175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

『テルマエ・ロマエ』

2010年07月09日 | Weblog
けっこう前に近所のネットカフェに宿泊した際、ふと目にとまり、トイレにも行かずメシも食わず一睡もすることなく一気に読んだ一冊。
なんて言うと、
「いや、漫画なのだから一気に読むのは当たり前でしょう。」
とおっしゃる方がいるかもしれないが、それは違う。

トイレが近くて近くてどうしようもない人間、四六時中メシを食わずにはいられない人間、寝ても寝ても寝足りない人間、
そのような人間がこの世には存在しないとなぜアナタは言い切れるか。
自分以外の他人が自分と同じであるという前提に立ってものを言うのは、文明社会に生きる人間のよくない癖である。

もちろん、そのような癖は、人間という弱い存在が群れをなして生きていく上で、
コミュニケーションを円滑にはかる、味方同士の連帯感をアップさせる、四角い頭を丸くする、等の効力を発揮し、
はっきり言って、その効力たるや、絶大なメリットを伴うことは間違いないのだが、

時にそのような人間活動の様は、滑稽であったりもする。
また、多様なフィルターを通して自文化をかえりみ、相対化することで、
目からウ◎コのような意外な発見があったりなかったりもするわけだが、

この人間社会の法則をうまいこと取り込み、面白おかしく描いたのが、他ならぬこの『テルマエ・ロマエ』だということを
私は言いたかった。

だから、書いておいてこのようなことを言うのは大変恐縮ですが、
僕は別に、トイレ近くないしメシも普通にしか食わないし睡眠時間に関しては人よりだいぶ多めだけど、漫画一冊読むぐらいなら当たり前に起きていられるので、
「一気に読めて当たり前でしょう」と言われれば、
それはそのとおりだと思います。

続・サッカー日本代表改善論

2010年07月05日 | Weblog
前回は、DJオズマ的ユニフォームの必要性を説いてみたが、
「テレビ中継時に、リアルタイムでモザイクをかけなければいけなくなるのではないか?そんなことは可能なのか?」
「FIFAのルールに引っかかるんじゃないの?」
「日本の恥だ!」
といった、軟弱な思想の持ち主からのきわめてネガティブな批判・投書が相次いだ。

一体全体、勝つことが全ての勝負の世界を何だと思っているのかしら?
日本代表に勝ってほしくないわけ?
ガンバレニッポン!なんて言ってるわりに、
結局は、ダメな自分、冴えない自分を、同じ日本人であるというだけの理由で、代表チームと精神的に一体化させちゃって、
一時的に気持ちよくなってただけなわけ!? その程度の本気度だったわけ? どうして急に文章がオカマ言葉になっちゃったわけ?
と、私は思い、哀しいやら恥ずかしいやらで涙が止まらなかった。

しかしながら、我が国のためにも、【DJオズマ的ユニフォーム】がダメ!と言われて、おとなしく引き下がるわけにもゆくまい。
そこで今回は、テレビ中継ができて、モザイクもいらなくて、FIFAのルールにもひっかからなそうな、恥ずかしくない必勝ユニフォームを、
新たに発表したいと思う。

【審判と同じようなユニフォーム】

…いかがだろうか?

もちろん、全く同じだと違反のニオイがぷんぷんするため、色みやデザインが酷似しているけど微妙に違う、反則すれすれのラインを狙う。
※ディズニーランドのミッキーマウスの着ぐるみと、中国のネズミーランドのミッキー的な着ぐるみ…ぐらいのスレスレ感が、理想的なイメージである。

これによって、たとえば中盤でボールを持った相手選手を、味方3人で囲った場合、
同じようなユニフォームを着た審判が相手の視界に入ることで、
実質的に、4人の味方で相手を囲っているのと状況が作り出せる。
要は、ボールを持った相手に、錯覚を起こさせるのである。

すると当然、慌てた相手は、判断ミス・パスミス・オールドミス・Mr&Mrsスミス・4番ラミレスといった、各種の凡ミスを連発するわけで、
これはどういうことかというと、非常にボールが奪いやすくなる。

また、味方のフィールドプレイヤー全員が同時に、あたかも審判のような立ち居振る舞いをすることで、
どれが本物の審判なんだかわからない状況を作りだし、
+困惑する相手から、隙をついてボールを奪取する
+審判のフリをしていた味方が突如として2列目からゴール前に飛び出す
+なんなら胸ポケットにイエローカードを忍ばせておいて、警告しまくる
+カメラに見切れないない場所で、本物の審判を失神させロッカーの中に押し込んでおく
+その上で、12人目の味方選手が審判になりすます
+なんなら胸ポケットにレッドカードを忍ばせておいて、相手を退場させまくる
といった、創造力あふれるトリックプレーも可能となる。
我ながら天才的なアイデアであると思う。


また、念には念を入れて、他にもいくつか思いついた名案を、列挙しておこうと思う。
残念ながら、すでに挙げたプランと比較するとどうしても見劣りするが、
会議の際に大切なことは「何でもいいからとりあえず案を出しておくことである!」と会社の先輩がよく言っていた。


【メッセージ性の強いユニフォーム】
…視界にとびこんでくると、思わず読まずにはいられなくなってしまうような文章が書かれた、メッセージ性の強いユニフォーム。
 「タケシ、元気にやってますか?あまり無理をせず、いつでも田舎に帰っておいで。タケシの大好きな肉じゃがを作って待ってます。 母より」といった心温まるメッセージ、
 「先日、お父さんが痴漢で捕まりました。お母さん、お父さんと離婚しようかと思っています。母より」といった心温まらないメッセージ、
 あいだみつ◯さんのような、あざとい味のある筆文字で描かれたありがた迷惑な人生の教訓、
 「なんでボクにはパパがいないの?」「どうやって赤ちゃんは生まれてくるの?」といった、子供に聞かれると思わず答えに窮する質問、
 「生きる意味などあるのでしょうか?」「なぜ人を殺してはいけないの?」といった、虚無的な禅問答、
 「今月の目標 廊下を走らないこと」「服装の乱れは心の乱れ」「ここで球技をするべからず」といった、学校教育的メッセージから、
 「犬の糞は飼い主の方が必ず持ち帰ってください」「チラシ・勧誘お断り!」「おい、小池!」といった、場違いな標語まで。
 日本サッカー協会の言葉遊びのセンスが問われるところ。


【なんだかよくわらからないけど、触りたくなくなるユニフォーム】
…なんだかよくわからないけど、触るとやたらヌメヌメしていて、納豆みたいに糸をひく。
 それでいて、プヨプヨしていて、ムニュムニュもしていて、
 まるでオオサンショウウオのような、ナメクジのような、蛭のような、
 あるいは腐った魚ないし腐乱死体を触っているのではないだろうか?といった感覚に陥る、
 とっても気色の悪いユニフォーム。
 を着用することにより、相手選手の激しいプレスから、常に適度な距離を保ってプレーすることが可能となる。
 ユニフォームを引っ張られるといった、アンフェアな行為を撲滅することもできて、とってもおトク。


その他、
【汚物すぎるユニフォーム】
【激臭を放つユニフォーム】
【静電気ユニフォーム】
【火だるまユニフォーム】
【クーポン券付きユニフォーム】
【金にまみれたユニフォーム】
【3の倍数でバカになるユニフォーム】
【三井のリフォーム】
【全盛期のフォーム】
【パフューム】
などなど、名案は尽きることがないが、この期におよんで、もはや説明は不要と思われる。

アディダスのご担当の方、ご連絡をお待ちしております。

サッカー日本代表改善論

2010年06月20日 | Weblog
サッカーの日本代表というのが南アフリカで大活躍をしているらしく、
遠く離れた日本においても、代表ユニフォームのレプリカを着た若者たちが大量発生している。
彼ら彼女らは、ピョンピョン跳びはねながら「ニッポ!ニッポ!」と口をそろえて絶叫、
渋谷のスクランブル交差点で狂気乱舞、大阪の道頓堀付近で川にダイブするなどして、大変な盛り上がりを見せているらしい。

今という時代に生まれ落ちた以上、そういったナウなムーブメントから取り残されるのは損損、ぜひ自分も輪の中に入って熱狂したいと考えた私は、
喜び勇んで自宅のテレビジョンでサッカー日本代表の試合を観戦しながら、ふと、とんでもないことに気付いてしまった。

おそらくこれは、日本の、いや世界のサッカー界に大きな衝撃を与えてしまうかもしれない問題発言になるかと思われるが、
ずばり、
日本代表は、ユニフォームを変えれば、もう少し簡単に勝てる、と思った。

…なんていうことを書くと、完全に気がふれているのではないか?と青白い目で見られることは間違いないが、まあ聞いてください。

現行の日本代表のユニフォームは、サムライブルーという言葉で表現される、青を基調とした非常にクールなものである。
クールであることは現代社会においてかなり重要なエッセンスではあるが、
こと勝負事や試合においては、
はっきり言って、「クール・ジャポン」なんて言われていい気になっているうちは、勝てる相手にも勝てない。
五分五分の戦いを制する際に、勝敗を分けるのは、何が何でも勝ちたいという泥臭さ、どん欲さだと言われているし、
ディフェンスの要・闘莉王選手も「下手なりのやり方がある」と各種メディアを通してコメントしていた気がする。

そして、私が熟慮に熟慮を重ねた末に導き出した、必勝ユニフォーム。
それは…

【DJオズマ的ユニフォーム】

DJオズマというポップミュージシャンが、数年前の紅白歌合戦という国民的番組において、
女性の裸体を模した衣裳を着てステージに登場したのを、みなさんは覚えていらっしゃるだろうか?
私は、日本代表のユニフォームを、ずばりあんな感じにすれば、勝てる確率が相当高くなると確信している。

通常、サッカーのユニフォームというものは、ホーム用のものと、アウェー用のもの、2パターン存在するが、
私はこれを、「女性の裸体」「男性の裸体」の2パターン開発することをオススメしたい。
そしてこれを、対戦するチームのお国柄を分析した上で、うまく使い分けるのである。

たとえば「紳士の国」イングランドや、女性の肌の露出がタブーとされるイスラムの国々と対戦する際には、女性の裸体ユニフォームが効果的だ。
ユニフォームにリアルに描かれた豊満な胸や下半身の茂み。
これには英国紳士ベッカムも、目のやり場に困り、もはや日本選手を直視することができなくなるのは言うまでもない。
(※ベッカムは今回は出てないとか言わないでください。)
また、ゴール前の競り合いでも、まさか素っ裸の女性に体をぶつけてくるような野蛮な行為は決してできまい。
全裸女性(のユニフォームを着た)DFがスライディングタックルを見舞ってきた際には、思わず「痛クナイデスカ?」と、心配してくれてしまう可能性すらある。
もちろん、彼らも男。性的好奇心や慣れによって、逆にガン見されてしまうおそれもあるが、安心していただきたい。
それはそれで、ボールから意識をそらせるという陽動的な効果が見込めるため、いずれにしても、JAPANの勝利はグッと引き寄せられる。

逆に、女性の裸体ユニフォームを着て試合に臨むと、普通に喜ばれてしまいそうなのが、
普段から開放的な南米のアルゼンチンやブラジルといった国々、また、「シェキナベイベー」とか言ってそうな厚顔無恥の国アメリカと対戦する場合だ。
そのようなチームと対戦する際は、男性の裸体ユニフォームを身にまとえばいい。

さすがにいくら開放的なラテン系の国出身の選手といえども、フルチンの巨根FWが、なりふりかまわずゴールに突進してきたら、GKは相当萎縮するだろうし、
中盤の攻防でも、全裸男性のユニフォームを着た日本人選手たちが、マークしていると見せかけて、ちょいちょい尻を触ってやる、胸を揉んでやるみたいなことをすれば、
当然、相手は気色が悪くなり、激しく体を寄せたりぶつけたりするのをためらうようになる。
これにより、身体能力に劣る我が国の選手たちは、非常に有利に試合を運ぶことができるだろう。

※唯一の難点は、相手チームにゲイの選手がいた場合に、逆にテンションを上げてしまうこと、
 また、秘境と呼ばれるような場所で生まれ育った裸族出身の選手がいた場合には、あまり効果がないと思われる。

相手がイヤがることをやれ!という勝負の鉄則を鑑みても、
DJオズマ式のこの斬新な発想のユニフォームは、邪道には違いないが、はっきり言って、ものすごく理にかなっている。
また、このユニフォームが正式に採用されたあかつきには、
渋谷や道頓堀において、この全裸ユニフォームのレプリカを着た若者たちが乱痴気騒ぎを起こし、ニッポンが非常にファンキーな国になるという相乗効果も得られる。
岡田ジャパンは文字どおり、「世界を驚かす」ことになるだろうと思うのですが、
アディダスさん、いかがでしょうか?

イ・ビョンホンと題して その2

2010年06月08日 | イ・ビョンホン
(※注:韓流ファンの皆様、イ・ビョンホンとは全く関係のない記事であることを深くお詫び申し上げます。)

【003】青野春秋『俺はまだ本気出してないだけ』1~3巻(小学館コミック)
    http://www.ikki-para.com/comix/orehamada.html

[理由]高度に発展してしまった資本主義経済、いまの日本を生きる庶民の葛藤を、
    人間味あふれる目線と、朴訥としたタッチとで描いたあたりに、「個人的には」好意を感じずにはいられない。
    悲劇なのか喜劇なのか、不幸なのか幸福なのか?
    個々の登場人物の表情しかり、どちらとも解釈できるあたり、
    それはそのまま、読者自身の人生観や生き方に、ダイレクトに訴えかけてくる作品なわけで。
    生きていくことは哀しく、でもいとおしい、そんな当たり前のことを再確認させてくれました。
    成功した経営者やデキるビジネスマン必携!な本でないことだけは確かです。

[結論]『俺はまだ本気出してないだけ』というタイトルを(忘れそうだが)忘れないようにしながら、人を選んで他人に薦めていこう。
    …薦められるヤツ限られてくるけどな。

「ワケありの部屋しか空いてないのですが」in福島

2010年05月03日 | Weblog
今日は岐阜で規格外のロボットを発明する天才的なエンジニアのおじいさんに再会した後、
東京へ帰ると見せかけて福島に来てしまった。友人に会うために急きょ。

終電で来たため現地に着いたのは深夜。
空いてるホテルをさがしたが、どこも満室。
ゴールデンウィークってそういうものなのか!?
だってホテルいっぱいあるのにどこもかしこも満室なんだよ!?
あるいは「福島に来る」ってぇのは、俺が知らないだけで、巷ではブームなのか!?そんなにキテるのか福島!?

結局、2時間ぐらいケータイのネットで空室ホテルをさがしたり、電話かけまくったり、タバコ吸いながらたそがれたり、「F◯CK!」と連呼しながら駅前を縦横無尽にさまよったりした挙げ句、
ようやく空室のあるホテルにたどり着くことができた。
一時は、東北地方の寒空の下、駅前での野宿も覚悟した。
だって、ネットカフェもファミレスも見当たらないから…
1人でポツンとタバコ吸ってたらホームレス風の男性が集まってくるもんだから…

ナニはともあれ、無事にこうして宿にありつけた幸福をかみしめながら、
一抹の疑念が心の中に渦巻いている最中である。

というのも、最初にホテルに電話をかけて空室状況を確認した際、
電話に出たフロントマンは、
「朝までとなりでライブやってまして、騒音の激しい部屋しかご用意できないのですが…」
と仰っていたのだが、
この部屋、ぜんぜん静かなんでがす。

一体これはどういうことなのか。
しばしタバコを吸って思案しながら、あるひとつの仮説にたどり着き、俺は恐怖のあまり「イヒーッ」と叫んで卒倒しそうになった。
そのはずみでタバコの灰がホロリと腕に落ちてとても熱かった。

以下、最初に電話をかけてやりとりした際のフロントマンとの会話である。

プルル プルル プルル …

フ「はい、こちらホテル◎◎◎…云々」
俺「あのぉ、今日って空室ありますか?(きっとおたくも満室でしょうけど。)」
フ「は、はい… あのぉ…」
俺(ダメか…)
フ「空きがあるにはあるんですが…」
俺(あるのかよ!)
フ「そのぉ…ちょっと…」
俺「はい」
フ「ワケありの部屋しか空いてないのですが」
俺「はい」
フ「なんと申しますか…」
俺「はい。」
フ「そのぉ…朝まで隣でライブをやっておりまして、
  騒音の激しい部屋しかご用意できないのですが…」
俺「あ、別にダイジョウブです。
  (野宿より全然OKっす。騒音ノープロブレムっす。)」
フ「ダイジョウブでしょうか…」
俺「ダイジョウブです。
  (って言ってるじゃないですか!泊まれれば何でもOKだから今の俺。)」
フ「それから…ダブルのお部屋しかご用意できないのですが…」
俺「ダイジョウブです。(泊まれれば何でもOKだから今の俺。)」
フ「そ、そうですか…。1泊7500円かかってしまいますが…」
俺「ダイジョウブです。
  (このフロントマンは泊まってほしいのかほしくないのか。どっちなのか。
   どっちにしろ泊まらないわけにはいかないのだが。)」
フ「そ、そうですか…。あのぉ…」
俺「はい。(まだ何かあるというのか!?)」
フ「そのぉ…ホ、ホントにうるさいと思うんですが…
  ダイジョウブでしょうか…?」
俺「ダイジョウブです。(って何度も言ってるじゃないですか!
  もともとうるさくても寝れるタチだからダイジョウブです俺。)」
フ「実際にお泊まりになってから騒音についておっしゃられても…
  その…対応しかねるのですが…ダイジョウブでしょうか?」
俺「ええ、ダイジョウブです。(そんなクレームつけないっすよ!
  仮にライブハウスの中にいるみたいなやかましさでも文句言わないっすよ今の俺なら!
  野宿より断然マシっすよ!)」
フ「それでは…」


そして今、俺のいる部屋は全くもって静寂に包まれている。

フロントマンと電話で交わした会話の中の、ある一言が妙に引っかかる。

フ「ワケありの部屋しか空いてないのですが」

!!!!

もっと早く気付くべきだった。

ワケありの部屋って何よ!何なのよ!?
つ、つまりその…出るんだな?出るんだな?アレが…!
だから極力空けてあるんだな?この部屋を!お客さんからの「アレが出るんですけど…」っていう苦情や悪い噂を回避するために!
…そして、「うるさい」のはライブじゃなくて、夜中にアレが出て、急に騒ぎ出すんだな!?
だから何度も「ダイジョウブでしょうか?」って念入りに確認とったんだな?

全然ダイジョウブじゃねぇよ!俺ホントそういのうダイジョウブじゃねぇよ!
野宿を選び直したいぐらいダイジョウブじゃねぇよ!
どうせ取り繕うなら、もっとちゃんとしたオブラートに包んで隠してくれよ!
「ワケありの部屋」とか言うなよ!


もはや俺の脳内は、アレが出る原因をさかのぼって追求するまでに活性化し、
この部屋で行われたに違いない惨殺事件にまで想像力をめぐらしてしまっている。
しかし、その種の事件だとしたら新聞やテレビでも取り上げられているはずだから…もしや自殺か!?首吊りか?!
などと、自ら恐怖を煽るようなことを考えずにはいられなくなってしまっている。

誰か助け…

今度は名古屋でタイタンの戦いを観てしまった…

2010年05月02日 | Weblog
今日は名古屋に来てしまった。
名古屋に来てしまったのは目的があって来てしまったわけなのでノープロブレムなのだが、
この街は若者が多すぎる。
ゴールデンウィークだからなのか土曜日だからなのか分からないが、名古屋駅周辺は未成年率が8割~9割を占めていると思われ、
それでいて渋谷並みの混雑具合だったりするもんだから、
「少子化」とか言ってるのは日本政府の陰謀ではないのか?
と気が気ではなくなり、一体何のために日本政府はそんなデマを流しているのか?
考えれば考えるほど、得体の知れない恐怖感が胸に渦巻いてとても沈鬱な気持ちになった。

名古屋まで来てなぜそんな気持ちにならなくてはいけないのか。
そこで僕は、「名古屋にお住まいの方々は、年をとっても肉体の老化が進まない特殊なDNAを持つ民族なのだ」という仮説を立て、そう思い込むことにした。
街角で談笑しているあの高校生ぐらいの女の子たちも、実は30~40代の子持ちのお母さんなんだろう。
満席のデニーズで戯れているあのチャラそうな男子グループは、実は近所の老人会の集まりなんだろう。
といった具合に、脳内で帳尻を合わせることにした。

そうこうしているうちにようやく落ち着きを取り戻したが、それにつけても人が多すぎる。
これはもう映画でも観るしかないなと観念し、今やってる映画で観たい映画なんてないのに、無理矢理『タイタンの戦い』を観ることにした。
飛び込んだシネコンは若者たちで満席であったが、僕は彼ら彼女らが、見た目は若いけど実は様々な年齢層の名古屋人であることを知っているので、
「俺はダマされねぇぞ!」と隣にいたカップルを威嚇、あのマヌケな3Dメガネをかけて『タイタンの戦い』を鑑賞した。

爽快なほどに中身がスッカラカンの映画だった…
内容はこの際ほっておくとして、
仲間がちょっとずつ増えていく、ドラクエ的な展開になりかけるところは多少のワクワク感を煽ってくれたが、
その仲間たちが、仲間になったと思いきや何の前触れもなく次々と、そしてあっさりと主人公のもとを去っていくという、非常に難解な物語の進め方が斬新だった。

この技法は「寸止め」や「じらし」といったS◯Xの技法に通じるところがきっとあり、
であるが故に、この映画はきっと、S◯Xと映画の融合を試みた意欲作なのだろうという仮説を立て、そう思い込むことにした。
「3DのS◯X映画」それが『タイタンの戦い』の正体なのだ。
そう思うと、なんだかちょっと興奮し、下半身がムズムズしてきた。(なわけねーよ!)

見終わる頃には僕の頭も爽快なくらいスッカラカンになりかけていたが、ラストの「これでもかっていうくらいベタでアメリカンな終わり方」で我に返り赤面。
なぜお金を出して観ている方が、こんなに恥ずかしい気持ちにならないといけないのか。
最後の最後で勝手に、得意げに中出しされたような気分であった。

しかし、この映画が「3DのS◯X映画」であったことを思い出し、「だったらしょうがないか…」と悲しげにつぶやいてフラフラと映画館を出た。
街は相変わらず、若者の姿をした年配者で溢れかえっていた。

みなさんも、「なんだか今日はアメリカ人男性にレイプされたい気分だなあ~」と思った折には、ぜひこの映画を観ればいいと思う。

妥協して生きていこうと思う。

2010年05月01日 | Weblog
やはり人間、妥協することが肝要であるなあと最近つくづく思うし、実際、社会生活を営んでいる以上、妥協は欠かせないものであるとも思う。

もし仮に、「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」が世の中にあふれた場合を想像すると、おそろしくて夜も眠れない。


★たとえば、近所の大衆的な焼鳥屋のオヤジ 一八(いっぱち)さん50歳が「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」だった場合…

一八さんはある日、自分が店で提供している焼き鳥およびサービスが、理想とかけ離れていることに気付いてしまい、愕然とする。

まず気にくわないのは、仕入れている鶏肉のレベルやタレの味、焼き加減だ。
そこで採算を度外視して、日本中をくまなく旅した挙げ句見つけた幻の国産地鶏「コケコッコー」を使用、
また、5年の歳月をかけて和洋中のあらゆる一流料理店で修行を積み直し、究極のタレを独自に開発。
さらには、焼き鳥に最も適した備長炭を求めてついには備長炭職人の資格を取得。
北海道の山奥で森林を伐採するところから備長炭に仕上げるところまで、そのすべてを自らの手で行った。

これでようやく店を再開できるぜ!待ってろよお客ども!と息巻いた一八さんだったが、はたと立ち止まって考えた。
店の外装および店内のインテリアがどうにも気になって仕方がない。
なんていうか、「THE 焼鳥屋」みたいな、大衆的でベタな感じ、これって世間のイメージに乗っかってるだけで、
俺の理想とはぜんぜん違くないか?ということに気が付いてしまったのである。
なにしろ一八さんは「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」だから、これは仕方のないことである。

一八さんは、自分の理想とする斬新な外装と内部のインテリアをイラスト化し、業者を雇ってそのとおりに工事をさせた。
だが、どうにもイメージと微妙に異なる。
たとえば、店内の壁にはニワトリの首から上を剥製にしたやつを至るところに飾ることにしたのだが、
(一八さんは、富豪の住む洋館とかの壁に飾ってある鹿や馬の剥製からヒントを得たのである。)
業者は勝手にこれを、ブロンズのモニュメントと早とちりして、工事を行ってしまった。
これでは台無しである。(と一八さんは思った。)
また、キッチンの水回りひとつとっても、一八さんが要求していたのは古代ギリシャ時代の優雅な建築美を意識したものだったのが、
古代ローマ時代のイメージにすり替わっていたりと、かゆいところに手が届かないこと山のごとし。(と一八さんは思った。)

しかし一八さんはド素人なので、その細かいニュアンスを業者に理解させる言葉を持っていなかった。
「これでは埒があかない!いっそ自分でやっちゃった方が早いんじゃないか?」と思った一八さんだったが、
そこは「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいな」一八さん。
まずは建築の専門学校に通った後、いったん建築会社に就職し、現場経験を積むことにした。
そして業界でも有名な建築士になったあたりで職を辞して、今度はインテリアデザイナーの事務所にアシスタントとして入門。
50歳を過ぎた一八さんは好奇の目にさらされたが、そんな辛い下積みを経て、独り立ち。
すると瞬く間に「新進気鋭の遅咲きデザイナー」として名を馳せ、ついには「AERA」の表紙写真に一八さんの顔が載ったり、
テレビ番組でレギュラーコーナーを受け持つまでになった。
それもこれも、一八さんが「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」であるが故の、血のにじむような努力に裏打ちされた成功であった。

通常であれば、もはや「この仕事でメシ食ってこう」と思うところであるが、
一八さんの目的はあくまで「理想の焼鳥屋」をかまえることであり、彼の心は一切ブレることがなかった。
ある日、「そろそろ頃合いかな」とつぶやいた一八さんは、ついに自分の店の改装工事に着手。
外装は「アフリカのマサイ族の住居をリスペクトした感じ」なのに、店内に入ると古代ギリシャ時代にタイムスリップしたかのような優雅な建築美、
トイレには特にこだわり、平安時代の廁を見事に再現しながら、全自動のウォッシュレットを取り付けるという、心憎い演出を施した。
もちろん、店内の壁にはところせましと、ニワトリの首から上を剥製にしたやつが飾られている。

「余は満足じゃ」とつぶやきかけた一八さんだったが、
ふと、「接客」に関しては、まだまだ理想を追求する余地があるのではないかと心配になり始めた。
そこで、最新のミシュランガイドを片手に、国内外の三つ星料亭や三つ星レストランを巡り、ありとあらゆる接客を学習。
(そうこうしているうちに舌も肥えてしまい、一八さんは「究極のタレ」をさらに改良して「新・究極のタレ」を開発。)
また、時にはファーストフード店やコンビニエンスストアのような場所に出向いたりもして、理想の接客像をより明確なものにしていくことも忘れなかった。
一八さんは、自らが追求する理想の接客イメージに近づいていった。

苦節45年。ついに理想の焼鳥屋として店を再開できる…
だが、その時には一八さんは95歳になっていた。

45年前の常連客は、もう亡くなっていたり、引っ越していたりで、どこにも見あたらない。
また、家庭を顧みずに45年間「理想の焼鳥屋」だけを追求していた一八さんのもとからは、妻も子も去っており、一八さんはひとりぼっちだった。
追い打ちをかけるように、長年の無理がたたり、一八さんは体調を崩すことになる。
「体力の限界…」そうつぶやいて、一八さんは自宅の布団の中で息を引き取った。
(最終的に、「新・究極のタレ」が「エバラ焼き肉のタレ」に酷似いることに一八さんが気が付かなかったのが、不幸中の幸いであった。)


…このように、一八さんのような「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」が世の中にあふれた場合、
あらゆるサービスが一時停止されてしまい、社会は立ちゆかなくなってしまうだろう。
そう考えると夜も眠れず、また、実際のところ、大半の大人が妥協しながら日々の生活や仕事をこなしてくださっていることに、
「大人だなあ~」と感謝の意を感じずにはいられないのである。

サイキンエイガカンデエイガミマクッテルゼー

2010年04月30日 | Weblog
サイキンよく映画観てます。そう、ヒマだから。
今日も映画館で映画を観てしまったよ。北海道まで来てるのに。
パチンコもしてしまったよ。北海道まで来てるのに。
負けてしまったよ。2万ほど。
そんなわけで、気分転換も兼ねて遠くまで来てるのに、いたく気分を害したので、サイキン観た映画を思いっきりくさしてみたいと思う。一文で。

『アリス・イン・ワンダーランド』
⇒ 映像は高密度だが、物語や劇中の世界が期待以上には広がらないまま終わる上にヒロインもあまりカワイイとは言えない、ビミョーな映画。

『ソラニン』
⇒ 原作と宮凬あおいにおんぶ&だっこしてる感がどうしても否めない上に、要所要所の編集や演出にも疑問が残る、かなりビミョーな映画。

『シャッターアイランド』
⇒ 最終的に「それがありだったらなんでもありじゃん」と、エンドロールが流れるぐらいのタイミングでとても損した気持ちになる、ビミョーな映画。


自分で書いておいてこんなことを言うのは不本意だが、
この文章、誰も幸せにならない文章だな。
反省の意味を込めて、今度は思いっきりヨイショしてみたいと思う。一文で。

『アリス・イン・ワンダーランド』
⇒ 「アバター」もしかりだったけど、CG技術がすごすぎて、まるでゲームのムービー観てるみたいな感覚におそわれる、とってもステキな映画。

『ソラニン』
⇒ 宮凬あおいが可愛い上に、え!ギターも練習してこんなに弾けるようになったの!?すごいすごい!と、宮凬あおいファンにはたまらないであろう、とってもステキな映画。

『シャッターアイランド』
⇒ スコセッシならではの映像美とラストの大どんでん返しとがたまらない、なんていうか、とってもステキな映画。


我ながら、なかなかうまくフォローできたのではないだろうか。
きっとこのブログを読んだみなさんは、今すぐにでも映画館に行きたくなったことだろう。
おかげさまで、映画界と日本経済に貢献できてとてもいい気分で一日を終えることができそうだ。

イ・ビョンホンと題して

2010年04月29日 | イ・ビョンホン
最近気になったモノやコトを具体的に書き残すというルールを設けようと思う。
(通常は、自動的にカテゴリー「Weblog」になるところを、
 「あ、コレ気になるー、気になったー」と思ったものを忘れず心にとどめ置くために、
 わかりやすく、カテゴリー「イ・ビョンホン」と設定して区別、書き残しておこうという意図である。)

なぜそのようなことをしようと思いついたかというと、
特にこれといった強烈な趣味も主張もなく生活していると、「キミは一体、ナニが好きなの?」と他人に聞かれた際に、答えに窮することが多々あるから。

もちろん好きなものがないわけではないのだが、
「なんとなくパンダの白黒な感じが好きなんですよね~」とか、「なんとなくクリスタルが好きなんですよね~」とか、そういう意味のわからない、かつ共感を得にくそうな嗜好を述べたところで、
それは相手が求めている答えでは決してないだろうし、
また、こちらとしても、相手の無関心をくつがえすほどには、パンダやなんとなくクリスタルについての知識や熱意は持ち合わせていないため、
内心じくじたる思いで、「特にないっす」と答えるしかなくなってしまう。

これはビジネスの局面においても、プライベートの局面においても、大きなマイナスイメージである。

ビジネスの局面においては、「特にないっす」と答えることによって、相手は「マジかよコイツ相当つまんねー人間だなー」⇒「つまんない人間にはつまんねーものしか作れねーよなー」⇒「コイツ仕事できねーなーダメだなー」と見下されることは火を見るよりもあきらかで、
その度に僕は辛酸をなめてきた。

また、プライベートの局面においては、たとえば「好きな女性タレントは?」などと女性に尋ねられた際に、
場の空気的に、さすがに「いない」とは言えず、
とっさに思いついたタレントや女優をテキトーに答えた結果、火傷を負うことがままあり、
その度に僕は辛酸をなめてきた。

従って、他人に説明できる何か好きなモノやコトを持つことは「僕」ないし「私」のイメージ戦略的に急務であり、
それをブログを通じて整理・構築していこうという魂胆である。

なので、韓流スター好きが高じて流れ着いてしまった方に先にお詫び申し上げておきたいと思う。
ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。
イ・ビョンホンとは全く関係のない記事であることを心よりお詫び申し上げます。


【001】サントリー カラダ・バランス飲料DAKARAのCM、天海祐希が余分三兄弟に「いい加減にしろよ」と冷たく言い放つ台詞の、あのサディスティックな感じ。
    (ココで観ることができます⇒ http://www.suntory.co.jp/softdrink/dakara/cm.html)
[解説]食い気味の有無を言わさないツッコミ、何よりもあのサディスティックな感じがストライクゾーンど真ん中です。あたかも日本刀でスパーンと斬られる感じが…(中略)…とにかく一度その台詞、言われてみたい。天海祐希に。M的には。
[結論]「僕、天海祐希が好きです」ということに今日からしておくことにしようと思います。


【002】吉田戦車『なめこインサマー』(講談社文庫)
[理由]勉強になりますた。やはりフィクションの力は偉大であるなあと。
    人間は言葉を操ることのできる唯一の動物だと思われるが、それはつまり、ウソをつくことのできる唯一の動物とも言えるわけで、
    人間に生まれたからにはそのスキルを駆使して楽しく生きていきたいものであるなあと改めて実感。
[結論]「僕、吉田戦車が好きです」ということに今日からしておくことにしようと思いますが、
    それは吉田戦車の漫画を読んでからにしてみようと思います。読んだことないから、実際。

今朝は雪が降りました。

2010年04月29日 | Weblog
今朝、雪が降りました。
ウソじゃないもん!ホントだもん!
ホントにトトロ居たんだも…じゃなくて、帯広にいるんだもん。

そんなことを書いてしまったため、「なぜいま帯広にいるのか」を説明しなくてはいけなくなってしまったので説明しようと思う。
(それが誰に対する説明なのか。この文章を誰に宛てて書いているのか。そこのところがイマイチよくわからない。誰か教えてよ。)


さかのぼること2週間前、いや、3週間前だったかもしれないが、
猛烈に仕事したくない気持ちにおそわれた僕は、「こんな気持ち、初めて…!」と恋する乙女のようなことを思いながら、
とりあえず「カイシャ・ヤメマス」という呪文を唱えた。
すると、「とりあえずゴールデンウィーク明けまで、いや、たとえば1か月とか、なんなら5月いっぱいぐらいまで休んでいいからさあ」とヘイシャの上司に諭され、
「あーじゃあゴールデンウィーク明けまで、もしくは1か月とか、なんなら5月いっぱいぐらいまで休みます、休ませていただきます(その後でやめます)」と返答。

そして休みの期限がいい加減なことが災いし、
当初は、残務をこなすためカイシャに行ったり行かなかったりしていたのが、
次第に行かなかったり行かなかったりし始め、
ついには行かなくなり、
そして全く行かなくなった。(残務があるのに。)

その間、ほぼ毎日、飲む、寝る、ダラダラする、飲む、飲む、ダラダラするなどして過ごしているうちに、
(※これはものの例えであって、たまに、映画観に行ったり、ラーメン食いに行ったり、ウイイレやったり、ケータイのデコメを習得したり、家族に怪しまれないよう仕事に行くフリをしたりと、多岐にわたる活動を水面下で繰り広げていたことを誤解のないように付け加えておく。)
アッという間に2週間~3週間が経過。
気が付けばゴールデンウィーク、つまりGWが始まってしまったではないか!

GWといえば、世間のみなさまがこぞって行楽に出掛けるシーズンであり、
かくいう僕もちょうど、行楽に出掛けたいなあと思っていた。

思っていたが、世間のみなさまがこぞってGWに行楽に出掛けるのは、
それが社会的に休日だから結果的にこぞるわけで、
誰も好きこのんで、みんながこぞるタイミングで行楽に出掛けたいわけではないのは、
例えば、GW前のパパンが、娘やママンの「どこか連れて行って」オーラを浴びながら、
「家でゴロゴロしったいなあ~!」と強烈に願ってやまないことからもあきらかである。

当然、僕もまた、混雑のピークであるGWにわざわざ出掛けたいわけはない。
にも関わらず…!
世間のみなさまが汗水流して働してしたノット・ゴールデンウィーク(以下NGW)を自由に過ごす権利を手中におさめながら…!
そんな貴重な貴重な、人生にあと何度あるかわからない自由なNGW(以下FNGW)を、飲む、ダラダラする、寝るなどして寝過ごしてしまったのは、一体どういうわけなのか!?

FNGWを不用意に消費してしまったことに気付いたときにはすでにGWになってしまっていたので、
「一体どういうわけなのか!?」を自問自答しているうちに僕は、どうにもならない現実を受け止めきれずパニックに陥り、
「ウワァァァーッ!!!」という寄声を発しながら羽田空港に向かい、
次に気が付いた時には帯広の地に降り立っていた。
というのが、事の顛末である。


しかしながら、そんな感じで帯広に来てしまったものだから、
なんとなく行こうと思いついた場所にもソッコーで行き尽くし、
また、近隣にこれといって行楽意欲をそそる施設もなく友人もいないため、
主にビジネスホテルのベッドで缶ビールや缶コーヒーを飲みながら、インターネット、テレビ、読書、睡眠、瞑想、祈祷するなどして適当に時間をつぶすという、
次に外出した際、道行く人に撲殺されても文句は言えない、
超贅沢な時間とお金の使い方を、心ゆくまで愉しんでいるところである。
嗚呼…