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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

君と歩いた青春

2009年10月26日 | アルバム「12ページの詩集」
かぐや姫にいた伊勢正三と猫にいた大久保一久で結成されたのが風だが、その風が「君と歩いた青春」が収録された3枚目のアルバム「windless blue」を発売したのが1976年11月25日。このアルバムとほぼ同じ時期(1976年12月5日)に太田裕美の5枚目のアルバム「12ページの詩集」が発売されていて、このアルバムにも「君と歩いた青春」が収録されている。

風の「windless blue」には「ほおづえをつく女」が収録されていて、この曲は12月5日にシングルで発売されているが、「君と歩いた青春」は太田裕美への提供曲ということからなのかシングルで発売されることはなかった。太田裕美側も「12ページの詩集」には、アルバム発売前にリリースされた「最後の一葉」が収録されているだけで、「君と歩いた青春」をシングル発売することはなかった。結局、この曲は両者が同時期に発表していながら、放置されたようなかっこうになってしまっていた。

「君と歩いた青春」というタイトルどおり、この曲は青春との決別がテーマになっているが、当時風を聞いていたファンも太田裕美のファンもまぁ青春まっただ中で、まだ青春との決別を意識するような年齢ではなかったせいもあるのかもしれないが、いずれにしろこの曲はそれほど注目されることもなく、時は過ぎていった。

個人的には「12ページの詩集」というアルバムの中では一番好きだったような記憶がある。18歳で青春との決別というのもなんだが、たぶん19歳、20歳...とそのときどきで聴いていたように思う。

彼と彼女は故郷で知り合い、彼が彼女を仲間とも引き合わせて、みんなでいっしょに楽しく過ごしてゆく。そんな中、彼女はマドンナのように男たちの中で特別な存在になってゆく。その関係はグループ交際のようなn対nの関係ではなく、1対nの関係を思わせる。暗黙のうちか明示的かはわからないが「彼女に手を出すな」というようなルールが男同士に生まれていたはずなのに、彼は彼女を誘い、故郷を離れ都会に出ていってしまう。しかし、なんらかの理由によって、彼女は故郷に帰る決意をし、彼は都会に踏みとどまろうとする。あるいは彼は帰るに帰れない。

まぁ、この曲はそんなようなことを描いている。語られている舞台がどこなのかわからないが、私には「なごり雪」と同じように駅のホームのような気がする。おもしろいのは、「君と歩いた青春」と言いながら、「君」がどんな女性で、「君」との生活がどんなだったかはほとんどふれられていないことだ。歌詞のほとんどは、故郷でみんなで過ごした時代のことを語っている。まるで青春は故郷で過ごしたあの時代だったのだと思ってしまいそうだ。

それでもこの作品の世界に「君」はかかせない。そうでなければ、このころテレビで放映していたドラマ「俺たちの旅」(1975年10月5日から1976年10月10日)のような話になってしまう。「俺たちの旅」も私は好きだったが、伊勢正三の描く男は優しいと言えば優しいが、どちらかといえば優柔不断で、内省的な男が多く、「俺たちの旅」が描いていた青春群像にはふさわしくない。

故郷での思い出を語りながら、彼女を幸せにできなかった自分のふがいなさやら後悔やら、みんなを裏切った申し訳なさやらがいりまじりながら曲は進んでゆくが、「きれいな夕焼け雲を憶えているかい」と一転して情景のような情景の思い出のようなフレーズが入ることで、描かれていた世界が急に広がり、続くフレーズで、そんな真っ赤な夕焼けの中で二人が出会ったことがわかる。

「君と始めて出逢ったのは ぼくが一番最初だったね」はなかなかむずかしいひとことだ。彼女と最初にであったのが、仲間のだれかではなく、彼だったことに意味はあるのか、ないのか。彼女は、最初に出会ったのが彼でなければ、彼になにか魅かれるものがなかったら、結局、彼の仲間たちとも出会うことはなかったのか....

二人が出会ったシーンの直後で「君と歩いた青春が 幕を閉じた」とふいに曲は終わってしまう。最後の「君はなぜ 男に生まれて こなかったのか」という矛盾に満ちた、自分勝手な言葉もかえって若い男の混沌とした心象を思わせる。

作詞・作曲:伊勢正三 編曲:萩田光雄

(略)

ケンカ早いやつもいた
涙もろいやつもいた
みんな君のことが
好きだったんだよ

本当はあいつらと約束したんだ
抜けがけはしないとね
バチ当りさぼくは
だけどほんとさ愛していたんだ

きれいな夕焼け雲を
憶えているかい
君と始めて出逢ったのは
ぼくが一番最初だったね

君と歩いた青春が
幕を閉じた
君はなぜ
男に生まれて
こなかったのか

太田裕美はのちに同名のアルバムを発表し、あらためてこの曲を歌っている。人によっては後年の作品のほうが上手に歌っているのでは、と語っているようだ。私は「君と歩いた青春」というアルバムのタイトルとジャケット写真からなんとなく聴かず嫌いになっていて、最近やっと聴いてみて、その中のいくつかの曲のすばらしさに思わずスタンディング・オベーションしたくなったくらいだ。しかしこの曲に関しては、たしかに上手に、感情が込められて歌われているが、この曲にはそういう歌い方はふさわしくないように思えてしまう。たんに「12ページの詩集」のものが聴きなれただけなのかもしれないが、伊勢正三の作品は抑揚もあまりなく感情が薄い歌い方があっているように思う。

女性である太田裕美が男の視線のこの曲を歌うことで不思議な魅力も持っている、伊勢正三自身が歌っているものも含めて、「12ページの詩集」に収録されている「君と歩いた青春」が一番いい。ファンが年をとって文字どおり青春を回顧する年齢になったせいか、この曲は発表当時より耳にふれることが多くなったように思う。この曲にとってはいいことだろう。



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
cmは良かったです… (ダムダム人¥)
2019-04-25 14:55:19
初めまして。
「君と歩いた青春」で検索してこちらにきました。

この曲を使ったNTTのCMがバブル期の頃
放送されていたのを覚えていらっしゃいますか?
わずか15秒くらいの中に、出会いと別れが見事に
描かれていて感動しました。

このほかにも伊勢さんの曲を使ったCMがあり
そちらも良かったです
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