パレンケがあるチアパス州は、メキシコでもっとも貧しい州だといわれている。
先住民の割合が多く、その多くが農業など第一次産業に従事している。
パレンケの町じたいはただの田舎町の様相だが、ちょっと離れたところにある村を通ると、本当に貧しいのがわかる。
掘っ立て小屋を崩したような、こんなところに人が住めるのか、というところに人が住んでいる。
たくさんの人が道路沿いに立って、ただずっと道路を見ている。
遺跡でも、ほんの6,7歳の子供たちが、石を削って、マヤ暦のキーホルダーを作って売っている。
1994年、北米自由貿易協定(NAFTA)が結ばれたのをきっかけに、先住民の生活を守るべく立ち上がったのがザパティスタ人民解放軍(Ejército Zapatista de Liberación Nacional, 通称EZLN)だった。
余談だが、90年代は、アメリカの共和党政権の、農業を中心とした貿易自由協定の嵐が吹きまくり、日本もだいぶ被害をこうむった。
今でも思い出すと頭にくるが、当時日本勢が隆盛を誇っていた、半導体やスーパーコンピュータなどの分野で、実質輸出制限を課せられる一方、アメリカの農作物を輸入させられるという、かなり不平等な自由協定だった。
(一方で、誰かのお膝元のこんにゃくいもは関税11倍を死守するなどという馬鹿みたいな話もあった。今でもこんにゃくいもは11倍のまま、そして自給率は100%なんじゃなかろうか)
余談終わり。
メキシコもその嵐の中、アメリカとの貿易自由協定を結んだ。
それは当然、メキシコの農業、とりわけチアパス州のような人口の大部分が先住民で、農業に携わっているような地域には大打撃を与えた。
Zapatistaは、先住民の権利を守るべく立ち上がった、人々のヒーローだったわけだ。
あれから15年が経ち、ザパティスタの評価もだいぶ変わってきた。
最初こそ、ただのゲリラやテロではない、懐柔作戦も取れる、真に先住民のことを考えている団体、と言う評価だったけど。
チアパスでは今でも人気なのかな、と私たちは思ってたが、お膝元のサンクリストバル・ラスカサスに行った時、そうでもないことを発見した。
メキシコ政府も先住民に対してだいぶ寛容な政策を取るようになり、支持者が少なくなってきているようである。
それでも観光客にはまだまだ需要があるらしく、お土産やさんに行くと、ザパティスタグッズが色々売っている。
パレンケ遺跡で、まだ7歳にもならないような小さな女の子が店番をしていた。
何ともかわいそうになって、この女の子から小さな財布をお土産に買ってみた。
そこにザパティスタの統領である、覆面をかぶって銃を持つマルコスの人形が売っていたので、写真を撮ってみた。
町で、ザパティスタのかわいいTシャツが売っていたので、いつも個性的なTシャツを着ている友人にお土産として買うことにした。
次の記事→アグア・アズルの滝-メキシコ旅行(12)