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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

赤い花緒

2009年12月16日 | アルバム「12ページの詩集」
ニューミュージック色というかフォーク色というかが強い「12ページの詩集」の中でももっともフォーク色が強いのが「赤い花緒」である。作詞・作曲がアリスの谷村新司なのだが、どちらかというと山田パンダあたりが作っていそうな感じの曲である。

「12ページの詩集」は1976年12月5日発売なので、このころのアリスは初めてのヒット曲「今はもうだれも」(1975年9月5日 作詞・作曲:佐竹俊郎)に続き、「帰らざる日々」(1976年4月5日 作詞・作曲:谷村新司)、「遠くで汽笛を聞きながら」(1976年9月20日 作詞:谷村新司 作曲:堀内孝雄)とけっこうのぼり調子のときだったようだ。

私が大学に入学したとき、京都の大学を中退して大学に入りなおした同級生がいた。同級生といっても、経緯が経緯なのでかなり年上で、何事に対しても熱い男だった。その彼が好きだと言っていたのがアリスで、アリスという名前を聞くとそいつのことを思い出す。なんというか熱い心を持てばなんでも乗り越えられる、乗り越えるんだぁ~ という感じで、アリスのファンというのはそういう傾向があるのでしょうかね? 別に悪い感じではなく、言っていることはもっともなのだが、もっともすぎていささか困るというのだろうか.......憎めないんですけど。

「赤い花緒」は、幼なじみの女性に思いを寄せる男の話で、女性は別の男と結婚してしまい、「何もできずに僕は一人で ひざをかかえて泣いていました」と片思いの恋は終わってしまう。そこからがある意味ですごく「こんなかたちの愛があるなんて きっと誰にもわかりはしない 赤い花緒とおさげの君を 心の妻と生きてゆきたい」と決意するのである。こういう話は茶化してはいけない(笑)

この曲では、花緒に浴衣、すだれ、路地、ふろ屋、かなかな蝉と和風このうえない小道具がたくさん登場する。京都の話か? ところで「赤い花緒」って「赤いハイヒール」の和風バージョン? そういえば嫁いでいってしまった彼女は「おさげ」髪だったようだ。

作詞・作曲:谷村新司 編曲:萩田光雄

赤い花緒に浴衣の君を
まだはっきり覚えています
幼なじみの君を妻にと
心に決めて何年過ぎたのか

二階の窓にすだれがおりて
黄色い灯りが路地にもれるころ
ふろ屋の帰りに君の姿が
うすぼんやりとゆれて見えた

(略)


カーテン

2009年12月11日 | アルバム「12ページの詩集」
「ゴオ ゴオ ゴオと雪の銀河をぼくはまっしぐらなんです」(抱きしめたい)、「とっておきの微笑 ぽつん」「いっちょうらの涙を ぽつり」「ふけもしない口笛 ひゅうひゅう」(あしたてんきになあれ)

いずれもはっぴいえんど時代の曲で、松本隆はこのころ擬声語を歌詞にいかそうと苦心していた。この影響なのか大瀧詠一も「颱風」で「どどどどどっどー どどどどどっどー みんな吹きとばす」と宮澤賢治のような歌詞を書いている。

太田裕美作品になると松本隆のこの嗜好は息をひそめ、あまり擬声語は使っていない。歌謡曲で擬声語をじょうずに使うのはむずかしいのだろう。記憶に残りやすいところでは「路面電車でガタコト走り」で始まる「茶色の鞄」くらいだろうか。そんな松本隆作品でひさびさに登場したのが「カチンと凍ったため息」である。「カチン」も「ガタコト」も歌の中で聴くのはこれからもなさそうだ。

「12ページの詩集」で「青い傘」と「君と歩いた青春」の間にはさまれているのが「カーテン」で、松本隆作詞、ケン・田村作曲となっている。ケン・田村ってだれだ? と思って調べてみたら、あまり情報がない。どうも福岡出身の日系三世らしく(茅ヶ崎生まれという説もあり)、筒美京平の「弟子」という説もあった。弟子かどうかはともかく筒美京平人脈ではあるらしく、この曲の編曲は筒美京平が担当している。

ケン・田村は「LIGHT ACE」「FLY BY SUNSET」の2枚のアルバムを残してまたどこかへ行ってしまったらしいが、「LIGHT ACE」のジャケットの帯に「ウエストコーストからすごい男がやってきた。」とあるくらい(笑)で、なかなか不思議なミュージシャンである。「FLY BY SUNSET」(1982年)は紹介文によれば「アーバンなLAサウンド」とかで、私の苦手な音楽なのだが、鈴木茂と後藤次利のアレンジらしく、メンツはよさそう。いくつかの曲はYouTubeで聴くことができた。

さて「カチンと凍ったため息」の「カーテン」だが、真冬の晴れた日に別れ話をして帰って行くか、同棲していたのが出ていったかする彼の後姿を見送る女性を描いている。冬の寒空で雪の積もった道の上で引っ越しというのもなんなので、別れ話をしにきて帰るのかなぁ。部屋に一人取り残され失意の中の彼女だが、悲しくはあっても暗い感じはしない。ただ破れた心を癒す空間が欲しいと願っている。タイトルどおり、冬のひんやりした風の中で揺れるカーテンのような曲と太田裕美の声である。

ひとつひっかかるのが、「友だちにさえ 触れ合わなければ 傷つく事も無いでしょう」である。普通、失恋とかした場合、友だちは慰めてくれる存在として登場してくるのだが、この曲では友だちは自分を傷つける存在として扱われている。なぜ? 女性にとっては友だちはそういうものなの? まさか友だちと彼がなにか関係があったとか? そうとも思えないので、とにかくだれでも触れてほしくないという感じなのかなぁ。

作詞:松本隆 作曲:ケン・田村 編曲:筒美京平

冬が渦巻く青空
カチンと凍ったため息
鎧戸から覗く雪道
あなたの背中を追った
揺れている私はカーテン
泣き顔も見せません
誰も入り込めない
心の壁が欲しいの

(略)



ガラスの腕時計

2009年12月03日 | アルバム「12ページの詩集」
いったい午前2時57分になにが起こったのだろうか?

「12ページの詩集」に収録されている「ガラスの腕時計」という曲には午前2時57分で止まってしまった時計が登場する。午前2時57分といえば、午前3時3分前で、年寄りならもう2時間くらいで起きだしてくるような夜更け過ぎである。

う~む。二人はいっしょに暮していて、そのうち彼がぐれはじめて、なかなかまっすぐ帰ってこなくなり、その日もバーかなにかで飲んだくれていて、もうじき夜も明けるような午前3時ころ酔っぱらって帰ってくる。彼女はずっと起きて彼を待っていた。帰ってきたとたん口げんかになって彼は家を出ていってしまった....もう彼は二度と帰ってこなかった、というような状況だろうか....

この曲でも二人がうまくいかなくなった原因は不明だ。ただ「あの人の心を変えた いじわるな季節の流れ」としか語られていない。もしかしたら彼は彼女にあきたか、なんか嫌気がさしてほかの女に手を出していたかもしれない。口げんかはそんな痴話げんかなのかもしれない。修羅場?? と妄想はどんどんふくらんでしまう。

とにかくこの曲では、そのときから時間が止まってしまった女性の心理が歌われている。彼女はもしかしたら彼からもらったかもしれない腕時計に小石をぶつけて壊してしまう。腕時計のガラスはひび割れ、針が止まってしまった。短針と長針の二つの針は、彼と自分のようで、止まってしまった二つの針はもう二度と重なりあわないことを思い知る。腕時計はなにかの象徴かもしれない。

女性はかつてのように「自分のこんなところが悪かったんだわ。あんなところが悪かったんだわ」とただ反省するようなことはなく、かといって彼のどこが悪いといって恨むようなこともない。ただ時間がたち、彼が心変わりした。悪いのはいじわるな季節である。

この作品では、萩田光雄が作曲と編曲の両方をてがけていて、そんなところで「12ページの詩集」に収録されたようだ。松本隆が「12ページの詩集」を「一回休み」と評していたが、12曲のうち5曲の作詞を担当しているので、この曲の作曲と「カーテン」の編曲しかしていない筒美京平のほうが「一回休み」状態だ。

1番の「小石ぶつけたぁ~」のところで太田裕美の長~く伸ばした声を聴くことができる。はかってみたら、1分3秒あたりから1分17秒あたりまでで、その間およそ14秒間くらい。とてもきれいな声だ。2番の「悲しみを繕い止めているぅ~」のあとには「あなたは黒い歯車 わたしは白い歯車 噛み合わないままに 月日が空廻り」という語りがあって、1曲で2回楽しめる(笑)。

よく聴いてみると、舌たらずっぽい歌い方あり、ある人いわく「風邪声」っぽい歌い方(私いわく鼻をつまんだ歌い方)あり、きれいな伸ばした歌い方ありで、けっこうこの曲はこのころの太田裕美の声と歌い方が詰まっている。

ところで歌詞カードには「悲しみを繕いとめている」とあるのだが、そのまま読めば「つくろいとめている」なのだが、聴いてみると「くいとめている」としか聴こえない。そんな読み方あったっけ? あて字? あて字だとするとなんかへんなあて字のような気がしてならない。

作詞:松本隆 作曲・編曲:萩田光雄

あの日から動かない
腕時計があるの
はかなげに淋しげに
時間が止まってる
あの人の心を変えた
いじわるな季節の流れ
何故かしらとても憎くて ああ
文字盤に小石ぶつけた

(略)


湘南アフタヌーン

2009年11月30日 | アルバム「12ページの詩集」
「湘南アフタヌーン」というタイトルの曲がいくつかあるらしい。まずブルー・コメッツでオルガンやピアノ担当だった小田啓義(ひろよし)が作曲し、葛原直樹という人が作詞し、南マリアという女性が歌っていた「湘南アフタヌーン」(1982年4月25日)。私は南マリアという人にまったく記憶がない。シングル盤の写真を見るとインディアンのような衣装で歌っていたのかもしれない。

次に、元ザ・ワイルドワンズのドラマー植田芳暁を中心に結成されたサーフ・ライダーズというバンドが1978年6月に発表した「時代遅れのラブ・ソング」に収録されている「湘南アフターヌーン」。

時代からすると「12ページの詩集」に収録された「湘南アフタヌーン」が一番最初のようだ。この「湘南アフタヌーン」はかぐや姫にいた山田つぐと(パンダ)が作曲している。パーパパーパパパーパラパラパッパーみたいな調子で始まるこの曲は、パンダらしくやけに景気のいい感じだが、歌詞を眺めてみるとけっこうきびしい歌詞である。歌詞は松本隆だ。

1番は電車でやってきて浜辺に向かうシーン、2番は年老いた漁師と浜辺で出会うシーンと続く。電車(汽車)が何線なのかだが、タイトルが「湘南アフタヌーン」なので場所は湘南なのだろうが、湘南電車(東海道線)だとすると茅ヶ崎とか平塚とかあのへんになりそうだ。サーフィンがさかんな土地だ。妻はそこの育ちだが、地元ではサーファーのことを「海乞食」と呼んでいたらしい(笑) 私にはなんとなく鎌倉や逗子のあたりに思える。そうだとすると横須賀線ということになる。

「流れゆく冬は影絵ね」というのはいまいちわからないが、「白ペンキめくれたボートが 焦げた夏名残らせいていた」というのはうまいなぁと思う。普通だと「ペンキがはげる」とおきまりの表現になってしまいそうだが、たしかにペンキが固まってまるで皮がむけたようになっていることがある。「焦げた夏」というのもかなり暑かった感じがしてくる。

きびしいのは3番である。「ひざまでの波のつめたさ 死ぬ気など消え失せるだけ 流木を集めたたき火に ばかだねと泣くいくじなし」。死ぬ気があったかなかったかわからないが、海に入ってひざまでくらいの深さまで行ったとき、その波の冷たさに「ハッ」と我にかえる。浜辺に戻り、流木を集め、火をつけて暖をとるうちに自分のおろかしさに涙が出てくる。「いくじなし」というのは、死ぬ勇気がなかったからではなく、つまらないことで死を選ぼうとした自分に対してか。ま、この曲の歌詞はこうしてへたな説明をしてしまうとどんどんつまらなくなってしまうので、もうやめておく。

「想い出は海を渡って 昔から吹いてくるのよ」というフレーズが繰り返されるが、歌詞カードを見ると1番と3番は「想い出」で、2番だけなぜか「思い出」になっている。これって別に深い意味はないんだろうな。たんに書き間違え?

作詞:松本隆 作曲:山田つぐと 編曲:萩田光雄

汽車の窓 頬杖つけば
流れゆく冬は影絵ね
旅人の振りして浜辺を
横切ればあなた住む町
想い出は海を渡って
昔から吹いてくるのよ
くちびるがまだ寒いのは
人恋しさのせいでしょう

(略)



最後の一葉

2009年11月28日 | アルバム「12ページの詩集」
子供のころ私は読書感想文を書くのが苦手だった。どうしてもあらすじを書いてしまい、最後にちょろっと「面白かった」みたいな感想とも言えないような一言を付けたしていた。それでも子供なりに考えるところはあった。たくさんの教え子が同時に読書感想文を書くのだから、教師のもとには当然たくさんの読書感想文がくることになる。忙しい教師がそんなにたくさん本を読んでいるわけはないので、そうなると教師たちは読んでもない本の読書感想文を採点しなければならなくなる。それではいくらなんでも可哀そうだ。そうか、ではあらすじを書いてあげよう、というわけである(笑)。

よく知られているように、「最後の一葉」はオー・ヘンリーの短編をモチーフにしていて、シングル盤でははっきりと「O・ヘンリ『最後の一葉』より」と明記されている。オー・ヘンリーのいくつかの短編は青空文庫で読むことができ、「最後の一枚の葉」というタイトルで結城浩訳が公開されている。PDF版ならA4で6Pくらいの分量だ。

この「最後の一葉」は1976年の9月1日にシングルとして発売されている。ちょうど秋を迎える時期だ。またもやYouTube・「夜ヒット」の話になってしまうが、白いドレス(フリフリがまたも西欧風に戻っている)でピアノの弾き語りをしながら歌う太田裕美の姿を見ることができる。「デビューして3年目に入った」と言っていることや、内藤やす子と布施明の姿も見えるので1976年12月27日放送分のようだ。「最後の一葉」という曲のテーマからか、可愛らしいというよりかなりしっとりした感じで、美人顔に変わっている。

で、この曲の歌詞なのだが、ほとんど短編小説である。松本隆の歌詞は短編小説的で、情景描写がすぐれていることは多くの方が評価しているが、この曲ではまんま短編小説になっている。まさか短編小説を歌って聴かされるとは.....それとも読書感想文か......

読書感想文であらすじを書いているとすると、これまたよく知られているように、あらすじが間違っている。オー・ヘンリ-の小説では肺炎にかかったジョンジーを助けるのは下の階に住んでいた60歳すぎのベーアマンさんという老画家である。この感想文では教師も落第にせざるをえまい(笑)。

冗談はともかくとして、なぜこの時期にこの曲を歌っているのだろうか。シングル盤の歌詞カード側に「売上の一部が、筋ジストロフィー患者の実態を描いた『車椅子の青春』の制作費として寄付される」というようなことが書かれていて、「パイオニア・サウンド・アプローチ」で放送されたミニミニコンサートでもそのようなことを太田裕美本人が言っている。まあ、そういうことなのかなぁ。

この曲は、あらすじを意図的に変えて、病床にある彼女とあなたの恋愛物語になったことで、みょうにドラマティックな展開と曲調になっている。「三冊の厚い日記が 三年の恋つづります」とあるので、「愛と死をみつめて」のミコとマコの物語(3年間の文通だが)と「最後の一葉」の話を足して2で割ったような話か。

ま、へたな感想文だろうがなんだろうが、太田裕美の美しい姿が見れたので私はしあわせなのだが。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

この手紙着いたらすぐに
お見舞いに来てくださいね
もう三日あなたを待って
窓ぎわの花も枯れたわ
街中を秋のクレヨンが
足ばやに染めあげてます
ハロー・グッバイ 悲しみ青春
別れた方が あなたにとって
倖せでしょう わがままですか

(略)



ミモザの下で

2009年11月26日 | アルバム「12ページの詩集」
ミモザは本当はおじぎそうのことで、誤用されていまのようにフサアカシア、ギンヨウアカシアなどのことをミモザと呼ぶようになったようだ。黄色のポンポン状の花を咲かせるらしい。「ミモザの下で」は、ミモザの下でまたあなたに逢いたいという歌なので、おじぎそうの下ではどうやっても逢えないので、後者の花を指している。

作詞・作曲:イルカ 編曲:萩田光雄

夏の終わりに知り合った
鳥の言葉がわかる人
山のバス停 走りながら
手を振ってくれた

あの日もらったアドレス
大切にしまいすぎて
私なくしてしまったの
あなたは待っているでしょうか?

ビリケン神様 お願いです
風に揺れるミモザの下で
あの人に再び逢えます様に

(略)

イルカ作詞作曲のこの曲はちょっと少女趣味だが、なかなかいい曲だ。「夏の終わりに知り合った 鳥の言葉がわかる人 山のバス停 走りながら 手を振ってくれた」という始まりも簡潔でいい。二人が知り合った場所と時期がすぐにわかるし、「鳥の言葉がわかる人」とか、「走りながら 手を振ってくれた」というフレーズで、飾らない彼の性格もよく伝わってくる。山猿みたいなものか(笑)

ひっかかるのが「あの日もらったアドレス 大切にしまいすぎて 私なくしてしまったの」である。「アドレス」とはメアドなどではもちろんなく、住所を書き記した紙片だろう。大切にしまいすぎて紛失してしまう....そんなことがあるのだろうか.....私にはそんな経験はないのだが。大切なものはやはりなくさない。なくすのは大切でないものか、私の知らないときに妻が片付けてしまうからだ。解せん。女性特有の症状か.....

それとも、無意識のうちに捨て去ってしまい、心の中で紛失したと思いこむ巧妙な自己欺瞞か......そうすることで彼を美化し、神格化するとか....う~ん。いくらなんでも考えすぎだろう。もちろん冗談だ。「いつか冷たい雨が」のような曲を作るイルカがそんな複雑な心理操作を行なうとは思えない。たんにドジなだけだろうな。

いつか冷たい雨が
作詞・作曲:イルカ 編曲:木田高介

雪がふる駅の片すみで だれにも
いたずらされない様に
うずくまっている年老いた犬
パンをあげても 見てるだけ
時が来れば汽車にのる私
泣くことの他何もしてあげられない私

広い道路の真中で ひかれてしまった みけ猫
その上を何台もの車が 通りすぎていく
思わず目をとじてしまった 私を許して下さい
みんなだって そう思っていると信じたいのです

(略)

「ミモザの下で」を初めて聴いたとき「ビリケン神様」を私はその語感から外国の神様かなにかだとばかり思っていた。「ビリケン」が「メリケン」に似ていたせいかもしれない。ずいぶんたってから、大阪の新世界に行って通天閣にのぼりビリケンさんにあってその顔に驚いた。しかし、あのビリケンさんとこの曲のビリケン神様が同一人物(神様だから人物ではないのだろうが)だと気づくまでにさらに時間がかかった。ビリケン神様は昨年平成20年に生誕100年らしい。

この曲は沢田聖子という人も歌っていて、沢田聖子(しょうこと読むらしい)という人を私は名前しか知らなかったが、YouTubeを見るとこの人の曲がけっこうたくさんアップロードされている。いいんじゃないでしょうか。

追記 「いつか冷たい雨が」の編曲者の木田高介(たかすけ)という名前にひっかかって調べてみたら、元ジャックスの方で、ジャックス解散後、編曲者として活躍されたようだ。「出発の歌」「神田川」「私は泣いています」「結婚するって本当ですか」などを編曲し、ザ・ナターシャー・セブンを経由し、ソロになられた矢先に31歳で自動車事故で亡くなられた。追悼コンサートには1万人が集まったという。



あさき夢みし

2009年11月25日 | アルバム「12ページの詩集」
最初私は横浜に下宿していたが、大学の近くだったせいで、下宿が学生たちのたまり場になってしまい、帰ってみたらだれか知らない人間が寝ていたこともあった。当時は下宿に鍵をかける習慣がみんななく、鍵があってもおもちゃのようなものしかなかったので、入り込もうとすればけっこう入ることができた。さすがの私もこれではいかんと少し離れた場所に引っ越すことにしたのだが、引っ越しして一息ついたころ、完全に昼夜逆転状態になってしまった。昼過ぎに起きだして、ただひたすら本を読み、明け方眠るというような「悪循環パターン」にはまってしまった。遅れてやってきた五月病みたいなものだ。

そのころよく聴いていたのが「12ページの詩集」で、カセットテープにとってとかしていなかったため、LPの最初に収録されている「あさき夢みし」をよく聴くことになった。この曲のドンチャンチャンチャチャ~ンというイントロを聴くとどうしてもそのころの自分を思い出してしまう。

歌詞のほうは、そんな悪循環パターンにはまった女性の生活を描いているわけではなく(笑)、朝がたの眠っているわけでもなく起きているわけでもない半覚醒の夢うつつの状態を描いている。これもとりとめのない世界だ。

歌詞の中に「牛乳屋さん自転車の音遠のいて」という個所がある。カチャカチャといういまではもう聞くことができない牛乳配達の牛乳瓶の音に朝を感じながら、もう5分夢の世界にいさせてというくだりなのだが、聴いているこちらは牛乳屋さんの自転車の音が聞こえるころ眠りにつくのだから、へんな話だ。なんか私の生活はまどろんでいた。たぶん若い自分のエネルギーを向ける方向を失い、内向するしかなくなったせいでくすぶっていながら、くすぶることで疲れてしまったような状態だった。よせばいいのにサルトルなんて読んだりしているもんだからますます「出口なし」状態になってしまった。

そんな「閉塞」した私はともかく、阿木燿子と宇崎竜童のコンビは、1976年6月1日発売の「横須賀ストーリー」で初めて山口百恵作品をてがけ、これが成功したものだから、以降このコンビが山口百恵ワールドを作り上げてゆくことになる。おもしろいのは「横須賀ストーリー」の編曲が萩田光雄で、それ以降の阿木・宇崎作品のほとんどの編曲を萩田光雄がやっている。太田裕美側が松本隆+筒美京平+萩田光雄なら、山口百恵側は阿木燿子+宇崎竜童+萩田光雄だったわけだ。

阿木・宇崎コンビはシングル「横須賀ストーリー」がヒットしたあといったん休み、作詞千家和也・作曲佐瀬寿一が山口百恵作品をてがけているようだ。アルバムだと「横須賀ストーリー」(1976年8月1日)のたぶんA面側を阿木+宇崎が担当し、「パールカラーにゆれて」(1976年12月5日)では2曲程度しかかかわっていない。そんないったん休みの時期にこの「あさき夢みし」が提供されたことになる。私は山口百恵にほとんど興味がないので、これ以上書くとボロが出るに決まっているのでもうやめよう。

阿木燿子と宇崎竜童のコンビは、1979年7月21日発売の「シングル・ガール/想い出達の舞踏会」でもう一度太田裕美作品をてがけている。書いていて初めて知ったが、阿木燿子の「燿子」は「耀子」ではなく「燿子」(火へん)だった。それと「輝」という字の部首は「光へん」でなく「車」で、「光へん」という部首はないようだ。

なんかまた思い出話とやくたいもない話で終始してしまった。どうも学生時代のまどみからまだ抜け出せていないのかもしれない。

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:萩田光雄

腕をのばして時計を見れば…あと5分
カーテン越しの朝の気配が眩しくて
お休みの日のあてどもなさに…あと5分
時に逆らい眠りの中に身をくるむ

まどろみ まどろむ
まどろむ まどろみの中
まどろみ まどろむ
まどろむ まどろみの中

あなたの顔が想い出せない
あさき夢みし
色の褪せてる絵のように



一つの朝

2009年11月11日 | アルバム「12ページの詩集」
私はこれまで太田裕美が歌っている曲の歌詞を「他愛もない」となんどか表現した。これはけっして悪意を持ってそうしているわけではない。そう表現するのがいちばんふさわしいと思ってこの言葉を使っている。他愛もない人の想いを、他愛もない、ありふれた言葉をつなぎあわせて表現することは、かなりむずかしい。

同じような調子で書くと「12ページの詩集」の曲の多くはとりとめもないことを歌っている。似たようなとりとめもない感じの曲に、たとえば井上陽水の「あどけない君のしぐさ」がある。「せんたくは君で 見守るのは僕 シャツの色が水にとけて 君はいつも安物買い」とか、「僕のセーターはとても大きくて 君はそれをしぼれないと 僕の腕を横目で見る」と日常生活のどうでもいいような光景を陽水は描いている。そのほかにも陽水には「爪が伸びている 親指がとくに 伸ばしたい気もする どこまでも長く」(たいくつ)など、とりとめもないような曲がいくつかある。

Webの国語辞典で「とりとめ」を調べてみると「(話などの)要点やまとまり」とある。そういう意味なら、陽水の「あどけない君のしぐさ」は、「せんたくをしていたら、シャツの色が水に溶け出してしまった。君がいつも安物ばかり買うからだ」となってしまう。これが要点だろうか? 要点かもしれないが、陽水が歌いたかったことはそういうことではない。陽水のこれらの作品は、「そうでない世界」に周囲を囲まれたものの意地のようなものがあって、とりとめもない世界を意思のようなものをもって描いている。陽水のこの時期の作品は、そこに描かれたものでなく、あえて描かれなかったものを想像することで成り立っているようなところがある。

「12ページの詩集」になると、とりとめもなさはもっと拡散してしまっている。なんというか「とりとめのあるもの」が拡散してしまい、結果的に「とりとめのないもの」がもっととりとめがなくなってしまったような感じである。私はそんなとりとめもなさが好きだった。「一つの朝」もそんなとりとめのない曲である。

作詞:松本隆 作曲:佐藤健 編曲:萩田光雄

「好きだよ」と言わないで
ふたしかな言葉です
生まれたばかりの恋なんて
決まり文句では語れない
朝焼けを見る人は
淋しがりだという
その横顔を私は信じたい

(略)

「一つの朝」の歌詞もとりとめもない歌詞だが、それでも深読みしようと思えばかなり深読みできる。この世界では、「好きだよ」という言葉は「決まり文句」でしかない「ふたしかな言葉」で、「つないだ手のぬくもり」という肉体的接触のほうが「ほんとの優しさ」を伝えることができるとしている。まだまだ大きな声でなにかが語られていた時代だった。言葉はどこか信じられなかった。「何気なく」とか「さりげなく」なにかをする。そっちのほうがカッコいいじゃないか。そう無言で主張したくなる。そんな時代だった。

「朝焼けを見る人は淋しがり」というのは、文字通り受け取ると「朝焼けをわざわざ見に行く人は淋しがり屋」というような意味なのだろうか。そういう話を聞いたことはないが、たしかに当時朝焼けを見るとみょうに淋しいような気持ちになった。それはでも、徹マン明けだったり、夜っぴいて酒を飲んでいたからかもしれないなぁ。



失くした耳飾り

2009年11月07日 | アルバム「12ページの詩集」
喜多条忠の名前は若い人でも聞いたことがあるかもしれない。かぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」「妹」の作詞家だ。そのほかにも梓みちよの「メランコリー」とかキャンディーズの「やさしい悪魔」とか「暑中御見舞申し上げます」とかを作詞している。調べたら、いまでは社団法人日本作詞家協会(そんな協会があったんだ)の理事とかで、お偉いさんになってしまったようだ。

そんな人でも田山雅充(まさみつ)の名前は知らないだろう。「春うらら」(1976年2月26日)という曲がヒットしたフォークシンガー? で、ちょっと官能的な歌詞で「はぁる~ はぁる~ はぁるうらら~」というフレーズがそれこそその年の春ころよく聴こえた。「春うらら」は作詞最首としみつ(補作という形で中里綴(つづる)という方があがっている)、編曲船山基紀で、作曲が田山雅充だ。

この二人がたった一度だけ太田裕美と接点を持っていて、それがアルバム「12ページの詩集」の「失くした耳飾り」である。どこかで聴いたことがあるような懐かしいメロディで(なにかを模倣しているとかいう意味でなく)、けっこういい曲である。

作詞:喜多条忠 作曲:田山雅充 編曲:萩田光雄

幸せすぎた語らいに
心ない時が流れて
もうあなたの言葉の中に
愛が見えません
春の風にも追いつけないで
私はひとり旅に出ました
もいちど もいちど
あなたの胸
戻りたいけれど
それは失くした耳飾り
広い海辺で見つけるよりも
もっともっと出来ないことです

(略)

「心ない時が流れて」「春の風にも追いつけないで」という個所に、個人的にはなんかひっかかるような気がする。とくに「花の季節に枯葉をさがし」は、筆がすべったような気がするが、たぶん意味がわからない私がお馬鹿なのだろう。

田山雅充はいまもライブ活動をしていて、ときどきライブでこの曲を歌っているようだ。たしかに田山がギターの弾き語りで歌ったら似合いそうだし、埋もれていってしまうにはおしい曲のように思う。

追記
「中里綴という方」と書いてしまったが、調べてみたら1970年代後半から1980年代前半くらいに活躍されていた女優、作詞家の方で、不幸な事件でおなくなりになったようだ。太田裕美には直接関係しないんですけどね。



君と歩いた青春

2009年10月26日 | アルバム「12ページの詩集」
かぐや姫にいた伊勢正三と猫にいた大久保一久で結成されたのが風だが、その風が「君と歩いた青春」が収録された3枚目のアルバム「windless blue」を発売したのが1976年11月25日。このアルバムとほぼ同じ時期(1976年12月5日)に太田裕美の5枚目のアルバム「12ページの詩集」が発売されていて、このアルバムにも「君と歩いた青春」が収録されている。

風の「windless blue」には「ほおづえをつく女」が収録されていて、この曲は12月5日にシングルで発売されているが、「君と歩いた青春」は太田裕美への提供曲ということからなのかシングルで発売されることはなかった。太田裕美側も「12ページの詩集」には、アルバム発売前にリリースされた「最後の一葉」が収録されているだけで、「君と歩いた青春」をシングル発売することはなかった。結局、この曲は両者が同時期に発表していながら、放置されたようなかっこうになってしまっていた。

「君と歩いた青春」というタイトルどおり、この曲は青春との決別がテーマになっているが、当時風を聞いていたファンも太田裕美のファンもまぁ青春まっただ中で、まだ青春との決別を意識するような年齢ではなかったせいもあるのかもしれないが、いずれにしろこの曲はそれほど注目されることもなく、時は過ぎていった。

個人的には「12ページの詩集」というアルバムの中では一番好きだったような記憶がある。18歳で青春との決別というのもなんだが、たぶん19歳、20歳...とそのときどきで聴いていたように思う。

彼と彼女は故郷で知り合い、彼が彼女を仲間とも引き合わせて、みんなでいっしょに楽しく過ごしてゆく。そんな中、彼女はマドンナのように男たちの中で特別な存在になってゆく。その関係はグループ交際のようなn対nの関係ではなく、1対nの関係を思わせる。暗黙のうちか明示的かはわからないが「彼女に手を出すな」というようなルールが男同士に生まれていたはずなのに、彼は彼女を誘い、故郷を離れ都会に出ていってしまう。しかし、なんらかの理由によって、彼女は故郷に帰る決意をし、彼は都会に踏みとどまろうとする。あるいは彼は帰るに帰れない。

まぁ、この曲はそんなようなことを描いている。語られている舞台がどこなのかわからないが、私には「なごり雪」と同じように駅のホームのような気がする。おもしろいのは、「君と歩いた青春」と言いながら、「君」がどんな女性で、「君」との生活がどんなだったかはほとんどふれられていないことだ。歌詞のほとんどは、故郷でみんなで過ごした時代のことを語っている。まるで青春は故郷で過ごしたあの時代だったのだと思ってしまいそうだ。

それでもこの作品の世界に「君」はかかせない。そうでなければ、このころテレビで放映していたドラマ「俺たちの旅」(1975年10月5日から1976年10月10日)のような話になってしまう。「俺たちの旅」も私は好きだったが、伊勢正三の描く男は優しいと言えば優しいが、どちらかといえば優柔不断で、内省的な男が多く、「俺たちの旅」が描いていた青春群像にはふさわしくない。

故郷での思い出を語りながら、彼女を幸せにできなかった自分のふがいなさやら後悔やら、みんなを裏切った申し訳なさやらがいりまじりながら曲は進んでゆくが、「きれいな夕焼け雲を憶えているかい」と一転して情景のような情景の思い出のようなフレーズが入ることで、描かれていた世界が急に広がり、続くフレーズで、そんな真っ赤な夕焼けの中で二人が出会ったことがわかる。

「君と始めて出逢ったのは ぼくが一番最初だったね」はなかなかむずかしいひとことだ。彼女と最初にであったのが、仲間のだれかではなく、彼だったことに意味はあるのか、ないのか。彼女は、最初に出会ったのが彼でなければ、彼になにか魅かれるものがなかったら、結局、彼の仲間たちとも出会うことはなかったのか....

二人が出会ったシーンの直後で「君と歩いた青春が 幕を閉じた」とふいに曲は終わってしまう。最後の「君はなぜ 男に生まれて こなかったのか」という矛盾に満ちた、自分勝手な言葉もかえって若い男の混沌とした心象を思わせる。

作詞・作曲:伊勢正三 編曲:萩田光雄

(略)

ケンカ早いやつもいた
涙もろいやつもいた
みんな君のことが
好きだったんだよ

本当はあいつらと約束したんだ
抜けがけはしないとね
バチ当りさぼくは
だけどほんとさ愛していたんだ

きれいな夕焼け雲を
憶えているかい
君と始めて出逢ったのは
ぼくが一番最初だったね

君と歩いた青春が
幕を閉じた
君はなぜ
男に生まれて
こなかったのか

太田裕美はのちに同名のアルバムを発表し、あらためてこの曲を歌っている。人によっては後年の作品のほうが上手に歌っているのでは、と語っているようだ。私は「君と歩いた青春」というアルバムのタイトルとジャケット写真からなんとなく聴かず嫌いになっていて、最近やっと聴いてみて、その中のいくつかの曲のすばらしさに思わずスタンディング・オベーションしたくなったくらいだ。しかしこの曲に関しては、たしかに上手に、感情が込められて歌われているが、この曲にはそういう歌い方はふさわしくないように思えてしまう。たんに「12ページの詩集」のものが聴きなれただけなのかもしれないが、伊勢正三の作品は抑揚もあまりなく感情が薄い歌い方があっているように思う。

女性である太田裕美が男の視線のこの曲を歌うことで不思議な魅力も持っている、伊勢正三自身が歌っているものも含めて、「12ページの詩集」に収録されている「君と歩いた青春」が一番いい。ファンが年をとって文字どおり青春を回顧する年齢になったせいか、この曲は発表当時より耳にふれることが多くなったように思う。この曲にとってはいいことだろう。