6月上旬。東京スカイツリーに独り登りました。
受付で尋ねますと、「待たずに乗れます」とのこと。チケット代2300円を払って搭乗口に並ぶと、降りてきたエレベーターにすぐさま乗込めたわけですが、高速で上昇する狭い箱のなかに閉じ込められたのは若い男女3組と老いたる爺さま虫一匹。「オジャマ虫~♪オジャマ虫~♪」と囁かれているようで居心地、悪いの。…いいんだ。ボクはいつも独り都会を放浪しているのだから。

――所用で上京したのだが一日空白ができたので東京見物でもと考えたのですが、時はコロナ情勢下の大都会。本来なら上野界隈の美術館や博物館で時間を過ごすはずが、どこも入場制限が行われており気ままに入館できない。そこで地図を見やって「上野から歩いて行けるのは東へ、浅草か」と考え、とぼとぼと浅草へ。観光客はチョボチョボで外国客は皆無の状態。気抜けして両国の『江戸東京博物館』へ向かう予定で地下鉄駅へ降り立ち、路線図をみていましたら、押上駅に(東京スカイツリー)とカッコつきで記入されているではないですか。しかも浅草から近い。
午前中は雨模様の曇りだったものが一転、快晴へ。そこで予定していなかった「東京スカイツリー詣で」となりました。2012年2月完成したこの電波塔は地上634メートル。開業当時は長蛇の列が数ヵ月続いていましたが、こんちコロナ情勢で人の動きは小さい。
男女3組と爺さま虫一匹を乗せた高速エレベーターは50秒で塔中央部に設けられた展望台に到着。降り立つと派手な装飾もなくシンプルな展望デッキは一回り5分もしない。眼下を見下ろすと一面、コンクリートのビルが建ち並んでいるだけ。遠くを望んでも広大な関東平野が広がって山ひとつ見当たらない。南面には東京湾、足元に河の流れが見えるのだが何ら感動を見出すことができないね…。

この東京スカイツリーが建設された一帯は、先の大戦で空襲などの戦禍で焼け野原となったエリアなのですが、75年を経て遠くに超高層ビル群を望みながら眼下にコンクリートビル群が絨毯のように広がって何故か冷たい硬質なものを感じるのも確かです。
それは大都会が経済性優先の街造りであり、ビル群の絨毯が無機質な札束が立っているような錯覚さえ覚えてしまう。都会は人々が参集しながらも年々人間を疎外する街となっていく。…それでも大都会のふと見せる表情に何故か郷愁を感じてしまうわけ。――40年以上も前に大都会を離れ、現在は山に囲まれ緑豊かな街中に棲んで年に数回上京するたびに感じることではある。何故だろう。
――それは私が大都会に10年余を住みながらも遥か遠くへ離れてしまったからこそ、言えることなのかもしれない。



