175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

テリヤキバーガーの作り方

2005年01月09日 | Weblog
テリヤキバーガーなんていうとちょっと手の込んだイヤラシイ料理のように聞こえるが、作り方はかなり簡単だ。

まず、最寄りのマクドナルドへ向かう。そしてすかさず、店内に入る。
店内に入ったら、真っ先にレジに並ぶ。
レジが混んでいる場合は、比較的すいている列に並ぶ。
大体、はじっこの列が、「えっ、なんでみんなこの列に並ばないの?!」とビックリするくらい、すいている(ことがある)。

自分の順番が来たら、間髪入れずに、「店内です!テリヤキバーガーです!」と叫ぶ。
店員にはしゃべらせない。これが、手早くテリヤキバーガーを作る秘訣。
声を大にして叫ぶことで、店員さんを圧倒する。注文を復唱させない。
初心者にありがちなのが、店内で食べるのかテイクアウトなのかを言わずに「テリヤキバーガーです!」と叫んでしまうパターン。
熱意は伝わってくるが、これでは主導権をアルバイト店員に握られてしまう。
「店内ですか?お持ち帰りですか?テリヤキバーガーですか?」と、営業スマイルであなたに尋ねてくるアルバイト店員の頭の中では、「明日のテストどうしよ~☆」と、高校生にありがちな、メランコリックな悩み事が渦を巻いているはずだ。
こうなってしまうと、「帰って勉強しなさい」と、ダンディにつぶやいてあげないわけにはいかないだろう。
大幅な時間のロス。
先手を打って店内かテイクアウトかを告げることの大切さが、ご理解いただけたことと思う。

さて、無事にテリヤキバーガーを購入し、トレーを持って座席に着いたあなたがまず最初にしなければならないこと。それは、「手洗い」である。
別に、用を足しなさいと言っているのではない。純粋に、石鹸で手を洗ってください。
そして席に戻ったら、テリヤキバーガーの包みをおもむろに開けて、パクッと食っ・・・ちゃいけないっ!何しに来たと思ってんだ!

まずは、上下のパン、あれを取り外してください。
次に、レタスをテリヤキハンバーグから剥がす。その際、レタスに付着したソースを、洗面所で洗い流すことをお忘れなく。
さて、これで下ごしらえは完了です。
あとは、パンとパンの間に、瑞々しいレタスとテリヤキハンバーグをはさみ込めば、テリヤキバーガーの出来上がり。
お粗末様でした。

いま、卒論を書いてます

2005年01月06日 | Weblog
タイトルは、映画『いま、会いにゆきます』に掛けてみましたが、ぜんぜん掛かってないし、その映画自体、全く興味がありません。
卒論の書きすぎでテンションがおかしくなっているわけです。

何を隠そう、卒論提出日まであと6日。ってことはあと5日で仕上げなきゃなんねぇのかよ!やべぇよ!なんて思いながら、ふと気が付いたことがある。
僕が書いているのは、卒業論文ではなく、卒業レポートだ。

文学部人文社会学科人間科学専攻という、「え?で、結局何を勉強する専攻なの?」と聞かれても誰も答えられないような僕の所属専攻では、いちおう、
・ゼミ生は、40000字の卒業論文を出す
・ゼミに所属していない僕は、10000字の卒業レポートを出す
ことになっている。

ただ、去年、聴講生として、今はなきゼミ(先生が研究休暇か何かで海外にイッチャッテル)で中途半端に勉強をしていた僕は、「自分、どうせならちゃんと書きたいんで。不器用ですから」と、高倉健よろしく硬派につぶやいて、誰にも求められてないのに、40000字のレポートを書こうとしている。
自己満足というのもあるが、今のうちに何かひとつの現象なり何なりをしっかり勉強しておくことによって、それが将来的に役に立ったり、使えたりするのではないかという下心もある。

いずれにしても、
「どうにかこうにか26000字までたどり着いたけど、40000字はちょっときついな。30000~35000字がいいところだよ。自分、ゼミ入ってたら卒業できてませんでした。まあでも、10000字でいいのに30000字も書いちゃうのは、ある意味キチガイじみてるよな。気狂いピエロだよ。いや、着ぐるみパンダだよ。」
というようなことを自分に言い聞かせて、40000字はあきらめ始めました。

ところが、字数なんかはいくらでも妥協できるが、内容には妥協できない。(不器用ですから)
書きたいことを、ちゃんと調べて、最低限納得できるレベルで一通り書き終わるには、ギリギリか、ちょっと時間が足りない。
だからこそこうして焦っているわけであるが、
まあでも、一日に書き進められる分量、頭がちゃんと回転してくれる時間というのは、個人の能力に応じて大体決まっていて、だから本当はもう、焦ってもしゃーないわけです。

ちなみに、何について書いているかというと、「ウソ」について書いている。
我ながらなかなかファンキーだと思う、出だしの部分を初公開。


基本的に我々は、人を信じながら生活している。
自分が母親の腹の中から生まれたことを覚えているわけでもないのに、自称・母親を自分の母親だと思っている。あるいは、街中で老人を見かけたとき、「若者が老人の扮装をしているのでは?」とは思わないし、路上を歩いていて、赤の他人がすれ違いざまに襲い掛かってくる、なんていうことも、通常は考えない。

ファンキーというより、もはや悪ふざけの領域である。

細木数子、別に面白くないぞ?!

2005年01月03日 | Weblog
今さら細木数子に言及するのも気恥ずかしいのだが、今日、あのオバサンが出ているテレビ番組を初めてちゃんと見て、思った。
占いが当たってるのかどうかとか、予言が当たるのかどうかとか、そういうどうでもいいこと以前に、言ってることがぜんぜん面白くないぞ?!

いや、占い師なんだから面白い必要は全くもってない。
でも、占い以外の部分でもテレビに映るなら、言ってることがぜんぜん面白くない、というのは致命的である。

当初は、どんな芸能人に対しても、面と向かって、物怖じせずにズケズケと物を言う、そんなキャラクターがウケたというのは理解できる。
しかし今では、彼女の力が強大になりすぎていて、何を言われても、誰も逆らえなくなっている。(例外を除いて。)
大半のタレントが、彼女の機嫌を損ねないように、そして「心の広い自分」を視聴者に印象づけるために、厳しいことを言われても、素直にそれを受け入れたり、ヨン様みたいな穏やかな笑みをたたえて、ひたすら頷いたりしている。

確かに、中途半端なタレントが、中途半端な覚悟で細木に逆らえば、大変なことになる。
細木は絶対に自分からは折れない。そもそもが占いは世間一般の論理ではないから、「論」拠がない。「アンタは地獄に落ちる!」みたいなことを言われてしまえば終わりである。
変に食い下がって、生意気、往生際が悪い、みたいなイメージを視聴者に与えてしまえば、好感度はダウン。
いいこと、ひとつもなし。

しかし、そうなってくると、もはや一方的なお説教になってしまって、全く面白味がないのである。
そもそもが細木の持論には、至極当たり前のことをさもありがたいお話のように振りかざす、「校長先生のお話」的なつまらなさがある。
本当のことというのは、言葉でそれを言うと、大抵、面白くない。
「スキンヘッドは光るんですよ」
「みかんはオレンジ色なんです」
そんなことを言われても、面白くもなんともない。
もっとも、そんなことを細木数子が言ったわけではない。

仮に占い師としての能力に優れていたとしても、それ以前に彼女はオバサンなのであって、調子に乗ったババアほどタチの悪いものはない。
校長先生のつまらないお話を聞きながら要所要所で一斉に笑うPTAのお母さんたちは、校長先生をダメにする。
そろそろ細木数子を止めた方が良いのではないか。
今回、超大物俳優・渡哲也がゲストとして投入された陰には、スタッフのそんな意図もあったのではないか。
(渡哲也は終始、細木数子の言うことを否定し続けた。細木の顔は青筋を立てながら、ヒクヒクと痙攣しているように見えた。渡哲也が二枚目の超大物俳優でなければ、細木はわめき散らしていたに違いない。)

それにしても、占いだとか占い師だとかがもてはやされる時代というのは、それだけ迷子が多いということである。
新年あけましておめでとうございました。