ロマネ・サン・ヴィヴァンを頂いたランチの後は、ホテルのすぐそばのガラス・ミュージアムへ。
次の目的地に向けて2時間くらい運転する必要があるので、酔い覚ましも兼ねて。
入場料は5ドルだが、展示の仕方が非常にわかりやすく、かつ面白い。
小さな博物館だけど、よくやってる。
ガラスの色を出すのに、どの金属を使うか、という話。
色は金属のイオン(金属の原子から1,2個電子が取り除かれた状態)の種類で決まる。
真っ赤が金、真っ白が鉛、緑が鉄、水色が銅、群青がコバルト、そして薄紫がマグネシウム、など。
何か、高校の化学の授業で一生懸命覚えたなあ、と懐かしく思い出す。
一番左側の黒い箱の中にある、黄緑に光っているのは、ウランを混ぜたという蛍光色。
ウランは放射性があるだけでなくて、蛍光物質としても知られていて、紫外線を浴びると緑色に光る。
鉱物でいうと、蛍石なんかが、その代表例。
18世紀の人たちが、こんなものを作っていたなんて、何か粋だね。
お姉さんが「今から実演をやるわよー」と呼びに来た。
博物館の中に、高炉があって、そこで実際のガラス食器つくりを見せてくれるらしい。
ワイングラスみたいな、柄のあるグラスを作ってくれた。
専門のガラス職人が作るわけじゃないので、失敗することもある。
このときも、最後にちょっと失敗して、一瞬で割れてしまった。ガラス工芸ってやっぱり難しいんだな。
展示はいろいろ。
写真は19世紀前半から作られ始めたという、mold(型)に流し込むタイプの食器。
ここまで手の込んだ食器って、今では婚礼食器売り場でさえ余り見ないけど。
ひとつひとつが、心を奪われる美しさ。
19世紀後半から20世紀にかけてつくられていた燭台。
デザインがちょっとフランスのアール・ヌーボーっぽい。
時代が同じだから、影響を多少は受けているのかな。
こちらは、表面に金属箔を混ぜることで色を出している食器。
日本の茶器などの陶器を見ているような気がする。芸術って互いに影響を与え合ってるんだなあ。
サンドイッチのガラス工場では、何と1600年代から明かりに関するガラス器具を作り続けていたそうだ。
1600年代のアメリカにはろうそくすらなく、動物の脂や木の脂を燃やして明かりにしていたという。
植民地時代のアメリカ人の苦労が偲ばれる。
そんな生活に彩りを与える、脂を燃やすためのガラス器具。
1700年代はじめには、ろうそくも普及し、サンドイッチで作るのも、ろうそくを立てる燭台へ。
さらに1800年代には、捕鯨も盛んになってきて、Whale oilという鯨から採った油を燃やすようになった。液体なので扱いやすく、アルコールランプみたいにして使っていた。それに合わせて燭台の形やデザインが変わってくる。
その後1900年代に入ってからは、石油からとった灯油を使うのが一般的に。
デザインも、だんだん現代的になってきた。
トーマス・エジソンが電球を発明してからは、このサンドイッチの工場でもGEから委託されて、電球をつくるようになった。写真は最古の電球。
こうして時代と共に変わる技術や習慣に合わせて、400年近くもガラス器具を作り続けて来たんだな、と実感。
お土産やさんにも、素敵なガラスの食器やアクセサリーが並ぶ。
結局1時間半も美術館にいたらしい。
ミュージアムを出たら、すっかり外も暗くなっていた。
外見はこんな感じ。
日本にも同様のコンセプトの博物館は各地にあるし、その中のいくつかにも行った事があるけど、ここは展示の仕方や説明のしかたが上手いし、面白い。
前日のプリマス・プランテーションもそうだったけど、アメリカのこういう博物館って日本もまだまだ学ぶところが大きいな、と思った。
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