スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

名古屋城の石垣 1

2013-01-24 00:05:40 | 日記
名古屋城の普請(石垣・堀などの土木工事)は豊臣恩顧の西国20大名が動員された。

調べたところ、動員された豊臣恩顧の西国20大名は…

黒田長政  筑前福岡 52,3千石
細川忠興  豊前 39,9
田中忠政  豊後 32,5
毛利高政  豊後佐伯 2,0
竹中重利  豊後高田 2,0
稲葉曲通  豊後杵臼 5,0
木下延敏  豊後日出 3,0
鍋島勝茂  肥前 35,7
寺島広高  肥前 12,0
加藤清正  肥後熊本 52,0
加藤嘉明  伊予 20,0
蜂須賀至鎮 阿波 18,6
山内忠義  土佐高知 20,3
生駒正敏  讃岐 17,1
毛利秀就  長門周防 36,9
前田利常  加賀能登越中 119,2
金森可重  飛騨高山 3,8
池田輝政  播磨姫路 52,0
福島正則  安芸備後 49,8
浅野幸長  紀伊 37,6

そして、それぞれの所領の石高に応じて普請場を割り当てられた。


(名古屋城公式サイトより)

複雑に入り組んだ丁場割により、競い合い工事を早く進めるようにした。また、大名間の争いを助長し喧嘩両成敗で減知国替の口実にしようとした狙いも有り。


天下普請(手伝い普請)、言葉の聞こえは良いが、命した徳川家康からは一銭も資金援助はなーし 要はタダ働きですな。 資材、人夫の確保、手間賃、その他諸々が動員された大名の自腹になる。

ちなみに豊臣包囲網として天下普請で築城したのが12城あり、度重なる天下普請に豊臣恩顧の大名たちは苦しめられたそうです。

その中で愚痴った福島正則曰く

「息子の城まで建てさせられるのはしんどいわ。なんとかならんのか?」

それを聞いた加藤清正曰く

「それなら、さっさと戦の準備をしたらどうじゃ?」

…というような逸話が残っているようです。



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