miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

静かな朝

2022-07-23 15:53:00 | A●●-PUNKs
ぐずついた空なれど
かすかに海の匂いがする

からめてつられるような
祭囃子
どんどんどどん どんどどん
どんなに耳をすませても ここに届かないみたい
ぴょろひゅーひゅーる…ぁぁああああ、、、、笛が聞こえたっ!
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とても難しい?こと

2022-07-21 16:21:59 | エッセイ
色々説明すると物凄く長くなり、それをすることが私個人の精神衛生上よいとは思えない。
けれど…書かずにはいられないことがある。
どんなに説明不足でも 希望が見えなくても…

………………………

カトリックと死者とか・・・

そもそもは、カトリックのドクマ(教理)においては、本来は死者は神に委ねられている。これは1962年〜の第二バチカン公会議でも確かめられたことである。生者の「天国に行きますように・或いは一刻も早く煉獄の苦しみから救って下さい。生者の祈りを聴きたまえ・・・」という土着?の信仰から「墓」があり、主にドイツのしきたりから普遍的信仰?の元に各国各地の土着信仰に基づいて解放されている箇所だと、私は理解していた。(ちなみに、ドイツでは未だ政府管轄のキリスト教税が、クリスチャンによって納税されている。聖職者による長年の性的虐待について聖座がモニャモニャしているうちに、特に子どもを育てている世代の信者が教会籍を抜いているそうだ。)

さて、日本において超高齢化と司祭職の不足によりカトリック各小教区における「墓地委員会」の活動が詰まって来た感じがしたのは、10年以上前からだ。鎌倉の『雪の下』には、信者から土地を寄付された素晴らしいカトリック墓地があるが、それは札幌教区管轄の墓地の歴史には及ばない。カトリック墓地は、私にとって第三の家のようなものだ。安らぎの根底には、墓石に表される名前があり、10基に一つは、私と同じテレジアかテレサが彫られているの。それがここ5年くらいの間に弄るしく荒れてきた。超高齢者か、墓参マナーがわからない人なのか、お花を回収しない(カトリック的に献花といえるのか、私には解らない)花台には腐った花が臭いを発し、雨水がトロッと粘度をまし・・・北海道のように雪の降らない墓地は、枯葉や蜜柑のクズや伸びすぎた竹や諸々の汚れでいっぱいだ。5段くらいに整備されている頂上には、マリア像があり昔の「めでたし聖籠満ち見てる・・・」から始まる文語体の聖母マリアへの祷碑文があり、像の足元には泉(ちょっとルルドを模して)っぽい池を作り、水を溜めていた。その池はボコボコと汚い雑巾のような臭いをして緑に濁り15㎝から18㎝ほどのオレンジと白が混じったような溶岩っぽい石が一個も見えない状態だったけれど、墓守が居た。多分60歳を超えている、悲しげな目のハーフ(アジアン×コーソカイド)のおじさんが掃いたり拭いたり、とてもマメに働いてくれていたんだ。
彼は、死んでしまったのか? 彼が居なくなってから、草木のゴミは何袋も溜まり,墓石の花は黴が生えドロトロに腐る。母の住所にも、何度か悲鳴をあげた墓地委員会から手紙が来ていた。

慈しめない墓地に、お墓を建てるべきではない。

娘は、雨の中墓石を掃除して祖父の名前を腐ったタワシでこする。
蒸した墓地に、スコールが降る。
こすった名前が、白くくっきりと浮かんだ。
彼女は、祖父の名前だけをこすって・・・終わった。

日本の墓地のいわゆるマナーを・・・守ってほしい。
「墓地」を建てたなら、雪の下教会からは車で5分のこの墓地を・・・きれいに清潔にしてほしい。全てを覆う「雪」が降らない土地なのだから。そして、墓地を持ってる誰もから羨ましがられる立地なのだから・・・ねぇ。

コロナ元年から、小樽の家の近所の仏教墓地や神社の 清潔を保つ祷に魅せられる。こんな年こそ日本人は祈り、鳥居の塗り替えをし、花を育てる。そんな中、粗末にされた日本の一等地が悲しく侘しかった。

そして、日常のルーティンを全てこなす母は・・・昔の昔からお墓参りに興味がなく・・・私は、まるごと、本当に諦めるしかないのだろう。。。

「永久にしろしめしたもう、全能の天主
数々のおんめぐみを感謝したてまつる
願わくば、死せる信者の霊魂
天主の御あわれみにより
安らかに憩わんことを アーメン」

小樽に居ると、近道に仏教のお墓の中を歩くことがある。その時に必ず、なんとなく口ずさむ祈りがある。

これは、食後の古いお祈りだ。

お祈りの言葉(ラテン語をやめたカトリックは、文語だったり口語だったり、果ては翻訳を変えたりさ💦)は、母の子供④にも孫にも引き継がれず、引き継ぎようがない。でも、私は、好きな祈りなんだ。

慈しめない墓地に、今お墓を建てるべきではない。

充分な年金を貰って今回の選挙に投票した母達(家の仏教から改宗した一世)は、祈る以上に考える責任があると思う。

日本で酷い暗殺が起こった。犯人は、母親を信じたい2世だった。はっきり言って、2世には信仰の自由はない。信じ方の自由もない。
カトリックにも、カルトがあり、全財産寄付するネオカテクメナートも認められている。そして、ネオは青年の集い(カトリックユースデー)を取り仕切り、そのカルトで集団見合いを決行し、●一協会のように叙階なしで家族宣教をしている。グアムの日系のホテルは、彼らが買い上げて拠点の一つにしている。買い上げられるだけの予算は、全財産を寄付する新参信者の姿勢があるからだ。

残念なことに・・・寄付額は数字として、評価され、ごく一部の上納金のようなものは、貧しい人々に振り分けられている・・・と、せめて信じたい。

バチカン銀行が執行停止に陥ったのは、マネーロンダリングに加担していたからだ。それ以外にもクレージーだったのだろうけど。改革を仰せつかった司教様は、改革途上で本人の希望を無視してアメリカに飛ばされそこから司祭の性的虐待裁判のスッタモンダの渦中に投入されて、諸諸についてパパ様に抗議文を送っている。辛かっただろう、辛いだろうと、感じる。

遠い遠い距離の話は・・・私にはとても近いことだけれど、考えないように決めなきゃならない。
せめて・・・彼らが「寄付」によって確保した墓地が・・・大切にされているように見せてほしい。安らかなることとは、そういう事だと思うんだ。

そして、それだっけを守れば・・・戦争が70年以上ない日本なら続くような気がする。
雰囲気のことだけれどね・・・

頂上のマリア像は、黴と苔に覆われて、彫り込まれた瞼は陰を増しギクっとするほどウツロだ
足元の池に水は無く、ゴロゴロと選ばれし石に雨がはねる
束子で洗おうにも 黒雲濃くなり山の豪雨が来た
何段の墓地の頂上から ずぶ濡れになりながら門付近まで降りる
門付近には、納骨堂と言われている空かずの倉庫がある
朽ちた隙間から覗くと…なにひとつ装飾なく名前もなく壁一面に蓋つきの納骨棚が見えた
その建物を作った時、100は確実に数えられる棚がすぐに埋まったという………
扉を挟んで、少なくとも屋内には
枯葉も黴も見当たらなかった
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海の日2022

2022-07-21 16:15:23 | A●●-PUNKs
よい一日を♪
お墓参りも行けたし、弟の🎺も聴けたし、大きな🍉も買った日😋
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ピンクのサンジャク

2022-07-15 17:04:37 | エッセイ
ぴんくのサンジャク

居られれば、小樽祭りだ。

任侠系の屋台やその年限定のザお祭りらしい風景が連なっているだろうな。あまりにも寒くて浴衣の下にトレーナー2枚重ねで繰り出したこともありました。くじ引きや東京カステラ、ラムネ、サビオ(バンドエイド系の絆創膏を私は今でもサビオと言ってしまう😁)をはりめぐらした素足に下駄を履いて、神社の階段を登ったり、いちいち拝礼のお行儀がわからなくて寒いのに汗かいたりさ。教会の門前にもびっしりと出店があって、防犯やトイレサービスの意味で庭でバーベキューをしながら下界のお祭りを楽しんでいた。ちびっ子達がくじ引きで勝ち取ったキラキラのネックレスを見せてくれたりさ。お祭りのお小遣いで初めてみたいに現金を手にした娘が、私のため指輪を買いたがったり、東京カステラのお兄さんに私が「いっぱい入れてね♪」って言って、「困ったママですね・・・」って言いながら、袋から溢れるほど鈴カステラを盛ってくれて、ズルした母親に愛想をつかして娘がいなくなったり・・・💦

私のうんと小さい頃は、父方の本家(と、言ってた。立派な提灯を玄関に吊るしてねぇ)では、伯母様が春に採ったわらびや蕗が入った美味しいお煮しめとお赤飯があった。私は、今考えると超絶美味しいお煮しめも甘納豆入りの北海道のお赤飯も苦手だったので、特別に海老グラタンとか作ってもらってた。かわいいポチ袋にお祭りのお小遣いをもらって、5個入ってる綿飴と金魚掬いをするんだ。赤い金魚は、私の私だけの初めてのペットだった。ヨーヨーは、選びに選んで2個買った。疲れたら伯父さんの肩車でお店を巡る。伯父さんはみんなに挨拶して、みんななんか私にくれるのよ。今にして思うと、不思議な光景だ。ちょろりと、伯父さんはテキ屋なのかなぁとか思っちゃった。

夕暮れから、ピンクと白の縞々の提灯の灯りが目立つようになる。緩やかな坂に並んだ夜店にさ、夏虫が集るように人々が止まって、そしてゆるやかに流れるのね。途中で知り合いに会って、地上170㎝くらいで少し喋ったり挨拶したりさ。夜には段ボール箱いっぱいの花火をするんだ。幻覚みたいだなぁ。。。
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ママン、野の百合クリニックへ

2022-07-15 15:22:08 | A●●-PUNKs
暑い日🥵ママンを皮膚科に連れてって…その後、千葉へ移動中💦

実は、5日位前から、ママンの唇の端っこが変な感じだった。疲れたり季節の変わり目になると、本人曰くヘルぺスになるらしく2年以上経ってる軟膏を塗ろうとしていたのよ。それで、古い軟膏は最もまずいから、メンソレータムを塗っておいて、桃のジュースを飲んで治らなければ皮膚科に行きましょうって言ったの。。。これからコロナワクチン4回目とかハートセンターとかあるから、私はピリピリしてるのだけど、本人のほほん♪とたまに手鏡で眺めてゴシゴシ指でこすったりしてるんだな。よくなるどころか、上唇も少し腫れてきちゃって、それは、ちょっと元気に見えるのだけどさ🤣
で、月曜朝一で皮膚科に行こうねって話してたら、週末イベントで弟からジンギスカンパーチーのお誘いがあって・・・私は食欲無くてパスだけど、ママンが行く気マンマンで、ギンギンの太陽の下、お迎えの車に乗って行ったってわけ。

もうね、20時過ぎても帰って来ないから、弟宅に泊まるのかなぁって思ったら、21時ご帰還。

そして、月曜日。皮膚科に行って、よーく診てもらって、、、軟膏の付け方も指導してもらって、ニコニコ。野の百合クリニックの先生は、本当に癒される🎶 皮膚トラブルがおきなければ、先生には会えないのよね😂 それで、楽しく帰路に着くにあたりお寿司買ったり、三河屋さんでお酒見たりして・・・ブラブラダラダラママン家に帰りました。
7月は、こんなあんなでちぎれちぎれにママンの通院があって、🟰毎日大音響のテレビ垂れ流し🟰に疲れ果てた私は、2時間以上かけて、千葉に避難することにしました。ら、ら、ら・・・汗だくで汗だくで、、次の日寝たきり、、その次の日、逗子トンボ帰り・・・ぁぁぁ
ママンの唇が良くなっていて、良かったぜ。

ふぅぅっ♪
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よい一日を♪ 熱中症🥵注意! / バタバタ中

2022-07-15 15:20:40 | A●●-PUNKs
よい一日を♪ 熱中症🥵注意! / ジタバタ中
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あづい日💦

2022-07-15 15:19:05 | A●●-PUNKs
あつい🥵食欲ない… 渾身の青ネギと椎茸の冷たいスープ作ったけど、、、
冷たい素麺以外食べられられないやぁ😎あっ、お寿司🍣なら食べたい🤣
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6月の最後の日に

2022-07-15 15:17:18 | A●●-PUNKs
6月最後の日、よい一日を😊

……………………

北国の初夏からの…

そこには、四半世紀ぶりに辿り着いた。
その前にも何度も行き来していたが、区画整理されている広大な札幌の平地は、山と海が起点の小樽育ちの私たちには難しく、何度も秘境みたいに迷子になる家だったはずだ。文明が急速に進んで、グーグルアースやカーナビで確かめて、冒険は、冒険じゃなくなったけれど、僕らも大人になって忙しくて・・・あまりにもすんなりと辿り着いてしまって、少し時間を潰さなければならない程だった。

区画隣には葬儀場があり、ホームセンターもスーパーマーケットも公園も病院もあった。時間潰しに小雨の野外園芸コーナーを見た。イチゴの苗は、時期を外していて立派な実を5粒つけたのが800円で売っている。安いポットの花は、苦手な系統ばかりだった。美しいラウンド型の薔薇の苗は、植えても毎日の世話が必要だから、北国滞在日数の少ない僕らには買う権利がなかった。

約束の時間になった。ピンポンを鳴らすと、明るい声が聞こえた。ほっとした。僕らは、高さ1メートルくらいある花のアレンジメントを後部座席から出して、仏間に運んだ。おばさんは骨になっていた。淡いクリーム色の着物を着て、あのサイズの額縁から微笑む。唇を噛むような瞬間だったけれど、仏間という特別の一部屋に僕は久しぶりにありついて、落ち着いて・・・お線香のあげ方を聞き、お参りしたんだ。

コロナ禍から、ねえさんは2年間おばさんにもおじさんにも直接会うことは出来なかった。実際に「人」が住んでいるのは狭い世界で、東京から来るとなると世間体が難しく、ねえさんがポツリぼやいていることがあった。
おばさんから、胸が苦しいと夜中に電話がきたそうだ。津軽海峡を挟んで向こうの向こうから救急車を呼ぶ。。。現場に居られず遠隔でがんばったねえさんと弟は、無念を告げられた。
おじさんは、その時の全てがわからなかった。電話では「いたって普通」のスイッチが入っていたので、ねえさんも弟も解らない事を知りえなかった。

おじさんは、3年ぶりに帰った息子が・・・わからなかった。

家の庭は、美しく晩春北国の花や木が茂っている。裏庭にはおじさんの家庭菜園があって、おじさんは小さなほうれん草を摘んでくる。お水に浸して、夕飯に食べましょう・・・おじさんは、摘みたてのほうれん草が気になってね。ねえさんには、母親のことを悲しむ時間は無い。
一つの別れは、二つ目の別れをすすめなければいけなかった。僕らは、札幌にずっと居られないからね。ねえさんが学生時代から結婚するまで住んでいた家は、とても設計が良くて広く使い勝手が良い。玄関隣のテラスルームは出窓になっていて夜明けから日暮れまで自然光が入るんだ。僕は、藤のロッキングチェアがよく似合うその一角で鉢植えの150㎝程の椰子を見た。居間から遠目で見ると、根本に花が咲いている。ねえさんがキッチンでお茶の支度をしている間、僕はその植木鉢の根元を確認しにソファから立った。その花はね、百合の造花だったの。おじさんが刺したかおばさんが挿したかわからないけれど、とても愉快で可愛らしい感じがしたんだ。そういえば、北海道の植木鉢は冬のシクラメン以降、花を咲かせる植物が無い。長い冬の間の鉢植えに、ちょろりと造花を添えてみることもあったなぁ・・・。

お茶が運ばれた。雪志乃の小樽焼きの茶碗に、程よい温度のお煎茶だった。菓子鉢には、おかきや落雁が盛られていた。そしてピンクラベルのvenchiのヘーゼルナッツチョコがあった。お葬式から東京へとんぼ返りした兄が、ねえさんが辛くならないようにとお気に入りの綺麗なチョコレートを送ってくれたらしい。

その日おじさんは、デイケアに行っていた。急に懐かしい人に会うと混乱するかもしれないので、僕らは会うのを控えた。

雪志乃の茶碗は、僕らの結婚式の引き出物だった。
6月だったね。
そして、ねえさんもジューンブライドだったね。。。
幸せにしていよう

雨上がりの車道に、散ったニセアカシアの花が雪解けのように溜まっていた。
指の間からこぼれる花びらのように、次の日にはポロポロとそれぞれの居へ行く。
津軽海峡を越えて地上に降りる。
真夏をかき分けて、私は母宅のドアをあけた。
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