175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

今度は名古屋でタイタンの戦いを観てしまった…

2010年05月02日 | Weblog
今日は名古屋に来てしまった。
名古屋に来てしまったのは目的があって来てしまったわけなのでノープロブレムなのだが、
この街は若者が多すぎる。
ゴールデンウィークだからなのか土曜日だからなのか分からないが、名古屋駅周辺は未成年率が8割~9割を占めていると思われ、
それでいて渋谷並みの混雑具合だったりするもんだから、
「少子化」とか言ってるのは日本政府の陰謀ではないのか?
と気が気ではなくなり、一体何のために日本政府はそんなデマを流しているのか?
考えれば考えるほど、得体の知れない恐怖感が胸に渦巻いてとても沈鬱な気持ちになった。

名古屋まで来てなぜそんな気持ちにならなくてはいけないのか。
そこで僕は、「名古屋にお住まいの方々は、年をとっても肉体の老化が進まない特殊なDNAを持つ民族なのだ」という仮説を立て、そう思い込むことにした。
街角で談笑しているあの高校生ぐらいの女の子たちも、実は30~40代の子持ちのお母さんなんだろう。
満席のデニーズで戯れているあのチャラそうな男子グループは、実は近所の老人会の集まりなんだろう。
といった具合に、脳内で帳尻を合わせることにした。

そうこうしているうちにようやく落ち着きを取り戻したが、それにつけても人が多すぎる。
これはもう映画でも観るしかないなと観念し、今やってる映画で観たい映画なんてないのに、無理矢理『タイタンの戦い』を観ることにした。
飛び込んだシネコンは若者たちで満席であったが、僕は彼ら彼女らが、見た目は若いけど実は様々な年齢層の名古屋人であることを知っているので、
「俺はダマされねぇぞ!」と隣にいたカップルを威嚇、あのマヌケな3Dメガネをかけて『タイタンの戦い』を鑑賞した。

爽快なほどに中身がスッカラカンの映画だった…
内容はこの際ほっておくとして、
仲間がちょっとずつ増えていく、ドラクエ的な展開になりかけるところは多少のワクワク感を煽ってくれたが、
その仲間たちが、仲間になったと思いきや何の前触れもなく次々と、そしてあっさりと主人公のもとを去っていくという、非常に難解な物語の進め方が斬新だった。

この技法は「寸止め」や「じらし」といったS◯Xの技法に通じるところがきっとあり、
であるが故に、この映画はきっと、S◯Xと映画の融合を試みた意欲作なのだろうという仮説を立て、そう思い込むことにした。
「3DのS◯X映画」それが『タイタンの戦い』の正体なのだ。
そう思うと、なんだかちょっと興奮し、下半身がムズムズしてきた。(なわけねーよ!)

見終わる頃には僕の頭も爽快なくらいスッカラカンになりかけていたが、ラストの「これでもかっていうくらいベタでアメリカンな終わり方」で我に返り赤面。
なぜお金を出して観ている方が、こんなに恥ずかしい気持ちにならないといけないのか。
最後の最後で勝手に、得意げに中出しされたような気分であった。

しかし、この映画が「3DのS◯X映画」であったことを思い出し、「だったらしょうがないか…」と悲しげにつぶやいてフラフラと映画館を出た。
街は相変わらず、若者の姿をした年配者で溢れかえっていた。

みなさんも、「なんだか今日はアメリカ人男性にレイプされたい気分だなあ~」と思った折には、ぜひこの映画を観ればいいと思う。