Trois points ~みっつの編み目~

 隙間時間にちょこっと編み物・・・

最近は編み物ですが・・・

2009-07-08 11:30:30 | 母のこと
 最近、戦国時代にお城に神社仏閣・・・そして山登り、アウトドア・・・と

女性の間での流行りとか???

それって・・・私やーん!!

学生時代は「歴史」好き

普段も「博物館」「美術館」「正倉院展」に通っておりました。
海外旅行も流行っていましたが、日本を知らずして海外に出るのも・・・

とただ単に勇気がなかっただけの当時
国内旅行に専念しては
各地の「博物館」「美術館」「歴史観光地」「寺に神社」などを
ひたすら見学していました。

就職してからは、少々行き先に「スキー旅行」「海水浴」などなども加わりましたが

それでも学生時代の友人と歴史地めぐりは続けていました。

その後はなぜーか社内に「仏像」好きな人がいて
一緒に日帰りできるところへちょこちょこ見学
仏像、お寺、お庭とあちこちへよく出かけました。

その後、退職

アルバイト生活になったのですが
そこでめぐり合ったのが「ハイキング」
以前から出かけてみたかったものの、一人で始められなかったのですが

ここで「ハイキング」「山歩き好き」な人にめぐり合いました。

月に1、2度、京阪神に日帰りハイキング、年に2度ほどは山小屋泊まりで
出かけるようになりました。

大台ケ原に伊吹山、尾瀬・・・行ってみたかったところに連れて行ってもらいました。
歩いた後に「温泉」「おいしいもの」などのおまけ付き

その間、アルバイト先の契約が終了するので紹介してもらったのが
「埋蔵文化財センター」での遺物整理などなど

歴史好き・・・とはちと方向が違いますが
いきなり「考古学」に片足入れることになりました。

契約が終わるまで2年間働いたのですが
いろんな経験をさせてもらいました。

考古学の知識のない私がすることといえば
専門官の方のアシスタントでした。

丁度、発掘調査終了後に「報告書」なる学術調査書の出版まで1年
と言うところでした。

遺物の写真撮影の助手やら他のアルバイトの方々の仕事配分のコーディネート
的なことをしました。

何千という遺物を覚えることもしましたわ~

その発掘現場の遺物は大半が「埴輪」はにわですぅ

今まで触ったことなんてなかったのに
毎日埴輪の山に囲まれていました。

すでに修復、復原作業は終わっていたのですが
その発掘当時の現状を知らないのに、すべて写真をみて
覚えこみました。

遺物のかけら一つ一つに番号が振られているので
それを専門官の人は覚えているのですが
その人の言われるとおり「何番」と言われれば整理した何千のかけらから
その現物を出してきたり・・・

そんな仕事をしていました。

結構、得意分野だったのですぐ遺物の破片を丸暗記

なにせ埴輪です。
「どこそこで見つかった何色のあれ・・」持ってきて
と言われても、
すぐ、届けられたんです。

他のアルバイトさんは専門職で遺物の実測、実測図面のトレース
などがお仕事

私が5~6名のチームの雑用をしていました。

簡単なトレースは練習して私も手伝ったり
遺物の一覧などは私が作成しました。

他の報告書もいっぱい読んで(拾い読み)報告書の形体を覚え
1ページずつ作りました。

今から15年ほど前ですから・・・
パソコンで処理することもせず

文章の合間のに入る絵や表などすべて手づくりでした。

1ページに入る文字数などの割り振りは出版社さんがしてくれますが
文章の都合で次のページに送りたくないときなどは
手作業でした。

何度も出版社さんに足を運んだり
写真を選びなおしたり・・・いろんな経験ができました。

専門書なのですが、最終校正は私がしました。
最終校正後、印刷のあとの間違いがみつかったので
「正誤表」も私の手づくり

学術用語なので普通の漢字使いでないことや、専門官のこだわり
などすべて覚えた上での校正作業でした。

何の専門知識がないのに、よくやりました。
学生時代以上に勉強しました。

職場では大学生さんや院生さん、NHK教育テレビの歴史番組
などの案内をされている学者さんと話したり
とても専門的で楽しい時間でした。


一番忙しい半年間は、テレビもほとんどみず、他の本も読まず
友達とご飯を食べに行く時間すらなかったですもの。


時給800円のアルバイトでよくやりましたわ。
公的な施設でのアルバイトなのに・・・土曜か日曜どちらかは出勤していました


夜も持ち帰りのサービス残業も・・・

それだけ面白かったのですが


・・・出版のご褒美は報告書の表紙と背表紙の「題字」を書かせてもらうこと。

書きたくはなかったのですが・・書いてと言われ
お習字させていただきました。

これも時間外サービスです。

報告書の定価6000円
一般書店には並ばない専門施設、大學に贈呈されるものです。
残りの部数のみマニア向けに一般発売されましたが
すぐに完売、異例の増刷となったらしいです。

今では古書店に時々出てくる程度
出版にかかわったものとして記念に1冊いただいています。

が・・・そんな私のアルバイトでしたが
発掘調査が終わればチームは解散、契約も終了となります。

アルバイトの予算は発掘する地面の持ち主の大半が負担ですので
ばっさり終了となりました。

専門職のアルバイトの方々は次のチームへ移動されましたが
所詮ただの手伝いアルバイトはそこでおしまいでした。

そのときは抜け殻状態

何をして言いかわからず困っていたときに
「暇になったのだったら屋久島へのぼらへん?」とお誘い

二つ返事で参加決定

3泊4日の
5月の屋久島へ出かけました。
目的は屋久島最高峰「宮之浦岳」「縄文杉」

しばらくハイキングなどから遠ざかっていたので
かなりきつい歩きでしたが
それはそれは思い出になる山歩きになりました。
当時はまだ「縄文杉」のすぐそばまで行くこともできました。

毎日遺物、かけらと部屋の中でのちまちま仕事をしていたのに

海と空と山と・・・
小さな世界のことを一気に吹っ切ることができました。
そのときの気持ちは「遺物」人間の作ったものより
「自然」よー!自然に勝るものなしーー

屋久島からもどると、元の職場から暇やったら来てーとすぐお声がかかり
元のアルバイト職場へ

そこから数ヵ月ごとの契約であちこち転々としましたが
それぞれいろんな窓口業務やら事務やら

なにをしても楽しかったです。

覚えることや知らないことはまだまだてんこ盛り
必要としてくれるアルバイト先があることはうれしいことでした。

転々としたのですが最終的に落ち着いたのは
相談業務の職場でした。

アルバイトですので相談を受けることはしませんが
相談にこられた人の要点のみ聞いて案内したり
相談会のイベントの準備やら

スズメバチの駆除から離婚から交通事故から相続問題
ありとあらゆることが連日あって面白いことこの上なしでした。

たいへんではないけど、心の病系の方の応答は少々困り物でしたが

そんなこんなのアルバイト先

その頃はまたハイキングも再開し
アルバイトなりに充実した日々でした。

「歴史」「神社仏閣」「仏像」「お城」「ハイキング」「アウトドア」と
いろいろ好きなものは変遷してきました。

結婚後はもっぱらアウトドア
「クライミング」の練習をした(させられた)こともありました。
幸い主人も歴史は好き、ずっと私より詳しいです(偏ってますが)

生まれた息子も歴史好き(当然か・・・)

最近は遠のいていた「神社仏閣」「歴史的建造物」「正倉院展」
「博物館」「美術館」「お城」と
小学生になった息子と再訪したり、新たに出かけたりできるようになりました。

その分「山歩き」の時間がめっぽうへりました。

この先、息子の興味はどっちへ向くのかわかりませんが
親子でいろんなことに興味を持ち、出かけたり観たり、聞いたり
調べたり、歩いたり出かけることができればいいなあ
と思う次第です。
















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2 コメント

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私の履歴書?(笑) (まゆ)
2009-07-09 14:35:43
今まで断片的に聞いていた職歴、趣味歴が
これでようわかりましたわ。
こんだけ経験してるから、そら かつての幼稚園ママたちの無知さを嘆いてもしかたないわ。
つーか、mitukiさんが 物知りすぎるねん(爆)
返信する
私の学生時代以降ですわ (★まゆさんへ・・・mituki)
2009-07-09 16:18:13
私って事務職体質なのよー

窓口もできます。電話応対もできます。
秘書業務もできます。
本格的でなければ経理もできます。
パソコンも・・・
苦情も聞けます。
お年寄りの話も聞けます。

またいつかどっかで活かせるかしら~
返信する

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