みち子の長崎絵日記

シニアライフを元気で楽しく輝いて過ごしましょう!

俳優・赤木春恵さんの8月15日

2015-08-14 13:52:55 | Weblog


ラジオ深夜便13日の「明日への言葉」から

  日本では空襲も始まった昭和20年2月、慰問団として満州に渡る。
日本も危ないし15歳まで育った満州の方が良いだろうと思った。
北の方、ソ連との国境近くまで慰問に行ったとき、そこにいた人が慰問はもう良いから、夕食を食べたらすぐ帰るように言われた。
訳が分からず食事をしているとき突然大砲の音が響いた。
「どうしたのですか?」と聞くと戦争だ、と言う。
どことどこの戦争かもわからずに食事半ばで帰る。
後で知ったがそれはソ連軍の侵攻であった。

ハルピンに帰ってしばらく後、
みんな集まって放送を聞くように言われた。
雑音がひどくて何の話か分からなかった。
誰からともなく日本が戦争に負けたのだと聞いた。

ハルピンで、引き揚げまでの1年余りを過ごす。
学校の体育館のようなところだった、
発疹チフスに罹り、死地を彷徨う。
生き延びられたのは、どうしても母の居る京都に帰らなければ、と言う、強い思いからだったと思う。

北の方から満蒙開拓団の人が命からがら逃げてきてハルピンに合流してきた。
その人たちから、この世の物とも思えない凄惨な話をたくさん聞いた。

沢山の人達が死んでいった。

そして、やっと、日本から迎えに来た引揚船に乗る。
船の中でも子供や病人が死んだ。
母親は子供の死んだことを隠し、生きていると言って子供を離そうとしなかった。

佐世保の港に着いて上陸したら、道は二つに分かれていた。
死人と生きた人に分けられた。
死んでも連れて帰ってきた人が多かったのですね。

そんな赤木春恵さんの「明日への言葉」は

  戦後70年平和に生きて来た。
  これを守らなければならない。
  日本だけでなく世界が平和ありますように。

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