【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会副会長 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

火神主宰 俳句大学学長 Haïku Column代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

第22号【今村潤子】

2018年03月13日 11時40分22秒 | 総合文化誌「KUMAMOTO」


NPO法人 くまもと文化振興会
2018年3月15日発行

《はじめての今村潤子》
〜自己剔出の俳句〜

                   永田 満徳

今村潤子氏は『子別峠』(読売・日本テレビ文化センター、平成九年)、『秋落暉』(角川書店、平成十九年)などの句集を出している俳人である。その一方、『川端康成研究』(審美社、昭和六十三年)、『中村汀女の世界』(至文堂、平成十二年)など、多くの研究書を書いている文学研究者である。
『今村潤子集』は平成二十八年、自註現代俳句シリーズ・12期2として俳人協会から発行された。

むきになることなどなき世風の盆

この句の初出は『秋落暉』であるが、初めて読んだとき、むきになって生きている自分への諭しのように思えて、思わず苦笑いをしてしまった。そして、この世を超絶したかのような民俗行事で有名な「風の盆」という季語がよく付いていて、「そうだ、むきになる必要はどこにもないんだ」と居直りに近い思いを抱かせる。まさしく諭しから癒しを与えてくれる句である。
『今村潤子集』は、今村潤子氏と共にした吟行や句会を蘇らせるよすがになって感無量である。「金鳳花くの字くの字に牛の道」は阿蘇の放牧の道、「子別峠風の道ある芒原」は五木の峠、「秋落暉大蛸の骨あぶり出す」は下田の海岸など、俳句の現場に立ち会っている。いずれも地域の特色を的確に描き出している。
足立幸信氏は『秋落暉』の書評(『俳句』角川書店、平成十七年八月号)において、本句集収録の句で言えば「現の証拠通潤橋の解剖図」に触れて「地方色ある素材に知的なひねりを加えている」と述べ、「漱石と『和熟」』を語る春の夢」に関しては「近代文学研究者としての顔を見せている」を指摘していて、地域的素材に対して近代文学研究の立場で切り取る今村潤子俳句の特質を鋭く捉えている。
『今村潤子集』が自註自解であることの意味は大きい。俳句の選定にしろ、その句の説明にしろ、紛れもない文学研究者兼俳人の姿が浮かび上がっている。
学究は論を成すことによって研究者として評価される。論の整合性を確かなものにするために一行でもおろそかにできない。

汀女論の一語に執し去年今年
原稿用紙二行の余白青葉冷え

文学研究は文学作品と資料と、なにより故首藤基澄氏(熊本大学名誉教授・句集『己身』熊本県文化懇話会賞受賞)が述べていた「抓れば痛い我が身」との対話の連続で、それこそ身を削る行為である。「消しゴムで消せぬ心中梅雨の月」や「女人の性(さが)秋刀魚(さんま)の腸(わた)の捨てどころ」は自己の内面を素材にしていて、なかんずく「煩悩の一途に燃えて彼岸花」「塵界は煩悩多し天の川」などの句は煩悩に焦点を当てている。その煩悩を抱える自我の有り様を剔出(てきしゅつ)する近代文学は自我の探求の文学と言ってよく、自我の問題と格闘することから始まる。

自我を小さく小さく生きて冬菫

「自我」を処理するのはそう簡単ではない。自我は我執となってのたうち回る。「大地こがす炎中我執の凍ゆるむ」のどんど焼の句や、「アイガー北壁我執ちりぢり雪渓に」のスイスの山の句のように、その「我執」は「炎」や広大な「雪渓」に至ってようやく宥めることができる。
文学研究の場では、研究者と文学作品との距離の取り方が適度であることが重要で、そこに客観性と妥当性が保証される。より客観的であろうとする不断の努力は研究者の現実世界でも応用される。自我と自我とのぶつけ合いの中に世渡りするには相手との距離が問題になる。

かなかなや褒めあふ距離の嫁姑
夫婦とて相触れぬ距離ねこじやらし

この「距離」の感覚は尊い。これらの句には「褒めあふ距離」で嫁姑の確執を乗り越え、「相触れぬ距離」で夫婦間の軋轢を避ける知恵がある。「商人の慇懃無礼草虱」や「巧言の裏のからくり蛇いちご」の句に見られる「慇懃」や「巧言」はその裏にある「無礼」「からくり」が隠されている態度であり、嫁姑の句や夫婦の句の「距離」の感覚からはほど遠い。

己が領分控へ目がよし寒あやめ

「控へ目」の語は掲句を始めとして、「控へ目に生きて六十路や鳳仙花」や「晩年は控へ目がよし額紫陽花」の句にも出てくるが、「控へ目」に「控へ目」に世に処する理想が語られている。
こういう性格形成に欠かせないのは父の存在であった。

渋団扇言葉少なき父の背
肥後もつこすの父の箴言臥龍梅
父の血や妥協許さぬ鉄線花

それぞれの自註で、「渋団扇」の句は「無骨な『渋団扇』はさながら無口な父の背を想起させる」、「肥後もつこす」の句は「『肥後もっこす』であった父の戒めの言葉は『臥龍梅』のごつごつした枝が心に突き刺さったようなものであった」、「父の血や」の句は「『妥協』を許さない私の性は父譲りのものである」と述べられている。

芋嵐肥後もつこすで通せし日

この句の自註で「どうしても妥協できないと意地を通した一日であった」とあるところから、父の「無口な」気質に接し、父の「肥後もっこす」で「「妥協を許さぬ」姿勢を受け継いでいることが窺える。
相手の「領分」を侵さず、自分の「領分」をも保持する距離の取り方がある。まさしくここに、対象を客観的に見る研究者の処世術の達成がある。
 近代文学研究者と俳句実作者との不即不離の関係で生み出された句の数々は自己を剔出して、人間の奥深い内面を表現している。まさしく一編の小説に等しく、重厚感溢れるものである。『今村潤子集』は俳句を近代文学の手法で詠み込んだ句集として出色である。
(ながた みつのり/熊本近代文学研究会会員)


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