カップヌードルのシーフードを食べていて、ふと思った。
「・・・スープ、とんこつ味じゃん!」
愕然とした。
曲がりなりにも21年間、カップヌードルを食べ続けてきた。
カップヌードルといえば、しょうゆ・カレー・シーフード。
チリトマトに代表される脇役ヌードルや、チョイ役・斬られ役の季節商品ヌードルはともかく、しょうゆ・カレー・シーフード、やつらのことなら何でも知っている気になっていた。
しかし、よくよく考えてみれば、ハナからおかしいのである。
しょうゆヌードルはしょうゆスープ。
カレーヌードルはカレースープ。
シーフードヌードルは・・・、シーフードスープ!?そんなもんあるのか?!ということに、もっと早い段階で気付くべきだったのである。
確かにシーフードヌードルには、シーフードが入っている。
しかしそれはあくまで具の話であって、スープがシーフードというわけではない。
にも関わらず、僕は21年間、シーフードヌードルというネーミングに何の抵抗もなく接してきてしまったし、スープに対して疑問を抱くようなことも、なかった。
言ってみれば、シーフードヌードルに騙されながら生きていたのである。
こんなに屈辱的な出来事が、いまだかつてあっただろうか。いや、あった。
小学校低学年時代、なわとびの検定か何かで、「チャンピオンになりたい」という欲望に負けた僕は、先に引っ掛かった級友たちが見守る中、ズボンがずり落ちてパンツ一丁になってまで、跳び続けた。
下半身パンツ一丁で必死に縄跳びを跳び続ける少年の姿が、どれだけ滑稽なものであるかは想像に難くない。
結果、チャンピオンにはなれたものの、人間として大切な何かを、当時、すでに失してしまっていたようである。
さて、話は大幅にそれたが、シーフードヌードルのからくりにも気付かず、厚顔無恥に麺をすすり、アホ丸出しでとんこつ味のスープを飲み干し、「シ-フードうめぇ」などとのたまっていた僕を、日清食品ヌードル部シーフード課の方々は、鼻で笑っていたに違いない。
嗚呼。
「・・・スープ、とんこつ味じゃん!」
愕然とした。
曲がりなりにも21年間、カップヌードルを食べ続けてきた。
カップヌードルといえば、しょうゆ・カレー・シーフード。
チリトマトに代表される脇役ヌードルや、チョイ役・斬られ役の季節商品ヌードルはともかく、しょうゆ・カレー・シーフード、やつらのことなら何でも知っている気になっていた。
しかし、よくよく考えてみれば、ハナからおかしいのである。
しょうゆヌードルはしょうゆスープ。
カレーヌードルはカレースープ。
シーフードヌードルは・・・、シーフードスープ!?そんなもんあるのか?!ということに、もっと早い段階で気付くべきだったのである。
確かにシーフードヌードルには、シーフードが入っている。
しかしそれはあくまで具の話であって、スープがシーフードというわけではない。
にも関わらず、僕は21年間、シーフードヌードルというネーミングに何の抵抗もなく接してきてしまったし、スープに対して疑問を抱くようなことも、なかった。
言ってみれば、シーフードヌードルに騙されながら生きていたのである。
こんなに屈辱的な出来事が、いまだかつてあっただろうか。いや、あった。
小学校低学年時代、なわとびの検定か何かで、「チャンピオンになりたい」という欲望に負けた僕は、先に引っ掛かった級友たちが見守る中、ズボンがずり落ちてパンツ一丁になってまで、跳び続けた。
下半身パンツ一丁で必死に縄跳びを跳び続ける少年の姿が、どれだけ滑稽なものであるかは想像に難くない。
結果、チャンピオンにはなれたものの、人間として大切な何かを、当時、すでに失してしまっていたようである。
さて、話は大幅にそれたが、シーフードヌードルのからくりにも気付かず、厚顔無恥に麺をすすり、アホ丸出しでとんこつ味のスープを飲み干し、「シ-フードうめぇ」などとのたまっていた僕を、日清食品ヌードル部シーフード課の方々は、鼻で笑っていたに違いない。
嗚呼。