175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

給食ノスタルジー

2004年09月27日 | Weblog
この国で生まれ育った人間の多くが経験しているであろう、「給食」の時間。
幼少の頃たしかにそこに渦巻いたドラマの数々を、我々は忘れてしまってはいないだろうか。

焼きソバの日。かなりの確率でフルーツポンチが付いてきた。
食後、カワイイあの子が、歯に青のりを付けている様を見て、胸のざわめきを禁じえなかった男性諸君も多いのではないだろうか。

今になって気が付く、「牛乳キャップ収集」という行為の異常さ。

そういえば、牛乳を飲んだ後、上唇のあたりに白い跡が付いたままになっている子供の数は、学年が上がるにつれて、減っていった。

コーヒー牛乳やヨーグルトのごときがあそこまで重宝がられる場面を、僕たちはもう二度と拝めないだろう。

どう考えても食欲をそそらない、分厚い生の食パン。
給食のおばちゃんは、一体どういうつもりで、あの食パンを献立から外すことを頑なに拒否し続けたのだろうか。

普段から鼻水をたらしていて、道具箱はティッシュでいっぱい!みたいな子が給食当番の日は、微妙にブルーだった。
「頼むからキミは、牛乳とかを配る係になってくれ!」と、僕は心の底から願ったものである。
もちろん口や態度には出さなかった。
それでも、クラス1美人のあの子がご飯をよそってくれるのと比べた時に、「鼻垂れ」という選択肢を選ぶ子供は、たぶんいない。
いたとしたら、将来はよほど大物のスカトロ・プレイヤーである。

食器の後片付けのじゃんけんとか、何の疑問も持たずにワイワイやってたけど、実際、そんなことをやってる間にひとりひとり勝手に片づけた方が断然早いわけで、学校教育は、そういった日々の営みを通して「協力すること」を教え込んでいたのである。これには僕も参ったね!


どうだろう。
これを読んで、楽しかった給食の日々を思い起こし、給食ノスタルジーに浸ることができただろうか。

僕は今でも覚えている。
毎日牛乳を飲む時に笑わせ合いをしていた友達が、ある日、とうとう耐え切れずに牛乳を吐いてしまったことを。
いや、吐いたのが牛乳だけならよかったのだが、なんと彼は、普通に吐いていた。
当時は「引く」という言葉をまだ知らなかったが、あの時、僕も、そいつも、まわりで一緒に笑っていた友達も、間違いなく引いていた。
その日以来、僕たちは、牽制し合いながらも、おとなしく牛乳を飲むようになった。
この美談、小学校ではなく、中学に上がってからのお話というのだから、我ながらビックリである。

シネマ!シネマ!シマネ!

2004年09月21日 | Weblog
今さら『JSA』を観た。
月に20本のペースで映画を消化している僕なのだが、なにしろ手当たり次第にチョイスして漠然と観ているため、いつまで経っても映画通にはなれない。
どんなジャンルが好きか、とか、好きな映画監督は?とか聞かれても、ミーハーな魂が邪魔をして、うまく答えることができない。
(強いて言えば、ホラー映画だけは観ない。理由は、マジで怖いから。)

まあでも、邦画であっても洋画であっても、メジャーな作品であってもマイナーな作品であっても、古い映画であっても最新の映画であっても、観終わった時に自分が「おもれぇ!」と思えたかどうか、は答えられる。(そんなことは誰でも答えられる。)
あと、自分が「おもれぇ!」と思えなくても、質の高い映画かどうか、とか、革新的な映画かどうか、はなんとなくわかる。(そんな能力は、批評家にでもなろうとしない限り、全く役に立たない。)

そんなわけで、小市民的な感想として、『JSA』は、おもろかった。
今までに僕が観た韓国映画の中では一番おもろかった。
ただし、『殺人の追憶』と『ラブストーリー』を、観たいけどまだ観てない!状態なので、あくまで暫定チャンピオン。
ちなみに、韓国映画、あとは『シュリ』と『二重スパイ』、『猟奇的な彼女』改め『ゲロが麺類系な彼女』、くらいしか観ていないような気がする。

『JSA』は、冒頭のシーンでアップになるフクロウがやたらぬいぐるみチックだった時は、ハズレ映画であることを確信した。
のだが、それ以降は、主人公の一人が金子賢に見えて仕方なかったし、そいつが時々、爆笑問題の太田に見えたりもして、最後まで目が離せなかった。
あと、準主役の一人が、キングコングの梶原に似ているような気もしたのだが、それに関してはあまり自信を持てずにいる。

映画ネタついでに、そういえば。僕の好きな女優ジュリアン・ムーアが、松坂慶子に似ている、ということが、近ごろ判明した。
http://blog.goo.ne.jp/screamer6996/e/00949a05af8ddb45c7ce7a5532b95de9

unknown

2004年09月18日 | Weblog
いろんなウェブサイトに勝手にリンクを張っていいのかどうかが分からない。
法律的にどうなんだろうか。
そもそも、「リンクをはる」の「はる」が、「張る」で合ってるのかどうかも分からない。

あと、トラックバックっていうのがよく分からない。
トラックバックされたらどうすれば良いのかが分からない。
とりあえず、三回まわってワン!と叫んでみた。
・・・何も起こらない。

父親と母親の年齢が分からない。
家族の誕生日もいまいちよく分からない。誕生月は辛うじて分かる。
ちなみに、友だちの誕生日は、覚えられない。

覚えられないと言えば、初対面の人の顔と名前も、人並み以上に覚えられない。
自分には、覚えようという気がないのだろうか、と思うと、やや凹む。
と書いてはみたものの、実際にはほとんど凹んでいないことに気付く。
ああ。だから覚えられないんだ。

文章を書くということ

2004年09月17日 | Weblog
文章というのは、誰かに読ませる、あるいは読んでもらうために書くものである。

書き手は、その行為によって、ちょっとしたカタルシスを得ることができる。
日常生活において自分の中に溜まっていた感情を、外部に吐き出すことで、少なからず、「キモチ~!超キモチ~!」状態になるのである。

一方で、読み手というのは実に不安定な立場に置かれるもので、書かれている文章によって、「おもれぇ!超おもれぇ!」、となることもあれば、「???」となることもある。

書き手の自慰行為で終わってしまうか、読み手にお得感を与えることができるか。
全ては書き手のモラルとスキルにかかっている。

特に、ウェブというのは、実際のコミュニケーションに比べて相手のお顔が見えにくい分、誰に対してどんなテンションでものを書けばいいのか、迷う。非常に迷う。迷える子羊。羊たちの沈黙。メリーさんの羊。
しかも、お金をもらって書く、とかいうわけじゃないから、無責任に文章を垂れ流せてしまう。
だからこそ全てが書き手のモラルとスキルにかかっているわけだが、一方で、モラルもスキルもなくても文章を垂れ流せてしまうお手軽さがウェブの良いところであり、僕もこうして、心置きなく垂れ流している。
キモチ~!超キモチ~!

鉄腕アトムが爆発したらマジやべぇ

2004年09月16日 | Weblog
いま都内で、ドキュメンタリー映画のお祭りみたいなものが開催されている。
その名も、「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2004」である。

簡単に説明すると。
1989年以来、山形において、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」なるイベントが、隔年で開催されている。
世界中のドキュメンタリー作品が一同に会する、世界でも有数のドキュメンタリー・イベントである。

で、今回東京において、昨年の山形映画祭で上映された作品を中心に、116の作品が、およそ一ヶ月に渡って上映されている最中なのである。
「さすがに山形まで行くのはちょっと・・・」、というような東京ウォーカーにとっては、実にありがたい試みであるし、僕も、映像のお勉強を兼ねて、10回券を購入し、足繁く通っている。
なにしろ、世界各国のドキュメンタリー作品を一気に観ることができるチャンスなど、滅多にあるものではない。

今回東京においてこのイベントが開催されるに至った背景には、おそらく、ドキュメンタリーというジャンルが、一般の人々に広く認知されるようになった、ということが挙げられる。
その点において、現在公開中の『華氏911』、あるいは前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』で絶大な反響を呼んだ、マイケル・ムーアの功績は大きい。

僕は『華氏911』はまだ観ていないが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』、あと、彼の出世作である『ロジャー&ミー』という作品は観たことがある。
そして思った。おもれぇ、と。
果たしてドキュメンタリーと言えるのかどうか、とかいうことは、わりとどうでもよくて、映画つまりエンターテイメントである以上、面白いと思えるかどうか、が大切である。

マイケル・ムーアが扱っているテーマそのものは、重たい。
重たいものを重たいまま見せる、というやり方ではなく、重たいものを、誰にでも分かるように、面白おかしく演出することに成功しているからこそ、彼と彼の映画は、大衆に受け入れられた。

そんなマイケル・ムーアのルーツとも言える作品を、先日、冒頭のドキュメンタリー祭で鑑賞した。
『アトミック・カフェ』という映画。
3人の共同監督のうち2人が「ブッシュ現大統領のいとこ」であり、「マイケル・ムーアの師匠」というのが謳い文句。
ムーアは彼らに映画の撮り方を教わったらしいのである。

この映画。近々、渋谷のユーロスペースという映画館でも上映されることになっているらしいので、ヒマでヒマでどうしようもないという人は、見に行ったらいいと思う。
奇特な映像をたくさん見ることができます。

和式便所を見直す会

2004年09月14日 | Weblog
「和式便所」のイメージは、お世辞にも良いとは言えない。
なんだか安っぽくて汚らしい感じがしてしまう。
巷ではウォッシュレットが普及し、和式便所および、和式便所での用の足し方を知らないニューエイジが現れるのも、もはや時間の問題と思われる。

だがしかし、本当に我々は、和式便所を過去の遺物(もしくは汚物)として扱ってしまってよいのだろうか。

確かに和式便所は、高級感という点において洋式に劣るが、よくよく考えてみると、実に合理的。
汚れた便器への不可避的な着席や、ケツ同士の間接キスを避けられるのはもちろんのこと、あの忌まわしいお釣り(※)を心配する必要もない。

特に、映画「トレインスポッティング」に見られるような最悪なトイレットの場合、あきらかに和式は洋式に勝る。
現代において、どうも和式便所の価値が正当に評価されていないのではないか。
先日、腹を下して駅の便所に飛び込んだ際、そんなことを考えた。

それにしても、駅便というのはみな一様にダーティーである。

※お釣り:ブツが勢いよく水面に落下した際に、跳ね返ってくる水のこと。

なんで日曜は夕刊ねぇんだよ?!

2004年09月12日 | Weblog
と思ったので、さっそく調べてみました。

日曜の夕刊が廃止されたのは、昭和40年(1965年)。
理由は、新聞少年の休息のため、らしい。
どんなに些細なことでも、調べてみると意外な発見があるものです。

2004年09月11日 | Weblog
「鶴の恩返し」という昔話がある。
大体のあらすじは、

男が罠にかかった鶴を助ける。
  ↓
男の家を一人の女が訪ねてくる。
  ↓
二人は夫婦になる。
  ↓
女は男の為にきれいな反物を織って、「コレを売って生活の足しにしてクダサ~イ。ワタシが布を織っている時は決して見ないでネー。オニイサン、マッサージいかが~?」みたいなことを言う。
  ↓
男はマッサージをしてもらう。あと、約束を破って覗き見をしてしまう。
  ↓
女は鶴の姿に戻って、空高く飛んで行ってしまう。

といったところだろうか。
確か、女は日に日にやつれていった、みたいなくだりもあった気がする。

「絶対に見るな!」って言われて、我慢できるやつはなかなかいない。
場合によっては、「絶対に見るな!」という言葉が、「頼む!見てくれ!」という意味合いを持つこともある。
なにしろ相手は、いきなり自分の家を訪ねてきた見知らぬ女と結婚してしまうような、ファンキーな男。
日に日にやつれていく、なんていう前フリが加わった日には、覗き見をしないわけがないのである。

それにしてもこの話、哀しい。
何が哀しいって、男が、鶴とやっちゃったことを悟ってしまうのが哀しい。
獣姦にもほどがある。
挙句の果てに放置プレイ。

「浦島太郎」しかり、「恩返しと見せかけてハメられる」パターンの昔話は、いったい何を意味しているんだろうか。
 
 つづく

兵隊プレイ

2004年09月10日 | Weblog
新しいバイトを始めました。
警備員。とは名ばかりで。
昼夜、土木・建築の現場で車や通行人を誘導したりしてるオジサンを見かけたことがあると思います。最初はあの仕事が主らしい。

突っ立ってるだけじゃんみたいなイメージがありますが、あの仕事をするためには、4日間、計30時間以上にわたる研修を受けなければならないのです。
意外と大変。そして、意外と奥が深い。

いま、研修を受けている最中なんですが、
気を付け!とか休め!とか回れ右!とか、メチャクチャ厳しくやらされます。
制服とか装備品、マニュアルと少しでも違う着方・付け方をしていると、すぐにダメ出しを喰らいます。
敬礼は、デキルようになるまで何度も何度もやらされます。
兵隊になるための訓練。鍛錬。兵隊プレイ。
ぶっちゃけ、微妙に楽しいです。

平日、新宿は靖国通りの伊勢丹のあたりを通るとたまに、どこからか奇声が聞こえてくることがあると思います。
周辺ビルの屋上を探してみて下さい。
ヘルメットをかぶった奇特な人たちを見つけることができるかもしれません。

ちなみに、4日間、同じような講義が繰り返されます。
もう知ってるよ!昨日も一昨日も同じこと言われたよ!っていうような事態が起きるのは、法律で、30時間以上の研修が義務づけられているからなのです。
会社的にも、半ばやっつけ仕事、みたいな部分が少なからずあるわけです。

それだけに、4日間の研修はダルいし、朝から夕方まで拘束されるので、疲れます。
4日目が待ち遠しいし、事実、研修4日目の人たちは、1~3日目の人たちに、羨望の眼差しで見られます。

そんな僕も、次回、とうとう研修4日目を迎えます。
ラストです。ゴールです。寝不足です。
でもよくよく考えると、バイトはまだ、始まってすらいません。