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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

仮・十二月の旅人

2009年12月08日 | アルバム「十二月の旅人」
「ジョンが死んじゃったよ」そう言って友人が訪ねてきたのは、その日の夕方だった。驚いてラジオをつけたらジョンの曲をずっと流していた。ウオッカを買いに行って二人でラジオを聴きながら夜更けまで飲んでいた。FENを聴いていたはずだが、いつまでもいつまでもジョンの曲を流していたような記憶がある。

ジョン・レノンが射殺されたのは1980年の12月8日夜10時50分ころだが、日本時間では12月9日午後0時50分ころ。その日の午後3時ころNHKのニュースで第一報が流れたようで、YouTubeにそのときのニュース映像があった。

正直なところ、当時の私はオノ・ヨーコという女性があまり好きではなく、ジョンの音楽も聴いたり聴かなかったりしていたが、後輩が買ってきた「Double Fantasy」を聴いてしばらくあとでの出来事だったため、よけいに驚いた。

私の周囲にもまだまだThe Beatlesの熱心なファンがいて、なぜか彼らは一浪か二浪している学生だったが、みな世代的にはかなり下の世代だ。私はと言えば、小学生のころ、隣の大学生のおにいちゃんが大きな音量で「Let It Be」をかけていて、英語がわからない私は「Let It Be」を「エルビー」と覚えて歌っていたような年齢である。こんな私たちの世代でも、好き嫌いはともかくジョン・レノンが射殺された事件はかなりショックだった。

佐野元春はその夜ハートランドのギタリストの伊藤銀次からの電話でジョン・レノンの死を知ったらしい。Bruce Springsteenはツアーの最中だったらしく、12月9日のオープニングでジョン・レノンについてと、自分がなぜいまステージに立って演奏を続けなければならないと感じてるかを説明したという。

甲斐バンドは武道館でのコンサートの真っ最中で、アンコール前に控室に戻ってきて、スタッフと談笑しながら、なにげなく手に取った夕刊紙の見出しの「ジョン・レノン 射殺される」を見て甲斐よしひろが信じられない顔をする。彼は何度も顔をふってから十字を切る。夕刊紙を破き、何度もその新聞を固く握りつぶす。ステージに戻ってから歌い始めるのが「翼あるもの」だった。そんな姿もYouTubeで見ることができる。

それこそ松本隆や大瀧詠一らの世代が受けた衝撃は想像以上だろう。太田裕美の13枚目のアルバム「十二月の旅人」はそんな1980年12月9日の3日後の1980年12月12日に発売されている。調べたところ1980年12月9日は火曜日で、12月12日は金曜日ということになる。1980年代しょっぱなに起こったこの事件のとき、太田裕美はどこでなにをしていたのだろうか。

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