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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【7序-03】 記録映画『怒りをうたえ』

2015年10月06日 21時58分47秒 | 第7部 激動の渦中へ
<序章> 1969年という時代
〔第3回〕 記録映画『怒りをうたえ』

全国的な規模で闘われた<70年安保・沖縄闘争>の主要闘争が記録された映画『怒りをうたえ』のビデオテープを、本欄記述のための参考資料として観る必要性に迫られ、春先に20数年ぶりに観ようとしました。最近ではDVDしか観ないので押入れから久々にビデオデッキを引っ張り出してセット。おもむろにビデオカセットを挿入したら10秒も経たないうちに「ブチッ」とテープが切れてしまいました。
ビデオを入手してから20年以上が経過したのでテープが劣化していたのでしょう。そこで近所の写真サービス店へ持ちこんで修復とDVDへの焼き込みを依頼しました。


この夏、ようやく仕上がった『怒りをうたえ』〔第1部〕のDVDを再生しました。題字にはじまり新宿駅から延びる線路の上を走行するジェット燃料を積み込んだと思われるタンク車。その画像のうえに蓋いかぶせるようにナレーション。「新宿駅構内をベトナムへ向かう飛行機用の燃料を満載した貨車が走る…」その後、1968年の<10・21新宿闘争>の戦闘場面に移り、夜の新宿駅ホームでのデモ隊と機動隊の肉弾戦が映像となって飛び込んできました。「これほどまでに激しかったのかな…」思わず声に出ました。

さらに別の場面が現れたのですが…10分も経たないうちに私はビデオを止めたのです。それは自分が考えていたよりも余りにも戦闘シーンが激しかったので観るに忍びなかったからです。確かに20年以上前にビデオテープを入手したとき、全編8時間もの記録映画を2週間ほどかけて観たのですが、時間を経て改めて見直すとその衝撃の凄まじさに息を呑んだというのが本音でしょう――。
「あの時代。学生をはじめ若者や労働者が、あれほどまでに戦争に反対し実力で阻止しようとしたのだな。その隊列のなかの一員として自分も渦中にいたのか…」と思うとともに、映像のもつ力強さに圧倒されました。

■『怒りをうたえ』は人民弾圧武器発達史を記録?
1970年の安保改定に向けた60年代末から70年にかけての反対運動は、ベトナム戦争反対の闘いとともに全国的な規模で闘われていました。この一連の闘争過程を記録した映画として『怒りをうたえ』という貴重な映像があります。この映画は、宮嶋義勇監督を中心に約100名の映画関係者が協力して闘争現場に密着し撮影した生々しい映像を編集したものです。
全体に〔3部構成〕で、映像は通算8時間という長編映画です。「第1部」は1970年3月に完成し全国一斉に上映されていますが、各上映会場には大勢の観客で熱気に包まれていたと記録されています。

時間の経過とともにこの映画の存在が忘れられようとした1992年10月、当時の活動家や文化人が集まり<「怒りをうたえ」上映実行委員会>が結成されて、「第1部」公開以来20数年ぶりに『怒りをうたえ』の上映運動が行われています。
上映運動に向けて記者会見が行われ、席上、上映実行委員会事務局長で「70年安保闘争統一被告団長」の三浦暉さんは、「PKO(国連平和維持活動)が問題になっているいま、政治に関心の薄いようにみえる現在の若者に観てもらい、彼らの考えを聞きたい」と話されています。

上映実行委員会事務局が発行したパンフレットの巻頭対談『七〇年闘争を描いた叙事詩』=『怒りをうたえ』の現場から=のなかで、宮嶋義勇監督と映画評論家の白井佳夫氏が撮影当時のことや上映運動の方向について話し合っています。


このなかで撮影現場にいた宮嶋監督は、機動隊の弾圧について「…現場の催涙ガスなどは酷いものですよ。警察の楯、あれで殴るんです。痛いですよ。(中略)…68年から71年までの間に、警察の弾圧のやり方が変わってくるんです。(68年の)防衛庁の前でかけられたのは水道の水ですよ。翌年の2、3月以降になると水の中に染料を入れるようになる。白いワイシャツを着ていると色がついて、後で逮捕できるようにした。僕はそれ以降いつも黒のシャツを着ている(笑い)」
「催涙弾も始めは水平撃ちはしなかった。東大闘争の最中に水平撃ちをやるようになります。それが人間を狙うようになります。ガス銃は武器ですからね。(中略)…それに催涙弾の中身が強化されましたね。69年のアスパックの時からです。(68年の)10・21新宿闘争の時は、まだ目が痛くなって涙が出るという文字通りの催涙弾でしたが、アスパックの時には顔がむくれました。…そういう点では、『怒りをうたえ』は人民弾圧武器発達史といえます」と語られています。

■記録映画『怒りをうたえ』主な内容
「怒りをうたえ」上映実行委員会が作成したパンフレットの『映画の主な内容』によると――。

〔鮮明に蘇る全共闘・反戦青年委員会〕
全共闘・反戦の闘いは単に戦後最大の大衆実力運動であったにとどまらない。無数にコミューンが芽生え、軍事が組織され、芸術が戦闘化した時代、日常と変革と自立が社会的総反乱として表現できた時代であった。日本において、これほど大衆的社会的にラジカリズムを受け入れた時代はかつてなかった。映画「怒りをうたえ」は、自衛隊海外派兵の時代に様々な意味を投げつけるであろう。



●〔第1部〕1968・10・21~69・5・31(2時間54分)
騒乱罪が適用された新宿駅での闘争にはじまり、防衛庁攻撃、大阪、沖縄での学生、反戦労働者の10・21国際反戦デー闘争がすさまじいまでに描かれる。続いて東大1月18・19日の安田攻防、神田バリケード戦、三里塚闘争、そして最後は新橋・銀座を完全制圧した4・28沖縄闘争。他に総評大会、戸村一作・羽仁五郎・秋田明大氏のアジテーションなど。〔内容〕▼10・21新宿駅騒乱闘争▼東大安田講堂死守戦▼沖縄返還闘争▼愛知外相訪米阻止闘争

●〔第2部〕1969・6・8~69・11・17(2時間42分)
伊東でのASPAC(アジア太平洋協議会)粉砕闘争、新宿西口でのフォークゲリラなどが、折からの大学闘争と並んで闘われた。日比谷での全国全共闘結成を経て、10月11月の佐藤訪米実力阻止闘争へとつながって行く。他に反核、沖縄、高校生の闘いなど。〔内容〕▼アスパック弾劾闘争▼6・15反安保闘争▼8・6広島闘争▼全国全共闘結成▼10・8羽田一周年闘争

●〔第3部〕1969・12・1~70・6・23(2時間28分)
九州山田弾薬庫、横田、三沢などの反基地闘争。三里塚、4・28沖縄闘争などが激烈に闘い抜かれる。また反戦青年委員会と社会・共産両党確執を通して6月反安保闘争へ登り詰めていく過程が描かれる。他にべ平連の活躍ぶりなど。〔内容〕▼三里塚闘争▼4・28沖縄デー闘争▼ベトナム反戦闘争▼カンボジア爆撃弾劾闘争

――映画の題名『怒りをうたえ』は、ホメーロスの『イリアス』冒頭のセリフ、「怒りをうたえ神々よ」からとったとのこと。「神々でさえ、怒りをうたうというのならば、私たちはそれ以上の怒りをうたわなければならない筈だ。私たち人間は」(いいだもも氏=パンフから)

■映画関係者が手弁当で撮影現場に
この記録映画を監督した宮嶋義勇さんは、劇場映画『若者たち』や『若者はゆく』『あゝ麦野峠』などを監督したときのギャラを大半投入してフイルム代、行動費などの実費を負担されています。いまは一流となっている映画関係者が、当時は若手だった100人を超えるカメラマンや助手、製作のひとたちが大半を手弁当で撮影現場に赴いています。
それは当時、宮嶋さんの周りに集まっていたドキュメンタリー映画を製作していた人達、監督やキャメラマン、録音マンなどが一斉に組織されたということです。水俣病を撮っていた土本典昭さんが助監督、成田空港反対闘争を撮っていた小川伸介さん、『橋のない川』の東陽一さんは沖縄の闘争を半分くらい撮っています。宮嶋さんは白井さんとの対談で「土本あたりから電話がかかってきて『きょうはどこへ行けばいいんですか』と。こちらはキャメラとフイルムを用意しておくわけです。なかにはキャメラ持参のひとにはフイルムとラーメン代100円にタクシー代などで500円を渡していました」と語っています。

キャメラを持って闘争現場へ駆けつけたとしても、そこには何が起きるか分からない世界です。ヘルメットを被って現場に赴くのですが、激しい闘争の最中に催涙弾や石が当たることもしばしば。また宮嶋監督自身、ある闘争現場で機動隊に囲まれ「何しているんだ」と問われ、「君たちを映しているんだよ」ということで激しい押し問答が30分ほど続いたとか。
もちろん、前もってキャメラを回していても何事も起きなかったり、逆に突発的に激しい闘争が起きたりと予測できない場面が多く、フイルム全体では数百時間分は撮影されていたと思われます。撮影にあたっての基本姿勢は、デモ隊のなかの人々が逮捕されることもあるので努めてクローズアップしないことや、「宮嶋さんは機動隊の後ろから撮るな。闘争している側から撮れ」(白井佳夫さん)と言われていたとのこと。



宮嶋さんは語ります。「60年安保は占領政策の延長で、それと憲法の上にかぶせたものであったのに対し、70年安保は明確な軍事同盟になるわけですから。だから米国が戦争すれば日本もやらざるを得ない条約になるんで、安保条約の内容をハッキリさせようという目的がひとつある。そういうことも説明しないと、現在のPKO闘争もわからない」と。
さらに、宮嶋さんは「この記録映画は芸術作品ではなく、『政治的アジビラ』として観てもらいたい。君たち、アジビラとして受け取りたまえ。手から手へ。自分の手で」と語っています。共産同赤軍派議長で破防法被告であった塩見孝也氏は「同時代を生きた人々は、誰でもあの映像のなかに自己を発見するでしょうし、このフイルムが現在の己を照らし出す鏡でもあることを確認するでしょう」と述べています。


【お知らせ】<「怒りをうたえ」上映実行委員会>は、現在、活動を休止していますが、上映経緯に関してはネットで見ることができます。

⇒〔第1章〕へ続く

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「怒りを歌え」 (堀部正)
2017-11-30 16:43:19
はじめまして。
僕もビデオ3部作持っていましたが、紛失してしまいました。
出来れば、ほっとスペース八王子の仲間たちと勉強会の教材にしたいのでお借りしたいのですが、方法を教えてください。
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