175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

無題

2004年08月30日 | Weblog
一週間ほど前だったと思うのだが、早朝、テレビのニュースで、和歌山県の男子高校生が、妹と父親の首をカッターナイフで切りつけ、殺人未遂で逮捕された、という出来事を知った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040823-00000109-kyodo-soci

偶然目にしたこのニュースの扱いは、非常に小さかった。
家でとっている朝日新聞にも、ざっと目を通してみたのだが、記事そのものが見当たらない。
にも関わらず、なんだか妙に引っ掛かるものがあって、今に至るまでこの事件が僕の頭から離れないのには、それなりの理由がある。

よくよく考えてみると、この事件、かなりショッキングな出来事ではないだろうか。
15歳の少年が、自分の妹と父親の首をカッターナイフで切り裂いた。
詳細は分からないが、もう少し関心が払われてもよい出来事ではないかと思うのである。

もちろんこの一件が、「心の闇」といった類の決まり文句で、大々的におどろおどろしく報道されていたとしても、それはそれで、建設的なやり方とは思えない。
しかしながら、新聞やテレビが、お祭り騒ぎのオリンピックを優先してこの一件を小さく扱ったり、全く扱わなかったりしたのであれば、それはもう、ギャルが「マジ終わってんだけど~」みたいな口調で間違った日本語を使っていたとしても誰も文句を言えないくらい、マジ終わってる。

そういえば、ちょっと前まで、少年の凶悪犯罪の増加云々で騒いでいた少年思いの方々は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
殺人未遂で済んだのだから問題はない、ということなのだろうか。
オリンピックが楽しすぎてそれどころではない、のだろうか。

なんていう皮肉を言ってはみたものの、この家族の内外で一体どんなことが起きていたんだろう、とか、お兄さんに首を切られた小学生の妹は、一体どんな気持ちでいるんだろう、というようなことがめちゃくちゃ気になってしまう、野次馬な性分も、決して褒められたものではないのである。

マツケンサンバ誕生秘話

2004年08月28日 | Weblog
特に理由もなく、漠然とした心持ちで浅草サンバカーニバルを見に行った。
あいにくの雨天にも関わらず、浅草は大勢の見物客であふれていた。

同じようにサンバのリズムに合わせて踊るのでも、ブラジル人と日本人とでは、何かが違う。
同じように派手な衣装を着て、同じような踊りを踊っているにも関わらず、決定的に何かが違うのである。
何が違うのか?
パッションが違うのである。

ブラジル人ダンサーは、笑顔で、縦横無尽に踊り狂う。めちゃくちゃ楽しそう。
他方で、日本人のサンバチームは、「必死に練習したんだろうなあ」という努力のあとをにじませながら、律儀に踊る。一生懸命さが伝わってきてしまうのである。

こればかりはどうしようもない。
サンバといえばブラジル、ブラジルといえばサンバなわけで、ちょっと前まで生真面目にちょんまげを結ったり、悲壮感を漂わせながら切腹したりしていた民族に、サンバの陽気なリズムはそう簡単には馴染まない。

それでも、見た目の派手さや、新しさ、珍しさは捨てがたい。なんか楽しそうだし。
パッションなんてないけど、そもそも僕たち、ミーハーな種族じゃん。
外国の文化を柔軟に取り込みながら生きてきたわけじゃん。
やっちゃおうよ。サンバ、いいじゃない。やっちゃいましょうよ。

そんなノリで開発されたのが、マツケンサンバ。