまな情報が集まってくる。そして、それが正しい判断に繋がり、結果的にリーダーとしての成果を生み出すというのが氏の感覚です。

 今は威圧的な態度で仕事をさせる時代ではないし、そういう上司には誰もついていかない。だからこそ、役職や年齢が上がれば上がるほど、チャーミングでいることはとても重要だということです。

 そして、チャーミングでいることと同じくらい、良好な人間関係を築くために重要なのが「わかりやすい人間になる」とだと、氏は続けて言います。わかりやすい人間とは、考えや態度に一貫性がある人のこと。

 人と接するうえで、行動や判断基準がその時によってブレブレで一貫性がないと、相手を混乱させ不安に陥れる。言うことがコロコロ変わると部下も何を信じて良いのかわからず、また違うことを言い出すのではないかと不信感を抱いてしまうと氏はしています。機嫌の良い時はなんでも「いいね」と肯定的なのに、機嫌が悪いと「それの何が面白いの?」と否定的になる人だって、もちろん周囲から人が離れていくということです。

 「心理的安全性」とは、自分の意見や気持ちを安心して表現できる状態を指す言葉。自分の意見や気持ちを安心して表現するには、相手のリアクションにストレスを割くような環境は適さないと氏は話しています。生身の人間である以上、もちろん機嫌の良い時もあれば悪い時もあるが、わかりやすい、一貫性のある人間でいるためには、まずは機嫌の良し悪しを態度で示さないことが大事だというのがキャリアコンサルタントとしての氏のアドバイスです。

 それでは逆に、「めんどうくさい人」や「厄介そうな人」を早々に攻略するにはどうしたら良いのか? ぶすっとしている人を見ると、「怖そうだな」「気軽に話しかけたら怒るんじゃないか」と不安に思うかもしれないが、(それほど)心配することはない。雰囲気が怖い、不機嫌そう、コワモテだという人ほど、じつは内心自信がなくて、自分を大きく見せるためにそうした態度を取りがちだと氏はこの論考で指摘しています。

 だから、そういう人にこそ、積極的に話しかけてみてほしい。怖い態度が原因であまり人が集まって来ないことを、本人自身が悩んでいるかもしれないし、そんなところに親しげに話しかけてきたあなたは(大袈裟に言えば)まさに救世主だということです。

 「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」「虎穴に入らずんば虎子を得ず」といったところでしょうか。一度、懐に飛び込んでみれば案外うまくいくことも多い。「チャーミングになる」というのは、そういうことなのかもしれません。

 しかし、中には逆に、自分を解りにくくすることで相手の心を不安定にさせ、そこにつけ込むことで(相手を)心理的に自分の支配の下に置こうとする「マニピュレーター(潜在的攻撃性パーソナリティ)」のような人もいるようなので、その辺りは要注意。「こいつはちょっとおかしいな…」と思ったら、距離を置くのも必要な知恵かもしれません。

 ま、(そうは言っても)そういうのはごく稀な話。普通の人であれば、一度打ち解けてしまえばこっちのもの。今度は向こうから話しかけて来てくれるものだと氏は言います。「話せばわかる」、王道は、そんな気持ちで臆することなく、誰にでも分け隔てなく接していくことだと説く安田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2773 平成ニッポンは失敗ばかりしてきたのか?

2025年03月16日 | 社会・経済

 近年、「失われた30年」「失われた平成」などと言う言葉をよく耳にするようになりました。振り返れば、「歌舞音曲の自粛」や「バブル経済の崩壊」の中で「昭和」が静かに幕を引き、不安の中で迎えた「平成」は、日本経済の衰退の歴史を体現するものだといっても過言ではないかもしれません。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられ、しばらくはGDPランキングで(アメリカに次ぐ)2位をキープしていた日本も、2010年頃には中国に抜かれ、2023年には人口が約3分の2のドイツにも抜かれる有様です。2023年のアメリカのGDPはおよそ27.36兆ドル、中国は17.793兆ドル、3位ドイツは4.46兆ドル。一方、日本は4.21兆ドルで(少なくとも)上位2か国との間には大きな差があります。

 実は、1995年時点の日本のGDPは5.55兆ドル(ちなみにその時、ドイツのGDPは2.59兆ドル)で、日本のGDPはこの25年間でほぼ変わっていない(むしろ減っている)ことがわかります。その意味するところは、日本経済が30年にわたる停滞によって、(相対的に)ズルズルと後退してきたということ。今の日本を支える40代の人々ですら、「成長」という言葉を知らずに育ったと思えば何とも不思議な気分です。

 それでは、その「失われた30年」「失われた平成」は、この日本の社会にどのような爪痕を残したのか。2月6日の「婦人公論ONLINE」に、経営コンサルタントの倉本圭造氏が『国を閉ざして昭和の価値観で運営してきたから日本は衰退した?』と題する興味深い論考を寄せているので、参考までに指摘の一部を残しておきたいと思います。

 半導体投資で沸く熊本県菊陽町や、ウィンターリゾートとして活況を呈している北海道ニセコの話を、ニュースなどで見聞きした人も多いだろう。中でも、国際的なスキーリゾートとして開発が進んできたニセコでは、清掃業などの仕事でも時給2000円を超えるというような話すら聞くと、氏はこの論考の冒頭に記しています。

 これらは非常に特殊な例のように見えるが、(実は)グローバルな経済の流れに自然に乗っかっていくとある程度こういう感じにはなるものだと、氏は状況を説明しています。ここ20年以上、日本は言葉の壁もあって世界経済の流れとは遠いところで引きこもり気味に経済を運営してきた。なのでわかりにくいが、例えば英語圏の国などは問答無用にこういう流れに呑み込まれ、そこら中に菊陽町やニセコのような存在があるというのが氏の認識です。

 それらの国々と経済発展の度合いを数字で比べ、日本が劣後するのはまあ当然のこと。それでは過去20年の日本の不調は、過去の延長にこだわって国を閉ざし、内向きにグダグダと惰性の運営をしてきた“昭和の殿さま”たちが「100%悪い!」ということになるのかどうか。

 その問いに対する私(←倉本氏)の答えは「NO」だと、氏はここで断じています。そういう片方だけからの発想では、日本に横たわる本当の課題を解決することはできない。社会を経済という一面でとらえず、多方面から比較してみる必要があるというのが氏の考えです。

 「普通にグローバル経済やってました」というような欧米の国と比べると、日本社会は何より安定していると氏は話しています。犯罪率はとにかく低いし、失業率も異例に低い。欧米(特にアメリカ)でよくあるような、都市の中心部で薬物中毒者が徘徊しているということもほとんどないと氏は言います。

 まだまだ製造業が頑張っている土地も多く、一握りのインテリに限らず幅広いタイプの職業人の自己効力感が生きている。アメリカの「ラストベルト」と呼ばれるエリアのように、地域全体が無力感と恨みをため込んで、巨大な政治的不安定さの原因になっている地域もないということです。

 氏によれば、この日本は、経済が世界一レベルだった全盛期に比べれば、全体として緩やかに衰退しているのは事実だが、グローバル経済に裸で飛び込んでしまったような国が抱え込んでいる「解決不能の問題」からは(その分)距離を置くことができているということ。「過去の日本をぶっ壊せ!」と言うだけでその先のビジョンは特にない。「アメリカみたいになんでできないの?」と言うだけでその先を具体的に考えなかった平成時代の「もっと“カイカク”が必要だ」という論調を、シャットアウトしてきた意味もあったということです。

 平成の日本は、社会の安定性をグローバル経済の荒波から守るため、ほぼ世界一だった「昭和の経済大国の遺産」を冷凍保存して食い延ばすような政策を採ってきた。なので、その恩恵の行き渡り方が独特のイビツな分布になってしまっている面は(確かに)あると氏も認めています。

 具体的は、例えばいわゆる伝統的な大企業の正社員や公務員の立場はものすごく守られる一方で、その完璧に守られた椅子と経済の荒波とのギャップは全て、派遣社員のようなかなり不安定な立場の人たちが“衝撃吸収材”として(ダメージを)一手に引き受けてきた。また、離婚したシングルマザーのような立場の人が色々な意味でシワ寄せを受け、苦労する社会の構造になっていることも事実だということです。

 そういう過去20年の間“割を食う”立場になってしまった人が、今の日本の秩序を憎悪する気持ちは理解できるし、一種の正当性のようなものもあると氏は言います。しかし、そういう人たちですら、日本国全体が「昭和の経済大国の遺産」を食い延ばすことで毎年巨額の経常黒字を維持し続け、世界1位の対外純資産を積み上げてきていることの恩恵を、実はかなり受けているというのが氏の認識です。

 「日本国全体としては稼げている」という状態を必死に維持してきたからこそ、国家の債務のGDP比率が世界一にまでなっても問題が顕在化しなかったともいえる。そうやって大きな財政支出を継続して行い、社会の安定を維持し続けてきた過去の日本の政策は、ある意味で“割を食う”立場になってしまった人のためでもあったということです。

 なぜなら、もっと徹底した「本物のネオリベ政策」に飛び込んでいたら、そういう人たちの生活は今よりもさらにもっと悪くなっていたことは容易に想像できるから。もちろん、“割を食う”立場になってしまった人は日本社会に対して貸しがあるといっていいし、そういう人たちが自分の「取り分」を主張していくことは大変大事なことだと氏は改めて指摘しています。

 しかしその一方で、現実に国の取ってきた針路が(単に時の政権の利益のためだけではなく)、日本社会全体のためのものであった側面もあるということ。損な役割を担わされた人たちのニーズを満たしていくためにも、主権者である国民はその辺りを丁寧に理解することが必要だというのが、この論考で倉本氏が主張するところです。

 結局のところ、私たちの日本はどのような国を目指すのかというところ。目の前の損得ばかりを論じるのでなく、長期的な国の形、社会の形を視野に入れて変化に対応していく必要があると考える氏の指摘を、わたしも大変「バランスの取れた」意見だなと改めて受け止めたところです。


#2772 日本の賃金はなぜ低い

2025年03月15日 | 社会・経済

 昨年1年間、国内で働く人の1人当たりの現金給与の総額は、33年ぶりとなる高い伸びを示したものの、物価の上昇を考慮した実質賃金では0.2%減少し3年連続のマイナスだったと2月6日の新聞各紙が伝えています。

 厚生労働省の発表によると、基本給や残業代などを合わせた働く人1人当たり現金給与総額(2024年)は、1か月平均で34万8182円。前の年を2.9パーセント上回り、4年連続で上昇したとのこと。比較可能な2001年以降、過去最高の伸び率となったということです。

 しかし、これを物価の変動を反映した「実質賃金」でみると、前の年を0.2パーセント下回り、3年連続でマイナスとなった由。賃上げは大企業を中心に進んでいるが、働き手の多くを占める小規模な事業所では十分に上がらない状況も顕著になっているとされ、物価高に賃金上昇が追いつかず、家計は厳しさを増しているようです。

 記録的な円安基調が続き訪日外国人の数が大きく伸びる中、「安いニッポン」で最も安いのが賃金だとなれば、インバウンドの増加に喜んでばかりもいられません。そうした折、2月4日の情報発信サイト「nippon.com」に東短リサーチ代表取締役社長でエコノミストの加藤 出(かとう・いずる)氏が「なぜ日本人の年収は他国よりこんなに低いのか?」と題する論考を寄せているので、その指摘を小欄に残しておきたいと思います。

 OECDに加盟する主要国の平均年収(2023年)を最近の為替レートで円換算すると、アメリカは1241万円で日本(491万円)のおよそ2.5倍。スイスに至っては1616万円とは3.3倍と、差は広がるばかりだと加藤氏はこの論考に記しています。

 約20年前の2004年はどうだったのか? 日本は466万円でアメリカは450万円。スイスは698万円で日本の1.5倍だが、今より差が随分小さかったと氏はしています。

 因みにスイスは最低賃金(時給)も驚くほど高く、ジュネーブ州、チューリッヒ州で4100円前後とのこと。日本の全国平均は1055円なので約4倍の開きがあり、来日した外国人観光客の多くが「安い!安い!」と大喜びしている背景も理解できるというものです。

 もっとも、いくら賃金が高くても、物価がそれ以上に高かったら国民生活は豊かにならない。スイスは物価が高い国だとよく言われるが、確かに英エコノミスト誌の「ビックマック指数」でも、スイスのビッグマックは日本の2.6倍だと氏は言います。しかし、(前述のように)スイスの平均年収は日本の3.3倍、最低賃金は4倍近いので、スイス人は日本人よりもビックマックを安く感じているはずだというのが氏の見解です。

 日本とスイスの違いはどこから来るのか? 第一の理由は、生産性の差にあるというのが氏の指摘するところ。スイスには高い競争力を持つ優良企業が多く、例えば、米フォーチュン誌による2024年の「グローバル企業500」にランクインしている企業数では、日本は人口100万人あたり0.3社だが、スイスはその4倍の1.2社もあると氏は話しています。

 実は1995年には日本も1.2社だった。しかし、バブル経済崩壊以降家電や半導体産業などが衰退し、他方で新たな産業が台頭して来なかったため、気が付けば中間層が以前よりも薄くなってしまったと氏は言います。

 世界競争力ランキング(IMD)で見ると、1989年の世界1位は日本、2位はスイスだった。だが、その後日本は凋落し続け、2024年は38位まで落ち込み、一方のスイスは、(いったん下落を見せたもののその後盛り返し)08年以降ずっと世界のトップ5を維持しているということです。

 何がここまでの差になったのか。まず、財政の健全さで、スイスと日本では雲泥の差があると氏は指摘しています。スイスは憲法で財政赤字を原則禁止しており、いわゆる財政のバラマキ政策は行わない。2024年の政府債務残高の対GDP比は32%と非常に低く、日本の251%(IMF推計)とは比較にならないということです。

 こういった経済の“地力”の差が為替レートに影響を与えているのは否めない。もともと為替の世界では、スイス・フランと円が危機時の避難先通貨(Safe Haven)と見なされていたのは日本人もよく知るところ。しかし、日本円はこの10数年でその地位から見事に転げ落ち、(近年の激しい円安を見てもわかるとおり)国際比較における日本の年収の低さ、つまり対外購買力の弱さに繋がっているということです。

 日本銀行は以前から、非常に緩和的な金融環境を維持することでインフレ率を押し上げ、目標の2%に定着させれば「賃金と物価の好循環」が実現すると主張してきたと氏は話しています。

 1月24日に日銀は政策金利を0.5%へ引き上げたが、極めて緩和的な状況に変わりはない。政策金利から総合インフレ率を引いた実質政策金利はマイナス3.1%で、米FRB(連邦準備制度理事会)のプラス1.5%程度と比べても圧倒的に低いというのが氏の認識です。もちろんお金は、実質金利が低い方から高い方に流れやすい。つまり、今の日銀の政策は円安誘導を事実上行っているような状態だというのが氏の見解です。

 エネルギーや食品の自給率が低い日本では、為替レートが大きく下落すると生活必需品の価格が上昇し、実質賃金が悪化して国民の暮らしはかえって苦しくなると氏は言います。もともと、中央銀行の金融緩和で生産性を向上させることはできないし、せいぜい賃金と物価がパラレルに上がる状況を生み出せるくらいだというのが氏の指摘するところです。

 日銀が設定した「インフレターゲット」という言葉が独り歩きし、あたかも「インフレになれば景気が好転」するかの言説が目立っていた昨今ですが、そもそも「インフレに期待する」のはあくまで金融政策の世界のこと。国民生活にとって、物価が安いに越したことはないのは「あたりまえ」だということでしょう。

 スイスは(日本と同様に)低インフレ国として知られ、過去20年間の総合インフレ率の平均は、日本もスイスも同じ0.6%だと氏は話しています。それなのにスイスは世界一の高賃金国。一方の日本は、賃金の面から言えば先進国の落ちこぼれだと氏は言います。

 その意味するところは、インフレ2%を目指す政策は、実は大して大事ではないということ。企業や人材の競争力をいかにして高めていくか、というリアルな面での地道な改革が、今のわれわれには何よりも重要だと話す加藤氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。