MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2018 動き出した中国の教育改革

2021年11月16日 | 国際・政治


 中国共産党創立100周年を機に、行き過ぎた市場主義を是正するための社会改革に向け大胆に舵を切る中国の習近平指導部。まず、政治的には、軍事力の増強や誇示に加え、香港市民による自由主義的な動きに圧力をかけるなど、人民の統制に向けた強権的な動きが目立つようになりました。

 また、経済分野では、グローバル企業の経済活動に制限を加えたり、バブルに沸く不動産市場への締め付けを強めたりする一方で、格差解消を目指す「共同富裕」による富の分配を提唱するなど、これまで放置されてきた市場経済に大きく介入する姿勢を見せています。

 さらに、教育や文化の分野では、学校における習近平思想の必修化や愛国教育の徹底、芸術・芸能活動への指導など、その政策転換は国民生活の細かな部分にも及んでいるようです。

 今後は小学1、2年生に筆記の宿題を出すことは禁止され、中学生には一晩につき1時間半以内に終わる分量の宿題しか出してはいけないこととなりました。義務教育の他の学年でも、試験の回数は1学期につき1回に制限され、必要以上の筆記試験の実施は禁止されたということです。

 今年7月には、営利目的の学習塾の運営や設立が制限され、義務教育段階の学習塾への事実上の「塾禁止」令が発出されたことも大きな反響を呼びました。さらに、18歳未満の未成年者のオンラインゲームは週に3日間、それも夜8時から9時までの1時間に制限されるという徹底ぶりも話題となったところです。

 一方、このようなた規制は芸能界にまで及んでおり、人気俳優やアイドルグループのファンクラブなどが、違法行為・不道徳的行為で当局によって次々と摘発される事態も生まれているようです。8月には「芸能人の教育管理と道徳性強化策」が発表され、共産等の文化芸術に関する方針に従わない芸能活動には、発表のためのプラットフォームを提供しないという措置が通告されたということです。

 こうして、新しい政策を次々と打ち出す習政権。その動きには、本気で中国を社会主義の原点に回帰させるつもりだという強い意志が感じられますが、こうした(箸の上げ下ろしにまで及ぶような)統制強化は、本当のところ何を意図したものなのか。

 神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏が、「週刊AERA」11月1日号の巻頭コラムに「中国の教育は『科挙』から『双減』へ 人口激減と超高齢化を見越した方針転換か」と題する一文を掲載しているので、参考までに紹介しておきたいと思います。

 この7月、ここのところ教育政策に様々なメスを入れている中国政府が、「双減政策」を発表したと氏はこのコラムの冒頭で触れています。「双減」とは「宿題を減らす」と「学習塾通い負担を減らす」の二つの「減」のこと。宿題は小学校3~6年で1日60分以内、中学生で90分以内と規制され、学習塾にも全て非営利化が求められたということです。

 広く知られた科挙に代表されるように、中国は伝統的に厳しい選抜試験を勝ち抜いたエリートに資源を集中するという「勝者総取り」方式を採ってきた。しかし、中国共産党は教育資源の偏在が清朝滅亡の原因と考え、建国後は国民に平等な教育機会を提供し、国民全体の知的パフォーマンスを向上させることをめざしてきたと氏は言います。

 そうしたところ、今度は文化資本を独占する知識層への行き過ぎた警戒心が「文化大革命」という反知性主義をもたらし、教育制度が破綻した。その反省を踏まえて教育制度は再建されたのだが、それがまた行き過ぎて、受験に勝ち抜けばエリートになれるという「科挙マインド」が復活して子どもたちが苦しむことになったということです。

 そこで、今回の「双減」が打ち出された。振り返れば、まことに振れ幅の広い国であることはまちがいないというのが氏の見解です。ただ、(私には)今回の中国の方針転換は2027年から始まる人口激減と超高齢化を見越したもののように見えると、内田氏はこのコラムに綴っています。

 国民たちを、「勝者が総取りし、敗者は無一物」という苛烈な競争にさらせば経済は急成長するという時期は既に終わった。これからは、全員に等しく資源を分配し、全員がその個性的な資質才能を生かして多様な職域で活動できるという「協働方式」にシフトすることが、国家としてのパフォーマンスの向上に繋がると見たのではないかということです。

 その背景には、指導部の中に「そうしないともう経済が持たない」という感覚があるのだろうと内田氏は考えています。「勝者総取り」が可能なのは、敗者がいくらでも補充できるという前提がある場合に限られる。人口減でそれが許されなくなれば人間の無駄遣いはもうできず、国力を維持するためには国民一人一人のパフォーマンスを底上げするしか手がないというのが氏の指摘するところです。

 国家や体制を支える人材の育成についても、(経済政策同様)これまでの市場(放任)主義から、国家の統制下でのもう少し丁寧な手法に変えていこうということでしょうか。そういう意味で言えば、政策の振れ幅が大きく不安定に見える中国も、その実意外にしたたかに、状況に応じた対策を機敏に打っているもしれません。

 そうした視点を踏まえ、もしこの教育改革が「人間を使い捨てにする政治から人間を育てる政治」へのシフトを意味するのだとしたら、中国国民にとっては幸いだと思うと結ぶこの論考における内田氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。


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