175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

「ワケありの部屋しか空いてないのですが」in福島

2010年05月03日 | Weblog
今日は岐阜で規格外のロボットを発明する天才的なエンジニアのおじいさんに再会した後、
東京へ帰ると見せかけて福島に来てしまった。友人に会うために急きょ。

終電で来たため現地に着いたのは深夜。
空いてるホテルをさがしたが、どこも満室。
ゴールデンウィークってそういうものなのか!?
だってホテルいっぱいあるのにどこもかしこも満室なんだよ!?
あるいは「福島に来る」ってぇのは、俺が知らないだけで、巷ではブームなのか!?そんなにキテるのか福島!?

結局、2時間ぐらいケータイのネットで空室ホテルをさがしたり、電話かけまくったり、タバコ吸いながらたそがれたり、「F◯CK!」と連呼しながら駅前を縦横無尽にさまよったりした挙げ句、
ようやく空室のあるホテルにたどり着くことができた。
一時は、東北地方の寒空の下、駅前での野宿も覚悟した。
だって、ネットカフェもファミレスも見当たらないから…
1人でポツンとタバコ吸ってたらホームレス風の男性が集まってくるもんだから…

ナニはともあれ、無事にこうして宿にありつけた幸福をかみしめながら、
一抹の疑念が心の中に渦巻いている最中である。

というのも、最初にホテルに電話をかけて空室状況を確認した際、
電話に出たフロントマンは、
「朝までとなりでライブやってまして、騒音の激しい部屋しかご用意できないのですが…」
と仰っていたのだが、
この部屋、ぜんぜん静かなんでがす。

一体これはどういうことなのか。
しばしタバコを吸って思案しながら、あるひとつの仮説にたどり着き、俺は恐怖のあまり「イヒーッ」と叫んで卒倒しそうになった。
そのはずみでタバコの灰がホロリと腕に落ちてとても熱かった。

以下、最初に電話をかけてやりとりした際のフロントマンとの会話である。

プルル プルル プルル …

フ「はい、こちらホテル◎◎◎…云々」
俺「あのぉ、今日って空室ありますか?(きっとおたくも満室でしょうけど。)」
フ「は、はい… あのぉ…」
俺(ダメか…)
フ「空きがあるにはあるんですが…」
俺(あるのかよ!)
フ「そのぉ…ちょっと…」
俺「はい」
フ「ワケありの部屋しか空いてないのですが」
俺「はい」
フ「なんと申しますか…」
俺「はい。」
フ「そのぉ…朝まで隣でライブをやっておりまして、
  騒音の激しい部屋しかご用意できないのですが…」
俺「あ、別にダイジョウブです。
  (野宿より全然OKっす。騒音ノープロブレムっす。)」
フ「ダイジョウブでしょうか…」
俺「ダイジョウブです。
  (って言ってるじゃないですか!泊まれれば何でもOKだから今の俺。)」
フ「それから…ダブルのお部屋しかご用意できないのですが…」
俺「ダイジョウブです。(泊まれれば何でもOKだから今の俺。)」
フ「そ、そうですか…。1泊7500円かかってしまいますが…」
俺「ダイジョウブです。
  (このフロントマンは泊まってほしいのかほしくないのか。どっちなのか。
   どっちにしろ泊まらないわけにはいかないのだが。)」
フ「そ、そうですか…。あのぉ…」
俺「はい。(まだ何かあるというのか!?)」
フ「そのぉ…ホ、ホントにうるさいと思うんですが…
  ダイジョウブでしょうか…?」
俺「ダイジョウブです。(って何度も言ってるじゃないですか!
  もともとうるさくても寝れるタチだからダイジョウブです俺。)」
フ「実際にお泊まりになってから騒音についておっしゃられても…
  その…対応しかねるのですが…ダイジョウブでしょうか?」
俺「ええ、ダイジョウブです。(そんなクレームつけないっすよ!
  仮にライブハウスの中にいるみたいなやかましさでも文句言わないっすよ今の俺なら!
  野宿より断然マシっすよ!)」
フ「それでは…」


そして今、俺のいる部屋は全くもって静寂に包まれている。

フロントマンと電話で交わした会話の中の、ある一言が妙に引っかかる。

フ「ワケありの部屋しか空いてないのですが」

!!!!

もっと早く気付くべきだった。

ワケありの部屋って何よ!何なのよ!?
つ、つまりその…出るんだな?出るんだな?アレが…!
だから極力空けてあるんだな?この部屋を!お客さんからの「アレが出るんですけど…」っていう苦情や悪い噂を回避するために!
…そして、「うるさい」のはライブじゃなくて、夜中にアレが出て、急に騒ぎ出すんだな!?
だから何度も「ダイジョウブでしょうか?」って念入りに確認とったんだな?

全然ダイジョウブじゃねぇよ!俺ホントそういのうダイジョウブじゃねぇよ!
野宿を選び直したいぐらいダイジョウブじゃねぇよ!
どうせ取り繕うなら、もっとちゃんとしたオブラートに包んで隠してくれよ!
「ワケありの部屋」とか言うなよ!


もはや俺の脳内は、アレが出る原因をさかのぼって追求するまでに活性化し、
この部屋で行われたに違いない惨殺事件にまで想像力をめぐらしてしまっている。
しかし、その種の事件だとしたら新聞やテレビでも取り上げられているはずだから…もしや自殺か!?首吊りか?!
などと、自ら恐怖を煽るようなことを考えずにはいられなくなってしまっている。

誰か助け…

今度は名古屋でタイタンの戦いを観てしまった…

2010年05月02日 | Weblog
今日は名古屋に来てしまった。
名古屋に来てしまったのは目的があって来てしまったわけなのでノープロブレムなのだが、
この街は若者が多すぎる。
ゴールデンウィークだからなのか土曜日だからなのか分からないが、名古屋駅周辺は未成年率が8割~9割を占めていると思われ、
それでいて渋谷並みの混雑具合だったりするもんだから、
「少子化」とか言ってるのは日本政府の陰謀ではないのか?
と気が気ではなくなり、一体何のために日本政府はそんなデマを流しているのか?
考えれば考えるほど、得体の知れない恐怖感が胸に渦巻いてとても沈鬱な気持ちになった。

名古屋まで来てなぜそんな気持ちにならなくてはいけないのか。
そこで僕は、「名古屋にお住まいの方々は、年をとっても肉体の老化が進まない特殊なDNAを持つ民族なのだ」という仮説を立て、そう思い込むことにした。
街角で談笑しているあの高校生ぐらいの女の子たちも、実は30~40代の子持ちのお母さんなんだろう。
満席のデニーズで戯れているあのチャラそうな男子グループは、実は近所の老人会の集まりなんだろう。
といった具合に、脳内で帳尻を合わせることにした。

そうこうしているうちにようやく落ち着きを取り戻したが、それにつけても人が多すぎる。
これはもう映画でも観るしかないなと観念し、今やってる映画で観たい映画なんてないのに、無理矢理『タイタンの戦い』を観ることにした。
飛び込んだシネコンは若者たちで満席であったが、僕は彼ら彼女らが、見た目は若いけど実は様々な年齢層の名古屋人であることを知っているので、
「俺はダマされねぇぞ!」と隣にいたカップルを威嚇、あのマヌケな3Dメガネをかけて『タイタンの戦い』を鑑賞した。

爽快なほどに中身がスッカラカンの映画だった…
内容はこの際ほっておくとして、
仲間がちょっとずつ増えていく、ドラクエ的な展開になりかけるところは多少のワクワク感を煽ってくれたが、
その仲間たちが、仲間になったと思いきや何の前触れもなく次々と、そしてあっさりと主人公のもとを去っていくという、非常に難解な物語の進め方が斬新だった。

この技法は「寸止め」や「じらし」といったS◯Xの技法に通じるところがきっとあり、
であるが故に、この映画はきっと、S◯Xと映画の融合を試みた意欲作なのだろうという仮説を立て、そう思い込むことにした。
「3DのS◯X映画」それが『タイタンの戦い』の正体なのだ。
そう思うと、なんだかちょっと興奮し、下半身がムズムズしてきた。(なわけねーよ!)

見終わる頃には僕の頭も爽快なくらいスッカラカンになりかけていたが、ラストの「これでもかっていうくらいベタでアメリカンな終わり方」で我に返り赤面。
なぜお金を出して観ている方が、こんなに恥ずかしい気持ちにならないといけないのか。
最後の最後で勝手に、得意げに中出しされたような気分であった。

しかし、この映画が「3DのS◯X映画」であったことを思い出し、「だったらしょうがないか…」と悲しげにつぶやいてフラフラと映画館を出た。
街は相変わらず、若者の姿をした年配者で溢れかえっていた。

みなさんも、「なんだか今日はアメリカ人男性にレイプされたい気分だなあ~」と思った折には、ぜひこの映画を観ればいいと思う。

妥協して生きていこうと思う。

2010年05月01日 | Weblog
やはり人間、妥協することが肝要であるなあと最近つくづく思うし、実際、社会生活を営んでいる以上、妥協は欠かせないものであるとも思う。

もし仮に、「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」が世の中にあふれた場合を想像すると、おそろしくて夜も眠れない。


★たとえば、近所の大衆的な焼鳥屋のオヤジ 一八(いっぱち)さん50歳が「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」だった場合…

一八さんはある日、自分が店で提供している焼き鳥およびサービスが、理想とかけ離れていることに気付いてしまい、愕然とする。

まず気にくわないのは、仕入れている鶏肉のレベルやタレの味、焼き加減だ。
そこで採算を度外視して、日本中をくまなく旅した挙げ句見つけた幻の国産地鶏「コケコッコー」を使用、
また、5年の歳月をかけて和洋中のあらゆる一流料理店で修行を積み直し、究極のタレを独自に開発。
さらには、焼き鳥に最も適した備長炭を求めてついには備長炭職人の資格を取得。
北海道の山奥で森林を伐採するところから備長炭に仕上げるところまで、そのすべてを自らの手で行った。

これでようやく店を再開できるぜ!待ってろよお客ども!と息巻いた一八さんだったが、はたと立ち止まって考えた。
店の外装および店内のインテリアがどうにも気になって仕方がない。
なんていうか、「THE 焼鳥屋」みたいな、大衆的でベタな感じ、これって世間のイメージに乗っかってるだけで、
俺の理想とはぜんぜん違くないか?ということに気が付いてしまったのである。
なにしろ一八さんは「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」だから、これは仕方のないことである。

一八さんは、自分の理想とする斬新な外装と内部のインテリアをイラスト化し、業者を雇ってそのとおりに工事をさせた。
だが、どうにもイメージと微妙に異なる。
たとえば、店内の壁にはニワトリの首から上を剥製にしたやつを至るところに飾ることにしたのだが、
(一八さんは、富豪の住む洋館とかの壁に飾ってある鹿や馬の剥製からヒントを得たのである。)
業者は勝手にこれを、ブロンズのモニュメントと早とちりして、工事を行ってしまった。
これでは台無しである。(と一八さんは思った。)
また、キッチンの水回りひとつとっても、一八さんが要求していたのは古代ギリシャ時代の優雅な建築美を意識したものだったのが、
古代ローマ時代のイメージにすり替わっていたりと、かゆいところに手が届かないこと山のごとし。(と一八さんは思った。)

しかし一八さんはド素人なので、その細かいニュアンスを業者に理解させる言葉を持っていなかった。
「これでは埒があかない!いっそ自分でやっちゃった方が早いんじゃないか?」と思った一八さんだったが、
そこは「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいな」一八さん。
まずは建築の専門学校に通った後、いったん建築会社に就職し、現場経験を積むことにした。
そして業界でも有名な建築士になったあたりで職を辞して、今度はインテリアデザイナーの事務所にアシスタントとして入門。
50歳を過ぎた一八さんは好奇の目にさらされたが、そんな辛い下積みを経て、独り立ち。
すると瞬く間に「新進気鋭の遅咲きデザイナー」として名を馳せ、ついには「AERA」の表紙写真に一八さんの顔が載ったり、
テレビ番組でレギュラーコーナーを受け持つまでになった。
それもこれも、一八さんが「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」であるが故の、血のにじむような努力に裏打ちされた成功であった。

通常であれば、もはや「この仕事でメシ食ってこう」と思うところであるが、
一八さんの目的はあくまで「理想の焼鳥屋」をかまえることであり、彼の心は一切ブレることがなかった。
ある日、「そろそろ頃合いかな」とつぶやいた一八さんは、ついに自分の店の改装工事に着手。
外装は「アフリカのマサイ族の住居をリスペクトした感じ」なのに、店内に入ると古代ギリシャ時代にタイムスリップしたかのような優雅な建築美、
トイレには特にこだわり、平安時代の廁を見事に再現しながら、全自動のウォッシュレットを取り付けるという、心憎い演出を施した。
もちろん、店内の壁にはところせましと、ニワトリの首から上を剥製にしたやつが飾られている。

「余は満足じゃ」とつぶやきかけた一八さんだったが、
ふと、「接客」に関しては、まだまだ理想を追求する余地があるのではないかと心配になり始めた。
そこで、最新のミシュランガイドを片手に、国内外の三つ星料亭や三つ星レストランを巡り、ありとあらゆる接客を学習。
(そうこうしているうちに舌も肥えてしまい、一八さんは「究極のタレ」をさらに改良して「新・究極のタレ」を開発。)
また、時にはファーストフード店やコンビニエンスストアのような場所に出向いたりもして、理想の接客像をより明確なものにしていくことも忘れなかった。
一八さんは、自らが追求する理想の接客イメージに近づいていった。

苦節45年。ついに理想の焼鳥屋として店を再開できる…
だが、その時には一八さんは95歳になっていた。

45年前の常連客は、もう亡くなっていたり、引っ越していたりで、どこにも見あたらない。
また、家庭を顧みずに45年間「理想の焼鳥屋」だけを追求していた一八さんのもとからは、妻も子も去っており、一八さんはひとりぼっちだった。
追い打ちをかけるように、長年の無理がたたり、一八さんは体調を崩すことになる。
「体力の限界…」そうつぶやいて、一八さんは自宅の布団の中で息を引き取った。
(最終的に、「新・究極のタレ」が「エバラ焼き肉のタレ」に酷似いることに一八さんが気が付かなかったのが、不幸中の幸いであった。)


…このように、一八さんのような「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」が世の中にあふれた場合、
あらゆるサービスが一時停止されてしまい、社会は立ちゆかなくなってしまうだろう。
そう考えると夜も眠れず、また、実際のところ、大半の大人が妥協しながら日々の生活や仕事をこなしてくださっていることに、
「大人だなあ~」と感謝の意を感じずにはいられないのである。