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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【5Ⅰ-02】 <68年>パンドラの箱 【上半期】

2014年09月12日 22時04分37秒 | 第5部 地殻変動
<第1章>「夜明け前」の日々
[第2回] <68年>パンドラの箱 【上半期】

1968年。街にビートルズの曲が流れ、ローリングストーンズの絶叫とリズミカルな動きが若者のココロを浮きたてます。路地裏の居酒屋から「星影のワルツ」(千昌夫)や「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈)が有線から流れます。家庭のテレビからは「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)や「花の首飾り」(ザ・タイガース)の歌声が流れ、茶の間の話題となります。

――60年代に入って好調な経済を反映して徐々にではありますが社会全体にモノが行き渡るようになりました。68年頃には繁華街に次々と新しいビルが建ち並びシャレた店々が表通りに目立つようになり、都心の真ん中に日本初の超高層ビル「霞が関ビル」が完成したのはその象徴的な出来事でしょう。西武百貨店の渋谷店を皮切りに70年、渋谷パルコ進出などセゾングループの仕掛ける「商品販売」と「文化」をセットにした戦略は、当時の若者文化の台頭とともに大量消費文化を押し上げました。
ただ一見華やかな経済の陰には北海道美唄炭鉱ガス爆発、カネミ倉庫による食品公害、「金嬉老事件」の在日朝鮮人問題などが突き付けられました。海外へ目を転じると米国のベトナム戦争激化、ソ連のチェコ「プラハの春」への弾圧、フランスの核実験など大国の横暴が目立つようになりました。国内においても農民の強制排除による大空港建設計画、核持込みの約束に反した空母寄港など国家の独走が目立ちます。<68年>を語ろうとすれば『パンドラの箱』を開ける覚悟がいります…。

■まずは【上半期=前半】の主な動きから。▲1月5日= チェコで「プラハの春」始まる▲1月9日=オリンピック・マラソン選手の円谷幸吉が自殺▲1月17日=長崎県佐世保市で米原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争始まる(闘争は3日間続く)▲1月20日=北海道美唄炭鉱ガス爆発で16名死亡▲1月27日=佐藤栄作首相が国会答弁で「非核三原則」に触れる▲1月29日=東大医学部無期限スト突入。東大闘争始まる▲1月30日=ベトナム戦争で南ベトナムの共産ゲリラが蜂起⇒テト攻勢開始▲2月21日=静岡県清水市で暴力団2人を殺害した金嬉老が人質を取り寸又峡温泉の旅館に立て籠もる(金嬉老事件)▲2月22日=全国でコカ・コーラ商品を発売(販売ネット拡充)▲2月26日=成田空港阻止三里塚闘争集会でデモ隊と警官隊が乱闘。空港反対同盟戸村一作委員長が警官に殴られ重傷▲3月31日=米国がベトナム戦争での北爆一部停止を発表。

共産主義ブロック下にあったチェコ・スロバキアの人々が自由を求めたのが「プラハの春」。しかし同ブロックの崩壊を感じたソ連がワルシャワ条約機構軍を動員して8月20日に戦車で武力介入し、自由主義的傾向のドプチェク政権を打倒して傀儡政権を樹立。「プラハの春」が挫折したことで1970年代の東西の緊張緩和(デタント)を生み出す素地が切り開かれたといわれています。「非核三原則」で日本に核を持ち込まないと約束しながら、原子力空母エンタープライズが佐世保に寄港するということで全学連・労働者が全力をあげて阻止行動を行いました。3日間にわたる激闘は佐世保市民の支持を受け多額のカンパが集りました。

60年代に入って石炭から石油へのエネルギー転換で石炭事業の合理化を断行。結果的に安全管理がおざなりとなり北海道美唄炭鉱ガス爆発をはじめ、63年には九州・三池炭鉱の炭塵爆発を引き起こすなど全国で炭鉱事故が多発しています。作業員は地下深く逃げる場所がありません。今日、国鉄分割・民営化に伴う人員合理化がJR北海道などの事故多発となって現れており、炭鉱事故と相通じるところがあります。だって、あの広大な北海道の鉄道網を国鉄は2万人で管理していたのを、民営化でJRは7千人まで削減したのだぜ。管理できないよな。

南ベトナム解放戦線(人民戦線)の「テト攻勢」は、米軍が数百万もの兵士を投入しても勝利し得なかったベトナム戦争の都市型戦闘に受け身で闘わざるを得なかった闘いです。ただ、この南ベトナム解放戦線は60年に組織され軍事力は強かったのですが、75年春に北ベトナムが米国に勝利した翌日(5月1日)をもって虐殺を含む強制的な解体攻撃を受けています。「軍隊組織は1本でよいでしょう」とな。明治政府は維新戦争に功績のあった奇兵隊を弾圧、解体していったことと理屈は似ています。
「金嬉老事件」は在日朝鮮人の置かれている課題を突き付けました。新たな空港建設を画策していた政府は富里村の反対を受け66年に急遽、成田市三里塚一帯を空港用地に指定。農民は「農地死守」を旗印に強制排除を図る機動隊と激突しました。以来、40数年を経た今日に至るも1本の滑走路しか建設しえていません。

■次に【上半期=後半】では、▲4月4日=マーティン・ルーサー・キング牧師暗殺▲4月18日=東京都千代田区に日本初の超高層ビル「霞が関ビル」完成(高さ147メートル)▲4月29日=ニューヨーク・ブロードウェイでミュージカル「ヘアー」開演▲4月19日=西武百貨店渋谷店開店▲5月21日=フランスで五月革命勃発。学生の街頭占拠と労働者のストライキは1ヵ月に渡る▲6月2日=夜間離発着訓練中の米空軍F4ファントム戦闘爆撃機が九州大学に建設中の大型電算機センターに墜落▲6月5日=ロバート・F・ケネディ暗殺▲6月26日=小笠原諸島の日本復帰。

「キング牧師暗殺」は黒人差別問題をクローズアップしました。大学闘争を果敢に闘っていた全共闘の皆さんは「闘争が終わった」といって就職し日常の生活に戻れます。しかし三里塚の闘う農民や黒人差別を闘う人々には「闘争を終えて戻るところはない」という現実を突き付けています。超高層ビル「霞が関ビル」の建設過程を岩波記録映画で観たことがあります。今日のブロック建設方式が採用される前の建築手法で完成までに時間がかかっていました。
「西武百貨店渋谷店開店」はその後、70年に渋谷パルコが開店するなど西武セゾングループ路線を打ち出した頃の代表格。でも、バブル期の放漫経営からセゾン崩壊。堤代表は元共産党員と有名でしたぁ~。「フランス五月革命」は当時、カルチェ・ラタンが日本の若者に圧倒的な支持を得ました。しかし最近読んだ『五月革命』本では「何を獲得しようとしてたのか分かんない…」だって。

米軍機の九大構内への墜落事故は、当時の大学闘争にとって格好の反戦目標となりました。しかし建設中のビルに引っかかったままの墜落機を突如引き摺り落としたのだから、さあ大変。「犯人は誰だ?」ボク、知ってるもん! え?誰もが知ってるの…なぁ~んだ。



――69年春。九大構内へ潜入し、引き摺り落とされた米軍機の残骸【写真↑】と墜落した大型電算機センター建設現場【写真↓】を撮りました、よ。



⇒ミツマメ君…アナタ、学校サボッて九州に行っていたの?



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