175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

舞台裏の人間ドラマ

2004年12月27日 | Weblog
警備のバイトでテレビ番組の収録スタジオに派遣された。
高価な絵画を警備させられたのだが、危うく、警備員のコスプレをしている僕の映像が、僕たち私たちの家のお茶の間に流れるところだった。

番組の内容は、芸能人たちがホンモノとニセモノを見分けてKAKUDUKEされる、みたいな内容のバラエティで、そこに2億円の絵画が登場するというので、収録前、収録中、収録後、絵画に万が一のことが起きぬよう、警備員六名が配置された。
で、準備中に絵の前で立っていたら、ADっぽい人が、「じゃあ警備員さん、本番中この絵(ホンモノ)の横に立っていて下さい」と言ってきた。
「え?僕がですか?」と確認したのだが、やはりそういうことらしい。

もうひとつのニセモノの絵の方に立つよう言われた警備員は、テレビに映るのが相当嬉しかったらしく、あきらかに取り乱していた。
そんな彼を見て、僕は妙にげんなりしてしまった。

聞けばその人は、劇団か何かに所属している役者らしく、よくよく思い起こしてみれば、しきりに「ホントはおれ映る側なんだよなあ」とつぶやいていた(が、なんとなくウザかったので僕は流していた。ゴメンナサイ)。
役者としてではなく、制服を着た警備員として念願のテレビデビューを果たしてしまった彼の運命は皮肉としか言いようがない。
だのに喜んでるってことは、きっとそういうこと(そこ止まり)なんだろうと思わざるをえない。
そもそもが、役者の仕事はテレビに映ることがその目的ではないはずだ。

僕は正直、テレビに映ることに関しては消極的だったというか、ぶっちゃけ、どっちでもよかった。
確かに、何人もの芸能人を間近で見られるし、テレビにも映れる。
こんな機会は滅多にあるものではないし、友達に話せば間違いなくネタになる。
しかし!
制服の着こなし方が悪かった場合、間違いなく会社の偉い人に叱られる。そのとき僕は、無精ヒゲが生えかけていたし、ネクタイも曲がっていた。
いや、そんなどうでもいいことよりはむしろ、「こんな不本意な制服、情けない格好、ご丁寧に名札まで付けて、わざわざテレビに間抜け面をさらしたくない!」という、卑しい心理が働いた。
まあ、それも含めてネタにはなるが、おいしいのかイタイだけなのか、実に微妙なラインである。

そんなとき、救世主が現れた。
もうひとり、ちょっと出たがっている警備員がいたのである。
ただ、先方さんと一応、「僕が出る」という口約束があったため、なんとなくお茶を濁しながら、僕は、流れを見て判断することにした。

そしてとうとう、絵の出番になり、どうしたものかとあたりを見渡すと、その、ちょっと出たがっていた警備員は、すでに、ものすごく強引に、絵のそばに張り付いるではないか!
パ、パワープレイ…。
引いた。僕は、ものすごく引いた。
アンタ、必死やないか、そこまでして出たかったんかい、と。
彼の情熱は本物だったのだ。もはや僕のごとき冷笑的な人間が出る幕ではない。
先方さんとの口約束、そんなもの、どうだっていいじゃない。要は警備員がひとり、絵にくっついていればいいだけの話じゃない。

こうして、僕がその格付け番組に警備員として映ってしまうという奇跡的ハプニングは、奇跡的に避けられた。
まあどうせ映ってるっつったって、ほんの何秒かでしょ、と思いきや、芸能人がいなくなった後のスタジオで、絵と警備員だけのカットとかも撮ってたから、きっと、そこそこ映ってると思われる。
ので、こうやって舞台裏のドラマを知ったからには、ぜひとも彼らの晴れ姿を見てみようではないか、という好奇心旺盛の方は、1月3日に放送されるらしいこの番組を、チェックしてみてはいかがだろうか。

最後に。
僕とて、人並みにテレビに映りたい気持ちを持っていないわけではない。
ただ少しだけ、恥ずかしかっただけなのかもしれない。
しかし、その恥ずかしいと思う気持ち、ウンコのような精神の持ち主である己を、みすみす公衆の面前に晒すことへの迷い、それを忘れたとき人は、リポーターの後ろでピースしてはしゃぐ猿の姿に成り果てるのではないだろうか、と少し思ったし、
やはりADというのは本当に大変そうだなあ、本当に大丈夫なのかなあボク、あれっ、そういえば今日、家のカギちゃんと閉めて来たっけ?!と、迷子のお巡りさんのように不安な気持ちになった一日でもありました。


※このドラマはフィクションということにしておいてもらった方が僕的には無難です。

私のバーチャル戦争体験

2004年12月23日 | Weblog
戦争映画における戦闘シーンとかを見ていつも思うのは、
「オレ、ほんと戦時中に生まれなくてよかった」ということである。
不謹慎なコメントかもしれませんが。

百歩譲って、強制的に入隊させられたり、竹やり持ってエイヤーッ!(※)みたいな訓練をやらされたりは、(苦痛以外の何物でもないだろうけど)なんとか我慢はできそう。
ただ、間違っても、戦場にだけは行きたくない。
戦場でメリークリスマスなんて言いたくない。
戦場に出たら、駒ですから。

飛んでくる砲弾とか、敵の銃弾とか、地雷とかで吹き飛ばされるヤツが、必ず何分の何かの確率でいて、しかもそれに当たるか当たらないかがあまりにも恣意的なところが、興醒めである。
で、死にかけてる戦友のそばで「衛生兵!衛生兵!」って叫ぶやつがいるんだけど、よく見たら衛生兵もヤラレチャッテル!みたいなパターンが、戦争映画ではありがちだ。

話が逸れました。
いずれにしても、そんな切羽詰った修羅場に送り込まれた日には、ですよ。
こっそり安全な場所に逃げ出せるものなら、ぜひとも脱走したい衝動に駆られるだろう。
逆に、敵に完全に包囲されて逃げ場を失ったときとかは、素で青ざめると思うし、ちびると思う。ちびるっっていうか、完全に出ちゃってると思う。

一発芸やるから許してください!とか、間違いなく通用しない。
一発芸やらされた後にズドン!とかは、ホント最悪だ。
その晩、僕を撃ち殺した敵の兵士たちは、「HAHAHA!」なんつってウイスキーを飲み、ハッパを吸ってラリっているに違いないし、そんなアメリカンなやつらも、次の日には食中毒か何かで全滅しているに違いない。

加えて、僕はビビリであるから、戦力にならないばかりか、勝手にテンパって、投げ損ねた手榴弾か何かで自爆しそうな気がする。
本来なら相当滑稽な行為だが、戦争時、誰も笑ってはくれないだろう。
その、余裕のない状況、余裕なんて持てない状況がイヤです。
それだけでも、現代の日本に生まれてよかったと思える。

極めつけは、無駄死にしたとして、それが「名誉の戦死」みたいな感じで、故郷で祭り上げられたりすること。
「いや、自分、運が悪かっただけです!」とか「毒キノコ食べて死んじゃったんです!」とか、声を大にして言いたい。
言いたいけど、遺族の立場を考えたら言えないだろうし、そもそもが死んじゃってるから何も言えない。

前回のブログでテキトーに日本を憂いてみましたが、戦争始まっちゃったらそれこそ憂いてるヒマもないわけで、
だからまあ、テキトーに憂いていられるくらいの中途半端さが、丁度よいのではないだろうか。

で、中途半端なくらいが丁度よいのではないだろうか、なんつって、あ~、ナベツネうぜぇ、とか、ブッシュうぜぇ、とか、ジョンイルぶっ殺してぇ、なんて冗談まじりにボヤいているうちに、だんだんとリアルな憎しみがわいてきちゃって、気付いた時には戦争がおっ始まっちゃってるのではないだろうか。

うーん、オチがイマイチ。


※「竹やり持ってエイヤーッ!」:これは、僕が2年時に履修していた大学の講義「コミュニティ心理学」において、先生が、ベトコンを形容する際に用いた言葉である。ちなみに、竹やりで相手を突き刺す感じの振り付きだった。余談だが、そのアクションがあまりにも唐突だったため、当時一緒に講義を受けていた僕と僕の友人は、授業中にも関わらず、失笑を禁じえなかった。

テキトーな気持ちで日本の将来を憂いてみる

2004年12月18日 | Weblog
マックにて。
ものすごく太っている男性が、ひとり、ハンバーガーを貪り食っていた。
僕は思わず、「実験中ですか?」と、つっこんだ。(心の中で)

話題の映画『スーパーサイズ・ミー』は、「ハンバーガー食いまくったらどうなるんだろう?」と思い立ったアメリカ人映画監督が、自ら1ヶ月間、1日3食マクドナルドを食べることによって成立させてしまったドキュメンタリーであるらしい。

「であるらしい」というのは、映画がまだ日本で公開されていないからなのだが、
けっこう前から雑誌とかでは頻繁に取り上げられていたし、内容も大体わかっちゃってる。
わかっちゃってるからこそ、マックで太っている男性がバーガーをむさぼっている様を見て、『スーパーサイズ・ミー』を連想してしまったわけだが、

それにしても、マイケル・ムーアしかり、『スーパーサイズ・ミー』の監督モーガン・スパーロックしかり、アメリカにはブッ飛んだドキュメンタリスト(?)がいるものである。
ただブッ飛んでるだけじゃなく、しっかりとユーモアをおさえているところが憎い。
かと言って、テーマ自体は深刻そのもの。
政治の危機、食の危機、魔法使いのキキ。
もしかしたらアメリカ内部は、もはや笑わずにはいられないくらいに、深刻で危機的な状況なのかもしれない。

一方で、日本。
現時点においては少なくとも、まだ大丈夫そう。
総理大臣は相変わらず、薄笑いを浮かべながら、時に真顔で、呪文のような言葉をつぶやいている。
目の下のくまがヤバイ時なんかは、この人もウラで相当苦労してるんだろうなあと思うが、
まあでも、のらりくらりと世論をかわす余裕があるうちは、まだ大丈夫でしょう。

で、大丈夫でしょう、エヘヘ、僕たちの総理大臣、なかなか面白いね、オリックス・バッファローズって、変な名前だね、なんつってヘラヘラしているうちに、気付いたら、日本も、怒りと絶望とで笑わずにはいられないくらいに、深刻で危機的な状況になっているのではないだろうか。

sadistic to you~中年のサラリーマン~

2004年12月16日 | Weblog
満員電車に乗っていて、新宿とか渋谷とか、みんなが一斉に降りる駅に着いたとき、ドア付近で、必死に車内に踏みとどまろうとしてるヤツがいて、しかもそいつが、降りる人の進路をふさいでいたとする。
大体そういうのは、中年のサラリーマン。
それを傍観してる限りにおいては、「一回降りてまた乗ればええがな」と思うにとどまるが、
自分も降りようとしてて、そいつが目の前で邪魔になっていたりすると、妙にサディスティックな気持ちが芽生えてきて、ムリヤリそいつを押しのけて、あるいは車外に押し出してやりたい衝動に駆られることがあります。

ただ、たまに、全く邪魔になってないポジションの人に対しても必要以上にぶつかっていく人を見ると、なんだかなあ、と思う。
で、そういうのも大体、中年のサラリーマン。

痴漢でつかまるのも大体、中年のサラリーマン。
会社でウザがられてそうなのも大体、中年のサラリーマン。
満員電車の乗客の50%が、中年のサラリーマン。
かどうかは分からない。

『私の個人主義』

2004年12月10日 | Weblog
『私の個人主義』という本を読んだ。キテる。夏目漱石、まじキテる。(←ボキャブラリーが貧弱で申し訳ない)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061582712/249-3482952-9421159

この本は、夏目漱石の5つの講演が文章化されたものなのだが、明治・大正時代の講演とは思えないくらいの強度とバランス感覚、普遍性を持った考え方が、ハイセンスユーモアを交えつつ述べられている。
なんていうことを書くと小難しい本のように思われるかもしれないが、要は、安くて面白いから時間つぶしにオススメだ、ということが言いたい。

「私の個人主義」
当時の日本においては、今よりもずっと「個人主義」というものが理解されにくかったからこそ、わざわざ頭に「私の」という言葉を付けたのではないかと思われるが、
今の日本においても、「個人主義」というものが正しく理解され、正当な支持を得ているとは思えない。
依然として、わがまま、身勝手、みたいな偏ったイメージが個人主義だと思われていて、それに対して一方的に、過剰な批判・バッシングがなされる。

漱石氏は、自分の自由を尊重すると同時に、他人の自由も尊重する、というのが本来の個人主義である、と述べている。
当たり前といえば当たり前のことなのだが、当たり前のことが当たり前でないのが、マゾ大国・日本。

過剰なバッシングとか批判っていうのは、えてしてひがみであることが多い。
つまり、「自分はこんなに頑張ってるのに」とか、「自分はこんなに我慢してるのに」みたいなストレスを、そういった束縛の外にいる人間に、一方的にぶつけるわけである。
そんなに頑張るのがイヤなら、我慢するのがイヤなら、いっそのこと自分も束縛の外に出てしまえばいいのに、それはできない、コワイ、不安だ、というチキンハーツが徒党を組んで、マイノリティに対しバッシングや批判といった行動を取ることが多い。

仮に「個人主義」的な人間が、わがまま、身勝手であったとして、
だからと言ってそれを、親の仇みたいなテンションで叩く人間というのは、他人の自由にも、自分の自由にも無関心な人間、ということになってしまう。
これをマゾと言わずして、なんと表現すればいいのだろうか。
(もちろん、わがまま、身勝手であるにも関わらず、他人に対しては自分への配慮を求める人間は、問題外だが。)

ちなみに、小説では『血みどろ坊ちゃん』と『我輩の下半身は猫である』くらいしか読んだ記憶がない僕ですが、この本を読む限り、率直に「夏目漱石、すげぇ」と思いました。

大長編~酒に呑まれた男の話~

2004年12月08日 | Weblog
誰もが1度や2度は、酒に呑まれたことがあるに違いない。
私も、幾度となく酒に呑まれてきた。
ところで、一般に「酒に呑まれる」というと、寝ちゃったり、つぶれちゃったり、吐いちゃったり、暴れちゃったりして、周囲の人間に迷惑をかける、というパターンが主流である。
そして、呑まれ方、呑まれる頻度こそ人によって違えど、当然のことながらそこには、目撃者、事件の証人たちがいる。

しかし!
世の中には、誰もいないところでひっそりと、なおかつドラマチックに呑まれちゃう、というアンハッピーな、誰にも報われない呑まれ方があることを皆さんはご存知だろうか。


★エピソード1 ホモ拉致事件の記憶★

大学に入ってすぐ、あれはテニサーか何かの新歓コンパだった。
いくら飲んでもタダ、ということでテンションが上がりきっていた私は、ひたすらに飲んだ。
そして楽しく、気分よく帰路についた。
いつのまにか私は、乗り継ぎ駅である池袋駅西口の植え込みあたりで、ひとり、座り込んでいた。
おそらくは、気分が悪くなったため、風に当たって休もうとしたに違いない。

しばらくしてオジサンが、「おい、車で送ってやるよ」と声をかけてきた。
子供の頃、「知らないオジサンに声を掛けられても付いて行っちゃダメよ」と散々言われながら、一体全体どこにそんな阿呆がいるものかと思っていた。
しかし、事実いたのである。

私は、オジサンが赤の他人であることなど全く意識せず、タクシーでもないのに自分を家まで運んでくれるという善良な人間の登場に、「まじラッキー」と思った。
そして、ホイホイと付いて行った。
ちなみにオジサンの車は、軽トラックだった。

何のためらいもなく助手席へ乗り込み、オジサンに住所を告げた。
そして、寝かけた。
寝かけたけど、「アレ?なんかおかしくないか?」ということに、遅ればせながら気付いた。
隣りを見れば、相当気色の悪い、熊のようなオジサンが車を運転している。
「コイツは誰だ?」
ちょっとしたパニックに陥りながらも、酔いは覚めず、まあ家まで送ってくれるならいいや、と呑気なことを考えながら、テキトーにオジサンの話し相手をつとめる。

しばらくして、オジサンが、ハンドルを握っていない方の手で私の太もものあたりに手を伸ばしてきた。
その日は短パンを履いていた。
しかし、そんなことをされても、意味がわからないだけだった。
たとえシラフの人間であっても、まさか自分がホモに拉致されているなんていう事実をすんなりと受け入れられるはずがない。

オジサンは次第に、私の太ももを、さすり始めた。
その段になってようやく、私は全ての事態を把握した。
「こいつ…、こいつホモや!」
なんで関西弁なのか?という疑問、それは、プロゴルファー猿がなんで関西弁なのか?という疑問と同じくらい、無意味である。

全身から冷汗が出てきた、なんてもんじゃない。
今まで経験したことのない種類の恐怖に、心底ゾッとした。
抵抗すればできないことはなかったが、しかし、車はけっこうなスピードで走っている。
相手の精神状態もわからない段階で下手に抵抗して、車ごと事故られては元も子もない。
この判断、酔っ払いにしては相当クレバーだが、それほどまでに私が追い込まれていたということである。

結局、逃げ出すチャンスがないままに、私はマグロ状態で太ももを触られ続けた。
相手を油断させるために、トークの面でも相手に合わせ続けた結果、私はオジサンの自宅の前まで連れて行かれた。
いや、きっと最初っからオジサンはそうするつもりだったに違いない。

私のマグロっぷりにだまされてすっかり油断しきっていたオジサンは、ガレージのシャッターを開けるため、私を置いて車の外に出た。
「このチャンスを逃したら、おれの人生は終わる!」
そう思った私は、バッグを引き寄せ、即座に助手席のドアを開けた。
そして、わき目もふらずに、星空の下を駆け抜けた。

星空の下を駆け抜けた、なんて言うとやたらロマンチックだが、実際には、ケツを掘られないために駆け抜けたわけである。
もちろん後ろは振り返らなかった。
私にとっては死ぬか生きるかの戦いであり、その時の走りは、全盛期のカール・ルイスを彷彿させた(に違いない)。
とにかく、無我夢中で走った。運良くコンビニを発見した私は、藁にもすがる思いで駆け込んだ。

そして息を切らせながら、「タクシー、呼べますか?」と店員に聞いた。
「呼べません」
…愕然とした。ホモ野郎がすぐそこまで迫っているかもしれないというのに、タクシーがつかまらないという。パニックパニックである。

しかし冷静になって外を見るとそこは大通りで、普通にタクシーが走っていた。
安堵した。
コンビニの店員は相当いぶかしげに私を見ていたに違いないが、そんなことはホモのオジサンに掘られることと比べれば鼻くそみたいなものである。

無事タクシーに乗り込み、現在地を運転手のオジサンに聞いた。
池袋から、自宅方面に近づいていた。
ラッキーだった・・・かどうかはわからない。

このタクシーの運ちゃんもホモだった!なんていうオチはない。
が、帰宅後、落ち着いてその日の出来事をひとつひとつ振り返ったとき、私は衝撃的な、そして取り返しのつかない事実を思い出してしまった。
オジサンに住所を告げるとき、メモ帳に、住所を、書かされていたのである!
以来しばらく、住んでいるマンション付近で軽トラックを見つける度に、私は怯えた。

この事件は、男だからといって決して油断はできない、ということを私に教えてくれた。
そして、ありがたくないことに、私がホモ野郎に好かれる種類の人間である、ということも。


★エピソード2 トイレに一泊★

これも大学1年の時の話。
友達と、いつものように楽しく飲んでいた。
そこまで大量に飲んだ覚えはないし、はた目にも、ひどく酔っ払ったりはしていなかったという。
しかし、どういうわけか私は、帰り道、みんなとはぐれてどこかへ行ってしまったらしい。

出発する電車の中から、ホームを歩いている私を見た、という目撃情報もあり、みんなと一緒に駅の改札に入ってホームまで降りた、ということは確実のようなのだが、
何を思ってみんなとはぐれたのか、それはいまだもって謎である。

その後の記憶は断片的であるが、
とりあえず、駅周辺の商店街をフラフラと彷徨って、転んで、倒れて、寝ちゃってた。
オマワリさんか誰かに起こされて、なぜか逃げた。ダッシュで。
その後、駅の外周にあるトイレの個室に入って、しこたま吐いた。
ここまでは、なんとか覚えていたのだが。

次に私が意識を取り戻したときは、すでに朝だった。
私はなぜか、そのトイレの入口で、寝ていた。
ご丁寧にも、着ていたナイロンパーカーを自分に掛けて寝ていた。
外は雨が降っていたが、そんなことよりも問題は、カバンがない!ということであった。

ヨロヨロと立ち上がり、とりあえずトイレで小用を足す。
ふと、背後の個室を覗いてみた。
悪夢のような光景が、私の目に飛び込んできた。

カバンとともに、その中に入っていた私の持ち物が、個室の中に散乱していたのである。
散乱していたのは私の持ち物ばかりではない。私のゲ○もまた、飛び散っていた。
当然、持ち物は、ゲ○まみれになっていた。
例えば中国語の教科書。
それは強烈なニオイを放っていた。帰宅後、香水をかけまくったが、無駄であった。
仕方なしに、それ以来私は、中国語の授業で、教科書のコピーを使う羽目になった。

そして、いつ落としたのかはわからないが、いくつかの持ち物が、なくなっていた。
ケータイの充電器、文庫本「ブリジット・ジョーンズの日記」、図書館で借りていたいかつい本、などである。
「ブリジット~」なんかは本当にどうでも良かったが、図書館で借りていた本は当然、弁償させられた。

ただ、自宅のカギと財布が、和式便器の脇10センチのあたりで生存していたのは、不幸中の幸いであった。
よくなくならなかったものである。よくぞ便器に落下しなかったものである。
しかし最大の発見にして最大の驚異は、トイレで一晩を過ごせてしまった、それもグッスリと眠れてしまった、私自身のプライドの垣根の低さである。
無意識ではあるが、はっきり言って、私のとった行為は、人間未満である。
犬猫サルでも、トイレでは寝ないだろう。

私は本当に落ち込んだ。
ホモ拉致事件同様、話のネタとして友達と笑ってはいたが、二度とこのような失態は犯すまい、と強く心に誓ったものである。


上に挙げた2つのエピソードは、今になって考えれば考えるほど、ありえない出来事である。
そして最近、自分の中に、これらの事件をなかったことにしようとしている自分がいることに、気が付いた。
しかし、忘れてはいけないのである。
それを忘れたら最後、私は、同じような過ちを再び犯すだろうし、事実、「二度とトイレで寝ない」と誓ったにも関わらず、私はその後、友人の家のトイレで寝かけたことがある。

そう。ここに挙げた特異なエピソード以外にも、私は幾度となく、酒に呑まれてきた。
高校時代のウイスキー逆噴射事件に始まり、大学では所属していたサークルのパーティーで好き勝手に暴れ、またある時は、友人宅で阿呆のように騒ぎ。
駅のホームでピュークした回数も、1回や2回ではない。

なんだか書いているうちに、非常に沈鬱な心持ちになってきたが、
飲んでいる回数を考えれば、呑まれる確率はわりかし低いので、そして基本的には平静を保って飲めるので、悪しからず。
とりわけここ1年は、事件らしい事件も起きていない。

でも、だからこそ、そろそろ何かが起きるのではないか。
そんな思いから、自分を戒める意味で、このブログを書いた。社会人になってから、酒に呑まれることがないように。カッコいい大人になるために。

ここまでこの長い長い私的な文章を読んでくれちゃったアナタは、相当の物好き、もしくは酒好きである。
そんなアナタに私が言えることといえば、ただひとつ。「時間を大切に!」

ご精読、ありがとうございました。

ラモーンズ

2004年12月03日 | Weblog
久しぶりの更新は映画ネタ。

まずは『オールド・ボーイ』。
http://www.oldboy-movie.jp/
ある日いきなり拉致られて、15年間監禁された挙句解放されたリーマンが、誰が何のために自分をこんな目に遭わせたのか、ぜってぇ犯人見つけてブッ殺してやる!、みたいなテンションで奔走する映画。
ちょっと前に1回観て以来、なんだか妙に気になって、最近、また観てしまった。

脚本そのものも、十分に練られていて魅力的ではあるのだが、
細部、例えば登場人物のケータイの着メロであったり、ホテルやアパートの部屋の壁紙であったり、一見取るに足らないような小道具(ハサミ、ハンマーなどなど)が、ブッ飛んだストーリー展開や設定を補う形で、映画の中の世界観を支えていた。ような気がする。

ただ、そんなことよりも、
「俺は獣にも劣る人間だが、生きる権利はあるんじゃないか?」
という主人公のセリフが、個人的にはツボだった。
このセリフ、皆さんも機会があればぜひ使ってみてはいかがだろうか。

リストラされそうになった時、「俺は獣にも劣る人間だが、働く権利はあるんじゃないか?」
物乞いして拒否られそうになった時、「俺は獣にも劣る人間だが、食べる権利はあるんじゃないか?」
自転車窃盗でオマワリさんに捕まった時、「俺は獣にも劣る人間だが、自転車に乗る権利はあるんじゃないか?」
などなど、日常生活においても応用が可能です。


もう1本は、ドキュメンタリー映画『END OF CENTURY』。
http://www.miraclevoice.co.jp/ramones/
パンクロックバンド・ラモーンズの軌跡を追った作品。

客層は、映画ファンというよりはロックファン、ラモーンズファンが多かったような気がする。
客の数自体はそんなでもなかったが、
ピンク色の髪のおばちゃんとかいたし、あと、革ジャンのオジサンがやたら目についた。
だから、開場前のロビーは、ちょっと異様な雰囲気だった。
特別にラモーンズが好きなわけでもないミーハーなロックファンにとっては、あまり居心地の良い空間ではなかった。

が、映画が始まればそんなことは全く関係なく。
当時のラモーンズのライブ映像は、相当かっこよかった。

とりわけ、イギリスにおける空前絶後のパンクムーブメントのきっかけを作ったのが、アメリカで行き場を失っていたラモーンズだった、というお話に感銘を受けた。
いや、なんとなくは知っていたが、ラモーンズがイギリスに行ってなかったら、ザ・クラッシュもセックス・ピストルズも誕生してなかった、くらいのテンションで事が進んでいたとは。

(この映画を観るまで、○○・ラモーンの○○の部分は全く知らなかったが、)
ジョーイ・ラモーンの容貌のマッド・サイエンティストっぷり、ジョニー・ラモーンの容貌の日村(バナナマン)っぷりがこの映画の最大の見所。
個人的には、D.D.ラモーンに親近感を覚えました。
ロックファンなら楽しめるであろう1本。
エンドロール(とラモーンズの曲)が全て流れ終わるまで、誰ひとりとして席を立とうとしなかったのが印象的だった。