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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【7Ⅱ-11】 新書版『高校紛争』(その4)

2016年06月28日 10時59分54秒 | 第7部 激動の渦中へ
<第2章> 4学年1学期の<90日闘争>
〔第11回〕 伝習館闘争

小林哲夫著『高校紛争1969-1970』(新書版)が刊行されて間もない2012年春の段階で、私が本書を手にして期待したのは「伝習館闘争と定時制高校での闘いがどのように扱われているか」の二点。でも当時は、この二点が本書に記載されていなかったことから、しばらくは本書に目を通すこともなかった――といったことを先述しました。今回、本書を読み込んだうえで、上記二点について述べてみましょう。まずは「伝習館闘争」から。

■伝習館闘争とは何か
「伝習館闘争」とは、福岡県柳川の県立伝習館高校を舞台に1969年当時、同校に勤務していた3名の教師が授業における教科書の不使用、学習指導要領の逸脱、成績の一律評価をしていたとして「学習指導要領違反、教科書使用義務違反、一律評価による法律違反等」を理由に懲戒免職処分を受け、処分を受けた教師が当該処分の取り消しを求めた訴訟が行われた一連の<闘争>のことです。
最大の争点は「学習指導要領の法規性」。つまり、「要領が教師の教育活動の適法性の有無を判断する根拠になりうるか」でした。訴訟は70年に始まり、結果的に最高裁は法規性を認め教師らの敗訴が決したのは20年後の1990年3月でした。何ゆえ裁判が長期化したのでしょうか。

新書版『高校紛争』では、高校生が学校や社会に対して主体的に闘いを挑んだことの目的や経緯をレポートしていましたが、この「伝習館闘争」というのは、伝習館高校に勤務する3名の教師たちの闘いを生徒や支援組織が共闘した<闘争>であったということです。同教師たちの懲戒免職処分に伴う裁判闘争が20年間続くのですが、ともすれば「労働争議」の意味合いも強いのです。問題は「何故、同校教師は懲戒免職処分覚悟のうえで授業における教科書の不使用、学習指導要領の逸脱、成績の一律評価をしていた」のか、ということでしょう。

県立伝習館高校の所在地「柳川」は、北原白秋の生誕地として知られ水郷の川下りを目玉に観光客も多いのですが、今年の初場所で優勝し「久々の日本人横綱の登場か」と期待が高かった琴奨菊の出身地でもあります。
私が「伝習館闘争」を知ったのは1970年代に入ってからです。週刊誌で読んだのか集会などでチラシかパンフを手にしたものかハッキリは覚えていませんが、当時、同校の闘いは教育関係者をはじめ全国的に知られていました。その後、三一書房から『伝習館・教育主体の構造』(伝習館救援会編)が1972年5月に刊行され、「伝習館闘争」で何が闘われていたのか概要を掴むことができました。



同書の冒頭、伝習館高校を懲戒免職処分となった茅嶋洋一教師は『序にかえて=土着と生産力の論理』のなかで次のように記述しています――。

〔 伝習館闘争は階級闘争としての反弾圧闘争であると同時に、階級闘争をつねにその主体階級の内部に転化し、階級闘争を無限に構造化し内燃化していく反差別闘争であると自己規定している。伝習館闘争が階級抑圧と階級差別の関係についてこのように自己規定する理由は、ほぼ次の二点に要約することができるであろう。
〔1〕労働者階級が政治的ヘゲモニーを獲得することは、言うまでもなく、人間を階級抑圧から解放する基本的な要件でなければならない。しかしこの基本的な要件は、労働者階級が政治的ヘゲモニーを獲得したのち、必然的に上からの革命へ転化してくる革命的過程が、革命の革命として、階級内部の階層差別にどのように貫徹されてくるかについて、期待いがいのどんな保証もあたえてはくれない。したがって、階層差別を担いつつ階級闘争に参加するものは、すでに革命の過程でその保証を実質的に取りつけておく必要があり、またそうする権利をもってなければならない。――ここに言う階層差別には、言葉として不十分ながら、性差別、差別、民族差別、身障差別、その他をふくめている。

〔2〕われわれは高度資本主義に対する労働者革命の経験をもたないことを、片時も忘れることができない。高度資本主義社会は、地域土着からの移動が職業として土着し、移動の辺境性と連帯性が失われたことを第一の特徴としている。辺境と連帯をめざさない移動は、地域土着から職業土着を外化しつつ、徒らに差別の二重構造を深化させるにすぎないことを証明してきた。階層創出による社会の膨張は、そのまま階級の縮小を意味する。かつて近代化への里程標として、辺境を内包しつつ外化された移動の連帯性、すなわち各階層の自立性と自律性は、こうして移動が体制化したとき、それ自体、個別幻想としてのナショナリズムと化し、資本と権力の共同幻想としてのナショナリズムに、それぞれ直接に収斂されてきたのであった。

しかしながら、高度資本主義社会は、階層創出による階級矛盾の激化そのものを第二の特徴としている。移動の可能性と現実の絶望的な乖離は、一種の飢餓状態を生み出しているし、階層への直接収奪の激しさと空しさは、多くの反社会的現象によって復讐されている。われわれはむしろ、この激化しつつある階層矛盾を、失われた階級発見のモメントとして再生産していく新たな集団論の視座に立たないかぎり、この夥しい幻想収奪の只中にあって、労働者革命への戦闘的な階級連帯を構築することはほぼ不可能とすべきではないだろうか。伝習館闘争は、個別伝習館闘争の責任において、つねに独自の差別論を自己自身に提起していかねばならない。(中略)〕

――そして末尾を次のように結んでいます。
〔…人類史に内化されていた時間が、外化された瞬間、人類の土着は、時間と人間が優位する自立土着から、空間と生産が優位する他律土着に移行していた。土着こそ人類の旅であることを考える時、われわれの移動は、おのずから他律土着のなかへ自立土着を穿孔する方向を目ざさざるをえない。われわれはすでに、われわれの時間である階層=教育=職業土着を、われわれの空間=柳川=地域土着に降下させることによって、われわれの時間と空間をともに他律土着から解放すべく、ささやかな柳下村塾運動を開始した。
それは生産が人間に従属し、父が母に協力することによって、移動がつねに土着に内化されていく真のコミューンの祈りとなるであろう。本書もまた、教育に表れた日本土着の構造と、その生産力の展開の歴史と現状を明らかにし、自立土着へ向けて教育主体をいかに回復するかについて、われわれの教育土着論をいくらか提示しえたのではないかと信じる。 〕と。

この『序にかえて』は長文で、やや理解しづらい内容となっていますが、「日本土着の構造がどのように教育に表れているか」そして、「教育主体である生徒がどのようにその主体を奪われているか」を明らかにしたいとの思いから記述されています。
本書の内容まで踏み込んで評論するスペースもないので、「目次」の一部を紹介しましょう。



伝習館高校というのは江戸時代の柳川藩における藩校の流れをくみ、この地域の名門校として国立をはじめ難関大学への進学率に高いものがありました。ところが1967~68年の全国的な大学闘争の影響は大きく、68年1月の長崎県佐世保での「米軍空母エンタープライズ寄港反対運動」に同校の生徒が参加するなど反戦・反安保闘争が激しくなり、「伝統校が荒れている」と言われるなかで国立大学への合格者数が減少するようになっていました。
このようななか同校の70年3月に行われた卒業式で県教育委員会教育長代理が告辞の朗読を始めると一部の生徒が「拒否」と書いた横幕を掲げ、校歌斉唱の際労働歌を歌うなどして式場は騒然となっています。このことで3月の福岡県議会で「伝習館高校の一部教師が生徒に対して偏向した政治的教育を行っている」との指摘がなされ、県教育長はこれらの調査結果等に基づいて「決まった教科書を使わず、学習指導要領無視の偏向教育をした」という理由で関係教諭3名を同年6月6日、懲戒免職処分にしています。

この懲戒免職処分に対し当該教諭3名はただちに処分撤回の訴訟を起こしました。下級審・福岡地裁での1978年(昭和53年)7月28日の判決では、A教師については「教科書義務違反があり、また一律評価も行った点からみて処分は妥当」と請求を却下し、B・C両教師については「事実誤認、法的判断の誤りがあり処分の乱用」として請求を認めています。この判決は学習指導要領の法的拘束力について「現場教師の教育内容まで及ぶものではない」として限界のあることを示し、また、教科書使用義務についても、これを肯定する反面、教師の自由裁量を強調し国の強権的介入に歯止めをかけるなど全体的には教師の教育の自由・自主性を尊重しています。労働事件としては懲戒処分の適否の問題に帰するのですが、「教育権」に関する判断が示された点で重要でした。
しかし、この「学習指導要領の拘束力と教育の自由に関する」最高裁の判決(平成2年1月18日)では、「教育関係法規に違反する授業をしたこと等を理由とする県立高等学校教諭に対する懲戒免職処分が懲戒権者の裁量権の範囲を逸脱したものとはいえない」と却下されました。

木村陽吉氏は『伝習館判決と政治状況』と題し次の評論を明らかにしています。
   (「大阪高法研ニュース」第101号=1990年11月) 
【伝習館判決の評価】まず、控訴審判決から6年1ヵ月、一審へ提訴から通算約20年という点から「迅速な裁判を受ける権利」は保障されなかった。(中略)…たとい学習指導要領、教科書使用義務から外れた授業であったとしても、教育行政当局の指導助言、懲戒処分に当たっての聴聞手続きを欠いたまま、いきなりの免職処分を「社会観念上著しく妥当を欠くものとはいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したものと判断することができない」というのは、首肯し難い。(中略)
【司法危機から教育危機へ】最高裁は「憲法の番人」「人権保障の砦」として国民主権・平和主義・人権尊重の三味一体の憲法を尊重し擁護する義務を負っている。しかし、長期保守政権の解釈改憲を裁量権の範囲内として認め、また違憲の疑いのある立法を合憲とする判例を集積することによって、司法権独立の形骸化・違憲法令審査権の放棄により、憲法原理の空洞化と司法の危機を自ら招いた。
今回の伝習館判決もその流れに沿うものである。教育行政当局は学習指導要領の全面法規性と検定教科書使用義務について最高裁の「御墨付」を得たとして初任者研修・授業案の点検等教職員管理を強め、他方教師の側も自己規制することにより、政治的教養を培うべき主権者教育にとってマイナスの影響が懸念される。換言すれば国家教育権に基づく国民のイデオロギー操作が、子どもの「教化」を通じてやりやすくなったといえよう。象徴天皇制と国家独占資本主義を基盤とする政治権力構造下における教育の危機は、つまるところ、政治の変革なしには、回避し難いのではなかろうか。

――この「伝習館闘争」の背景には、当時の中教審(中央教育審議会)答申に対する反撃の意味合いが強いと思われますが、一地方のエリート校を舞台とした3名の教師による教育行政への<叛乱>は、40年余を経て今日の視点で検証してみますと高校教育に対する「大いなる実験」であったとも考えられます。それだけに新書版『高校紛争』では記述しきれなかったのかもしれません。  (⇒この項つづく)
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