1976年6月1日に発売されたシングルでとか、「木綿のハンカチーフ」のあとだったので製作スタッフはだいぶ緊張したようだとか、オリコンでの最高位は2位で、1位の山口百恵「横須賀ストーリー」を結局抜けなかったとか。山口百恵の「横須賀ストーリー」ってどんな曲だっけ? 「これっきりこれっきり」って曲かぁ、あんな曲に負けたのか.....なんて書くと山口百恵ファンにぶっとばされるだろうな.....とか。「赤いハイヒール」について、いつものようにだらだら書いていた。
書いているときにふとYouTubeにあった「夜のヒットスタジオ」に主演している太田裕美の姿を見て、「ああああ、そうじゃない、そうじゃない、そうではない。オレはこの曲とこの曲を歌う太田裕美が大好きだったんだ」と昔の自分を急に思いだした。最近はCDでばっかり聴いているもんだから、どうもシニカルに見てしまう傾向がある。それにしても、こんなにも自分のことを忘れてしまうものなのだろうか。
YouTubeの「夜ヒット」のものは調べてみたら1976年7月5日放送のもので、ちょうど400回目の放送だったようだ。1976年というとソニーのベータマックスが1975年5月10日に発売され、VHSはまだ発売されていないころ(VHS1号機は1976年10月31日発売らしい。定価25万6000円)。動画を公開したかたは、よく録画していて、よく保存していたものだ。
この放送では、橋幸夫、布施明、八代亜紀、細川たかし、キャンディーズ、松本ちえこらが出演していた。歌っている途中で、大きな赤いハイヒールの模型を持って近づいてくるのが、司会の井上順と細川たかしで、当時らしいなんという演出だろう。化粧のせいかライティングのせいか、「ねえ ともだちなら~」と歌う太田裕美の目はたれて見えて、まるでパンダの目のようだ。
「そぉばかぁす~ おじょ~さん」と歌うとき、彼女はとても楽しそうに踊り、可愛い笑顔を見せる。「まがりくねった」と歌うとき、彼女は左手を小さくまわし、顔を右側にふせる。そして「ふたりのあいも」と歌うとき、彼女は左手の人差し指と中指を立て、「しあわぁせ それでつかめるだろぉ」と歌うとき、彼女は左手をぐっと握りしめる。
あぁ覚えている。彼女がこの曲で見せるその素直な笑顔は、当時の私のまわりにはなかなか見られなかったものだ。この曲については、語らなければならないことはそれほどないが、語りたいことがたくさんある。
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
ねえ友だちなら聞いてくださる
ねえ友だちなら聞いてくださる
淋しがりやの打ち明け話し
東京駅に着いたその日は
私おさげの少女だったの
胸ポケットにふくらむ夢で
私 買ったの 赤いハイヒール
そばかすお嬢さん 故郷なまりが
それから君を 無口にしたね
アランドロンとぼくをくらべて
陽気に笑う君が好きだよ
(略)
と、これで終わっているとどう考えても引用に必要な要件を満たしているとは思えない。ので少し歌詞について語っておこう。「ねえ友だちなら聞いてくださる」から「淋しがりやの打ち明け話し」までは、歌詞としてはやはり余分な一節なのだろうが、この一節が作品の扉を静かに開いてくれ、とても重要な一節になっている。それまでの歌謡曲なら構成を乱すとして削除されてしまったような一節を、意識的に使い始めた最初の作詞家はやはり松本隆なのだろうか。
「聞いてくださる」が「ください」でなく「くださる」あたりも、なんとなくこれから打ち明け話しを始める女性が控えめというか内気な性格かと思わせるようだ。また聞き手との間に適当な距離をとっていて、初対面なのにいきなり馴れ馴れしい女性のようではない。「淋しがりやの打ち明け話し」で、自分を「淋しがりや」だと思っていることもわかり、いよいよその打ち明け話しが静かに始まる。
「東京駅に着いたその日は」以降の導入部も見事。主人公が女性であることを明確にし、地方から上京してきたときはまだ少女というような年齢であること、上京したころはおさげ髪だったがいまは違うことなどがたったの2行で語られている。「ふくらむ夢で赤いハイヒールを買った」という次の2行の表現も見事。こうしてこの曲の歌詞について書いていると自分がお馬鹿さんのように思えてくるほど見事。
「胸ポケットにふくらむ夢」で思い出したが、女性が上京してきたときの格好をなんとなくオーバーオールのように思い込んでいた。オーバーオールの胸の真ん中についているポケットをイメージしていたのだ。なぜだろうと記憶の底を探っていたら、当時太田裕美の大きなポスターを部屋に貼っていたことを思い出した。その衣装がネルのシャツに白っぽいオーバーオールだったはずだ。
ジャケット写真だと「12ページの詩集」のものに近いのだが、たしか季節は7月頃の暖かい時期のはず。「手作りの画集」が販売された時期なのだが.....と思って「Singles 1974~1978」に再掲されていた「赤いハイヒール」のジャケット写真を見て思い出した。この写真に似たものだった。このジャケット写真で太田裕美はひものようなものをぶらさげているが、これはたしかボーイスカウトが使う呼子の笛(単管笛というらしい)のはずだ。
そのポスターはたぶんアルバムを買ったときにレコード屋さんでもらったもののはずだ。当時はレジの脇に丸めたポスターが箱に入っていて「ご自由にお持ちください」となっていたか、「下さい」というとくれたかしていた。少し恥ずかしがりだった私が、さすがに貼ってあったものをもらったとは思えない。ましてそのときは大学生である。
そんなポスターも引っ越しを続けるうちにどこかにいってしまったが、あんなに大きなポスターを貼っておいて「隠れファン」はないよな(笑)....という気分になってきた。ま、気持ち的にはやはりそうだったんだろう。
追記 YouTubeにやけに「夜のヒットスタジオ」の映像があるなぁと思っていたら、フジテレビTWO(スカパー)で再放送されている最中だった。知らなかった.....しかも1976年7月5日放送分は、11月26日から4回繰り返し放送されるらしい。いまからでもスカパーに申し込んで間に合いそうだが、どうやって妻を説得するかが問題かもしれない。
書いているときにふとYouTubeにあった「夜のヒットスタジオ」に主演している太田裕美の姿を見て、「ああああ、そうじゃない、そうじゃない、そうではない。オレはこの曲とこの曲を歌う太田裕美が大好きだったんだ」と昔の自分を急に思いだした。最近はCDでばっかり聴いているもんだから、どうもシニカルに見てしまう傾向がある。それにしても、こんなにも自分のことを忘れてしまうものなのだろうか。
YouTubeの「夜ヒット」のものは調べてみたら1976年7月5日放送のもので、ちょうど400回目の放送だったようだ。1976年というとソニーのベータマックスが1975年5月10日に発売され、VHSはまだ発売されていないころ(VHS1号機は1976年10月31日発売らしい。定価25万6000円)。動画を公開したかたは、よく録画していて、よく保存していたものだ。
この放送では、橋幸夫、布施明、八代亜紀、細川たかし、キャンディーズ、松本ちえこらが出演していた。歌っている途中で、大きな赤いハイヒールの模型を持って近づいてくるのが、司会の井上順と細川たかしで、当時らしいなんという演出だろう。化粧のせいかライティングのせいか、「ねえ ともだちなら~」と歌う太田裕美の目はたれて見えて、まるでパンダの目のようだ。
「そぉばかぁす~ おじょ~さん」と歌うとき、彼女はとても楽しそうに踊り、可愛い笑顔を見せる。「まがりくねった」と歌うとき、彼女は左手を小さくまわし、顔を右側にふせる。そして「ふたりのあいも」と歌うとき、彼女は左手の人差し指と中指を立て、「しあわぁせ それでつかめるだろぉ」と歌うとき、彼女は左手をぐっと握りしめる。
あぁ覚えている。彼女がこの曲で見せるその素直な笑顔は、当時の私のまわりにはなかなか見られなかったものだ。この曲については、語らなければならないことはそれほどないが、語りたいことがたくさんある。
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
ねえ友だちなら聞いてくださる
ねえ友だちなら聞いてくださる
淋しがりやの打ち明け話し
東京駅に着いたその日は
私おさげの少女だったの
胸ポケットにふくらむ夢で
私 買ったの 赤いハイヒール
そばかすお嬢さん 故郷なまりが
それから君を 無口にしたね
アランドロンとぼくをくらべて
陽気に笑う君が好きだよ
(略)
と、これで終わっているとどう考えても引用に必要な要件を満たしているとは思えない。ので少し歌詞について語っておこう。「ねえ友だちなら聞いてくださる」から「淋しがりやの打ち明け話し」までは、歌詞としてはやはり余分な一節なのだろうが、この一節が作品の扉を静かに開いてくれ、とても重要な一節になっている。それまでの歌謡曲なら構成を乱すとして削除されてしまったような一節を、意識的に使い始めた最初の作詞家はやはり松本隆なのだろうか。
「聞いてくださる」が「ください」でなく「くださる」あたりも、なんとなくこれから打ち明け話しを始める女性が控えめというか内気な性格かと思わせるようだ。また聞き手との間に適当な距離をとっていて、初対面なのにいきなり馴れ馴れしい女性のようではない。「淋しがりやの打ち明け話し」で、自分を「淋しがりや」だと思っていることもわかり、いよいよその打ち明け話しが静かに始まる。
「東京駅に着いたその日は」以降の導入部も見事。主人公が女性であることを明確にし、地方から上京してきたときはまだ少女というような年齢であること、上京したころはおさげ髪だったがいまは違うことなどがたったの2行で語られている。「ふくらむ夢で赤いハイヒールを買った」という次の2行の表現も見事。こうしてこの曲の歌詞について書いていると自分がお馬鹿さんのように思えてくるほど見事。
「胸ポケットにふくらむ夢」で思い出したが、女性が上京してきたときの格好をなんとなくオーバーオールのように思い込んでいた。オーバーオールの胸の真ん中についているポケットをイメージしていたのだ。なぜだろうと記憶の底を探っていたら、当時太田裕美の大きなポスターを部屋に貼っていたことを思い出した。その衣装がネルのシャツに白っぽいオーバーオールだったはずだ。
ジャケット写真だと「12ページの詩集」のものに近いのだが、たしか季節は7月頃の暖かい時期のはず。「手作りの画集」が販売された時期なのだが.....と思って「Singles 1974~1978」に再掲されていた「赤いハイヒール」のジャケット写真を見て思い出した。この写真に似たものだった。このジャケット写真で太田裕美はひものようなものをぶらさげているが、これはたしかボーイスカウトが使う呼子の笛(単管笛というらしい)のはずだ。
そのポスターはたぶんアルバムを買ったときにレコード屋さんでもらったもののはずだ。当時はレジの脇に丸めたポスターが箱に入っていて「ご自由にお持ちください」となっていたか、「下さい」というとくれたかしていた。少し恥ずかしがりだった私が、さすがに貼ってあったものをもらったとは思えない。ましてそのときは大学生である。
そんなポスターも引っ越しを続けるうちにどこかにいってしまったが、あんなに大きなポスターを貼っておいて「隠れファン」はないよな(笑)....という気分になってきた。ま、気持ち的にはやはりそうだったんだろう。
追記 YouTubeにやけに「夜のヒットスタジオ」の映像があるなぁと思っていたら、フジテレビTWO(スカパー)で再放送されている最中だった。知らなかった.....しかも1976年7月5日放送分は、11月26日から4回繰り返し放送されるらしい。いまからでもスカパーに申し込んで間に合いそうだが、どうやって妻を説得するかが問題かもしれない。