スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

京都伏見 寺田屋 その2

2011-05-04 12:55:22 | 日記
↑坂本龍馬が愛用された梅ノ間です。襲撃を受けた時も梅ノ間に居たそうです。

慶応2年(1866年)1月に伏見奉行所の捕り方に寺田屋が急襲されました。風呂に入っていたお龍は異変に気づき、素っ裸に近い状態で階段を駆け上がり、梅ノ間に居た長州藩士三吉慎蔵と龍馬に危険を知らせました。襲撃した多数の捕り方に三吉は槍で防戦、龍馬は所持していた拳銃で防戦するも、手を負傷してしまいました。辛くも三吉と龍馬は裏手から逃走し、龍馬は小屋に隠れ、三吉は薩摩藩邸に駆け込み救援を求めました。



↑お龍さんが入ったとされる風呂



↑素っ裸に近い状態で駆け上がった階段

ところで、違う視点からの裸のお龍さんを色々と妄想してしまいませんかぁ~? な~んてねぇ~。
(^。^;)

この他に柱に刀痕が残っているものがあったり……。

……実のところ、登記からすると寺田屋は明治時代に再建された建物らしいです。まぁでも歴史を感じられる建物なんで、そんな事はどっちでもいいですよね。



↑出口を出た庭には坂本龍馬の銅像があります。



↑寺田屋の入場券

寺田屋は予約制で宿泊も出来るらしいです。


■寺田屋
京都市伏見区南浜町
最寄り駅○近鉄桃山御陵前駅より850m、京阪中書島駅より400m
営業時間○10:00~16:00

京都伏見 寺田屋 その1

2011-05-04 09:57:24 | 日記


以前からず~っと気になっていた寺田屋にやっと来れました。この日は平日とあって「観光客がまだ少ない方。祝日等はもっと観光客が多いよ~」と警備員のおじさんが教えてくれました。それもそうです。2010年の大河ドラマは“龍馬伝”ですから、観光客が多い筈ですよね~。

寺田屋は、薩摩藩御用達の船宿で大変繁盛したそうです。

文久2年(1862年)4月に寺田屋騒動が起こりました。倒幕の為の挙兵を計画し、薩摩藩急進派と他藩志士の尊王派が寺田屋に集まりました。これを知った薩摩藩主の父島津久光は、寺田屋に鎮撫使を差し向けましたが、志士達は久光公の命令を拒み、同士相討つ激しい斬り合いとなりました。その事により9名の志士が命を落としました。



↑寺田屋は中に入る事が出来ます。中から撮った寺田屋の看板。





寺田屋の内部は部屋が六つぐらいあり、女将さんであるお登勢さんや龍馬さん等に関するものが展示されていました。

京都伏見 濠川と寺田屋浜

2011-05-04 09:54:51 | 日記
2010年11月2日(火)、この日は有休を取り、午前中に会社の健康診断を済ませて、その後に京都伏見の中書島に行ってきました。今回はおひとり様ではなく会社の同僚と一緒です。

↑宇治川派流の濠川です。京都市自然100選に指定、伏見濠川の柳並木になります。屋形船が浮かび、趣きある風景を眺めていると、妄想族な私は一気に頭の中が幕末の世になってしまいました…。



↑十石舟のりば。料金は大人1000円、小学生以下500円です。十石舟は米や酒などを運ぶのに使われていました。現在は遊覧船として運航されています。後で乗るつもりでしたが、結局は時間がなくて断念しました(泣)。





↑寺田屋浜です。寺田屋の前にあります。寺田屋は船着場を持つ大きな船宿でした。伏見は京都と大阪を船で結ぶ港町として栄ました。景色を眺めていると、龍馬が舟から降り寺田屋に向かう所を妄想してしまいました…。