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miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

灰の水曜日と東風(こち)と…菅原道真と母

2021-02-17 15:02:09 | A●●-PUNKs
画像右半分の文字は、母
画像左半分は、私で…東風(とち❌→こち)でした💦

………………………

本日『灰の水曜日』からレント(四旬節)が始まる。
昨年この時期はコロナ禍序章だった。小樽の教会では、聖堂入口にある聖水入れの代わりにアルコール消毒スプレーが置いてあって、ミサ(2020年間第6主日)久しぶりに会った友達にふざけて「これの中身は聖水?」と聞いたら「いいえ、消毒薬です!」ときっぱり言われてへんな気持ちになったのを思い出す。
その翌日にまた逗子に来たのだったけれど、逗子教会の聖水入れは何時もと変わらずにあった。
ほどなく札幌司教区はコロナ対策として『灰の水曜日』を含むミサ・集会祭儀を一定期間休止したが、私はタッチの差で『灰の水曜日』ミサを逗子教会(横浜教区)で与った。

「汝は塵より生まれ、塵に帰ることを覚ゆべし」(今は口語)と神父さまから諭され?ながら、右の親指で『灰』をオデコに十字型に塗られる式が、昨年は頭部10センチ上からパラパラハラハラとかけられる仕様だった。灰を被って帰ってきた私から、その灰のカケラを病床の母は欲しがった。


今日、母は[実も心]も元気だ。朝食後に『灰の水曜日』のパンフレットを音読して歌を歌う。
そうしてから菅原道真の歌を誦じて、編物をしながら当時の背景😁を教えてくれる。
私は調子良く語る母の話しの裏取りをネットでしながら、筆ペンを取った。。。

そう言えば、野良の桜はたくさん見るけれど、野良の梅に出会ったことがまだ無いなと思った。
主をなくして、まだ野良になりきれぬ梅への声援は複雑で、自然の理以上にかきたてられる春という真っさらな頁が交差するように思えた。その心情は実体として今日の「灰」を受けられずとも復活祭にむけて、実質、暦を進めた気分になれた。
コメント
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