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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

〔カフェテラス J-2〕マンガ的マンガの世界

2025年03月31日 22時34分06秒 | 第10部 都会の旅人

フランス・パリ『神々の山嶺』を手に(2)

フランス・パリの「マンガ喫茶」を訪れた青年が手にしたのは『神々の山嶺』(作画・谷口ジロー)。彼はこのマンガを初めて手にして本格登山を志すようになったという。――テレビ番組のワンシーンを目にして急に『神々の山嶺』に会いたくなって大型の本棚に向かいました。下段いっぱいにこれまで読んだ主要なマンガ本の数々が並んでいるのだが、当欄で紹介した『ヘルタースケルター』(岡崎京子)、『リバーズ・エッジ』(同)や『恋の門』、『つげ義春集』(『ねじ式』など初期作品)そして『童夢』(大友克洋)など私のなかで<名作>と思われるマンガ群はここには置いていない。別棚、すなわちガラス扉の本棚に静かに納まっている。

『神々の山嶺』は本棚下段右隅にすぐ見つかった。作画・谷口ジローの代表作に囲まれてひっそりとたたずむ。すると、目的とした『神々の山嶺』よりも、『「坊ちゃん」の時代』シリーズの数冊を手にしていた。
――私が谷口ジロー作画のマンガを意識したのは、『「坊ちゃん」の時代』シリーズの幾つかを週刊マンガ誌で立ち読みしていた頃だと思う。強く印象に残っているのが同シリーズのなかでも石川啄木を題材にした『かの蒼空に』。岩手出身の歌人として知られる啄木だが、『かの蒼空に』では東京、新聞社時代は商売女性にのめり込み周囲に借金を重ねているといった、「一握の砂」にみられる浪漫派詩人としての名声とは裏腹な人間模様が描かれ新鮮だった。



谷口ジローは1947年(昭和22年)生まれ、私より1歳年上となる。『同棲時代』という流行語を生みだした上村一夫のアシスタントを一時つとめたのち独立。しかし「絵はうまいのだが、物語づくりが不得手の漫画家がいる」このような谷口ジローに初めて出会ったのが関川夏央。1977年初めのころ。当時、関川27歳で谷口29歳。出版社の編集者の提案で「刑事ものだが事件を通じて集団の人間関係を描こうとした」(関川夏央)それが『事件屋稼業』(1979~80)である。

■『事件屋稼業』から『「坊ちゃん」の時代』へ
小冊子『東京人』が2021年11月号に、『谷口ジロー』を特集している。このなかで作家・関川夏央は『事件屋稼業』の物語性としての脚本を書くにあたって「<劇画>を離れることだった」と述べている。それは「1970年代から80年代にかけて流行した<劇画>は荒唐無稽の話として成り立たせていた。実力ある谷口には<劇画>特有の読者サービス、暴力も性描写も不要どころか有害と思われた」のである。
関川夏央は1979年から『事件屋稼業』のストーリーを書き、谷口ジローに提供するのだが「谷口の仕事は慎重かつ丁寧で、拙速と粗製は絶対に許さなかった」。そのことで週刊誌では関川、谷口のペースであればとても描けない。そこで掲載誌としては月刊誌となった。私は『事件屋稼業』を食堂に置かれているマンガ冊子で読んだ記憶はあるのだが、当時としては谷口ジローの作画だとは気づかなかった。それは、物語は面白いのだが画線の粗さが目立ち、その後の作風とは大きく異なっていたからだと思う。

同じ『谷口ジロー』特集のなかでマンガ・コラムニスト夏目房之介(自称、夏目漱石の孫)は、谷口ジローについて次のように述べている。「1960年代後半期に続々と現れた戦後ベビーブーマーの作者群の一人であり、戦後世代の代弁者でもあった。劇画という領域は、団塊世代の男性向けの過激描写を含むマンガの変革イメージをまとっていた」
この夏目房之介が指摘した谷口ジローに重ねた「戦後世代の代弁者」は、さらに谷口と関川が「団塊世代の鬱屈の代弁者を離脱し、新たな世界を開くのは、『「坊ちゃん」の時代』だといっていい」と述べるように、関川が『事件屋稼業』以外のマンガの脚本を書かなくなり「そろそろマンガから離れようとした」タイミングで編集者から新たなジャンルを提案され、「明治物ならできるかも」と始めたのが、まさに『「坊ちゃん」の時代』シリーズだった。

夏目は続ける。「谷口はすでに『事件屋稼業』を始めるとき、編集者に「絵を変えたい」と言っている。谷口の志向は常に新しい何かを、新しい手法で作り出すことに向けられていた」さらに、「関川は『「坊ちゃん」の時代』で明治の精神史を近代思想史的な群像劇として実現しようとしていた。それまでのマンガがなしえなかった試みであり、当人たちも編集者も売れるとは思っていなかった。しかし第一部は知識人に好評で、結果として全五部作による明治から大正の思想史を描くマンガ大作となった」――そのような大作を、本棚からまず取り出したことになる。

■『孤独のグルメ』から『神々の山嶺』へ
――谷口ジローといえばB級グルメの定番といえる『孤独のグルメ』の作画で根強い人気がある。久住昌之原作で1994年から月刊誌の連載が始まり週刊誌へ移っている。久住が自ら歩いた実在の飲食店を舞台に、主人公はいつも一人で食事をする。実直な写実で精密な料理を描くことで自分もテーブルの料理を食べているような気になるから不思議だ。
『孤独のグルメ』は2012年から深夜のテレビ番組として登場。松重豊を主人公に都内の路地裏など、視聴者が日頃訪れないような店が紹介されるのも魅力で谷口作品の裾野を広げることになった。当初、テレビ番組を制作するにあたって某テレビ局に企画を持ち込んだが、「地味な食事番組など視聴者は見向きもしない」といわれて断られたそうだが、今日では深夜とはいえ全国のB級グルメファンにはマンガ本とは異なる人気のようだ。私もそのひとりだが。松重豊のいかつい顔つきに似合わず独特のユーモアが微笑ましい。



『神々の山嶺』は作家・夢枕獏の小説を原作に作画したもの。物語は登山家の主人公が前人未到のエベレスト南西壁を冬期無酸素単独登頂に挑むことを描いているが、かつての有名な登山家がエベレスト登頂に成功したのか疑問とされ、遺品のカメラを巡ってのサスペンスを交えたフィクション。1994年から3年をかけて冊子に連載され、一冊の本となっている。
『「坊ちゃん」の時代』から『孤独のグルメ』へと谷口ジローの画風が確立していくなかで、中古本専門店で分厚い『神々の山嶺』を手にしたとき、マンガながら「登山の本」という驚きがあった。それは屹立する山々の岩肌は写真では平面に感じるのだが、谷口ジローの作画は何故か岩肌のきめ細かな表現が立体的に際立ってくる。それは谷口のコマ割に独自性があることに気づく。本棚の『神々の山嶺』近くに並べている『しずかの山』(松本剛作画)と比較すると、同じ登山マンガながら岩肌は後景に山に挑む人間と人間の関係性が浮き立っているわけで、それは作画・松本剛の個性だと思う。



――今年は「戦後80年」といわれる。先の大戦で日本の主要都市は戦災で灰塵と化したのだが、戦後復興とともに娯楽と文学の復活は早かった。一方で<漫画文化>も戦後間もなく生誕した我ら<団塊世代>が中心となって出版業界の屋台骨を支えてきたといえるだろう。しかも<漫画文化>は日本国内に限らず海外での「マンガブーム」はコスプレ文化すら繫栄させてしまった。
谷口ジローの作品が遠くフランスやベルギーで高い評価を得ているというのは噂で知っていたのだが、今回、NHKのテレビ番組『ドキュメント72時間』が取材したフランス・パリの「マンガ喫茶」を訪れた青年が手にした『神々の山嶺』を目の当たりにして、背中に電撃が走ったほどだ。「クソっ。オレの谷口ジローを、オレの『神々の山嶺』を手に取りやがって」とね。でもサ。なにも谷口ジローが、『神々の山嶺』が、自分独りのものではなく、広く万人に愛されているマンガ家であり彼が描く作品であることを、テレビ番組で知りえたということだね。

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