goo blog サービス終了のお知らせ 

都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【9Ⅲ-19】 小説『ある夜、クラブで』

2020年10月01日 15時01分04秒 | 第9部 映画館の片隅で
<第3章>私の文章修業
〔最終回〕 愛と復活の物語

私の好きな小説の一冊に、『ある夜、クラブで』(クリスチャン・ガイイ作=野崎歓訳:集英社)という作品があります。
――主人公のシモン・ナルディスはかつて伝説的な演奏で名を知られたジャズピアニストでしたが、いまでは貯蔵庫や倉庫をはじめ研究所や工場などの温度調節を管理するエンジニアとして地道に暮らしています。それというのも10年前に酒とドラッグと女まみれの生活を送り、演奏ツアーの最中に死にかけたことがあるのですが、彼を救い出しまともな人生に連れ戻してくれたのが長年連れ添う妻シュザンヌです。

そんなシモンが海岸沿いの工業地帯にある倉庫の空調設備が故障したことで、変質しやすい原料の損失が膨大になることへの解決を依頼された日が、週末三連休を前にした木曜日でした。現場のエンジニアには手に負えず故障の原因が分からない。でもシモンにとってはやりがいのある仕事でした。ただ連休中はシュザンヌの実家へ揃って出かけることになっており、どうしても修理当日中には帰宅しなくてはなりません。



列車で現地に向かい、現場のエンジニアとともに修理現場に立ちあって故障個所はわかったのですが、システムは動かない。その原因究明に手間取り結果的に修理が完了したのが夜遅くでした。思ったより手こずったこともあり、エンジニアはシモンに対し「ぜひ、お礼がしたい」と町に一軒のクラブに誘いました。最終電車には1時間余りあることから軽く一杯やってエンジニアの車で駅まで送る約束で、気分転換の気持ちでクラブへ向かったのです。
地下のクラブへ通され、シモンは30分ばかり演奏を聴いて帰るつもりでした。広くないステージ一杯に楽器が並べられています。堂々たる黒のグランドピアノ、弾きこまれたコントラバス、ドラムセット。シモンは突っ立ったままピアノを見詰める。飲み物を尋ねられ、不意に思い出してウオッカのオンザロックを頼みます。

やがて三人のミュージシャンが登場。ジャズセッションが始まるのですが、若いピアニストの演奏を聞くうちに少しずつ、シモンがかつて自分が演奏していたスタイルを踏襲していることに気付きます。シモンの演奏法は当時、ジャズにおけるピアノ演奏法にかなりの衝撃を与えたものでした。エンジニアは足を踏み鳴らし頭を前後に振る。やがて終電車の時間が迫ってエンジニアはシモンに帰りを促すのですが、シモンはピアノに触りもしないで帰るのかと思うとたまらない気持になるのです。
強い酒、ウオッカが脳ミソを刺激したのでしょう。ジャズメンが休憩にはいるとエンジニアは先に帰るのですが、シモンは封印していたはずのジャズへの思いが彼の意志に反して彼をピアノに向かわせる。ひとしきりの葛藤のあと、かつての彼の演奏が蘇り誰もいない舞台に立って静かにピアノに触れるのです…。

――この作品の著者、クリスチャン・ガイイは若いときジャズのサックス奏者をしていたこともあり、ジャズへの思いが溢れた小説です。この夜の出来事で始まり次の日に急展開を迎える物語が、主人公とその友人である画家の二人の心の動きを通して描写されています。
主人公のシモン・ナルディスは著名なジャズピアニスト、ビル・エヴァンスをモデルにしています。フランス伝統の文芸形式コントのような体裁で、短い物語のなかに笑いをくるんだ人生の酸っぱさに甘さと苦さが感じられる作品です。それはまた長年、ピアノから遠ざかっていたジャズピアニストの「愛と復活の物語」でもあります。

■この小説と出逢ったのが、いまから14~15年前の2000年代半ば。業界紙を辞めて再就職した企業で広報を担当、営業の手伝いもして2~3年が経過した頃です。――すでに50代半ば。20余年在籍して記者としての経験を充分積んでいたので、この間、いくつかの新聞社や雑誌社からの誘いもありましたし社内に残っていれば役員(取締役)にもなれたのでしょうが、自分は経営陣の末席に落ち着けるとはどうも思えない。また他誌紙に移ったとしても「自分なりの編集方針」を押し通すことは無理でしょう。
理由をつければいくらでも辞める理由は述べられるのでしょうが、この記者生活20余年の間に6畳部屋いっぱいの酒の量と原稿用紙の紙サイズと厚さを総計すると畳2000枚から3000枚分の記事を書きなぐっているうちに、締切りに追われ目先の<文章>ばかり書いていましたので「経験できることは一通り済ませたな。背中に澱がたまってきたぞ…長居をしてしまった。そろそろ記者稼業も卒業かな」と考えていたのです。そのことを見通したかのように、ある事態が起きました。

その頃、社内では30年以上にわたって編集部出身者が業界紙の代表を務め、記者に対しては「好きに紙面を飾ればいいよ」といった雰囲気で、自分の波長のあった記事や話題を追いかけていたのですが、彼らも歳とともに引退し私の背後を支えてくれる人物がいなくなりました。代わって営業畑出身者が代表となると、これがいけない。まず「数字至上主義」となる。新聞社といえども企業ですから諸経費に対応する営業実績は不可欠です。やがて紙面編集に口を出すようになり、「広告の取りやすい紙面を作れ」となったわけです。

――時代はバブル経済崩壊後の混乱建て直しのなかで、住宅・不動産業界は新築物件供給主導からストック経済重視に大きく舵を取り、管理ビジネスを主軸とした投資型融資活用事業へと移行していました。新しい時代に必要なのは不動産コンサルタント、資産運用コンサルタントです。この専門分野に最も近いのは開発・分譲業や仲介業ではなく、「賃貸管理業」という新しい市場が形成されていました。旧態依然の生業スタイルは適応力のない生き物として淘汰されていく運命にあったのです。
このような社会・経済が変化していくなかで、住宅・不動産業界も新たなビジネスモデルの模索が急務となっていました。業界紙としては時代に先行した論理と実践を見据えた方向性を追求していかなければなりません。…それなのに我が業界紙は開発・分譲業にしがみついている。そこにしか「数字がとれない」との思い込みがあるからです。――ここに「私の居場所はないな」と思ってサッサと辞めてしまいました。でもそれは、私の記事を支持してくれていた読者を棄てたことになります。…そのことを知らされたのは数年たって、「あなたの書く記事が好きでした」という数名の読者に出会ってからです。

<文章>は「生き物」です。日頃、書き慣れている原稿、記事の類から離れると息ができなくなるし飢えもします。そこで少しでも文章の書ける「広報部」を選んで再就職をしたのですが。――運動選手(アスリート)や音楽を生業とされている方々は毎日研鑽をつまないとすぐさま勘が鈍るといいます。なかでもピアニストやバイオリニストなどは一日練習しないと演奏の勘を取り戻すのに三日はかかると聞いています。
同じような感覚で長年、記事を通じて文章を書き連ねる習慣が出来上がっているのに、一度断ち切ると勘が鈍るのではないか。そのような不安がありました。たしかに文書などは数日どころか数ヵ月書かなくとも腕は鈍らないのでしょうが長文を書こうとすれば、その文脈が崩れてしまう。このような考えに陥っていたときに出逢ったのが『ある夜、クラブで』でした。

■最近になって、この『ある夜、クラブで』を思い出し十数年ぶりに再び手にしたのは、かつては演奏で名を知られたジャズピアニストが「10年ぶりにピアノに触れ、いきなり昔のように演奏ができるものなのだろうか」という疑問でした。初めて読んだときにはストーリィを追うことに夢中でしたが、ここで改めて「10年間の空白を埋めてピアノに立向かう気持ち」を確認したかったのです。――では、作品のなかに入ってみましょう。

――シモンは故障した空調の修理を無事終了させ、地元のエンジニアに誘われるまま終電車で帰ることを前提に町中の「クラブ」へ入って行きます。そこには演奏を前にした楽器が数点、ステージ中央に置いてあったのですが、シモンがかつて弾いていた黒いピアノがありました。そして三人の若手ミュージシャンが登場し演奏を始めます。
〔…なぜかわからないが、ピアニストがテーマを提示するその方法、さらにはその後、即興に移るときのソロへの入り方、ソロに入ることを予告し、準備し、ソロ全体のアイディアをはっきり示してから取りかかるそのやり方を耳にするや、自分は何とも奇妙な印象にとらえられてしまった。そうシモンは私に話してくれたのだ。 〕――この箇所は、シモンが久々にジャズ演奏を目の前にしての思いです。「…私に話してくれた」と記述する<私>とは、主人公シモンの友人である画家(私)の立場で物語が進められているのからです。

〔…弾かなくなってからもうずいぶん長い時間がたっていた。自分がどんな風に演奏していたかの記憶もなくなってしまった。自分なりのスタイルがあったかもしれないということも忘れてしまった。しかし若いピアニストの演奏を聞くうちに少しずつ、シモンにはそれが自分だということ、あの若い男は別人ながら彼のように、彼が昔演奏していたとおりに演奏しているのだということがわかってきた。 〕
長いこと現場から離れていた者にとって、この現場に立ち合うというのは恐ろしいものです。「自分なりのスタイルがあったかもしれない」という箇所は、別の見方をすれば「自分にしかできない技術、技量」の問題であるとともに、そのスタイルこそが主人公にとっての課題であったのです。次へ続きます――。

〔…ということはシモンにもスタイルがあったのだ。そして私がその点にこだわるのは、シモンが逃亡することになった大きな原因がまさに、その点に関する自信のなさにあったと思うからだ。だがそのスタイルははっきりとした痕跡を残し、若いピアニストたちに影響を及ぼすほどのものだったわけだ。…シモンは決してその事実を認めようとはしなかったけれども、シモンの演奏法は当時、ジャズにおけるピアノ演奏法にかなりの衝撃を与えたものだったのである。 〕――やがて若者たちの演奏が終わり終電車の時刻も迫っている。
〔…ジャズはもはや僕のことなど必要としていない。そう考えると彼は即座にその場を立ち去りたくなった。時刻は10時22分。だがあのピアノに触りもしないで帰るのかと思うとたまらない気持だった。弾いてみたかった。同時にまた、自分を真似しているあのピアニストの真似をする力が自分にはもうない、あの若き名手のレベルまでいますぐ戻るのは不可能だと感じていた。俺はもうこんな老いぼれなんだから、と彼は思った。 〕

主人公シモンは逡巡しながら、「俺はこんなに老いぼれなのだから」といった自己憐憫の気持ちが先に立ちます。――ここには誰もが過去の栄光、スポットライトの光のなかで輝いていた自分と現在の自分を比較してしまう一瞬があるのです。
〔…シモンはあのピアノに触って、真似することのできないスタイルとはいったいどんなものなのか聴かせてやりたくてたまらなくなった。(略)…10年間沈黙を守り通したとはいえなおも、自分にはだれにも真似できないようなやり方で演奏することができるんだと思いたかったのだ。(略)…シモンはため息をつき、ぶるっと身体を震わせ、ついにはがたがたと震え始めた。決心がついた。自分があのピアノに触りにあそこまで行き、弾いてみるだろうということがわかった。時刻は10時30分。…ただ触ってみたいだけなんだ、触ったらすぐに帰るんだから。身体が震えていた。 〕

――シナモンは弾き始めた。すぐにではない。これまで10年と10分、待ったのだ。あと何分かは待つ必要があった。2、3分というところか。両手の震えに打ち勝つための時間。〔…身震いがどうにか収まってきたので、シモンはまず最初に鍵盤を二つ三つ弾いてみたが、出てきた音は望んだよりもずいぶん喉の詰まったような音、思いがけずに出てしまったような音だった。(略)…試してみた。弾きだした。客はみんな耳を澄ませていた。 〕
その後の話の展開は、クラブの女性オーナー・デビーがシモンの弾くピアノにあわせてマイクを片手に歌いだすのです。――デビーは聞きます。「あなた、コピーが天才的にお上手なの、それともシモン・ナルディスなの?」と。「昔の話ですよ」とシモンは答えます。そして二人は恋に落ちて一緒に暮らし始めるわけですが…。

■この小説の冒頭部分には二つの視点があります。ひとつは何気ない風采のあがらないエンジニアの男性が、久々のピアノを前に本来の著名なジャズピアニストであったことが判明すること。普通のオジさんが才能ある人物だった、といった物語は映画や小説にはよく描かれるシチュエーションです。
もうひとつの視点は10年もの間、エンジニアとして長年連れ添った妻とともに地道に生活していたものが、ある夜のクラブでの出来事をきっかけに日常性が崩れて新たな女性との生活へ移ってしまうという、非日常的な事態の登場。ただ、人間には長年培ってきた日常生活を破って新たな生活を始めてみたいという願望は潜在的にあるのでしょうが、日々人間同士のしがらみというか目に見えない鎖や柵などが一杯ありましてね、容易く解放されない。

私が久々にこの小説を手に取って求めたものは、「10年ぶりにピアノに触れ、いきなり昔のように演奏ができるのか」という問いかけ。シモンがピアノを前に「…ため息をつき、ぶるっと身体を震わせ、ついにはがたがたと震え始めた。」そのことが正直に表現されています。そして、「…決心がついた。自分があのピアノに触りにあそこまで行き、弾いてみるだろうということがわかった。」――この記述部分が、10年ぶりにピアノに触れる心境の確かなところでしょう。
ただ、この久々にピアノに触れる心境の裏には、シモンがかつて弾いていた技法をピアノに触って、「真似することのできないスタイルとは、どのようなものか聴かせてやりたい」そのような思いが強くなっていたことでしょう。そのことはシモン自身の顕示欲というか、かつての自信に満ちながらも「シモンにもスタイルがあった」のだが、「その点にこだわるのは、シモンが逃亡することになった大きな原因」と<私>が指摘しているところに暗示されていたと思います。

では実際に、ピアノに向かってかつての演奏をうまく弾けたのか。最初はおぼつかない指捌きながらも、やがてかつてのメロディと技法を充分とはいえないまでもクラブの女性オーナー・デビーがピアノにあわせて歌いだすほどの復活をみせたのです。ここに「愛と復活の物語」としての、小説たるゆえんでしょうが。――ただ<文章>に関しては10年もブランクがあって、長い文章を「調べながら書く」作業は困難を極めるでしょう。何故ならば、「何を書くのか。何を書こうとするのか」その基本的な思考を常日頃から鍛えておかなければ、ピアノに向かって指捌きだけでメロディを奏でるほどの技量を醸しだすことはできないでしょう。

もし私に10年のブランクがあって長文を書く機会が現われても、自信はありません。
何故ならシモン・ナルディスには女性オーナー・デビーの<愛>があるのです。
でも、私に<愛>は期待できない。。。。。クスン(涙)。

――人間は言葉によって思考します。思考は脳髄の作用であり、これまで脳髄に積み重ねてきた経験と記憶そして技術で<文章>は成り立っているのでしょう。「経験と記憶」を失わないためにも、私の<文章修業>は当分続きそうです。


⇒〔第9部〕了
■次回から、本欄の<最終コーナー>へ向かいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする