みち子の長崎絵日記

シニアライフを元気で楽しく輝いて過ごしましょう!

マケドニア紀行24、お別れパーティ

2006-10-27 05:04:04 | Weblog
8月28日、 夜
今日の湖岸一周遠征はOHRID市長さんの計らいによるもので
アルバニアでも何かと便宜を図って頂いたようです。

今夜のパーティも市長さんの招待です。
楽団も来て居て、みなさん陽気に騒ぎます。
マケドニアの男性はみな美声の持ち主で運転手さんも上手い。
聞き惚れてしまいます。

歌うほどに酔うほどに踊りだす。
日本人も負けては居られない、
日本からの最高齢者(77歳)書道の七嶋先生も踊りだしたので驚いた。
この先生は実にパアフルで炎天下の遺跡見学も元気いっぱいだった。
若者の方が負けている。

私たちばあちゃん3人は座ったままで手を打ち腕を振り回したり。
   それでも、ああ、疲れた。
あくる日ただ一人の20台の若手女性に「夕べは頑張ったね」
と囁いたら「七嶋先生には負けられないと思った」そうである。
とにかく、めちゃくちゃ踊りでリズムの合わせて外国版阿波踊り。

かくてマケドニア最後の夜は陽気に更けて行ったのでした。(続く)

マケドニア紀行23 トイレ事情

2006-10-26 05:11:11 | Weblog
マケドニアのトイレは、何故かほとんど鍵が無い、
あっても壊れているか掛かっても開けられなっかたりする。
それで女性群はホテルの自室以外のトイレは
必ず二人一組で行き、一人はドアの前で見張り番をする。
田舎では昔懐かしい またいでかがむ式も見られたが水洗式でまあまあ清潔。
ペーパーはあったりなかったり。チップは要らない。

ローマテルミエ駅はイタリア最大の有名な駅なのに
トイレは使用料70セント、まあいいや、と多目の1ユーロ入れても開かない。
小銭が無ければトイレにも行けぬ。外国人にとって不親切な事だ。
イタリア人は体も大きいがアレの貯蔵庫も大きいらしい。

写真はオークリッドのホテル前の高層アパート群、
湖畔の町は観光地で人々の暮らしも豊からしい。

マケドニア紀行22、再入国

2006-10-23 05:29:43 | Weblog
8月28日 午後の2
私たちはまた国境を越えてマケドニアに入国です。
何となくホッとした感じで近くのホテルのレストランに入り遅い昼食です。
もう、午後3時過ぎです、軽いスパゲチ位の食事かと思っていたら
前菜から始まる本格的なものです。
え、夕食はナシかな?

いいえ、今日はマケドニアで過ごす最後の夜です。
夜9時から「お別れパーティ」がある、と言う。
それまでホテルに帰って小休憩。

写真はアルバニアとマケドニアの国境風景。建物は簡単です。

マケドニア紀行21、 アルバニアで、

2006-10-23 05:16:50 | Weblog
8月28日 午後
車は湖の沿って走ります。
時々、50cmくらいの魚を片手にささげ片手を挙げて車を止め様としている男が立っています。
車を止めて湖で釣った魚を売ろうとしている。
車たちは走り去るばかり。
日陰も無い炎天下、魚が腐る前に売れるのだろうか?
心配だが、どうしょうもない。

付近の山々は緑は少なく、
もと塹壕らしき穴の開いた丸いお椀を伏せたようなものが点々と在ります。

写真はアルバニアの絵画室で。

マケドニア紀行20 アルバニアで、

2006-10-21 05:54:11 | Weblog
8月28日
アルバニアの中心部付近で公共の建物の3階にある美術室を見学しました。
不思議な事に部屋には鍵が掛けてあって、
市の職員らしきが鍵を開けて中に入れてくれました。
常時公開していないようです。
絵は戦争・反戦を題材にしているのが多く見られ
画材や額縁も手つくりと思われるものが多く素朴な感じです。

ますます不思議な事にトイレを借りようとしたら、これも鍵が掛かっている。
職員に開けて、と言ったら「ジャストモーメント」とか言って引っ込んだまま出て来ない。
ダメらしい、と言う事になって湖畔のホテルへ行く。
ここは予想外にフロントのおじさんは愛想良く身振り手振りで「どうぞ」と言う。
ホッと一息。    (続く)

マケドニア紀行19 OHRID湖一周観光

2006-10-20 05:06:45 | Weblog
8月28日
私たちはいつものように2台の車に乗り込んでOHRID湖観光です。
湖畔を巡る道は美しい風景の連続で飽きません。
古い古い教会が湖畔に聳えています。

湖を一周するためには隣国アルバニアを通らねばなりません。
OHRID湖の三分の一くらいはアルバニアの領土です。
まず、マケドニアを出国して200m位移動してアルバニアの入国です。
一箇所で出国と入国が出来ないのです。
国境はものものしい感じで拳銃を持った兵士らしき?が立っています。
入国するのに40分かかりました。

アルバニアに入ると、とたんに道が悪くなります。
ここも内戦が長く続いた所です。
戦火の後もあちこちで見られ、復興が遅れているようです。
私たち一行の車はアルバニア警察のパトカーが先導しています。
途中、ここは旧独裁者の宮殿だった、と言う所で一時下車、
湖畔の広大な緑豊かな敷地です。   (続く)

マケドニア紀行18 Ohridで開会式

2006-10-19 15:32:45 | Weblog
8月27日 
夜8時からの日本とマケドニアの友好美術展の開会式です。
市長を始め市の主だった方々が列席され、
私も握手を交わし市長さんと写真に並んで納まりました。
ここでもTVの取材があり、また被爆の模様など話したりでした。

書家の七嶋先生がスコピエ同様、「友愛」と大書されました。(写真)

夜9時頃、例によってレストランに移動、パーティです。
多量のお料理は、ここも美味しい。
デザートは、パイ皮で木の実を包んで焼き、こってりした蜜をたっぷり含ませてあるのが美味しかった。もちろんカロリーオーバー。

運転手さんが「自分も日本に行って見たい」と言うので
「日本に来たら飲酒運転で、たちまち監獄行き」と私。
運転手さんはいつに無く神妙に「日本では運転しない」そうだ。

明日はOhrid湖を一周する観光です。(続く)

マケドニア紀行17、OHRIDの街、1

2006-10-17 04:51:38 | Weblog
8月27日
オークリッドは街全体が美術品のように美しい、湖畔の街です。
人々も美術を愛し、街角のあちこちに美術館が鏤められて在り、
その一つの一部屋が日本からの書や絵のために用意されています。

絵の荷解きをした後、オークリッド周辺の観光をしました。
案内役は市職員の美しい女性です。9歳の息子が居るそうです。
市の職員が付いているのでどこも無料で入れます。
数百年前の古い教会とか博物館を見学しました。

それらより私が感動したのは
古い石畳の道が数百年人々に踏みしめられ石の角々が丸くなっている事です。
長崎も同じような石畳の坂の町ですが、
いつも掘り返され歴史の重さはなく恥ずかしい、と思いました。

家々もそうです。
短期間で(歴史的に見ると)更新される長崎の家とは違います。
古い家を大切に伝統的な暮らしを受け継いで生きている。(続く)

写真は美しい湖畔の街オークリッド

マケドニア紀行、16 大移動

2006-10-15 04:32:11 | Weblog
8月26日
今日は首都スコピエを離れて南部の湖畔の町Ohridに移動です。
私たちは高速道でなくても高速で走る車に乗る。
高速道路もあります。
まったく、定規で引いたように、どこまでも一直線です。

途中の山河は赤茶けた山肌に緑がボツボツあるといった感じ。
緑の中にはオレンジの屋根が集まって集落を作っている。
農家でしょう、
時にトラックにスイカを冨士山のように積み上げて売っている。
スイカやメロンを毎朝食べましたが当たり外れなくみな甘い。

時々休憩しながら湖畔の町オークリット着。
ホテルDONCOにチェックイン、
スコピエのホテルよりやや手狭だが可愛らしく清潔感がある。
感心したのはエレベーターが部屋のキーを差し込まないと動かない。
つまり、宿泊者以外はフロントより上の階に行けない。
これは日本のホテルでも見習って欲しいと思う。
                  
写真はオークリッド湖の湖畔で。   (続く)

マケドニア紀行、15 開会式

2006-10-07 12:14:06 | Weblog
8月25日、20時から、
開会式は、市長さん、イタリア大使、美術館長、ほかの列席のもと、
マケドニア国立美術館で盛大に行われました。
それぞれのスピーチ、日本団長の挨拶、TVの取材もありました。
私たちの中で被爆体験のある人は被爆した状況を話しました。
私は被爆体験が無いし名前を言っただけです。

開会式のメイン・イベントは
日本から同行した書家の七嶋幸一郎先生の書道です。
羽織袴に身を正し、3畳分くらいの白紙に太い筆3本合わせた筆で
たくさんの列席者の前で、力強く、大書されました。
 「親善」と大きく、少し小さく「マケドニアと日本の友好祈念」年、月、日
この書は、絵とともに美術館の壁を末永く飾るでしょう。
   (後でまた七嶋先生の事に触れたいと思います)

21時から会場をレストランに移してまたパーティです。
写真中央はビアンツ先生。   (続く)