175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

175Rと130R(終)

2005年03月27日 | Weblog
一昨日あたりだったでしょうか。坊主頭が伸びてきたなあ、と思い、頭を刈りました。
バリカンを用いて、髪の毛を6ミリに刈りそろえました。
ところが今日、外出先で、友人と朗らかに談笑しながら自分の頭を触っているとき、あきらかに1本、刈り損ねた長い髪の毛が、私の後頭部に発見されました。
念のため友人に確認してもらうと、案の定、長い髪が1本、「アンテナみてぇ(笑)」に残っているとのことでした。

ああ、やっちまった、このような恥ずかしいヘアスタイルで渋谷なんていう物騒な街に来てしまった、これだから渋谷はキライだ、渋谷はまるで肉の海だ(byバックホーン)、というようなことを、病的に血走った目でブツブツとつぶやきながら帰宅し、ハサミを用いて長い毛を処理しました。

そこでやめておけばよかったのですが、「髪が残ってるってことは、その周辺の刈り込みが足りてないってことなんじゃないか?」という一抹の不安が頭をよぎり、さっそく、バリカンで(その周辺だけ)刈りなおすことにしました。
で、バリカンを頭に入れてびっくりしたのですが、髪の毛がバサバサッと落ちてきたんですね。
一昨日刈ったばかりなんだから、いくらなんでもそんなに刈れちゃうのはおかしいだろってことで、確認してみると、アタッチメント(バリカンの羽にかぶせて、残す髪の毛の長さを調節するカバーみたいなやつ)が、6ミリじゃなくて、最短の3ミリ(!)になってるじゃねぇか!

つまり、僕自身が、アタッチメントを取り付け間違えていたために、6ミリだった髪の毛からバッサリと3ミリ分、刈り取られてしまったわけです。
局所的に3ミリになってしまった頭髪のバランスを保つには、他の部分も3ミリに刈りそろえるしかありません。
坊主歴1年半の僕ですが、過去、3ミリには挑戦したことがありませんでした。
というのも、3ミリってどんなだろう、もはやスキンに近いんじゃなかろうか、とびくびくしながら、「あっ、じゃあ試しに一度」と、バリカンで眉毛を3ミリに刈ってみたところ、「いかん、これはいかん」ということがあきらかとなり、以来、6ミリに留まることを心に決めたからであります。

髪形や服装が自由な仕事とは言え、新卒の大学生が、4月の頭からスキンヘッドで職場に現れるというのはいかがなものなのだろうか。人間としてどういう風に思われるんだろうか。
そんなことを心配してはみたものの、もはや3ミリに刈りそろえる以外に道はなく、涙を流しながらバリカンで頭を刈りました。
妹に、「頭だいじょうぶ?」と言われました。
「あぁ、だいじょうぶだいじょうぶ」と答えましたが、後から、妹の言っていた「頭」は、頭髪のことではなく、「脳みそ」の方であることに気が付きました。

何が起きてもおかしくない世の中であることは、十分に自覚していたつもりの僕ですが、
(学生生活の)最後の最後、いや、(社会人生活の)最初の最初で、このような災いが自分の身に降りかかるとは、さすがに予想できませんでした。
まさに一寸先は闇、後悔先に立たず、名物に旨いものなし、といった教訓を得た思いです。

さて、本日の更新をもちまして、「175Rと130R」は打ち切り、突然の最終回とさせていただくことをご了承ください。
いろいろな形で愛読してくださった全てのレディース・エン・ジェントルメンに、改めて感謝の意を表します。
ごきげんよう。

大阪式コミュニケーション・スタイル

2005年03月19日 | Weblog
久しぶりに母親の実家、myおばあちゃんのいる大阪に行って、大阪のファミリーはやはりおかしい、という揺ぎない事実に気付いてしまった。

とりあえず、誰かが何かを言うと、すかさずツッコミが入ります。
これは別に、笑いを意図してのツッコミではない、というところがポイントです。
ボケも同様で、要するに、彼ら彼女らは、無意識のうちにボケ/ツッコミという会話スタイルに陥らざるをえない、というか、それが日常的なコミュニケーション・スタイルとして馴染んでしまっているようなのです。

だから、大阪人=面白い、というステレオタイプには賛同しかねるものの、
外から来た人間が彼らのやりとりを聞いていると、やはり失笑、ときに爆笑を禁じえない。
実際、シュールという、想像力のフィールドを持っている分、東京人の方が、笑いの幅は広いはずなのです。
その点、大阪的な笑いはベタの一言に尽きます。

ただ、仮に言ってること自体は面白さを狙ったものではないとしても、会話として捉えたときに、非常に特異なコミュニケーションのように思えてそれが実に面白く、
言ってることとやってることの矛盾、理不尽さが伴えばモアベターです。
慣れない人が聞くと、彼らは四六時中ケンカしているかのように見えるかもしれません。

抽象的な話をしていても伝わりにくいので、日記風に一例をあげると、、、

外から帰ってきて、スイッチを入れてこたつに入っていたおばあちゃんが、「全然あったかくならへん」と言いました。
ぼくは、コンセントが抜けているなあと思ったので、「おばあちゃん、コンセント入ってない」と言うと、おばあちゃんは、となりにいたおばさんに、「よう言わんわぁ。もっとはよ言うてくれればええのに。よう言わんわぁ」と嘆きました。
いきなりふられたおばさんは、「なんでわたしに言うねん。わたし全然関係ないやん。自分が気付かなかっただけやん」みたいなことを言いました。
でもおばあちゃんは、全く聞く耳を持たず、「全然あったかくないって、もっとはよ言うてくれればええのに。よう言わんわぁ」と、同じことを何度も言いました。
おばさんもぼくも、こたつには入っていませんでした。
僕は、おばあちゃんが言っていることはジャイアンと同じくらい理不尽だなあと思いましたが、とりあえず東京式に、何も言わずに受け流しました。
でもおばさんは、「こたつ入ってんの、お母さんだけやん。自分が気付かなかっただけやん」と、執拗に食い下がります。
どう考えても、こだわるポイントが子どもじみています。
おばあちゃんもおばあちゃんで、「よう言わんわぁ」を連発し、気が付けば、そんな些細な出来事で、(意味のわからない)会話が(無駄に)成立してしまっていました。

上に挙げた例は、非常に生易しい会話の部類に入りますし、特に珍しいやりとりというわけでもありません。
また、同性間での会話よりは、異性間の会話において、大阪式コミュニケーションは真価を発揮するような気がします。
記憶をたどると、死んだおじいちゃんと、おばあちゃんは、僕が幼少の頃、大阪を訪れる度にケンカしていましたが、あれもケンカではなく、日常会話だったのかもしれません。
おばあちゃんが何か言うと、おじいちゃんは、「何がぃやぁ!」「おかしなこと言いおるのぅ!」と、大声で言い返すのが常でした。
実際どっちが言ってることが正しいのかは二の次で、互いに自ら非を認めるということがなく、ボケ役はツッコミ役の言うことに全く耳を貸さず、ツッコミ役はツッコミ役で、執拗なまでにツッコミ続ける。
ぼくは、大阪の人たちはすごいなあと思いました。

大阪には確かに、近代的・西欧的な合理性、論理性を超越した何かが存在しています。非常に呪術的であり、飴のことを「飴ちゃん」と呼ぶ人口の割合は、おそらく日本一でしょう。

しかし、22になって、久しぶりに大阪を訪れるまで、このようなことには全く気が付きませんでした。
ちっちゃい頃から頻繁に大阪には行っていたし、親戚の集まりやら街中やらで彼ら大阪人の会話を聞く機会も多かったはずなのに、何の違和感も感じたためしがありませんでした。
これは、僕自身がおそらく母親の影響で、大阪式のコミュニケーション・スタイルを身に付けて育ってしまった、というのが大きいと思われます。(いちおう東京育ちなんですが。)

改めて考えてみると、会話の中で、波風を立てずにスマートに流れに乗っていく、東京式のコミュニケーション・スタイルは、いまだにマスターできていません。
「同調」が東京式コミュニケーション・スタイルにおける基本動作であると仮定すると、「否定」こそが大阪式コミュニケーション・スタイルにおける基本的リアクションであると考えることができます。
僕の場合も、少し気を抜くと、非常に些細な、どうでもいいポイントに対してケチをつけるようなコメントが、口からポンと、何のためらいもなく出てきて困ります。

とはいえ、ネイティブの大阪人に囲まれると、大阪人と東京人のハーフのような人間は終始圧倒されっぱなしで、阿呆のようにニコニコしているしかありません。
日常的に面白いことを言う必要性などは皆無ですが、たとえつっこまれたとしても、それに臆することなく自分がボケ続けられる程度には強度を持った発言をしないと、そっこーでつぶされてしまうのです。
その点、ご主人様である信長の草履を、ケツに敷いていたにも関わらず、「懐に入れてあったかくしててん」と言い張ったに違いない秀吉は、典型的な大阪人であると言えるでしょう。

秀吉といえば後に、黄金の茶室なるものを作りました。
意味が分からないばかりか、お世辞にも洗練されたセンスであるとは言いがたいですね。
そういった精神は、通天閣や食い倒れ人形といった現代の造形物にも脈々と受けつがれています。
ちなみに、JR西日本の定期券は、SUICA(スイカ)ではなく、ICOCA(イコカ:行こか~?)である、という点にも注意が必要です。

アリナミンV

2005年03月09日 | Weblog
ドキュメンタリー映画の父と言われるロバート・フラハティの『極北のナヌーク』という映画をDVDで観た。
DVDを「ディー・ブイ・ディー」と言うのか「ディー・ヴィー・ディー」と言うのかは意見が分かれるところだが、あきらかに「ディー・ヴィー」の方が言いやすいにも関わらず、一般には「ディー・ブイ」という呼称が用いられる傾向にある。
また、「DV(ドメスティック・バイオレンス)」も「ディー・ブイ」と呼ばれることから、我々日本人が、「V」を「ヴィー」ではなく「ブイ」として認識しがちだ、という結論に至ることができる。

従って、もし仮にあなたが、
「やっぱり、肉体疲労時にはアリナミン・ヴィーよね~」
などとうっかり友人に語りかけてしまった日には、その友人(A子とする)は、「帰国子女だからっていい気になってんじゃねぇ!」と、あなたに対して反感を抱くことはほぼ間違いない。
また、DVDを「デー・ブイ・デー」と言ってしまう人は、ディズニーランドを「デズニーランド」と言ってしまうオッサンと同じくらい致命的なミスを犯しているので、これを機に改めてみることをオススメする。

さて、話がやや逸れましたが、1920年前後のイヌイット一家の生活を追ったこのサイレント映画(『極北のナヌーク』)が、思いのほか、面白かったのです。
同監督の『アラン』という映画も合わせて鑑賞したのですが、
いずれも、いわゆる文明社会とかけ離れた生活環境で暮らす人々の生き方を通して、リアリティの希薄な世界に生きる(ことを半ば宿命づけられた)現代人が、「生きる」とはそもそもどういうことだったのかを思い起こすに十分な内容のフィルムでありました。

その日一日を生き延びるために、自らの手で危険を冒して動物や魚を獲る。
例えば目の前のアザラシを一匹逃してしまうことによって、自分たちが餓死してしまう可能性がある。
必死です。闘いです。
でも、そうやって人間がアザラシと格闘している映像を見て、僕は笑わずにはいられませんでした。
で、その「笑わずにはいられない」あたりに、現代社会のヤバさがあるのではないか。
つまり、自然と闘いながら生きる、というのは本来、当たり前の姿なはずなのに、それを可笑しいと感じてしまう自分がいる。
それは、自然と共に生きる、ということに対して、全くもってリアリティを感じることができないがために生じる笑いです。

金銭を積めば、欲しい物は何のリスクもなしに手に入ってしまう、自給自足とかけ離れた社会は、そもそもは、自然との闘いの結果として生まれたものと思われます。
より安全確実な、安定した暮らしぶりを追い求めたファッキンご先祖様たちの努力によって、今の社会は存在しているわけです。
努力することは素晴らしいことですが、努力の結果が素晴らしいものであるとは限りません。
調子に乗って自然を破壊し尽くしてしまったがために、人間は、力を合わせたり頭を使ったりして闘う相手を見失い、人間にとっての競争相手は、(自分以外の)人間になってしまった。最大の権力は金である。我輩は猫である。そういったことに思いを巡らすと、実に面倒くさい世の中に生まれてきてしまったことに気付かされ、僕は縄文人とかに嫉妬すら覚えました。

そして、「縄文人になりたい→どうすれば縄文人になれるのか?→そうだ縄文土器を作ろう」という考えのもと、日々、縄文土器づくりに没頭していたために、ブログを書くのを長い間怠っていたりもしました。
冒頭の写真は、僕が縄文土器づくりを習っている卑弥呼先生のお写真です。