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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【7Ⅱ-04】 風薫る新緑の<5月>に

2016年03月28日 22時36分17秒 | 第7部 激動の渦中へ
<第2章> 4学年1学期の<90日闘争>
〔第4回〕 風薫る新緑の<5月>に

春とはいえ、まだ夜明けにはほど遠い時間帯。風はなく暗闇のなか遠くの街灯が鈍い光を放っているのですが、ここには届きません。あたりは薄い靄に覆われ三方を田んぼに囲まれた一軒家の輪郭を、おぼろげながら重たく浮びあがらせています。
配達もそろそろ終わろうかと思うころに、その家へ新聞を届けなければならないのですが、表通りの車道から行くと遠回りとなるので、いつも田んぼの畦道を通ってポストへ向かっていました。

その日の朝も、いつものように道の片隅に自転車を止め新聞を手に田んぼに囲まれた一軒家へ向かおうとしたとき、眼の先に畦道で四角に囲まれた田んぼの一面が薄く白い霞で覆われているのに気づきました。それはまさに四角に囲まれた田んぼ一面に、お湯を薄く張ったようでもあり写真で見る雲海の、静かなたたずまいをみせる情景でもありました。その、薄く白い霞で覆われた田んぼの一面を見つめながら私は身動きができませんでした――。

毎朝夕、決まった時間帯に決まったコースを5年もの間、新聞を配っていると<自然の情景>の微妙な移り変わりを肌で感じます。夕刊時は人々の生活のなかに情景が溶け込むかたちとなるのですが、朝方は独り自転車を走らせていると、<自然の情景>が私に語りかけてくるような錯覚に落ちることがあります。
初夏の早朝。雨上がりの重く垂れこめた雲が暗く辺りを抑え込むような気配を放っており、圧倒される面持ちで息苦しささえ感じます。ところが、重い雲の一部が風に流されたのでしょうか、ほんの少し動いたかと思うと、その雲の僅かな隙間から一条の鋭い陽光が差し込んできたのです。みるみる光は力強く辺りの情景を浮びあがらせ、樹木の枝々に芽生えた若葉の水滴ひとつひとつがキラめき、やがて街全体を覆っていた重苦しさ息苦しさを一掃して何か新たな希望さえ感じさせるのですね。朝の陽光のなんと神々しいこと。

また、陽の登らぬ暗闇のなか、満開の桜並木をひとり自転車で通り抜けようとした時のことです。私が桜並木に入り込むのを待っていたかのように、鋭い閃光とともに一瞬をおいて雷響が大きく轟きました。そしていきなりの烈風。再びの雷光とともに桜並木全体を桜の花びらが乱舞するではないですか。止まることなく私は自転車を漕ぎ続けたのですが、<自然の情景>の思わぬ姿に感動していたのは勿論です。

――薄く白い霞で覆われた田んぼの姿を、いつまでも見ているわけにはいきません。新聞を片手に一歩、畦道に足を踏み込んだとたん、その薄く白い霞は一瞬にして消え去りました。後には黒く生い立つイネの切株が並んでいるだけ。先ほどまでの<情景>は無かったかの如くに。でも、私の心のなかには40数年経ってもしっかりと刻み込まれています。

そんな、微妙な季節の移り変わりを表現してくれた<自然の情景>を見ることは、この年の<5月>をもってお別れとなりました。翌6月からは配達店員の「週休制」が始まることで、私は代配要員として他の配達エリアを廻らなくてはならなくなったからです。週に一回は従来の配達区域を担当するのですが、偶然がもたらす<自然の情景>を再び見ることはありませんでした。

■卒業後の<生き方>への模索
1969年春の新学期が、校舎改築に伴う始業の大幅な遅れや<4・28沖縄闘争>による臨時休校、また祝日(天皇誕生日)などが重なり、<4月>の登校日は実質7日間でした。そこで「センパイは何日、登校されたのですか?」などと質問をするだけ野暮というものです。ミツマメ帝国の「国家機密」に属しますのでお答えできませんです。ハイ。

――やがて、風薫る新緑の<5月>を迎えました。5月はいいなぁ~。桜の樹木は瑞々しい青葉に覆われ、登校する新入生の初々しいこと。私にもそんな時期が…いや、なかったなぁ。暗かった。新学期早々、暗~い日々を過ごしていたことが想い出され、陽光の陰で涙する…なんてことはありませんが、この3年間で少しは成長したのかな。だって今じゃ最高学年、4年生ですもの。行動のひとつ一つが、後輩の鑑にならなくちゃ――な~んてことは全く考えないまま、相変わらず<ズル休>モードの日々。

<5月>に入ると学内には二つの課題が待ち受けていました。ひとつは中旬に予定されている「臨時生徒総会」への対応。もうひとつは下旬に開催予定の「PTA総会」に如何に臨むか、です。そしてもうひとつ、「中期試験」があったぞな。新学期が始まったと思ったら、すぐに試験。「ワーイ。楽しいな! 私は中期試験に命かけて本校へ入学したのだ」と誰もがウキウキするのが5月です…その気持ち、嘘なんて思わないでくださいね。

でも本当は、4年生にとっては<二つの課題>以上に重要な問題に立ち向かわなければなりませんでした。それは、「卒業後の進路」です。すでに大学進学へ向けて志を新たにしている生徒にとって、受験まで10ヵ月余りを丹念なスケジュール管理のもと邁進すればよろしい。家業を継ぐ運命にある生徒は本格的な修行の季節が待っています。集団就職で紹介された会社のなかで、これからは仕事に専念できるわけで企業戦士として、これまでの努力を高く評価されて役職につくことも可能だよ。また、准看護婦の資格をもって入学した女生徒は、卒業後の正看護婦資格に向けて日々努力すればよろしい。――え。何ですと?正看護婦になったら医師から求婚されて、いまでは大病院の院長夫人ですと!…ムム。そんな手があったか~。

そのような夢と希望に胸ふくらませている学友を尻目に、私といえば将来に対する姿が何ら描けない。描こうと多少の努力をするのだが、身体が反応しない。校内の一角に就職案内や企業パンフが揃えてある一室がありまして、担当教師の案内で1~2度なかを覗いたことがあります。壁一面に案内パンフ類が並べてありました。「へぇ~。好調な景気を反映してか企業は代々木高校まで人を求めているのだ」と他人事のように眺めながら、そのうちの2~3冊を手にしてパラパラめくってみたのですが、まったく食指が動かない。
当時の私は、中学卒業と同時に単身上京し新聞販売店での生活を始めたのですが、すでに5年が経っており心身ともに疲れ切っておりました。この先、職種は違ったとしても就職して新たな生活を始めることに何ら展望がなかったというのが正直な話です。それと、この一年間で私のモノの見方、考え方に大きな変化が表れてきたということですね。

ちょうど一年前の6月には、新聞販売店に<叛乱>が起きて店員の大半が入れ替わっていましたが、この体験が私のなかにこれまでにない物事に対する考え方、他人との接触のあり方を学ぶきっかけとなりました。そして、その後の学校内でクラブ活動としての社研部活動、社会的な反戦・反安保を契機とした大学闘争など、自分を取巻く環境の劇的な変化が「自分との関係性をどこに見出したらいいのか」という問いかけが正面切って開始されたということです。まさに<激動の渦中>へ向かう進路の一歩手前に位置しているのに、「私自身はいまだ傍観者として存在している」というジレンマ。
その先に、高校入学当初から疑問に感じていた「学問とは何か」「何を学ぶのか」という自問に、この一年で何らかの手ごたえを感じていたのです。そこで<5月>時点の私の思いは、「高校の授業のように押し付けられた学問ではなく、自由な発想と問いかけによる学問」さらに、「職場や学校や組織などに束縛されない自由な時間と空間の確保」そのことを実現するには何をどうすればよいのか? それはある意味、大変贅沢な願望であり大きなリスクを伴うもの――そのことが最大の課題でした。

――ここに、私の代々木高校における「自分の内なる<ズル休>モード」の本質が隠されていることに気付いていました。「何ら束縛されない自由な時間と空間の確保」を実践していくには…。そのことを遅くとも今年の暮れまでには結論づけなくてはなりません。でもね。その回答のヒントとなる出来事が、一ヵ月後の<6月>に現れるのですから、世の中は面白い。
このような内面の葛藤をよそに5月に入っての学内<二つの課題>、つまり「臨時生徒総会」と「PTA総会」に向けた行動を開始しました。

■PTA総会「問答無用!」とな。
本欄を記述するにあたって、改めて当時を記録した『日誌』に初めて向き合いました。これまで40数年、「シンドイ。タメ息が出る」とまぁ~なるべく遠ざけていたものを「なんで今さら」と思いながら、やはり「逃げてはいけない」とね。ん。
そこでノートに5~6月にかけての行動を一覧表にまとめてみました。69年1月にも同じようなことを試みたのですが、この1月の時点では「代議員として役員選挙の準備に奔走していた」の一点に集約されていました。しかし、5~6月にかけての行動が学内に限らず「反戦・反安保闘争」の渦中へと飛び出し行動範囲が一気に広がるとともに、これまで見えなかった社会的規範の在り方、日本・世界経済の規模・歴史というものが、まさに怒涛のごとく押し寄せてきたのです。

代議員による数度の会合によって検討された議案をもって、5月21日(水曜日)に開催された「臨時生徒総会」の主要課題はクラブ活動の新廃問題を中心としたもので、私が発案し提起した「写真部」はめでたく発足の承認を受けました。その後の予算審議会で「年間予算5万円」を獲得。そうだね、私は己の利得?のため(⇒写真ネガ引き伸ばしを目的)に写真部をでっち上げたところがあるので…この頃から、その後の策士的力量が発揮されていたのか、フム。

――やはり<5月>の最大の課題は『PTA総会』へ向けた「傍聴行動闘争」でしょうか。
5月に入り「PTA問題を考える有志」によって数回の会合をもち<PTA闘争>は本格的な動きをはじめました。その第一歩が全校生徒を対象とした「PTAに関するアンケート」の実施です。20日にアンケート用紙を配布し、「臨時生徒総会」開催の翌22日夕刻から夜半にかけて集計。23日朝には学内にタテカンとして公表しました。そして、24日(土曜日)に開催される『PTA総会』傍聴行動へ向けた動員を図るための「学内オルグ」を猛然と開始しています。――ここで「オルグ」という言葉が登場しているのに笑ってしまいます。



『PTA総会』当日。午前中の授業を抜け出し近くの喫茶店に主要メンバーが集まり、最終的な打ち合わせ。午後2時30分に再び登校。3時からの『総会』に向けた行動を開始しました。傍聴行動に参加するメンバーを確認すると10名程が集まってくれました…でも、何故か日頃から威勢よく発言していた人々が見当たりません。しかも4年生は私ひとり。ん?すると何だね。この傍聴行動メンバーを率いて先頭にたち『総会』攻撃を行うのは私というわけか――。
そこで私は、参加メンバーの下級生を前に派手なアジテーションを行うわけでもなく、一言「そんじゃ行くべぇ~か」と、ヘルメットに角材ならぬ日頃から教室で使っている木製の椅子を一人一脚ずつ引き摺って、ガタゴトガタゴトいわせながら(何しろ重いので)長い廊下を歩いて会場へ向かいました。

『PTA総会』の会場となっている部屋の扉を開け黙って中に入ろうとして役員の誰何を受け、ここで幾つかの押し問答を行ったのですが、PTA会長らしい人物がいきなり「問答無用だ!」と大声で叫びました。この時、扉を開けて会議室に入れたのは私と数名ぐらいでしたが、この「問答無用だ!」と言われたのは先頭に立つ私に向けて発せられたように感じました。考えてみれば、今回の<PTA闘争>は生徒間で協議し議論を重ねてビラ配りやタテカンを張り出しても、結局のところ「PTA本体」と対峙したのは本日の『総会』が初めてですからね。
私はPTA会長の大声を聞いて驚きも反発さえも感じませんでした。ほんの少し間をおいて振り返り、他のメンバーに向かって「オイ。問答無用だってよ…帰ろうぜ」と元来た廊下へと戻りました。――それが『PTA総会』へ向けた「傍聴行動闘争」の一部始終です。

この「傍聴行動闘争」の顛末については直ちに全校生徒の耳に入りました。その結果、30日に「全校集会」がもたれることになり、27日から始まった「中期試験」の最中にPTA有志が集まり2日にわたって協議し「全校集会」に向けた方策が確認されました。

■<蛙の方程式>にスイッチが
「問答無用、か」私はPTA会長が私達生徒に投げかけた言葉を何度も復唱していました。「相手が問答無用と言うなら、こちらも問答無用といくか」そのとき、私の体内に<蛙の方程式>のスイッチが入ったのです。新聞販売店では大勢の人間と顔つき合わせて生活していますので、相手に対し「隙をみせず離れずくっつかず」の緊迫した日常を維持しているので、ことが一旦始まったら、それなりの対応をする心構えが必要です。
それは蛙のように日頃はただジッと座って周囲の風景に紛れ込んでいますが、火急のときには素早い行動に移ります。その行動を私は勝手に<蛙の方程式>と名づけていました。この<蛙の方程式>は日常の生活の場である新聞販売店で閉じ込めておき、決して学校内で紐解くことはないと考えていたのですが、「問答無用」と言われた以上、<蛙の方程式>を発動せざるを得ません。

PTA総会への傍聴行動から数日後、私がかねてから考えていた行動を実行に移すときだと考え、一人である行動にでました。そのことで<PTA闘争>にどれだけの効果があったかは分かりませんが、それなりの影響はあったでしょう。周りの皆を巻込まず私ひとりで行動を起こしたのは、それなりの読みがありました。行動の翌日、さっそく反応が現れました。それでいいのです。わたしはニヤリ笑って黙ったまま無言を通しました。

その後、PTA総会への傍聴行動や私の単独行動など一連の活動が、この<PTA闘争>の最大のヤマ場であったことを知ったのです。何故ならこの一連の活動から3ヵ月もしない8月のある日、PTAが勝手に解散したことを知りました。それも新聞記事で。な~んだ。PTAは消えちゃったのか。つまんないの――。

■<激動の渦中>前夜
「すると何だね。あのPTA総会へ先頭に立って殴り込みをかけてきた背の高い男子生徒が、このPTAに対しいちゃもんをつけている首謀者かね。4年生のミツマメというそうだな…」ギョエ!ですよね。いつの間にか、この間の一連の<PTA闘争>をリードしているのはミツマメ青年ということに勝手に思われている節がありましてね。

――やがて、30日に「全校集会」が開かれまた。その余勢をかって開催された6月の「生徒総会」では波乱含みの総会となって、議事運営を巡って紛糾。再度、7月13日に「生徒総会」を開くことになっています。
確かに5~6月にかけて学内に孕む様々な問題は全校生徒の主要課題となってきましたが、私自身は学内の課題を担う反面、内心では「その先にあるもの」への関心に向かっていました。そして迎えた6月。いよいよ<激動の渦中>へと本格参入の機会を得たのですが、「傍聴行動闘争」はその前夜を彩る<内なる闘い>だったのかもしれません。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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記録映画奪還そして解放について (國崎景園)
2016-04-03 08:33:32
湯布院在住の者です。
記録映画奪還そして解放を観たいです。
どうすれば観られますか?
小さな自主上映会とか出来ますか?


art44sion@docomo.ne.jp
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